パンセの諸版

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ブレーズ・パスカルの遺著『パンセ』は、フランス本国でも多くの版が出ている。

主要な版と、作成されるに至った経過を解説する。

パスカル死去時の自筆原稿[編集]

ポール=ロワイヤル版への序文から(塩川訳[1]

 パスカル氏が宗教についての著作の構想を練っていたことを周囲の人々は知っていたので、氏が亡くなった後、彼らは氏がこの主題について書き残したすべての文書を細心の注意を払って寄せ集めた。それらはすべて紐で結わえたさまざまの束にまとめられたものとして見つかったが、そこにはいかなる順序もつながりもなかった。というのも、すでに述べたように、それは氏の思索の最初の表現、それが頭に浮かぶのに応じて、小さな紙片に書きつけたものにすぎなかったからだ。そして全体はあまりにも不完全で、筆跡もひどく読みにくかったので、その解読にはこの上ない苦労があった。

 人々が最初におこなったのは、文書をそれがあるがままに、見出されたときと同じ混乱状態において筆写させることであった。しかしそれが写本となり、原本に比べて読みかつ検討するのが容易になってみると、それはあまりにも雑然として脈絡がなく、大部分の文章にはあまりに説明が欠けていたので、たいそう長い間、それを出版しようという考えはまったく出てこなかった。

この序文は匿名だが、パスカルの姉ジルベルト・ペリエフランス語版の手紙から、彼女の長男エチエンヌ・ペリエ (1642-80) の執筆と判明している。

編集史[編集]

1662年 パルカル、ペリエ家(姉ジルベルトの嫁ぎ先)で死去。

ジルベルト・ペリエフランス語版(1620-1687) が文書を相続。以後、ペリエ家が『パンセ』編集の中心となる。

1660年代前半 自筆原稿を清書しなおした第1、第2写本完成。
1670年, 1678年 ポール=ロワイヤル版出版。ポール=ロワイヤル修道院で編集。テーマ別。
1711年 ジルベルトの第5子ルイ・ペリエ (1651-1713) が、肉筆原稿の散逸を防ぐため、台紙にのりづけして「自筆原稿集」を作成。サン=ジェルマン=デ=プレ教会図書館に寄託。
1842年 ヴィクトル・クザン (1792-1867) が、王立図書館に移っていた自筆原稿集を検討。ポール=ロワイヤル版は編者による改竄が多いと批判。
1844年 フォジェール版出版。プロスペル・フォジェールフランス語版 (1810-1887) は、王立図書館の自筆原稿集から校訂しなおした。以後原文尊重の版が多種出版される。
1897年 ブランシュヴィック版出版。レオン・ブランシュヴィックは、彼が決めたテーマ別14章で編集。これが20世紀には世界で一番翻訳された。
1938年 トゥルヌール版出版。ザカリー・トゥルヌールは、国立図書館に残る第1写本が、ポール=ロワイヤル版序文が言うところの直接の写本であると提唱し、それに従った順序で編集。
1947年, 1951年 ラフュマ版出版。ルイ・ラフュマフランス語版は、トゥルヌールの説に賛同し、第1写本準拠で編集をより充実させた。
1976年 セリエ版出版。フィリップ・セリエフランス語版は、第2写本は第1写本より善本であるとして、こちらの順序に従った。

自筆原稿集[編集]

書誌事項[編集]

国立図書館蔵 手写本部 9202号。 A-Eの付録文+498pp. 430×280mm 緑色の羊皮紙製本

パスカル自身の筆跡ではない、口述筆記の断章も含む。

  • Gallica 2012年公開分 代替文書からスキャン。奇数ページのみ1ページずつ、計283ページ収録。
  • Gallica 2014年公開分 オリジナルからスキャン。見開き2ページずつ全ページ収録。ビューワーソフトでページ数も表示される。

来歴[編集]

パスカルの死後、自筆原稿は紐を使って60余の紙束に閉じられた状態で発見された。パスカルの姉ジルベルトが嫁ぎ先ペリエ家で保存。 ジルベルト死去(1687年)後、第5子ルイ・ペリエが相続した。

パスカル死後50年の時点で、すでに1割近くの文書が散逸していたとみられる。ルイは自筆原稿を430×280mmの台紙に張り付けて、それ以上の散逸をふせいだ。 ただし、それまでも原稿断章間の順序は混乱していたようだが、この糊付け作業で、さらに順序がわからなくなった。

1711年、仮綴じ状態でサン=ジェルマン=デ=プレ教会図書館に寄託。1731年以後同図書館で製本。 革命後の1795年から、王立図書館(現国立図書館)が管理 [注 1]

  • 自筆原稿および主要写本の来歴は、DescotesとProust によるWeb "Pensees de Pascal"で一覧できる。

第1・第2写本の共通点[編集]

筆写者[編集]

第1、第2写本とも主要な筆写者は同一人物で、つづりの特徴から職業筆写家とみられる。

ファイル[編集]

