ヤンマイエン島
| ヤンマイエン島 | |
|---|---|
| 座標 | 北緯70度59分 西経8度32分 |
| 面積 | 373 km² |
| 所在海域 | 北極海 |
| 所属国・地域 | ノルウェー |
ヤンマイエン島(ノルウェー語: Jan Mayen)は、北極海にあるノルウェー領の火山島。定住者はいないが、ノルウェー軍と測候所の要員が駐在して施設を運用している。
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[編集] 地理
[編集] 位置・広がり
グリーンランドとノルウェーの間に位置している。アイスランドからは北東へ約600km、グリーンランド東海岸中部から東へ約500km、もっとも近いノルウェー本土(ヌールラン県)とは約950kmの距離がある。「ヨーロッパ最北の地」として知られるノールカップとほぼ同じ緯度で、約1000km隔たっている。
島の面積は373km2。北東-南西方向に細長い島で、長さは55kmに及ぶ。島は幅2.5kmの地峡で二つの部分に分けられており、大きい側である北東側をNord-Jan、小さい側である南西側をSør-Janと呼ぶ。
島のある海域は、西北側のグリーンランド海(北極海の一部ともされる)と東南側のノルウェー海(北大西洋の一部ともされる)に分けられる。国際水路機関はグリーンランド海とノルウェー海の境界を、スピッツベルゲン島(スヴァールバル諸島) - ヤンマイエン島 - アイスランドを結んだ線としている。
[編集] 地勢
島はヤンマイエンプレート(ユーラシアプレートの一部)上に位置あり、ホットスポットのひとつであるヤンマイエン・ホットスポット (Jan Mayen hotspot) によって形成された火山島である。島の地形は山がちで、最高峰は北部にある標高2,277mのベーレンベルク山 (Beerenberg) 。ベーレンベルク山周辺の 114.2km2 は氷河に覆われている。
島には3つの潟湖があり、このうち2つは地峡部に位置する。島最大の湖である Sørlaguna(南の潟湖)と Nordlaguna(北の潟湖)である。もうひとつの湖は Ullerenglaguna と呼ばれる。
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[編集] 歴史
[編集] 1614年以前
この島の発見は1614年とされているが、それ以前にもこの島に関する記録があるとされる。
中世初期の書物 Landnámabók には、ヴァイキングによって スヴァールバル Svalbarð (冷たい浜辺)と名付けられた島が登場するが、これはヤンマイエン島ではないかとされている(スピッツベルゲン島などを含む島々はスヴァールバル諸島と呼ばれているが、これは近代に入って命名されたもの)。アイスランドから Svalbarð までの距離は海路2日とされており、530kmのヤンマイエンは到達可能な距離である(スピッツベルゲンまでは1550kmあり、到達できない)。ヤンマイエンに関する知識は、グリーンランドのヴァイキングたちの植民地が消滅する14世紀ころに失われたと考えられる。
17世紀には、北極海で各国の捕鯨船がしのぎを削っていたことを背景に、さまざまな「島の発見」の報告が行われた。17世紀初期の捕鯨船船長トーマス・エッジ(Thomas Edge)によれば、イングランドの探検家ヘンリー・ハドソン(エッジは「ウィリアム・ハドソン」(William Hudson)と誤記している)が1608年に島を発見し、「ハドソンのトーチ」(Hudson's Touches、あるいは Tutches)と名付けたという。しかしながら、ヘンリー・ハドソンはこの海域に1607年に訪れただけで、彼の航海記録にはこの島について何も記されていない。
[編集] 1614年の発見と命名
ヤンマイエンは1614年夏に「発見」されたとされるが、その状況に関する情報は錯綜している。この年の夏の1か月ほどの間に、3つの探検隊によってそれぞれ別個に発見されたという。
ダンケルクのイングランド人 John Clarke に雇われていたオランダの探検家Fopp Gerritszは、1614年7月に発見して Isabella と命名したと、のちに(1631年になってから)主張した。
オランダ北方会社 (Noordsche Compagnie) はオランダ人の北極海での捕鯨をサポートするために設立した会社であるが、Gouden Cath 号のJan Jacobszoon May と Orangienboom 号の Jacob de Gouwenaer は、1614年7月にこの島に到達して Mr. Joris Eylant と名付けた。この名は、彼らに同行していたオランダ人地図製作者 Joris Carolus の名にちなんだもので、Carolus はこの島の地図を製作している。
Jan Jacobszoon May たちがこの島に来たとき、「第三の船」デルフトの商人たちが出資したCleyn Swaentgen 号(船長はJan Jansz Kerckhoff)がすでに到着していたということを認めている。この島に Maurits Eylandt と名付けてオランダの議会に発見を報告したのはデルフトの商人たちであったろうと、Jan Jacobszoon May たちは推測している。しかしながら、デルフトの商人たちはこの島の発見を秘密にすることにし、1615年に所有財産とするためにこの島に戻ってきている。
1615年にはイングランドの探検家Robert Fotherbyが島に上陸した。Fotherbyはこの島を初めて発見したと考え、島を Sir Thomas Smith’s Island 、火山をMount Hakluytと名付けた。このほか、Jean Vrolicq はこの島に Île de Richelieu という名を付けている。
この島は、Willem Janszoon Blaeuが刊行した1620年版の地図に初めて登場したが、ここでヤンマイエン(Jan Mayen)の名が与えられた。「発見者」の一人であるJan Jacobszoon May の名からとられたものである。Blaeuはまた、有名な Zeespiegel 地図(1623年)においてこの島の詳細な地図を掲載したが、そこでもヤンマイエンの名を用いている。
[編集] 住民・社会
島に民間人は居住しておらず、LORANを運用しているノルウェー軍と気象観測要員が駐在しているのみである。
[編集] 経済・産業
島の唯一の資源は豊かな漁場である。ノルウェーは漁業権及び石油、天然ガスの採掘権をめぐって、グリーンランドと長期にわたる争いを続けて来たが、1993年に国際司法裁判所が、双方に妥協を促した。
[編集] 交通
アクセスとして未舗装滑走路を備えたヤンマイエン飛行場が設置されており、ノルウェー空軍の輸送機が運航されている。
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