吉田万三
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吉田 万三(よしだ まんぞう、男性、1947年9月19日 - )は、日本の地方政治家、歯科医師で、元東京都足立区長(1996年 - 1999年)。全日本民主医療機関連合会副会長。中央社会保障推進協議会代表委員。
足立区内にある特定医療法人健和会・蒲原歯科診療所(かばら-)長。父は全日本産業別労働組合会議議長・日本共産党幹部会名誉委員であった吉田資治。
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[編集] 人物・来歴
東京都立大学附属高等学校、北海道大学歯学部卒業。青年期は高校時代に加盟した日本民主青年同盟の同盟員でもあった。歯科医師を経て、1996年に実施された東京都足立区長選挙で日本共産党・新社会党の推薦を受け出馬。保守陣営が分裂状態で複数の候補が立っていた上に区庁舎跡地の開発を巡って住民から保守派への批判の声が少なくなかったことから、区政批判に乗る形で当選した。当選した吉田は公約通り区庁舎跡地に計画されていた大型ホテルの建設を中止させ、高齢者福祉の拡充を目指すべく区政を執行した。
当選後は日本共産党を除く区議会多数派(自由民主党(自民党)・民主党・公明党)が野党に廻ったオール野党の中、少数与党下での苦しい区政運営を強いられた。その上1999年に区議会の任期満了ぎりぎりで区長吉田万三の不信任案を可決、吉田は区議会を解散したものの新議会でも野党が多数を占め吉田は失職。出直し区長選では吉田は共産党、新社会党の推薦を受けたが、区議会多数派の三党に加え自由党が推薦した元助役鈴木恒年に敗れ、区長を退く。この区長選は国政選挙並みの注目を集め、各陣営とも党首級を投入した。特にこの時点で名目上国政野党だった公明にとっては、吉田落としのための自自公協力は、10月の自自公連立政権への試金石となった。
2003年の区長選にも出馬したが、鈴木恒年に再度敗れている。
[編集] 2007年東京都知事選挙出馬
詳細は2007年東京都知事選挙を参照。
2006年10月、2007年4月に行われる東京都知事選挙に、「革新都政をつくる会」を確認団体にして立候補することを表明した。また同会に政党として唯一参加している日本共産党から推薦も受け、無所属で立候補したが、立候補者14人中3位(62万9549票、得票率11.43%で供託金没収は無し)となり落選した。
主なマニフェストは
- オリンピック招致中止
- 新銀行東京への都出資金の見直し
- 高齢者の医療費負担を2割に押さえ、中学生までの子供に対する医療費を無料にする
- 築地市場の豊洲移転を見直し
- 高速道路3環状道路(首都高速道路中央環状線、東京外環自動車道、首都圏中央連絡自動車道)の建設凍結
- 日の丸・君が代の強制を改める
- 大型デパートやチェーン店の出店を規制する(中小企業対策)
などとしていた。
当初は「自分より幅広く結集できる候補者が現れれば、自分は出馬を辞退してその人を支援しても良い」と、他党を含む統一候補擁立に前向きであった。その後、民主党から明確に共闘を拒否された。
また、「都民のハートに火をつける会」が擁立し民主党と社民党が支援する浅野史郎を統一候補とし、吉田の出馬辞退を要求してきた勢力もあったが、掲げる政策や主張、そして宮城県政における姿勢が「自民党と変わらない」として拒否した。