この両写本は、原則として、4の倍数のページ単位からなる「ファイル」の集合となっている。 一般に本を作成するとき、1回折りの折り丁で4ページできる。 1つのファイル内の記事が、ちょうど4の倍数のページ量にならなければ、1-3ページの空白ページができる。原則としてこれを境界とみてファイル群の区別ができる。

「目次」[編集]

両写本とも「目次」(内容の一覧表)を含む。第1写本では2個所、第2写本では1個所。 この「目次」にある表題をもつファイル群が27、「目次」の表題をもたないファイル群が34または35あり、塩川は前者をAファイル、後者をBファイルと呼んだ[1]。以下にはその名称を使う [注 2]

「目次」はパスカルが作成したのか?[編集]

「目次」の自筆原稿は現存しないため、この「目次」はパスカルの意図を反映しているか論争されてきた。

  • 「目次」も本文と同一の筆写家が書いている。これは元原稿があったが、失われた可能性を示唆する。
  • 第1写本に2個所、第2写本の1個所の「目次」は、「民衆の意見の健全さ」と一度書いて横線で引いて消してある事が、3つとも同じである。

そこでパスカル自身の原文がかつて存在し、それを横線をふくめて忠実に写したとみられる [注 3]

第1写本[編集]

書誌事項[編集]

フランス国立図書館所蔵 手写本部 9203号。目次を除いて本文472pp. (合計496pp.) 350×230mm 半綴じ

  • Gallica 2009年公開分 オリジナルから1ページずつスキャン。ビューワーソフトがページ数を表示。
  • Gallica 2021年公開分 代替文書から1ページずつスキャン。ビューワーソフト上でページ数は計算が必要。

来歴[編集]

ドン・タッサンフランス語版 の『Saint-Maur修道会の文学史 (1770)』(1959年にラフュマが引用)が記載している。

パスカルの姉ジルベルトは1687年死去。第3子(次女)のマルグリッド・ペリエフランス語版 (1646-1733) が相続。1715年か1723年頃、マルグリッドが、いとこでサン=ジャン=ダンジェリのベネディクト会修道院長のジャン・ゲリエ (Jean Guerrier, 1664?-1731) へ寄贈。1731年ゲリエが死に、サン=ジェルマン=デ=プレ図書館に寄託。 1795年国立図書館へ。

以下のジャン・ゲリエの記載が第1写本の冒頭にある。

私が死んだら、このノートをサン=ジェルマン=デ=プレに送って、サン=ジェルマン=デ=プレに寄託されている原本を読みやすくしてください。1723年4月1日サン・ジャン・ダンジェリ修道院で作成。ジャン・ゲリエ

構成[編集]

ファイルは、塩川の用語で、目次, A1-27, 目次その2, B1-34 の順。

制作意図・制作時期[編集]

「人々が最初におこなったのは、文書をそれがあるがままに、見出されたときと同じ混乱状態において筆者させることであった。」 というポール=ロワイヤル版序文の記録を反映する、現在に残る最初の写本。 ポール=ロワイヤル版編集に使われたので、1660年代の筆写は確実。ジャン・メナールフランス語版によれば1662-3年[2]

追記加筆[編集]

筆写家の文章以外に多数の追記加筆があり、大きく2種に分けられる[3]

  1. 自筆原稿の解読過程での加筆
  2. ポール=ロワイヤル版出版のための編集文

後者はパスカルの原文をあえて改変した文である。 筆跡から推定すると、主に下記3人で分業した [4]

  • アルノー A7,15,16,18,B2
  • ニコル A2,3,10,13,24,B16
  • エチエンヌ A9,19,26,B3,4,5,19,23,24,25,26,28,30,33

出版作業時点では各ファイルはまだばらばらだった可能性がある。

製本時期[編集]

上記のように、ポール=ロワイヤル版編集作業時点では、各ファイルは別々だったとすると、仮綴じされたのは、同版の編集作業が終了した1670年前後か、それ以後。 すでに清書写本として第2写本ができていたとすると、仮綴じを急ぐ必然性はなく、ゲリエに寄贈された時点でもばらばらだった可能性もある [注 4]

ラフュマによれば、現型に製本されたのは1731年にサン=ジェルマン=デ=プレ教会に寄贈された後。

ファイルの順序を決めたのは誰か?[編集]

仮綴じ時期を特定できないため、代々の所有者すべてに可能性がある。つまり長男エチエンヌ、母ジルベルト、3子マルグリッド、寄贈されたジャン・ゲリエ。ただしペリエ家の人々は、すでに第2写本を所有していたならば、あえてそれと違う順序でこちらを仮綴じしたとは、やや考えづらい。もっとも可能性があるのはジャン・ゲリエか [注 5]

第2写本[編集]

書誌事項[編集]

国立図書館所蔵 手写本部 12449号。 全920pp. (ただしパンセの第2写本に相当するのは、その前半の、目次+本文531pp.)330×232mm 牛皮製本

  • Gallica 2013年公開分 オリジナルから1ページずつスキャン。ビューワーソフトでページ数が明らか。ただしpp.201-239はスキャン欠落。
  • Gallica 2021年公開分 代替文書から2ページずつスキャン。全ページスキャンされているが、ソフト上でページ数は計算が必要。

