小川原脩

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小川原脩(おがわら しゅう、1911年1月21日2002年8月29日)は日本の画家。北海道虻田郡倶知安町出身。

経歴[編集]

旧制中学(現・北海道倶知安高等学校)で油彩を始める。東京美術学校(現・東京藝術大学)西洋画科に入学。在学中に「納屋」(1933年)が帝展に入選。卒業後、福沢一郎らと出会い前衛的な美術団体「エコール・ド・東京」「創紀美術協会」「美術文化協会」などの結成に参加。シュルレアリスム絵画への道を歩んだが、軍の規制が厳しくなり断念。その後、軍の命令により戦争記録画を制作。戦後は郷里・倶知安に戻り、岩船修三、木田金次郎らと「全道美術協会(全道展)」の創立に参加。1958年、野本醇、因藤壽、穂井田日出麿らと「麓彩会」を創立。1975年、北海道文化賞受賞。1994年、北海道開発功労賞受賞。この年、小川原脩画集(共同文化社)を出版。戦後、倶知安町に定住してから半世紀以上、新たな造形の可能性を求め続けたが、とりわけ70歳を目前にして訪れた中国チベットインドでの体験を契機として創作の新境地を拓いている。

年譜[編集]

  • 1911年(明治44年) 1月21日、虻田郡倶知安村(現在の倶知安町)に、父小川原政信、母光子の5人兄弟の長男として生まれる。父は、戦後衆議院議員となる。
  • 1924年(大正13年) 倶知安中学校(現・倶知安高等学校)2年の時、自宅謹慎の処分中に友人から道具一式を送られ油絵を描き始める。
  • 1925年(大正15年) 絵画教師白井幸三郎の指導の下、西村計雄たちとともに絵画グループ「緑会」を結成する。
  • 1927年(昭和2年) 札幌中島公園農業館で開催された「日仏現代美術展札幌巡回展」を見る。
  • 1929年(昭和4年) 札幌中島公園農業館で開催された「第4回1930年協会洋画展」を見る。東京美術学校(現・東京藝術大学)を受験するも不合格。秋に上京、川端画学校で学ぶ。
  • 1930年(昭和5年) 東京美術学校西洋画科に入学、長原孝太郎の指導を受ける。倶知安町で個展開催。
  • 1932年(昭和7年) 和田英作、次いで南薫造の教えを受ける。同級生と作った絵画グループ「丹包社」を結成。東京府美術館で開催された「巴里・東京振興美術同盟展」を見る。
  • 1933年(昭和8)年  東光会第1回展入選。第9回道展でフローレンス賞受賞。第14回帝展に『納屋』入選。
  • 1934年(昭和9年) 東光会第2回展でK氏奨励賞を受賞。道展の会友となる。
  • 1935年(昭和10年) 東京美術学校を卒業。中央美術賞受賞。
  • 1936年(昭和11年) 福沢一郎のアトリエを訪ね、結成間もない「エコール・ド・東京」への参加を勧められる。また福沢を通じて、麻生三郎寺田政明、吉井正らと知り合う。さらに、瀧口修造らの「アヴァン・ギャルド芸術家クラブ」の結成にも参加。参加者たちが集まる喫茶店「武蔵野茶房」にも出入りするようになる。
  • 1937年(昭和12年) 「エコール・ド・東京」展の会場で瀧口修造と知り合いとなる。独立展入選。長谷川三郎のアトリエを訪ねる。個展(銀座・資生堂ギャラリー)開催。
  • 1938年(昭和13年) 「創記美術協会」の結成に参加。個展(札幌・三越ホール)開催。
  • 1939年(昭和14年)「美術文化協会」および「新浪漫派協会」の結成に参加。個展(銀座・資生堂ギャラリー)開催。
  • 1940年(昭和15年) 応召、旭川で教練を受けた後、帰京。「紀元二千六百年奉祝美術文化秋季展」に3点出品。
  • 1941年(昭和16年) 召集令状を受け、警察署に拘留中の福沢一郎と面会。旭川第7師団に入隊後、中国東北地方(旧満州)へ出征。
  • 1942年(昭和17年) 右肺せんカタルと診断され、旭川の陸軍病院へ転送、間もなく召集解除される。
  • 1943年(昭和18年) 「決戦美術展」で陸軍大臣賞受賞。枡潟ユキと結婚。
  • 1944年(昭和19年) 「陸軍美術展」に出品。大東亜戦争陸軍作戦記録画「成都爆撃」の制作委嘱を受け、武漢岳陽長沙、衝陽を取材する。
  • 1945年(昭和20年) 東京大空襲の後、家族を倶知安に疎開させる。「戦争記録画展」に出品。倶知安に疎開して間もなく、終戦を迎える。間宮勇、木田金次郎らと「後志美術協会」を結成(後に因藤壽も参加)。岩船修三に誘われ「全道美術協会(全道展)」の創立に参加。
  • 1947年(昭和22年) 美術文化協会を脱退。
  • 1949年(昭和24年) 北海道学芸大学にて非常勤講師を務める(後には、同札幌分校、同岩見沢分校、藤女子大学などでも同様)。
  • 1953年(昭和28年) 個展(銀座・資生堂ギャラリー、札幌・大丸ギャラリー)開催。
  • 1954年(昭和29年) 北海道在住の東京美術学校卒業生および関係者により結成された「北美会」に参加。個展(小樽丸井)開催。
  • 1958年(昭和33年) 「北海道博美術館」(札幌「豊平館」)に出品。
  • 1959年(昭和34年) 倶知安ゆかりの美術家によるグループ「麓彩会」結成。
