昭代 (福岡市)

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昭代
福岡市早良区昭代(早良街道より)
福岡市早良区昭代(早良街道より)
地図
昭代の地図
昭代の位置(福岡市内)
昭代
昭代
昭代の地図
昭代の位置(福岡県内)
昭代
昭代
昭代 (福岡県)
昭代の位置(日本内)
昭代
昭代
昭代 (日本)
北緯33度34分35.9秒 東経130度21分14.0秒 / 北緯33.576639度 東経130.353889度 / 33.576639; 130.353889
日本の旗 日本
都道府県 福岡県の旗 福岡県
市町村 福岡市
早良区
面積
 • 合計 31.04 ha
人口
2022年令和4年)9月末現在)
 • 合計 5,754人
等時帯 UTC+9 (JST)
郵便番号
814-0012
市外局番 092

昭代(しょうだい)は、福岡県福岡市早良区町名。現行行政地名は、昭代一丁目から三丁目まで[1]。面積は31.04ヘクタール[2]。2022年9月末現在の人口は5,754人[3]郵便番号は814-0012[4]

地理[編集]

福岡市の都心部とされる中央区天神等の西南西約4.5キロメートル、早良区の北部に位置する。北で高取及び祖原と、東でと、南で荒江及びと、西で藤崎と隣接する。町域内は主に住宅地として利用される。

河川[編集]

昭代三丁目に金屑川の支流である汐入川(準用河川)[5]が横断している。

都市計画[編集]

都市計画に関しては、「福岡市都市計画マスタープラン」[6]において定められた方針については次のとおりである。交通ネットワークとして都市の骨格となる早良街道の沿道や幹線道路である鳥飼姪の浜線の沿道は、商業、業務、サービス施設や中高層住宅などが連続した「都市軸」や「沿道軸」に位置付けられている。昭代は、「西部広域拠点」(藤崎西新及びシーサイドももちを合わせた副都心としての地域)の南側外縁部に位置し、住宅地としては、中層住宅や高層住宅で形成される「中高層住宅ゾーン」として位置づけられ、良好な住環境の保全、形成などがまちづくりの視点とされている。 用途地域は次のとおりである。東側の早良街道の道路境界線から西側概ね30メートルの範囲は近隣商業地域、これ以外の範囲は第一種住居地域に指定されている。

語源[編集]

 昭和天皇の即位の礼大嘗祭は1928年11月に京都で行われ、早良郡脇山村(現・早良区脇山)が主基斎田(すきさいでん:大嘗祭で献上される新米を作るための田)の地となった。同年10月には3石(約450kg)の献上米は北九州鉄道西新町駅から京都まで鉄道及び鉄道連絡船で運ばれた。献上米は昭和の御代を表す「昭代」と名付けられこの地の語源となった。西新町駅は1937年に国有化され国鉄筑肥線となると同時に西新駅へ改称された。

歴史[編集]

 1937年に西新駅を含む駅の北側一帯(西新町・大字庄・大字原・大字荒江)が昭代町一丁目〜四丁目と改称、1969年に住居表示により昭代町一丁目〜四丁目・麁原一番丁〜四番丁・紅葉町一丁目〜三丁目が昭代一丁目〜三丁目となった。

人口[編集]

昭代一丁目から三丁目までを合わせた人口の推移を福岡市の住民基本台帳(公称町別)[3]に基づき示す(単位:人)。集計時点は各年9月末現在である。

交通[編集]

道路[編集]

町域内の主な幹線道路は次の通り。

鉄道[編集]

町域内には鉄道は通っていないが、福岡市地下鉄空港線の次の駅が最も近い。

バス[編集]

バスについては、西日本鉄道株式会社が運営する西鉄バスが運行しており、次の停留所がある。

  • 昭代一丁目

施設[編集]

公共・公益施設[編集]

教育施設[編集]

幼稚園[編集]

  • 高取幼稚園(昭代二丁目8番33号)

小学校[編集]

中学校[編集]

町内に中学校は存在しないが、校区については、次の学校の校区に属する[11]

