和倉温泉
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| ♨和倉温泉 | |
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和倉温泉駅
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| 温泉情報 | |
| 所在地 | 石川県七尾市和倉町 |
| 交通アクセス | 鉄道: JR西日本和倉温泉駅 バス: 北鉄能登バス・能登島交通「和倉温泉BT」 車: 能越自動車道和倉IC |
| 泉質 | 塩化物泉 (ナトリウム・カルシウム) |
| 泉温 | 89.1 °C |
| 湧出量 | 約2,618 t/日 (約1,600 L/分) |
| pH | 7.66 |
| 液性の分類 | 弱アルカリ性 |
| 浸透圧の分類 | 高張性 |
| 宿泊施設数 | 43(旅館34・ホテル3・民宿6) |
| 総収容人員数 | 9,171 人/日 |
| 年間浴客数 | 102.2万 人 |
| 統計年度 | 2005年(平成17年) 年度 |
| 外部リンク | 和倉温泉~わくらづくし~ (和倉温泉観光協会HP) |
和倉温泉(わくらおんせん)は、石川県七尾市に位置する温泉である。
目次 |
[編集] 温泉街
全国有数の高級温泉街として知られ、七尾湾に面して旅館が並ぶ。また、能登観光の玄関口でもあり、海のレジャーゾーンで知られる能登島にも近く、七尾市街にもフィッシャーマンズワーフなど見所がある。毎年1月と8月に花火大会が開催され、宿泊客や地元の人々でにぎわう。
[編集] 宿泊施設
- 青海荘
- α-1能登和倉
- 大観荘
- 岡田屋
- 奥田屋
- ホテル海望
- 海月
- 加賀屋
- 加賀屋・あえの風
- 和潮旅館
- 金波荘・今昔振舞
- 銀水閣
- ホテル寿苑浜かんざし
- お宿すず花
- 多田屋
- ホテルたな嘉花舞季
- 渡月庵
- ホテルなおき
- 能州いろは
- ホテルのと楽
- ホテル花ごよみ
- 料亭はまなす
- 美湾荘
- 宝仙閣
- みかさホテル
- ゆのくに
- 湯の華
- 和倉パークホテル十番館
[編集] 泉質
ナトリウム・カルシウム塩化物泉。弱アルカリ性(泉源によっては中性)高張性高温泉。
無色透明だが塩分は非常に強く、よく温まる。神経痛や関節痛・腰痛などに効能が高い。
[編集] 歴史
開湯1200年とされる歴史の古い温泉で、傷ついた白鷺が癒しているのを漁師が発見したと伝えられる。[要出典]
地名の和倉とは「湧く浦」、つまり湯の湧く浦(入り江)であり、海の中から発見された。そのため、潮が退いている時でないと湯を利用することができなかったが、近世には七尾城主の畠山氏、加賀藩の前田氏によって温泉が整備され、共同浴場が置かれた。
温泉地として本格的に開発されたのは明治時代になってからであり、戦後になって交通アクセスの向上に伴い、温泉街も大規模化した。高度経済成長期になって能登半島方面に観光ブームが沸き起こり、その後七尾線の電化に伴う特急乗り入れが開始し、急速に宿泊客が増加した。一時は同じ石川県内加賀温泉郷や隣県である福井県の芦原温泉と同じく歓楽要素を持っていたが今日その傾向は薄く、「日本一の旅館」と言われる加賀屋の影響もあって各旅館とも高級指向を全面に打ち出している。今日では山代温泉と並び、県内温泉地における宿泊客トップを競う形となっている。
2007年(平成19年)3月に発生した能登半島地震では大半の旅館が被災しほとんどの旅館が営業停止なったが、大部分の旅館は4月1日までに営業を再開した。
[編集] 沿革
- 806年 - 809年(大同年間) 温泉湧出。
- 1046年 - 1052年(永承年間) 「湯の湧き出づる浦」(湧浦)発見。
- 1641年(寛永18年) - 前田利常(加賀藩第3代藩主)により、湯島整備事業着工。
- 1674年(延宝2年) - 「和倉」に改名。
- 1654年(承応3年) - 「宿方稼」認可、温泉街が整備される。
- 1871年(明治4年) - 村の共有地として湯権を認められる。
- 1880年(明治13年) - 湯島周辺の埋め立てにより、陸続きとなる。
- 万国鉱泉博覧会開催、三等賞受賞。
- 2007年(平成19年)
[編集] 交通アクセス
- 鉄道
- JR西日本和倉温泉駅下車、車で5分。
- バス
- 北鉄能登バス・能登島交通「和倉温泉バスターミナル」下車、徒歩5分。
- イルカ交通きときとライナー「和倉温泉観光会館」下車。
- 車
- 能越自動車道和倉ICから車で5分。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- 和倉温泉~わくらづくし~ - 和倉温泉観光協会、和倉旅館協同組合(公式サイト)
- 和倉温泉 総湯
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