  • 1963年(昭和38年) 北海道大学工学部建築工学科の非常勤講師を務める(~81年)。
  • 1965年(昭和40年) 個展(岩内町公民館、北海道拓殖銀行倶知安支店)開催。
  • 1967年(昭和42年) 個展(資生堂ギャラリー)開催。
  • 1968年(昭和43年) 個展(札幌大丸第2ギャラリー)開催。
  • 1971年(昭和46年) V自選展「画業40年の曲折の中から」(札幌「今井」および「札幌時計台文化会館」の2会場)で計147点を出品。
  • 1972年(昭和47年) 個展(日本橋・柳屋画廊、札幌時計台文化会館)開催。
  • 1973年(昭和48年) 個展「動物素描展」(札幌時計台文化会館)開催。
  • 1974年(昭和49年) 個展(銀座・文藝春秋画廊、札幌時計台文化会館)開催。「昭和の洋画-戦前の動向」展(京都市美術館)に2点出品される。「第1回札幌時計台文化会館美術大賞招待展」に出品かつ選考委員。倶知安町文化福祉センター落成を記念し、回顧展「画業45年〈1930→1974〉のなかから」を開催。油彩120点ほかを出品。
  • 1975年(昭和50年) 個展(札幌時計台ギャラリー)開催。北海道文化賞受賞。「第2回札幌時計台文化会館美術大賞招待展」出品かつ招待者選考委員および大賞選考委員。
  • 1976年(昭和51年) 個展(銀座・文藝春秋画廊、札幌時計台文化会館)開催。「第3回札幌時計台文化会館美術大賞招待展」に出品。
  • 1977年(昭和52年) 「現代美術のパイオニア展」(東京セントラル美術館)に出品される。個展(札幌時計台ギャラリー)開催。
  • 1978年(昭和53年) 「第1回北海道美術展」(北海道立近代美術館)へ特別出品および作品選定委員。個展(銀座・文藝春秋画廊、札幌時計台ギャラリー)開催。
  • 1979年(昭和54年) 2週間にわたり、中国南部の桂林へ取材旅行。「第2回北海道美術展」(道立近代美術館)へ特別出品および作品選定委員。個展(札幌時計台ギャラリー)開催。
  • 1980年(昭和55年) 中国南部の桂林および広州を取材旅行。個展(銀座・文藝春秋ギャラリー、札幌時計台ギャラリー、倶知安町・北海堂ギャラリー)開催。
  • 1981年(昭和56年) 倶知安町開基90周年記念として「小川原脩展」開催される。2週間にわたり、チベットへ取材旅行。個展(札幌時計台ギャラリー、倶知安町・北海堂ギャラリー)開催。
  • 1982年(昭和57年) 2週間にわたり、チベットへ取材旅行。個展(銀座・文藝春秋ギャラリー、札幌時計台ギャラリー、倶知安町・北海堂ギャラリー)開催。
  • 1983年(昭和58年) 「北海道の美術」展(カナダ・アルバータ州巡回。主催:道立近代美術館ほか)に出品される。2週間にわたり、インドのラダック地方へ取材旅行。個展(札幌時計台ギャラリー、倶知安町・北海堂ギャラリー)開催。
  • 1984年(昭和59年) 個展(札幌時計台ギャラリー、倶知安町・北海堂ギャラリー)開催。
  • 1985年(昭和60年) 「東京モンパルナスとシュールレアリスム展」(板橋区立美術館))に『ヴィナス』『カーネーション』『男と白鳥』の3点出品される。個展(銀座・文藝春秋ギャラリー、札幌時計台ギャラリー)開催。
  • 1986年(昭和61年) 2週間にわたり、インドのアジャンダ石窟寺院へ取材旅行。個展(札幌時計台ギャラリー、函館・ギャラリー照光館)開催。
  • 1987年(昭和62年) 個展(札幌時計台ギャラリー)開催。
  • 1988年(昭和63年) 個展「小川原脩展 対話・沈黙-遥かなるイマージュ」(北海道立近代美術館、東京セントラル美術館)が開催される。個展(札幌時計台ギャラリー)開催。
  • 1989年(平成元年) 北海道新聞文化賞および文部大臣褒章受賞。個展(札幌時計台ギャラリー)開催。
  • 1990年(平成2年) 個展(札幌時計台ギャラリー)開催。「日本のシュールレアリスム展」(名古屋市美術館)に『ヴィナス』を出品。
  • 1991年(平成3年) 個展(倶知安町文化福祉センター、札幌時計台ギャラリー)開催。
  • 1992年(平成4年) 個展(東京セントラル絵画館、倶知安町文化福祉センター、札幌時計台ギャラリー)開催。
  • 1993年(平成5年) 個展(倶知安町文化福祉センター)開催。
  • 1994年(平成6年) 北海道開発功労賞受賞。「小川原脩画集」出版。個展(札幌時計台ギャラリー)開催。
  • 1995年(平成7年) 個展(札幌時計台ギャラリー、倶知安町総合体育館)開催。
  • 1996年(平成8年) 個展(札幌時計台ギャラリー)開催。
  • 1997年(平成9年) 個展(札幌時計台ギャラリー)開催。
  • 1998年(平成10年) 個展(札幌時計台ギャラリー)開催。
  • 1999年(平成11年) 小川原脩記念美術館落成。
  • 2002年(平成14年) 8月29日、多臓器不全のため死去。

参考文献[編集]

  • 新明英仁『小川原脩―遙かなるイマージュ』北海道新聞社、1995年。ISBN 4-89363-214-0 
  • 『小川原脩画集』共同文化社、1999年。ISBN 4-905664-87-X 

外部リンク[編集]