普茶料理
普茶料理(ふちゃりょうり)は、江戸時代初期に中国から日本へもたらされた精進料理。精進料理とは、殺生を禁じられている仏教者用の、動物由来の食材を用いない料理である。日本式の精進料理と異なり、葛と植物油を多く使った濃厚な味、一つの卓を四人で囲む形式が特徴である。代表的な普茶料理に精進うなぎ、胡麻豆腐がある。
[編集] 概要
江戸時代初期(約300年前)に明の衰亡に伴い中国福建省から禅宗の一つである黄檗宗(おうばくしゅう)が伝来し、その時一緒に伝わった当時の「素菜」(いわゆる中国式の精進料理)が普茶料理である。「普茶」とは「普(あまね)く衆人に茶を施す」という意味であり、法要や仏事の終了後に僧侶や檀家が一堂に会し、茶を飲みながら重要事項を協議する茶礼に出された食事が原型となっている。
一つの長方形の座卓を4人で囲み、一品ずつの大皿料理を分け合って食べるという様式が非常に珍しがられた。料理においても中国風のものが多く、巻繊(けんちん。野菜や乾物の煮物や餡かけ)・油磁(下味をつけた野菜などを唐揚げにしたもの)や雲片(野菜の切れ端を炒め煮にしたもの)・「もどき」料理(肉や魚に擬した料理。麻腐=胡麻豆腐も白身魚の刺身に擬した「もどき」料理である)などがある。炒めや揚げといった中国風の調理技術には胡麻油が用いられ、日本では未発達であった油脂利用を広めた。
こうした普茶料理は、精進料理というよりは異国情緒を味わうものとして黄檗宗の寺院ばかりでなく、料理屋や文化人など、民間でも広く嗜まれた。特に民間で行われた普茶料理は、長崎の卓袱料理とも影響し合い、テーブルクロスや貴重なガラス製のワイングラスや水差し、洋食器が用いられる事もしばしばあった。江戸時代には『普茶料理抄』といった専門の料理書も著された。料理そのものは次第に日本化していったが、既存の精進料理には無い鮮やかさや賑わいがあり、現在も作られている普茶料理は、見た目が鮮やかな独特のものに進化している。
黄檗宗の開祖・隠元隆琦ゆかりの京都府宇治市の萬福寺などの黄檗系寺院をはじめ、興福寺がある長崎市には、普茶料理が食べられる寺院や飲食店がある。
[編集] 献立例
本頁右上の画像は京都府宇治市白雲庵の普茶料理(4人前)である。白雲庵は、もと黄檗宗萬福寺の塔頭(たっちゅう)であった。
画像中央の大皿はシュンカン(笋羹、煮野菜の盛り合わせ)、その左はクォツァイ(果菜、果物)、以下時計回りにヒンタン(行堂、御飯用の手付桶)、エンツァイ(醃菜、香の物)、干菓子、ユジ(油ジ、野菜の揚げ物、「ジ」は食篇に「茲」)、ウンペン(雲片、細切り野菜の葛とじ)。手前にはスメ(澄汁、蘭茶)、ロンパン(冷拌、和え物)、マフ(麻腐、胡麻豆腐)。