全日本学生自治会総連合
全日本学生自治会総連合(ぜんにほんがくせいじちかいそうれんごう、英 All-Japan Federation of Students' Self-Governing Associations)とは、1948年に結成された日本の学生自治会の連合組織である。略称は全学連(ぜんがくれん)。
過去の経緯により、現在これを自称する組織は認知されているだけで5つあり、それぞれ自らの正当性を主張している。
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[編集] 概要
全学連は1948年に結成され、当初は日本共産党の強い影響下にあったが、1955年の六全協以降は日本共産党への批判派が主流派となり、更に主流派各派間で全共闘も結成され、1960年代から1970年代にかけて安保闘争などで激しい学生運動を展開した。1970年代以降は新左翼各派の影響が高まったが、安保の成立や、党派間の内ゲバや連合赤軍事件などもあり運動は退潮となった。2010年現在、1960年代の非主流派をうけつぐ日本共産党系の日本民主青年同盟系も含め、主要各派ごとに「全学連」が存在し、それぞれ正当性を主張している。
[編集] 歴史
[編集] 創立から初期の活動
全日本学生自治会総連合は、1948年(昭和23年)9月に日本全国の国立、公立、私立の145大学によって結成された。初代委員長は武井昭夫である。
初期の全日本学生自治会総連合は、日本共産党の強い影響の下で、反レッドパージ闘争、朝鮮戦争反対闘争、全面講和運動などを行った。この時期に全学連で活動した者には、後の日本共産党議長不破哲三と副委員長上田耕一郎兄弟、後の日本社会党副委員長の高沢寅男、田中角栄秘書となる早坂茂三などがいた。
[編集] 日本共産党への批判と独自の活動
日本共産党は、1951年10月に開いた第5回全国協議会(5全協)で武装闘争方針を決定。山村工作隊・中核自衛隊などによる火炎瓶闘争などを展開したが、「武装闘争路線」は当時の国民の評価が得られず、党勢力は著しく衰退した。これに対し日本共産党は、1955年7月の第6回全国協議会(6全協)で、「現在の日本は革命情勢にない」と総括、武装闘争方針を極左冒険主義だったと自己批判し、微笑戦術をとることに転換、合法路線への復帰を実現した。全学連ではこの方向に批判的なグループが、元国際派学生を中心としたブント結成に流れていく。その後全日本学生自治会総連合の指導部と、学生にも日常の要求に密着した日常闘争を求めるようになった日本共産党の指導部との間に溝ができ、全日本学生自治会総連合の主流派は独自の活動を行うようになっていった。
1956年(昭和31年)のスターリン批判やハンガリー動乱の影響で、全学連の主流派は、反日本共産党の立場を鮮明にし始めた。1958年(昭和33年)には、日本共産党本部での幹部会委員紺野与次郎への殴打事件を契機として日本共産党を除名された者を中心に、学生組織・反戦学生同盟を基盤として共産主義者同盟(ブント)が結成され、学生運動を指導することとなった。
全学連はこのブント指導の主流派と共産党指導の反主流派(全自連にのちになっていく)とに分裂したままで60年安保を迎えることになる。
[編集] ブント全学連
1960年(昭和35年)の安保闘争で学生運動は頂点に達したが、この闘争の総括をめぐりブントは解体することとなった。
[編集] 反主流派の動向 民青系全学連の再建
一方、60年安保闘争時の全学連反主流派は、全学連は安保闘争の過程で崩壊したと認識した。そして、全国学生自治会連絡会議(全自連)を結成し、構造改革派との確執、「安保反対、平和と民主主義を守る全国学生連絡会議」(「平民学連」)結成などの再建運動を経て、川上徹を委員長として全学連を「再建」した。この後、全国の学生自治会の過半はこの民青系全学連に組織されることとなる。
川上は後、民青同盟の学生対策担当として1967~70年(昭和42~45年)の全学連を指導したが、「新日和見主義」分派を形成したことで、1972年に党内処分を受けた(新日和見主義事件)。
[編集] 全共闘の時期
1967年(昭和42年)の羽田闘争にはブント、中核派、社青同解放派の三派が主導する三派全学連が登場した。その後、三派全学連は解体し、中核派系全学連と社会党社青同解放派、ブント系の反帝全学連が並立する。
60年敗北の総括をめぐる争いの中でブント各派をそして中核派を全学連執行部からたたき出した日本革命的共産主義者同盟革命的マルクス主義派(以下、革マル派「全学連」)は三派「全学連」設立の際にも参加することなく、東大闘争のさなか早稲田祭実行委員会指導部にいた解放派をこの実行委員会の指導権を巡って武力で早大から駆逐し、さらには東大駒場でも解放派を追撃した。