名所・旧跡[編集]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 所在地:昭代一丁目7、公園種別:近隣公園、面積:20,543m2、開園年度:1954[7]
  2. ^ 所在地:早良区昭代三丁目2、公園種別:街区公園、面積:1,4152、開園年度:2007[7]
  3. ^ 所在地:昭代三丁目9番26号北緯33度34分31.0秒 東経130度20分56.6秒 / 北緯33.575278度 東経130.349056度 / 33.575278; 130.349056、業務内容:郵便窓口、貯金窓口、ATM、保険窓口[8]
  4. ^ 所在地:昭代二丁目10番12号北緯33度34分28.6秒 東経130度21分14.5秒 / 北緯33.574611度 東経130.354028度 / 33.574611; 130.354028、法人名称:社会福祉法人福栄会、法人番号:9290005001452[9]
  5. ^ 三角点は、地球上の位置(緯度、経度、標高)を正確に求め、国土地理院により設置されているもので、一等、二等、三等、四等三角点と4種類に分類されている。祖原公園(所在地:昭代一丁目7番北緯33度34分37.0626秒 東経130度21分25.0673秒 / 北緯33.576961833度 東経130.356963139度 / 33.576961833; 130.356963139)に設置されている三等三角点の概要は次の通り[10]。基準点コード:TR35030229801、冠字選点番号:羅31、基準点名:麁原山、部号:210、北緯:33°34′37″.0626、東経:130°21′25″.0673、標高:33.18メートル。
  6. ^ 位置:北緯33度34分37.78秒 東経130度21分25.74秒 / 北緯33.5771611度 東経130.3571500度 / 33.5771611; 130.3571500、麁原山(標高33メートル)の山頂の北側に記念碑が立っており、次のように記されている。「鎌倉時代の中頃、1274文永11)年10月、当時大陸を支配していたモンゴル帝国)とそれに服属した高麗王国の連合軍は、日本を侵攻するため、朝鮮半島を出港しました(文永の役)。対馬壱岐平戸島鷹島能古島に襲来した元軍は、博多湾に現れ、今津百道原に上陸します。これを迎え撃った日本軍は、赤坂鳥飼の一帯で元軍と交戦し、元軍は麁原(現在の祖原)に陣を構えました。その後、元軍は侵攻を断念して日本から撤退します。この文永の役後、鎌倉幕府は、再度の元の襲来に備えて石築地(元寇防塁)の築造をすすめ、1281(弘安4)年5月、再び日本に襲来した元軍を退けました(弘安の役)。ここ祖原山は、元寇の記憶を今に伝える大切な役割を担っております。」
  7. ^ 位置:北緯33度34分39.45秒 東経130度21分25.94秒 / 北緯33.5776250度 東経130.3572056度 / 33.5776250; 130.3572056

出典[編集]

  1. ^ 福岡市. “福岡市区の設置等に関する条例”. 2022年10月29日閲覧。→別表第1
  2. ^ 平成27年(2015年)国勢調査の結果
  3. ^ a b 住民基本台帳(日本人)男女別人口及び世帯数- 福岡市 (Excel)、2022年2月15日閲覧。
  4. ^ 日本郵便株式会社. “郵便局”. 2022年10月7日閲覧。→「郵便番号を調べる」→キーワード検索等
  5. ^ 福岡市河川計画課. “福岡市の河川概要”. 福岡市. 2012年5月21日閲覧。より「河川図」参照
  6. ^ 福岡市都市計画マスタープラン
  7. ^ a b 公園等検索”. 公益財団法人福岡市緑のまりづくり協会. 2022年7月31日閲覧。HOME→公園等検索→祖原公園、→昭代南公園
  8. ^ 日本郵政グループ (Japan Post Group). “郵便局・ATMをさがす”. 2022年11月20日閲覧。 →検索
  9. ^ 国税庁長官官房企画課法人番号管理室. “国税庁法人番号公表サイト”. 2022年12月18日閲覧。→検索
  10. ^ 国土地理院(Geospatial Information Authority of Japan). “基準点成果等閲覧サービス”. 2022年11月4日閲覧。→基準点検索入口→検索
  11. ^ 福岡市通学区域
  12. ^ 参照:福岡市経済観光文化局文化財活用部文化財活用課. “福岡市の文化財”. 2022年8月2日閲覧。トップページ→文化財情報検索→麁原元寇古戦場跡

関連項目[編集]

  • 福岡市の地名(福岡市の現行の全町名のほか、地名の変遷に詳しい。)