フリードリヒ・リュッケルト

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
フリードリヒ・リュッケルト

ヨーハン・ミヒャエル・フリードリヒ・リュッケルトJohann Michael Friedrich Rückert 1788年5月16日 - 1866年1月31日)は、ドイツ詩人東洋学者。

経歴[編集]

シュヴァインフルト( Schweinfurt )に生まれる。エルランゲン大学ベルリン大学の東洋学の教授で、ゲーテの『西東詩集』以来ドイツ文学に感じられるようになった東洋的要素をさらに推し進め、マカーマなどの東洋文学をドイツ語に翻訳することで抒情詩のスペシャリストと言われるまでになった。

1833年に二人の子供を相次いで亡くしている。このときかかれた詩篇を元にマーラーが作曲したのが後述の亡き子をしのぶ歌である。 その後田舎の静かな生活を愛するあまり退職して田舎に引退した。

稀にみる語学の天才で、70種類の言語を習得したと言われる[誰によって?]。古典文化の言語の研究にも携わり、さまざまな形式を駆使し、ドイツ語による詩の中でも最も美しいもののいくつかが彼の手によって生み出されている。

詩集[編集]

  • 『愛の春』
  • 『東方のバラより』

音楽への影響[編集]

リュッケルトの詩の数々は多くの作曲家を魅了し、リート史上最も作曲家から愛された詩人の一人である。 最初に作曲した有名な作曲家はフランツ・シューベルトで、『君は憩い』、『僕の挨拶を』、『愛と美がここにあったことを』など5曲を作曲した。シューベルトがあと数年生きていたらリュッケルト歌曲の世界はもっと広がっていただろうと惜しまれている。

ロベルト・シューマンは、シューマンの「歌の年」と言われる1840年には妻クララへの思いを込めるようにハイネと同様、リュッケルトの詩による歌曲を多数作曲している。『献呈』、歌曲集『愛の春』、歌曲集『ミンネの歌』など。

グスタフ・マーラーによる『リュッケルトの詩による五つの歌曲』と歌曲集『亡き子をしのぶ歌』はリュッケルト歌曲の代表作の一つとして知られている。

他にもカール・レーヴェヨハネス・ブラームスフランツ・リストフーゴー・ヴォルフリヒャルト・シュトラウスハンス・プフィッツナーマックス・レーガーなど、リート作曲家でリュッケルトに曲をつけなかった人を探すのが困難なほどである[要出典]