ハインリッヒ・シュリーマン

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ハインリッヒ・シュリーマン

ハインリッヒ・シュリーマンドイツ語Johann Ludwig Heinrich Julius Schliemann, 1822年1月6日 - 1890年12月26日)は、ドイツ考古学者、実業家。ギリシャ神話に出てくる伝説の都市トロイアが実在することを発掘によって証明した。

目次

[編集] 来歴

[編集] 生い立ち

プロイセン王国のメックレンブルク・シュヴェリン州(現メクレンブルク=フォアポンメルン州)ノイブコウ生まれ。父エルンストはプロテスタント説教師で、母はシュリーマンが9歳のときに死去し、叔父の家に預けられた。13歳でギムナジウムに入学するが、貧しかったため退学して商人の徒弟になった。

貧困から脱するためベネズエラ移住を志したものの、船が難破してオランダ領の島に流れ着き、オランダの貿易商社に入社した。1846年サンクトペテルブルクに商社を設立し、翌年ロシア国籍を取得。さらにゴールドラッシュに沸くカリフォルニア州サクラメントにも商社を設立して成功を収める。クリミア戦争に際してロシアに武器を密輸して巨万の富を得た。

[編集] トロイア発見

シュリーマンによるトロイア発掘報告書の扉絵(1874年の初版)
シュリーマンらによるミケーネの調査(1885年頃)

幼少のころにホメーロスの『イーリアス』に感動したのが、トロイア発掘を志したきっかけであるとされている。自身の著作にそのような記述あることから、長年そう信じられてきたが、近年の研究では功名心の高かったシュリーマン自身の創作であることが判明している。発掘当時は「トロイア戦争はホメロスの作り話」と言われ、トロイアの実在も疑問視されていた、というのもシュリーマンの著作に見られる記述であるが、実際には当時もトロイアの遺跡発掘は行われていた。シュリーマンの「トロイア実在説」は、当時からして決して荒唐無稽なものではなかった。

彼は発掘調査費を自弁するために、貿易などの事業に奔走しつつ、『イーリアス』の研究と語学にいそしんだと、自身の著作に何度も書き、講演を繰り返した。発掘調査に必要な費用が用意できて事業をたたんだのではなく、事業をたたんでから遺跡発掘を思いついたのである。世界旅行に出て中国日本を訪問した(後述)。ソルボンヌ大学ロストック大学に学んだのち、ギリシアに移住して17歳のギリシア人女性ソフィアと再婚し、トルコに発掘調査の旅にでたというのは事実である。だが、最初の結婚の失敗、30才も年下の女性と結婚したことによるアイデンティティ・クライシス、戦争終結による事業の見通しの暗さがトロイア遺跡発掘へのきっかけと言われる。実際の発掘においてはオリンピア調査隊も協力に加わっていた。

彼は『イーリアス』を読み込んだ結果、トロイア市はヒサルルクの丘にあると推定した。1870年に無許可でこの丘の発掘に着手し、翌年正式な許可を得て発掘調査を開始した。1873年にいわゆる「プリアモスの黄金」(トロイアの黄金)を発見し、伝説のトロイアを発見したと喧伝した。この発見により、古代ギリシア先史時代の研究は大いに進むこととなった。

彼は発掘の専門家ではなく、当時は考古学なるものの存在も皆無に等しかったため、発掘技術にも限界があった。発掘にあたって、シュリーマンはオスマン帝国政府との協定を無視し出土品を国外に持ち出したり私蔵するなどした。発見の重大性に気づいたトルコ政府が発掘の中止を命じたのに対し、イスタンブルに駐在する西欧列強の外交官を動かして再度発掘許可を出させ、トロイアの発掘を続けた。こうした不適切な発掘作業のため遺跡にはかなりの損傷がみられ、現在までドイツやアメリカの考古学者によって再発掘が続けられ、考証が進んでいる。

[編集] ギリシア考古学の父

シュリーマンは、発掘した遺跡のうち下から2番目(現在、第2市と呼ばれる)がトロイア戦争時代のものだと推測したが、後の発掘で実際のトロイア戦争時代の遺跡は第7層A(下から7番目の層)であることが判明した。第2層は実際にはトロイア戦争時代より約1000年ほど前の時代の遺跡だった。これにより、古代ギリシア以前に遡る文明が、エーゲ海の各地に存在していたということをも証明した。

また彼は、1876年ミケーネで「アガメムノンのマスク」のような豪奢な黄金を蔵した竪穴墓を発見している。1881年にトロイアの黄金をドイツ国民に寄贈してベルリンの名誉市民となった。建築家ヴィルヘルム・デルプフェルトの助力を得てトロイア発掘を継続する傍ら、1884年にはティリンスの発掘に着手。1890年、旅行先のナポリの路上で急死し、自宅のあったアテネに葬られた。

[編集] 人物・その他

音読により文章を丸暗記することで多国語を理解し、ドイツ語のほか、英語フランス語オランダ語スペイン語ポルトガル語スウェーデン語イタリア語ギリシア語ラテン語ロシア語アラビア語トルコ語に詳しかった。

清国(当時の中国)に続き幕末の日本を訪れ、自著 La Chine et le Japon au temps présent の中で鋭い観察眼を披露して見せた。本書においてシュリーマンは、清とは反対に日本の文化・風俗を賞賛している。

[編集] 著書

  • 『古代への情熱 シュリーマン自伝』 岩波・角川・新潮文庫 
  • La Chine et le Japon au temps présent, Paris: Librairie centrale, 1867.

[編集] 伝記

  • エミール・ルートヴィヒ『シュリーマン トロイア発掘者の生涯』 秋山英夫訳 白水社
  • エルヴェ・デュシエーヌ 『シュリーマン・黄金発掘の夢』 「知の再発見」双書:創元社、1998年
  • キャロライン・ムアヘッド『トロイアの秘宝 その運命とシュリーマンの生涯』 芝優子訳 角川書店 1997年
  • デイヴィッド・トレイル『シュリーマン 黄金と偽りのトロイ』 周藤芳幸ほか訳 青木書店 1999年

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

  • Heinrich-Schliemann-Museum - (ドイツ語)シュリーマン博物館。シュリーマンが育ったアンカースハーゲン(Ankershagen)にある。