1968年(昭和43年)におこり1969年(昭和44年)1月中旬に収束した東大闘争では、秋以降から民青系全学連が学内団体(「東大闘争勝利全学連行動委員会」など)および学外からの支援勢力として登場し、新左翼各派の結集する東大全共闘と対立した。特に1968年11月ごろから翌年1月上旬にかけては、全学バリケード封鎖を目指す後者とこれを阻止しようとする前者との間で激しい物理的衝突が繰り広げられた。
[編集] 内ゲバの時代へ
1972年(昭和47年)の沖縄返還反対闘争を中間点にはさみ、法大での海老原事件を最初として革マル派と中核派の武力衝突が激化した(立花隆著の『中核vs革マル』を参照)。両者の対立は21世紀に入るまで続いたが、その後「手打ち」がなされたと噂され、表面化するような対立はなくなっている。
一方、赤軍派の登場と大菩薩峠事件、よど号ハイジャック、連合赤軍による内部リンチ殺人とあさま山荘事件などが矢継ぎ早に起き、学生運動への市民の忌避感は増大して行った。早大での川口大三郎リンチ事件をめぐって革マル派に対する一般学生による糾弾闘争もあったが、学生たちが党派の内ゲバという殺人をやめさせる力は持ち得なかった。
こうして、学生運動そのものも下火となり、系統を問わず全日本学生自治会総連合も衰退していった。
[編集] 解放派系全学連の分裂
1990年代に入る頃には、全日本学生自治会総連合を名乗る団体は4団体存在していた。
1990年代終わり頃に上部団体と共に解放派系全学連が革労協現代社派系と革労協赤砦社派系の2つに分裂した。これ以後、全日本学生自治会総連合を名乗る団体が5団体存在することとなった。
[編集] 現在
現在は以下5団体が「全日本学生自治会総連合(全学連)」として並存し、それぞれが全日本学生自治会総連合としての正当性を主張している。5団体とも「全日本学生自治会総連合(全学連)」と名乗る。民青系全学連をのぞいて、「全学連(○○委員長)」と委員長名でほかの全学連と区別する。本項では各全学連について、上部または関連組織に「系」を付けて便宜的に区別する。
- 民青系
- 中核派系
- 革マル派系
- 革労協現代社派系
- 革労協赤砦社派系
[編集] 民青系
日本民主青年同盟(民青)との関連があるとされる全学連である。学生から集めたアンケートなどをもとに省庁等に対する要請行動を行っており、2006年には国立大学の学費値上げをストップさせるなどの成果を上げたと主張している。
加盟学生自治会は180(大学は100)程度とされている。しかし、活動が確認できないとして代議員選出等の全学連での権利が停止されている学生自治会があることや、近年までは各学生自治会が全学連に払う加盟分担金合計の過半が立命館大学の加盟学生自治会からの加盟分担金であった(2006年度実績による[1])など、活動実態は加盟学生自治会の数字よりは小規模なものとなっている。大会は毎年開催されているが、参加自治会数・代議員数は公表されなくなった。大会を報道するのは日本共産党機関紙「赤旗」のみであるが、大会の写真から見る限りでは会議室や大学講義棟で開催されており、参加者数は数十名と思われる。2011年度の大会開催は報告されていない。除名されたり、脱退を選択する学生自治会もある一方で、新規加盟する自治会もある[2]。本部は東京都武蔵野市にある。毎大会には著名人による基調講演が行われており過去には内閣府参与の湯浅誠(2008年大会)などが講師となっている。機関紙は「そがく(祖国と学問のために)」(月刊)。
- 東京都学生自治会連合(都学連)
同全学連の東京都組織として東京都学生自治会連合(都学連)があり、現在、東京大学・東京学芸大学・東京農工大学などが加盟。
- 大阪府学生自治会連合(府学連)
同全学連の大阪府組織で、かつては6大学8自治会が加盟していたが現在は活動停止中。2005年度、旧大阪府立大学・大阪女子大学・大阪府立看護大学の府立系3大学が統廃合し、自治会組織が再編されるのを機に、2005年2月、第71期府学連大会にて大阪府立大学学生自治会連合が府学連からの脱退した。それに対応し、府学連も同大会で役員不足による活動休止を決定し、新たに代替組織として大阪学生要求実現連絡会(大阪連絡会)を設置した[3]。大阪府立大学学生自治会連合は2005年度6月に「大阪府立大学中百舌鳥キャンパス学生自治会」に再編[4]された後、全学連再加盟の検討が続けられたが、2008年度後期に加盟しないことを決定した[5]。