来歴[編集]

ピエール・ゲリエ(Pierre Guerrier, 1696-1773) 神父の回想録が参考資料。

パスカルの姉ジルベルトは1687年死去。第3子マルグリッドが相続。マルグリッドは1723年頃にクレルモンのオラトリオ会図書館に寄贈。それを1936年以後にピエール・ゲリエ(ジャン・ゲリエの甥)個人が所有した。 ゲリエは1773年に死去し、1779年に王立図書館へ寄贈された。

構成[編集]

  • ファイルの順序が第1写本と異なる。目次, B1, A1-27, B35, B32-34, B23-31, B21-22, B20, B2-19 の順。
  • 第1写本にないB35ファイルをふくむ。これは単なる第1写本の写しではないことを示す。
  • 原則として各ファイルのページは別々だが、一つのページ内で、あるファイルが終了後、続けて次のファイルが始まる場合がある。p.102でA11からA12、p.129でA15からA16、p.433でB3からB4。(およびピエール・ゲリエの筆写とみられる部のpp.400,401)

第1写本との筆写関係[編集]

第1写本に原文判読の苦労のあとがある多くの場所は、第2写本できれいに書き直されている[5]。つまり第1写本(またはメナールの言うゼロ写本)から第2写本への筆写が推定される。

ただし単なる第1写本の写しではない。

  • B35ファイルがある。
  • 第1写本に「次の同一語までの見落とし」があり、第2写本ではなおっている個所がある[注 6]

これを説明するため、メナールは「ゼロ写本」から第2写本に写されたと考えた[2] [注 7] 。他に、田辺の指摘[7]のように、筆写家が自筆原稿を再読して書き直した可能性もある。

制作時期・制作意図[編集]

  • おおよそ第1写本(またはゼロ写本)の写しであるので、自筆原稿の解読校正作業が終了した時以後。
  • 第1写本内の加筆のうち、ポール=ロワイヤル版発行のための文章の改変は反映されていないので、それが行われる以前。

上記の制作時期が推定されるため、第1写本がパスカルの原文の一応の完成原稿となった時点で、清書として作られた可能性が考えられる。

追記加筆[編集]

  • 第1写本に比べて加筆は少なく、校訂者はほぼ一人で、エチエンヌ・ペリエとされる。
  • pp.399-402(および第2写本が終わったあとの、pp.539-554のB19の複写)は別人(ピエール・ゲリエとされる)の筆写となっている。

製本時期[編集]

第2写本は『パンセ』とは無関係な文書を後ろにふくめて製本されている。現在の形に製本したのはピエール・ゲリエの所有後であり、1730年代以後とみられる。

ファイルの順序を決めたのは誰か?[編集]

筆写終了後まもなく、正式な製本はされなくとも、仮綴じはされたはずである。 ポール=ロワイヤル版編集の分業体制から、B群ファイルを一番読み込んでいたとみられるのはエチエンヌ・ペリエである。かつ清書写本をペリエ家に保存することを企図する人物としても、彼は有力候補である [注 8]

両写本のファイルとページ数[編集]

両写本の各ファイルのページ数を示す。 以下のAファイルの題は「目次」の題(塩川訳[1])。Bファイルの題は塩川による仮題。

ファイル 第1写本 第2写本
目次 0 0
A1 順序 1-3 13-15
A2 むなしさ 5-14 17-32
A3 みじめさ 15-23 33-42
A4 倦怠 27 45
A5 民衆の意見の健全さ 現象の理由 31-36 47-56
A6 偉大さ 37-41 57-61
A7 矛盾 45-52 65-74
A8 気晴らし 53-60 75-84
A9 哲学者 61-62 85-87
A10 最高善 65-66 91-93
A11 A・P・R 69-75 95-102
A12 始まり 77-80 102-105
A13 理性の服従と使用 81-84 107-111
A14 優越 85-86 111-113
A15 移行 89-101 115-129
自然は損なわれている (これは対応ファイルなし)
A16 他宗教の誤り 105-110 129-136
A17 愛すべき宗教 113 139
A18 基礎 117-122 143-149
A19 表徴としての律法 125-140 151-168
A20 ラビの教え 141-144 171-174
A21 永続性 145-149 175-179
A22 モーセの証拠 153-154 183-185
A23 イエス・キリストの証拠 157-164 187-194
A24 預言 165-172 197-206
A25 表徴 173 207
A26 キリスト教の道徳 177-182 209-215
A27 結論 185-187 217-219
目次その2 189
B1 総覧 191-199 1-10
B2 護教論的論説 1 賭 201-208 411-418
B3 護教論的論説 2 宗教的無関心の反駁 209-220 419-433
B4 護教論的論説 2の2 221-222 433-435
B5 護教論的論説 3 堕落と贖い 225-232 437-445
B6 ユダヤ人の状態 1 233-234 447-449
B7 ユダヤ人の状態 2 237 451
B8 ユダヤ人の状態 3 241-244 455-459
B9 ユダヤ人の状態 4 245-246 461-463
B10 ユダヤ人の状態 5 249 465
B11 堕落 253-258 469-475
B12 預言 1 259-265 477-484
B13 預言 2 267-268 485-486
B14 預言 3 271-277 489-497
B15 預言 4 279-283 499-504
B16 預言 5 285-286 507-509, 400
B17 預言 6 289-297 511-520
B18 預言、ユダヤ人の状態など 301-303 523-525
B19 表徴 305-309 527-531
B20 権威と信仰など 313-314 405-407
B21 幾何学の精神と繊細の精神 1 317-318 401
B22 幾何学の精神と繊細の精神 2 321-323 401-404
B23 雑纂 325-346 275-300
B24 雑纂 2 349-361 303-318
B25 雑纂 3 365-384 321-344
B26 雑纂 4 385-398 347-373
B27 雑纂 5 401-408 375-383
B28 雑纂 6 409-413 385-390
B29 雑纂 7 417-423 391-398
B30 雑纂 8 425-428 399
B31 雑纂 9 429-430 400-401
B32 奇跡 1 バルコスへの質問状 435-437 229-232
B33 奇跡 2 439-454 235-253
B34 奇跡 3 455-472 254-273
B35 エズラの作り話 221-228

