夕張駅

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夕張駅
現在の夕張駅舎(2004年7月撮影)
現在の夕張駅舎(2004年7月撮影)
ゆうばり - Yūbari
◄Y24 鹿ノ谷 (1.3km)
所在地 北海道夕張市末広二丁目
駅番号 Y25
所属事業者 北海道旅客鉄道(JR北海道)
所属路線 石勝線夕張支線
キロ程 16.1km(新夕張起点)
電報略号 ユウ
駅構造 終着駅
ホーム 1面1線
開業年月日 1892年明治25年)11月1日
備考 1985年昭和60年)10月13日移転
1990年平成2年)12月26日再移転
無人駅
現駅のホーム(2003年8月)

夕張駅(ゆうばりえき)は、北海道夕張市末広2丁目にある北海道旅客鉄道(JR北海道)石勝線である。駅番号Y25電報略号ユウ

目次

[編集] 駅構造

  • 石勝線夕張支線の終着駅。単式ホーム1面1線の地上駅
  • 無人駅。新夕張駅管理。
  • トイレ3基。
  • 駅舎とトイレは夕張市が管理。

[編集] 駅周辺

[編集] 歴史

駅スタンプ(1933年)

主要産業の変化に伴い、駅は路線を短縮するかたちで2度移転された。以前は石炭の運び出しの便を図るため市の奥地(現在の石炭の歴史村付近、夕張市福住)に駅があったが、相次ぐ炭鉱閉山の影響により過疎化が急速に進行、夕張市は観光を主要産業に位置付け開発に乗り出し、1985年に市の中心部に近い市役所裏に移転した(2代目夕張駅)。

初代夕張駅の駅舎はその後、石炭の歴史村の管理事務所(株式会社石炭の歴史村観光と夕張観光開発株式会社の本社屋)に転用されていたが、道道38号夕張岩見沢線の切り替え工事にあたり、同事務所は2006年10月4日に旧「ファミリースクールふれあい」(閉校した市立旭小学校校舎を転用した宿泊研修施設であったが、市の財政再建問題の関係で同年9月18日限りで閉鎖となったもの)へ移転され、旧駅舎は同年10月10日より解体された。

大正時代(1918年)の駅構内
初代夕張駅跡(2003年8月)

2代目夕張駅の駅舎は数両の貨車の車体を転用したもので、街の玄関口として貧弱であるという声も強かった。その後、リゾート開発に伴い、鹿ノ谷 - 夕張間に新駅を設置する構想(3代目夕張駅の地点に新駅を設置する計画であった)が浮上したが、駅間距離の短さから実現せず、1990年に夕張駅自体が新駅の予定地点へと移転することになった(3代目夕張駅)。

2度の駅の移転にあたり、歴史的背景を無視している、路線短縮がゆくゆくは路線廃止につながるという反対意見もあった。

  • 1892年(明治25年)11月1日 - 北海道炭礦鉄道追分 - 夕張間の開通に伴い、現在の石炭の歴史村付近に開業(初代)。一般駅
  • 1906年(明治39年)10月1日 - 鉄道国有法による北海道炭礦鉄道線の国家買収により、国有鉄道の駅となる。
  • 1923年(大正12年) - 駅舎改築。
  • 1978年(昭和53年)5月1日 - 貨物取扱い廃止。
  • 1981年(昭和56年)10月1日 - 夕張線が石勝線に改称。同時に夕張支線の終着駅となる。
  • 1984年(昭和59年)2月1日 - 荷物取扱い廃止。
  • 1984年(昭和59年)4月1日 - 簡易委託化。
  • 1985年(昭和60年)10月13日 - 夕張市役所裏に駅を移転(2代目)。
  • 1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により北海道旅客鉄道(JR北海道)に承継。
  • 1990年(平成2年)12月26日 - ホテルマウントレースイ前に駅を移転(3代目)。
  • 1998年(平成10年)3月20日 - キヨスク閉店に伴い簡易委託廃止、無人化。
  • 2006年(平成18年)10月 - トイレを閉鎖。夕張市財政再建問題の関係で紙代、上下水道料金など維持費の支払いが困難なため。
  • 2007年(平成19年)4月1日 - トイレを再開放。岐阜県大垣市の情報技術関連会社「サイエンスネット」から維持費の援助を受けた。
  • 2009年(平成21年)7月17日 - 駅舎を全面改修し、イタリアンカフェ「ルーチェ・ソラーレ」をオープン。改修は小樽市のログハウスメーカー「トベックス」が維持管理とともに無償で受託した。[1]

[編集] 隣の駅

北海道旅客鉄道
石勝線
鹿ノ谷駅 (Y24) - 夕張駅 (Y25)

[編集] 脚注

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[編集] 関連項目

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