- 京都府学生自治会連合(府学連)
同全学連の京都府・滋賀県組織である。加盟自治会は立命館大学や京都市立看護短期大学などである。
- 愛知県学生自治会連合(県学連)
同全学連の愛知県組織である。加盟自治会は日本福祉大学や名古屋大学などである。
[編集] 中核派系
中核派系とされる全学連である。 現在は主に、法政大学、東北大学、富山大学、岡山大学、広島大学で「学生自治会」を名乗って活動が行われている。なお大学から公認されている自治会は現存しない。現在、前述の大学に加え、筑波大学、弘前大学など8大学での活動が確認されている。[要出典]
2006年3月14日、法政大学「当局」の立て看板撤去に抗議していた中核派活動家など29人(内法大生など大学関係者は5人)が建造物侵入と威力業務妨害の容疑で逮捕された。逮捕時には約200人の公安警察が動員された。中核派はこの事件を「2006・3・14法政大学弾圧事件」と称し強く反発した。25日には29人全員が釈放され、そのうち法大生であった5人には停学や退学処分が下された。その後、処分生5人や法政大学無関係者も含む逮捕者を中心に「3・14法大弾圧を許さない法大生の会」という団体をつくり、学内外で抗議活動を現在も行っている。大学側は警備員を常駐させるなどして対処している。06、07年中に停学学生に対して無期限停学や退学など追加処分が下され、(大学無関係者含めて)逮捕者は40名を超えている。
2007年4月27日、退学処分に対する中核派などのデモ中、中核派全学連活動家の学生ら2名が大学職員への暴行容疑で逮捕された。
2009年4月24日、東京地裁による「情宣活動禁止等仮処分命令」、大学側による処分発令などに対する中核派らによる抗議集会とデモにおいて、中核派全学連活動家の学生ら6人が公務執行妨害などの容疑で逮捕(集会中に5人、デモ後に警察署前で行われた抗議行動で1人)された。
[編集] 革マル派系
革マル派系とされる全学連である。新左翼党派系の全学連の中ではもっとも大きな組織実態を有している。加盟自治会は愛知大学(豊橋校舎)、國學院大學、北海道大学農学部など全国に点在する。
同全学連の活動家は、「全学連フラクション(ZF)」に組織され、さらに5年以上ZFで活動したものはマル学同革マル派への加盟が認められる。
1990年代から2000年代前半にかけて早稲田大学では、革マル派と同派の影響力を排除しようとする当局との間で激しい対立が続いた。その中で、同全学連の加盟自治会であった商学部自治会が1995年7月に、社会科学部自治会は2005年3月に公認を取り消された。また、大阪経済大学の自治会は、2005年10月に自治会活動家が教職員に対して暴力事件を起こしたとして、同年11月10日に非公認化された。加盟自治会の有無にかかわらず、サークルを通した活動も展開しており、北海道大学・北海道教育大学旭川校・帯広畜産大学・金沢大学・早稲田大学・國學院大學・津田塾大学・和光大学・横浜国立大学・名古屋大学・奈良女子大学・大阪経済大学・神戸大学・鹿児島大学・琉球大学・沖縄国際大学などで活動が確認されている。
[編集] 革労協現代社派系
革労協現代社派系とされる全学連である。
2011年現在は同派が拠点とする大学は1校も無いが、明治大学学生会中央執行委員会・学苑会中央執行委員会名で学外活動を中心に新歓闘争などを行っている。
[編集] 革労協赤砦社派系
革労協赤砦社派系とされる全学連である。 現在、同派が自治会を有する大学は無いものの、千葉大学、宇都宮大学、東北大学、福井大学、徳島大学、九州大学のサークルに対する活動が確認されている。
[編集] 脚注
- ^ 2009年度学友会費代理徴収の決定について(立命館大学学生部長) [リンク切れ]
- ^ 1995年の名古屋大学情報文化学部
- ^ 「府学連・全学連大会報告 『net de ZIRERA vol.34』 」 大阪府立大学中百舌鳥キャンパス学生自治会、2005年。
- ^ 「新自治会について 『net de ZIRERA vol.34』」 大阪府立大学中百舌鳥キャンパス学生自治会、2005年。
- ^ 大阪府立大学中百舌鳥キャンパス学生自治会中央執行委員会 「2008年度後期自治委員会総会特別決議」[リンク切れ]
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- 全日本学生自治会総連合(民青系)
- 全日本学生自治会総連合(中核派系)
- 全日本学生自治会総連合(革マル派系)
- 全日本学生自治会総連合(革労協現代社派系)
- 国立国会図書館 憲政資料室 中村光男氏旧蔵反戦学生同盟関係資料