どちらの写本のファイル順序がパスカルの意図に近いのか?[編集]

どちらの順序がパスカルの意図に近いか、決定する事はできない[2]。内容としてはどちらでも不自然ではない [注 9]

その他の写本[編集]

ペリエ写本[編集]

パスカルの姉ジルベルトの第5子、ルイ・ペリエが作成。 第1・第2写本作成時に、個人的な性質が強いとして除外された自筆原稿を集成。 この写本自体は失われたが、その写しを1944年にラフュマが入手、『パスカルの未刊の三断章』として発表。

  • ラフュマ913-948(セリエ742-769)分は自筆原稿あり。
  • ラフュマ978-982(セリエ743-782)分は自筆原稿なし。

ゲリエ写本[編集]

マルグリッド・ペリエが所蔵していた文書などは1723年頃、クレルモンのオラトリオ会図書館に寄贈された。 同会士のピエール・ゲリエが作成した写本。 そのうち一つの写し(テメリクール嬢写本)は国立図書館蔵 手写本部 12988号。

  • ラフュマ983-993(セリエ804-812) (パスカルの自筆原稿はない)

ジョリ・ド・フルーリー草稿[編集]

ジョリ・ド・フルーリーフランス語版 (1675-1756) の蔵書のうち、国立図書館 手写本部 2466号 内の記事。 「印刷刊行されるべきパンセ」の表題あり。ポール=ロワイヤル1678年版に採用計画があったらしい。 メナールが発見し、1962年に『未刊のパスカルの作品』として発表。

  • ラフュマ III-XV(セリエ772-785) (パスカルの自筆原稿はない)

主要刊本[編集]

ポール=ロワイヤル版[編集]

ポール=ロワイヤル修道院の神学者アントワーヌ・アルノー (1612-1694)、ピエール・ニコルフランス語版 (1625-95) 、パスカルの甥エチエンヌらが編集。1669年に約30部の限定版、1670年に一般向けの初版を出版。「パンセ」という通称もこれにより決まった。

ポール=ロワイヤルとジェズイット教会(イエズス会)との1650年代の激論のあとであり、出版許可を得るため、ジェズイット教会を刺激しないよう、パスカルの大胆な言葉は除き、加筆修正した。

1678年には、エチエンヌ・ペリエが主となって、40断章を加え、32章439断章て再版。 19世紀前半までは主にこの版で読まれた。

ブランシュヴィック版[編集]

レオン・ブランシュヴィック (1869-1944) は哲学者。 自筆原稿を重視した校訂後に、彼が考えたテーマ別の配列で14章に分け、通し番号をつけた。

  • 1897年 Hachette社から出版。
  • 1904年 同社『フランス大作家叢書』のパスカルの部に再版。

これは20世紀に世界で愛された標準版になった。

代表的な日本語訳[編集]

ラフュマ版[編集]

ルイ・ラフュマフランス語版 (1890-1964) は、本業は製紙業の在野学者。

1938年のトゥルヌールの、第1写本こそ最初の写本である、第2写本はその写しであるという説を受け継いだ。 また「目次」を手がかりに、第1写本の順序はパスカルの意図を反映するとして編集した。

2種類の刊本[編集]

  • Delmas社版 初版1947年。 Bファイルの断章のうち、意味がAファイルに近いものは、Aファイル群に含めて編集。
  • Luxembourg社版 初版1951年。第1写本の形式で、AファイルとBファイルをわけて編集。

日本語訳[編集]

  • 田辺保訳 パンセ:ルイ・ラフュマ版による 新教出版社 1966 (デルマス社版に準拠)
  • 松浪信三郎訳 定本パンセ 講談社文庫 1971
  • 田辺保訳 パスカル著作集 6,7 教文館 1981,1982
  • 塩川徹也訳 パンセ[注 10] 岩波文庫 2015-2016

