宝安区

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中華人民共和国 広東省 宝安区
深圳宝安国際空港
深圳宝安国際空港
深圳市中の宝安区の位置
市中の宝安区の位置
簡体字 宝安
繁体字 寶安
拼音 Bǎo'ān
カタカナ転記 バオアン
国家 中華人民共和国の旗 中華人民共和国
広東
地級市 深圳
行政級別 市轄区
政府所在地 新安街道
建区 1998年3月
面積
総面積 733 km²
人口
総人口(2008) 310 万人
戸籍人口(2006) 40 万人
経済
電話番号 0755
郵便番号 518101
ナンバープレート 粤B
行政区画代碼 440306
公式ウェブサイト http://www.baoan.gov.cn/main/

宝安区(ほうあんく)はに位置する区。

地理[編集]

宝安区は深市西部に位置し、2010年までは経済特区外だった。区内に宝安国際空港を有す。近年は地下鉄の整備が進められ、1号線(羅宝線)2号線(蛇口線)4号線(竜華線)が整備され深圳市内中心部と、また5号線(環中線)により深圳郊外部との連絡が行われている。

地勢は東高西低で、一番高い所は羊台山の山頂(海抜587メートル)。西部は珠江河口部の三角江に面しており、海岸線の総延長は30.62キロメートル。珠江の河口部にあるため西部の沿岸部は泥が堆積して沖積平野となっており、珠江三角洲に属している。東部の龍華は丘陵と盆地が主の起伏の大きい地形になっている。

歴史[編集]

宝安区は1992年11月11日に設置された。

宝安区設置前の宝安県の歴史は古い。古代は百越の一部で、東晋の咸和六年(331年)に番禺県から分かれて宝安県が置かれた。当時の宝安県は現在の深圳市に香港を加えた広い範囲を管轄しており、東と南は南シナ海に面し、西は珠江河口部に面する、中国南部の海上交易の要地となっていた。の至徳二年(757年)、宝安県は一旦廃止され東莞県に属することになった。朝中葉の万暦元年(1573年)になり、倭寇の侵入が激しくなったこともあり、東莞県の南部の旧宝安県部分が分割され新たな県が置かれることになった。郷紳たちは人心の一新のため、「革故鼎新、去危為安」から字をとって「新安県」とすることを提議した。

近代に入り、イギリスが香港を植民地化したことにより新安県の範囲は次第に縮小し、深圳河以南はすべてイギリスの植民地となった。中華民国成立後の1914年、全国の行政区画の再編により、新安県は河南省の同名の県(新安県)と区別するために旧名の「宝安県」に改名された。宝安県には深圳墟という墟市(定期市の建つ町)があり、ここに広九鉄道が通り深圳駅ができたことから、やがて県城よりも深圳墟が栄えるようになった。現在の深圳中心街の東門商業区にあたる。

改革開放が始まった1979年3月、宝安県は地区級の深圳市となり、1979年10月に深圳鎮と塩田などは羅湖区へと再編された。1982年には深圳市のうち中心部以外に宝安県が復活するが、1986年には宝安県の沙頭郷と上埗村一带が上埗区になり(現在の福田区)、1990年1月4日には宝安県南頭墟、南山、蛇口、西麗などが南山区となった。1992年11月11日には宝安県の東半分の龍崗、大鵬、布吉、坂田、坪山などが分離して龍崗区となり、残りの宝安県西半分の龍華、観瀾、西郷、福永、松崗、光明などが宝安区となり、宝安県は消滅した。

2007年5月31日、深圳市人民政府は宝安区公明街道と光明街道を分離し光明新区とした。2010年7月1日、宝安区と龍崗区は正式に深圳経済特区の一部として編入され、2011年12月30日には宝安区の龍華、大浪、民治、観瀾の4街道の部分が龍華新区として分離した。

経済[編集]

深圳郊外の工業地帯として発展している。特に竜華地区には台湾電子機器受託生産企業である鴻海精密工業フォックスコン)の旗艦工場が設置され、多くの工場労働者が居住する地区となっている。

また地価高騰が進む深圳市においてはベッドタウンとしての需要も高まり、地下鉄路線の拡充にともない梅林検査站地区を初め大規模住宅地が整備されている。その反面市内と連絡する公共交通機関の輸送力の限界もあり、特に梅林検査站などでは通勤客でバスが大混雑しているが、地下鉄竜華線の開通による改善が期待されている。

行政区画[編集]

ダウンタウン(宝城)
  • 新安街道
  • 西郷街道
  • 松崗街道
  • 沙井街道
  • 福永街道
  • 石岩街道