リッキー・バレット
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
| 基本情報 | |
|---|---|
| 国籍 | |
| 出身地 | カリフォルニア州サクラメント |
| 生年月日 | 1981年3月9日(30歳) |
| 身長 体重 |
181cm 86kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 左投左打 |
| ポジション | 投手 |
| プロ入り | 2002年 MLBドラフト7巡目 |
| 初出場 | NPB / 2009年4月15日 |
| 最終出場 | NPB / 2009年8月14日 |
| 経歴(括弧内は在籍年) | |
|
|
|
この表について
|
|
リッキー・バレット(William Domingos "Ricky" Barrett , 1981年3月9日 - )は、アメリカ合衆国カリフォルニア州出身のプロ野球選手(投手)。
目次 |
[編集] 来歴・人物
アマチュア時代、1998年にマクラッチー高校で当時CC・サバシアが所属していたヴァレーホ高校に勝ち、サンホアキン・セクション選手権で優勝した。
サンディエゴ大学を経て2002年のMLBドラフト7巡目(全体212位)でミネソタ・ツインズに指名され契約。ルーキーリーグと1Aで3年間を過ごし、2005年にはほとんどの期間を3Aロチェスターでプレーした。2006年は27試合に登板し5勝1敗、防御率3.42を記録。2007年は1試合の先発を含む22試合に登板し2勝1敗、防御率4.11という成績だった。2008年は50試合に登板し、4勝5敗、防御率3.21。70イニングで81三振を奪い、奪三振率は10.4を誇る。
メジャー昇格の無いまま2008年シーズン終了後にフリーエージェントとなり、12月9日に東京ヤクルトスワローズと年俸50万ドル+出来高払いの1年契約(2年目の契約はヤクルトに選択権)で契約。手薄な左のセットアッパーとして期待されたが、オープン戦では制球難で結果を残せず、開幕二軍となる。4月中旬に一軍昇格するが制球難は直らず、しばらく一軍と二軍を往復した後、左ひじ痛を発症し9月10日に検査のために帰国、退団した。
2010年2月に横浜ベイスターズのキャンプで入団テストを受けたが不合格であった。同年は、アメリカの独立リーグであるアトランティックリーグのサザンメリーランド・ブルークラブスでプレーした。
[編集] プレースタイル
150km/hを超すストレートとキレの良いスライダー・チェンジアップを武器としているが、非常にコントロールが悪い。
[編集] 詳細情報
[編集] 年度別投手成績
| 年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 2009 | ヤクルト | 7 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 1 | .000 | 61 | 11.1 | 16 | 1 | 10 | 1 | 2 | 5 | 0 | 0 | 10 | 9 | 7.15 | 2.29 |
| 通算:1年 | 7 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 1 | .000 | 61 | 11.1 | 16 | 1 | 10 | 1 | 2 | 5 | 0 | 0 | 10 | 9 | 7.15 | 2.29 | |
- 2010年度シーズン終了時
[編集] 記録
- NPB
- 初登板:2009年4月15日、対読売ジャイアンツ1回戦(明治神宮野球場)、7回表に救援登板、2回無失点
- 初奪三振:同上、7回表に亀井義行から
- 初ホールド:2009年4月22日、対読売ジャイアンツ4回戦(みどりの森県営球場)
- 初先発:2009年5月23日、対北海道日本ハムファイターズ2回戦(札幌ドーム)、4回3失点で敗戦投手
[編集] 背番号
- 18 (2009年)
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- 選手の通算成績と情報 The Baseball Cube