セリエ版[編集]

フィリップ・セリエフランス語版 (1931- ) はパリ第4大学ソルボンヌ大学の名誉教授。 メナールの研究[2]をうけ、第2写本が1670年頃の完成型写本であるとして、それに従った版。

  • Blaise Pascal. Pensees. per Philippe Sellier, Paris, Mercure de France, 1976 (改版多数。2023年時点でセリエ版の日本語訳はない。)

各版断章の対照表[編集]

各ファイルの冒頭と終わりの断章、およびブランシュヴィック版の冒頭断章をあげ、 ラフュマ版(1963年版)、セリエ版(2000年のG. Ferreyrollesの注釈版)、ブランシュウィック版の章と通し番号、自筆原稿集内のページ数を対比し、訳文冒頭を記した。 「考える葦」「クレオパトラの鼻」といった有名断章なども含めた。 表の初期状態は塩川訳岩波文庫[1]の『パンセ』の配列順。

各版の番号対照表と冒頭訳文は塩川[1]に、自筆原稿ページ数は田辺[7]によったが、 各版の対応や原文の校訂は、Descotes と ProustによるWeb "Pensees de Pascal"で詳細に確認できる。

ファイル ラフュマ セリエ ブランシュヴィック 自筆原稿集 冒頭文
「目次」 - S1[注 11] - - 順序 むなしさ みじめさ 倦怠
A1 順序
A1 L1 S37 9 B596 27 「詩編」はあまねく大地でうたわれる。
A1 L4 S38 3 B184 29 神を探究するように促すための手紙。
A1 L6 S40 2 B60 25 第一部 神なき人間の悲惨。第二部 神と共にある人間の至福。
A1 L9 S43 5 B291 25 不正についての手紙の中で取り上げることとして、
A1 L12 S46 3 B187 27 順序 人々は宗教を軽蔑し、憎み、
A2 むなしさ
A2 L13 S47 2 B133 83 似かよった二つの顔。
A2 L52 S85 6 B388 23 良識 彼らは追い詰められて、
A3 みじめさ
A3 L53 S86 7 B429 23 人間の卑しさ。獣に服従し、獣をあがめるまでに。
A3 L66 S100 5 B326 70 不正 法律は正しくないと民衆に言うのは危険だ。
A3 L76 S111 2 B73 70 それでは魂にとっては、自分自身でさえ、
A4 倦怠および人間の基本的性質
A4 L77 S112 2 B152 75 思い上がり 好奇心はたいてい虚栄にすぎない。
A4 L79 S114 2 B128 469 倦怠を感じるのは、夢中になっていたことから
A5 現象の理由
A5 L80 S115 5 B317 406 尊敬とは、「窮屈な思いをせよ」ということだ。
A5 L104 S136 5 B322 397 貴族とはなんと大きな特典だろう。
A6 偉大さ
A6 L105 S137 6 B342 229 もし獣が本能で行うことを知性で行っていたとしよう。
A6 L111 S143 6 B339 222 手足も頭もない人間を私は思い描くことができる。
A6 L118 S150 6 B402 405 人間の偉大さは欲心のただ中にさえ現れる。
A7 矛盾
A7 L119 S151 6 B423 - 人間の卑しさと偉大さを示した後で。
A7 L131 S164 2 B170 257 懐疑論者たちの議論の威力は、
A8 気晴らし
A8 L132 S165 2 B170 - 「もし人間が幸せならば、
A8 L139 S171 2 B143 217 気晴らし 人々は子供のときから、
A9 哲学者
A9 L140 S172 7 B466 197 たとえエピクテトスが道を完璧に見出したとしても
A9 L146 S179 6 B350 255 ストア哲学者たち 彼らはこう結論する。
A10 最高善
A10 L147 S180 6 B361 - 最高善をめぐる争い きみが自分自身に満足し
A10 L148 S181 7 B425 377 第二部 人間は信仰なしには真の善も正義も
A11 A.P.R
A11 L149 S182 7 B430 317, 318, 321, 322, 325, 326, 57 A・P・R 始まり 不可解さを解きほぐした後で
A12 始まり
A12 L150 S183 3 B226 25 不信の徒たちは、理性に従うと公言している
A12 L166 S198 2 B183 27 私たちは、目の前に何か目隠しを置いて、
A13 理性の服従と使用
A13 L167 S199のTitle 4 B269 247 理性の服従と使用、そこに真のキリスト教がある。
A13 L168 S199 3 B224 402 「聖体の秘跡など信じられない、云々。」
A13 L188 S220 4 B267 247 理性の最後の歩みは、自らを越えるものが
A14 この神の証明方法
A14 L189 S221 7 B547 151 イエス・キリストによる神。
A14 L192 S225 7 B527 416 おのれのみじめさを知らずに
A15 人間の認識から神への移行
A15 L193 S226 2 B98 61 先入観は誤りに導く。
A15 L198 S229 11 B693 1 H5 人間の盲目と悲惨を目にして、
A15 L200 S231, 232 3 B206 63 H3 人間は一本の葦にすぎない。
A15 L202 S234 7 B517 63 心慰めるがよい。きみは自分を当てにして、
A16 他宗教の誤り
A16 L203 S235 9 B595 467 他宗教の誤り マホメットには権威がない。
A16 L220 S253 7 B468 465 他のいかなる宗教も自分を憎むことを
A17 宗教を愛すべきものにする
A17 L221 S254 12 B774 227 イエス・キリストは万人のため。
A17 L222 S255 12 B747 227 肉的なユダヤ人と異教徒は悲惨な状況にある。
A18 宗教の基礎および反論への返答
A18 L223 S256 8 B570 45 「表徴」の章に収められているが、
A18 L244 S277 3 B228 45 無神論者の反論 「しかし私たちにはいかなる
A19 律法は表徴的であった
A19 L245 S278のTitle 10 B647 29 律法は表徴的であった。
A19 L246 S278 10 B657 19 ユダヤ民族とエジプト民族は、
A19 L274 S305 10 B642 45 2つの聖書を同時に証明する
A19 L276 S307 10 B691 31 愚かしいおとぎ話をする人が二人いて、
A20 ラビの教え
A20 L277 S308 9 B635 202 ラビの教えの年代 引用頁は、
A20 L278 S309, 310 7 B446 267 原罪について ユダヤ人は原罪のことを
A21 永続性
A21 L279 S311 10 B690 247 ダビデあるいはモーセの一言、たとえば
A21 L289 S321 9 B608 255 肉的なユダヤ人はキリスト教徒と異教との
A22 モーセの証拠
A22 L290 S322 9 B626 491 もう一つの丸 族長たちはきわめて長寿であったが、
A22 L297 S328 11 B702 491 自分たちの律法に対するユダヤ民族の熱意。
A23 イエス・キリストの証拠
A23 L298 S329 4 B283 59 秩序。聖書に秩序がないという反論に対して。
A23 L322 S353 12 B802 489 使徒たちは、だまされたのでなければ、だましたのだ。
A24 預言
A24 L323 S354 12 B773 - イエス・キリストによるユダヤ人と異邦人の滅亡。
A24 L348 S380 11 B718 270 ダビデの血統の永遠の統治、「歴代誌下」。
A25 個別の表徴
A25 L349 S381 10 B652 15 個別の表徴 二重の律法、律法の二重の板、
A25 L350 S382 9 B623 19 ヤフェトから系図がはじまる。
A26 キリスト教の道徳
A26 L351 S383 7 B537 412 キリスト教は奇妙千万だ。
A26 L376 S408 7 B484 419 二つの掟があれば、それだけで、キリスト教国家全体を
A27 結論
A27 L377 S409 4 B280 489 神を知ることから愛することまで、何と遠いのだろう。
A27 L382 S414 4 B287 483 神を知ること 預言も証拠も知らずに
B1 L383 S2 3 B197 - 大切なことを無視するほど鈍感であり、
B1 L413 S32 2 B162 487 (前略)クレオパトラの鼻。もしそれがもう少し
B1 L417 S36 7 B548 491 神を知ることはもとより、私たち自身は
B2 L418 S680 3 B233 3, 4, 7, 8 無限 無 私たちの魂は身体のうちに投げ込まれ、
B2 L426 S680 7 B542 8 人間を、愛すべきものであると同時に幸福な
