フランソワ・ラブレー

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ラブレー

フランソワ・ラブレーFrançois Rabelais, 1483年 - 1553年4月9日)はフランスルネサンスを代表する人物で、『ガルガンチュワとパンタグリュエル』(ガルガンチュワ物語、ガルガンチュア物語)で知られる。

経歴には不明な点が多い。中部フランスのシノン近郊の村に生まれ、父は弁護士であった。修道士となり、ひそかにギリシア語を学んだ。また医学を学び、ヒポクラテスの医書を研究したことで著名となった。人文主義者エラスムスらと交流があった。

1532年以降に中世の巨人(ガルガンチュア)伝説に題材を取った物語を順次刊行する(『ガルガンチュワとパンタグリュエル物語』)。当初はペンネームで発表。糞尿譚から古典の膨大な知識までを散りばめ、教会をはじめ既成の権威を風刺した内容を含んでいたため、禁書とされた。迫害を受けて国内外を転々とした。1550年フランスに戻るが、1553年、消息不明となった。この年死去していたことが近年になって確認された。

目次

[編集] 経歴

  • 1511年頃 修道院に入る
  • 1528年頃 修道院を出て放浪
  • 1530年 修道院に無断でモンペリエ大学に登録
  • 1532年 リヨンの病院に勤める
この年、ヒポクラテスなどギリシア語医学書のラテン語訳を出版、また同年(?)『パンタグリュエル物語』を筆名で出版
同年(あるいは1535年?) 筆名で『ガルガンチュワ物語』出版
  • 1535-1536年 枢機卿の秘書兼侍医として2回目のローマ訪問
この際パウルス3世より、(1528年頃に)無断で修道院を離れたことの赦免を得た
  • 1537年 医学博士号を授与される
  • 1538年 フランソワ1世カール5世の会談に同席(イタリア戦争参照)
  • 1542年 『パンタグリュエル』『ガルガンチュワ物語』に手を加えて再刊
  • 1543年 パリ大学より禁書処分を受ける(「禁書目録」に掲載される)
  • 1546年 『第三之書』を本名で出版
  • 1548年 『第四之書』(途中の章までの不完全版)出版
この頃から1550年までローマに滞在(?)
  • 1550年 パリ郊外に戻る
  • 1552年 『第四之書』(完全版)出版
  • 1553年 消息不明となり、この年死去
  • 1564年 『第五之書』出版
偽書とも、ラブレーの遺稿をもとにして別人が加筆して出版したのではないかとも言われる。

[編集] 生没年

長い間、1494年生まれ?(著作からの推測)-1553年頃死去?(消息不明になった)と推測されてきたが、近年ラブレーの遺産相続記録が発見され、1553年に死去したことが判明。70歳と考えられるため、1483年生まれであるという。(ちくま文庫版『ガルガンチュア』解説による)

[編集] 伝記研究

  • マイケル・スクリーチ 『ラブレー 笑いと叡智のルネサンス』
平野隆文訳、白水社、2009年、※著者はタイモン・スクリーチの父
杉里直人訳 <ミハイル・バフチン全著作第7巻> 水声社、2007年
川端香男里訳、せりか書房 新版1988年
  • 『ラブレー雑考 渡辺一夫著作集 第1.2巻』 筑摩書房、増補版でも刊行された。
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