B3 L427 S681 3 B194 - 彼らには、せめて学んでほしい。
B3 L431 S683 8 B560 - 私たちには、アダムの栄光に満ちた状態も、
B4 L432 S684 3 B194-2,3 205 自己愛、そしてそれは、私たちが動転せずに
B4 L435 S687 9 B621 - 創造と洪水が過ぎ去り、神はもはや
B5 L436 S688 9 B628 - ユダヤの民の古さ 同じ書物といっても、
B5 L449 S690 8 B556 - 彼らは自分たちが知りもしないことを言いののしる。
B5 L450 S690 7 B494 - 真の宗教であれば、偉大と悲惨を教え、
B6 L451 S691 9 B620 297, 298, 341 ユダヤ民族の優れた点 この探究においては、
B7 L452 S692 9 B631 333 ユダヤ人の誠実さ 彼らは愛をこめて
B8 L453 S693 9 B610 239, 240, 243, 244 真のユダヤ人と真のキリスト教徒が信じているのは
B9 L454 S694 9 B619 335, 336, 339 私が目にするキリスト教は、それに先立つ
B9 L455 S695 11 B717 335 預言 ダビデにはつねに跡継ぎが
B10 L456 S696 9 B618 214 このことには実質がある。すべての
B10 L457 S696 8 B572 214 使徒詐欺師説。時機は明瞭に、
B11 L458 S697 8 B588-2 - 矛盾 宗教には、無限の知恵と愚かさがある
B11 L482 S717 4 B289 - 証拠 一、キリスト教、その樹立によって
B12 L483 S718 11 B726 - 預言 215。エジプトで。 タルムード
B13 L484 S719 11 B711 329, 330, 333 個別の事柄の予告 彼らはエジプトにあってよそ者であり、
B14 L485 S720 11 B722 309, 311, 313, 315, 289, 291, 293, 295 「ダニエル書」第二章 あなたの占い師たちと
B15 L486 S721 10 B682 339, 301, 303, 305, 307, 309 「イザヤ書」第一章二十一節。
B15 L486 S733 10 B682 307 「エルサレムの預言者たちから汚れが
B16 L487 S734 11 B727 222 メシアへの待望が続く間
B16 L488 S734 12 B761 222 ユダヤ人は彼をメシアとして受け入れまい
B17 L489 S735 11 B713 171, 173, 175, 177, 179, 181, 183, 185, 187, 189 帰還の望みのないユダヤ人の捕囚
B18 L491 S736 7 B439 277 損なわれた自然 人間は、彼の本性を
B18 L490 S736 11 B721 277 われわれにはカエサルの他に王はいない。
B18 L499 S736 12 B792 277 かつていかなる人がこれほどの光輝を
B19 L500 S737 11 B700 382 何と美しいことか、信仰の目で
B19 L503 S738 10 B675 145 しかしながらこの契約は、ある人々を盲目にし、
B20 L504 S672 4 B260 273 彼らは群集の中に身を隠し、
B20 L508 S676-9 6 B364 295 「まったく人は、自分に畏敬の念を
B21 L509 S669 1 B49 213 自然に仮面をつけ、変装させる。
B21 L511 S669 1 B2 229 正しい分別にも、異なった種類が
B22 L512 S670 1 B1 405, 406 幾何学の精神と繊細の精神の相違
B22 L514 S671 6 B356 169 体の糧は少しずつ。糧がいっぱいでも、
B23 L515 S452 1 B48 109 ある文章の中で、同一の語の繰り返しがあり、
B23 L591 S490 3 B186 142 「もしも彼らを恐れさせるばかりで、
B24 L594 S491 8 B576 65 教会に対するこの世の全般的な振舞い
B24 L592 S492 12 B750 11 もしユダヤ人が全員、イエス・キリストによって
B24 L634 S527 2 B97 1 人生で最も重要な事柄は職業の選択だが
B25 L635 S528 1 B13 441 クレオビュリーヌの思い違い、彼女の
B25 L729 S611 14 B931 437 決疑論者 莫大な喜捨、穏当な悔い改め。
B26 L730 S612 12 B754 221 CC「人間でありながら、おまえは自分を
B26 L747 S620 9 B589 213 キリスト教が唯一の宗教ではないことについて
B26 L758 S627 14 B857 229 明るさ-暗さ もし真理が
B26 L769 S634 14 B903 221 汝ら途に立ちて、古き途につきて尋ねて、
B27 L770 S635 2 B103 227 アレクサンドロスは貞潔であったが、
B27 L781 S644 4 B242 206 第二部のまえがき この題材を論じた人々
B27 L791 S645 12 B777 225 一般的な観点での結果と個別的な観点での結果。
B28 L792 S646 2 B101 103 もしもすべての人が互いに相手のことを
B28 L793 S646 12 B737 103 それで私は他のすべての宗教を
B28 L798 S650 9 B612 163 マルティアリスの『寸鉄詞』
B29 L799 S651 9 B612 39 「創世記」十七章「我が契約を
B29 L820 S660 8 B561 19 私たちの宗教の真理を説得するのに
B30 L821 S661 4 B252 195 じっさい思い違いをしてはいけないから言う
B30 L825 S666 14 B901 206 反論があるように見える。
B31 L826 S667 10 B673 270 「汝山にて示されし型にしたがいて作れ」
B31 L829 S668 6 B351 269 魂はときおり精神力のすべてを
B32 L830 S419 13 補遺 - 私が、サン・シラン僧院長殿におたずね
B32 L831 S420 13 B810 - 二番目の奇跡は最初の奇跡を前提とすることが
B33 L832 S421 13 B803 235 出だし 奇跡が教義を識別し、
B33 L858 S437 13 B840 463 教会には三種類の敵がいる。
B34 L859 S438 13 B852 451 神の明らかな加護を受けている
B34 L912 S451 12 B781 344 イエス・キリストはすべての人の
B35 L971 S415 9 B633 163 エズラの作り話を反駁する
B35 L972 S416 9 B634 411 もしもエズラの作り話が信用できるのなら
B35 L970 S417, 418 9 B632 247 エズラについて 書物が神殿と
ペリエ写本 L913 S742 メモリアル 冒頭D メモリアル 恩寵の年、1654年。
ペリエ写本 L948 S769 10 B668 97 愛から遠ざかることによってしか
自筆原稿集 L949 S787 14 B930 163 私たちは彼らを可能なかぎり
自筆原稿集 L969 S803 7 B514 495, 496 「恐れつつあなたの救いを全うしなさい」
パスカルの蔵書 I S813 - - 宣誓 署名 こうしてイエズス会師たちは
第1写本の追紙 II S741 - - というのも、これらのことが
以下はパスカルの自筆が存在しないもの
ポール=ロワイヤル版 L975 S739 4 B275 - 人々はしばしば想像力を心の直感と
ポール=ロワイヤル版 L976 S740 1 B19 - 著作を書いていて最後に見つかるのは
ペリエ写本 L978 S743 2 B100 - 自己愛つまり人間的な
ペリエ写本 L982 S770 - - われわれは多様性から画一性を作り
第2写本の追記 L973 S698 14 B919 - これは民衆とイエズス会師たちの
第2写本の追記 L974 S771 14 B949 - 国家における平和の目的は
ド・フルーリー草稿 III S772 - - 恩恵によって内的に革新した
ド・フルーリー草稿 L984 S781 3 B216 - 恐れなければならないのは、
ド・フルーリー草稿 XV S785 - - 神は隠れている。しかし
ヴァラン文書 L977 S786 5 B320-2 - 世の中で最も理不尽なことが、
ゲリエ写本 L983 S804 4 B276 - ロアネーズ公は言っていた。
ゲリエ写本 L993 S812 14 B909 - これらの決疑論者たちがこぞって
その他 L1000 - 1 B43 - 自分の著作のことを
その他 L1001 - 2 B77 - 「私はデカルトを赦すことができない。
その他 L1010 - - - パスカル氏にいわせれば、

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ フランス革命時にはサン=ジェルマン=デ=プレ教会は硝石倉庫になり、1794年に爆発火事を起こした。再建が必要で、損害をまぬがれた蔵書は革命政府が管理(つまり没収)した。
  2. ^ 塩川の言うB1-35ファイルは、ジャン・メナールフランス語版 [2] の用語では I-XXXV ファイル。彼以後フランスではこの呼び方が使われる。
  3. ^ ただし第2写本目次の「現象の理由」は筆写家が書き落とし、校訂者が書き加えている。これは単なる筆写家の不注意か? 第1写本の目次は第2写本の目次の写しであるという説も提唱された[3]
  4. ^ 製本の時代が下るほど、B35ファイルの紛失もより自然と考えられる。
  5. ^ 編者がゲリエとすれば、第2写本を参照したかどうかが、もう一つの疑問となる。B2-19、B23-31のファイル順は第2写本と一致している。すなわち編者は第2写本を参照しつつ、あえて異なる順序を提案した可能性もある。
  6. ^ たとえばラフュマ12 (セリエ46)の断章の、vraie; et puis montrer qu'elle est varie. という文は、第1写本では2つの varie 間の5単語を飛ばしているが、第2写本ではなおっている。 同様に ラフュマ66 (セリエ100) の断章は、第1写本で8単語が飛ばされ、第2写本でなおっている[6]。 その他の例はProust[4]の注62を参照。
  7. ^ 「ゼロ写本」があったとすると、それは以後どうなったのか。湟野は、その一部は第1写本に吸収されたと提唱した[5]
  8. ^ エチエンヌは母ジルベルトより早く1680年に死去。それまでは第2写本を彼が所有し、パスカル自筆原稿と対照して、校訂を続けた可能性も考えられる。
  9. ^ B1ファイルは全体の序論にあたると田辺は指摘する[7]。これを冒頭にもってきた第2写本は一つの見識かもしれない。
  10. ^ 塩川訳は「第1写本に依拠」する。したがって配列はほぼラフュマ版と同じ。
  11. ^ 当初セリエ版は「目次」を断章1とした。ただしセリエは後年に、これは編者たちの作成文と意見を変えた。

出典[編集]

  1. ^ a b c d e 塩川徹也訳 パンセ 岩波文庫 2015-2016
  2. ^ a b c d e Jean Mesnard. Les "Penseés" de Pascal ont trois cents ans. Clermont-Ferrand, G de Bussac, 1971.
  3. ^ a b 広田昌義Pascal : 《Pensées》 の二つの写本について」『言語文化』第7巻、一橋大学語学研究室、1971年3月、85-95頁、CRID 1390290699840064128doi:10.15057/9146hdl:10086/9146ISSN 0435-2947 
  4. ^ a b Proust, Gilles (2010). “Les Copies des Penseés”. Courrier du Centre International Blaise-Pascal (Centre international Blaise Pascal) (32): 4-47. doi:10.4000/ccibp.325. https://doi.org/10.4000/ccibp.325. 
  5. ^ a b 湟野正満「『パンセ』写本研究」『京都産業大学総合学術研究所所報』第14巻、京都産業大学総合学術研究所、2019年7月、9-30頁、CRID 1050001338452588160hdl:10965/00010304ISSN 1348-8465 
  6. ^ 山上浩嗣「『パンセ』原稿と写本および校訂について : 研究の現状」『Gallia』第58巻、大阪大学フランス語フランス文学会、2019年3月、29-38頁、CRID 1050564288341387904hdl:11094/72868ISSN 03874486 
  7. ^ a b c 田辺保訳 パスカル著作集 6,7 教文館 1981,1982