ノート:日本への原子爆弾投下/過去ログ1

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韓国の原子爆弾投下の歴史認識について

「「原子爆弾によって日本の支配から解放された」という歴史認識が主流であり、学校教育でもそのように教えているようだが、具体的にどのような記述があるかは不明。」と書かれています。私が確認したんですが、学校教育のことは捜すことができません。

『中学校 国史』、『高等学校 国史』、『高等学校韓国近現代史』(天才出版社)、『高等学校韓国近現代史』(斗山出版社)には原爆に関する技術はないようですね。単純に「日本の敗北で我が国は解放」という表現があるだけです。

そして「中学校社会2」(踏み石出版社)には被爆者の記録を紹介して、「戦争の苦しみ」というのを学生たちに教えているので「原爆投下の犯罪性、悲惨な被害を省みる姿勢はほとんどなく、そうした点に言及するのは日本の戦争を美化する行為とされがちである。」というのも問題があることではないでしょうか。

私が韓国のすべての歴史教科書を確認したことではないですから、もし他の教科書の原爆を美化した部分をご存じの方はお知らせ下さい。--Sielrace 2009年11月1日 (日) 14:57 (UTC)

レントン少佐の発言について

エドウィン・レントン少佐は、「日本では天皇が戦闘停止命令権を持っており、通常、これは絶対だが、日本陸軍については天皇が命令を下しても、一億総玉砕を主張して命令に従わない可能性が高い。唯一、日本が完全に破壊されることが証明されれば、天皇の戦闘停止命令に従うことが考えられる。原爆投下はその証明の可能性になる。」と、原子爆弾投下の直接的な目的が政治的な目的であることを米海軍に説明している。

自身、「後日談」として記憶があり、また当時の小生の取材ノートにも記載がありますので、小生の当時の取材ノートの記述に修正した上で本文に伏せて残し、またノートに移動させておきます。今後、史料が出てくることを願っていますが、後日談はあくまでも本人談話であり、果たして当時本当に米海軍に説明したのかどうか(少佐の階級であったことからも)、公式記録としてあるかどうか疑問です。--ENG0000 2009年12月14日 (月) 15:42 (UTC)

2ch系の便乗編集について

2ch系で[1]の81というのが、あったみたいですが、これに便乗して、考察を得ない編集については、差し戻しを行います。--Los688 2009年12月24日 (木) 12:05 (UTC)


記事の今後

いつの間にか、いろんな記事から切り取り張り合わせたようなこの記事が作成されていることに気づきました。 過去の経緯はともあれ、できてしまった以上は良質な記事に成長することを望みます。

この種の記事を編集する心がけとして、「事実」の記述に徹することが重要です。 根拠もあいまいな「意見」文章を放置をすると、遅かれ早かれ記事が荒れてきて編集合戦を招くことは過去に何度もみてきました。 本日、あきらかな意見文章をコメントアウトしましたが、まだいくつか残っています。 ゆっくりと記事を良くして行きましょう。Northface 2010年4月25日 (日) 04:51 (UTC)

残念ですが、おっしゃる通り、記事が荒れますね。特に原爆に対する日本側の見解は、東京原爆裁判で確定したものになっており、「しょうがない」だの「当然の報い」だなどと、確定判決を無視したことを責任ある立場の者が言うから被爆者が怒るわけで、またこういった意見は、現在に至るも異議なく判決が準用され続けている以上、「一意見」にしか過ぎないものでありますから、批判の対象とされている事実例としてならばともかく、歴史認識のひとつとして挙げることは誤ったものになるでしょう。しかし、事実例として挙げても、またこれに対して反論がなされ、編集合戦。きりがありません。確かに米国など、司法判断がなされていない国ならばあることでしょうが、日本でこれは…。返す返すも残念なことです。--ENG0000 2010年7月11日 (日) 14:33 (UTC)

GHQの言論統制の影響など

昭和21年当時の調査は私もよく覚えています。終戦直後、大多数の日本人は「鬼畜米英」の本当の姿に仰天。同時に日本軍や日本政府に猛烈な怒りを覚え、占領軍に対しては少なからず好意的でした。これは自発的で正直な民意でした。後になって日本側でも調査結果の検証がなされていますが、実感としても反米感情は1割程度だったと思います。広島は陸軍の中枢で、戦争末期の陸軍将兵(特に中途半端な下士官クラス)の振る舞いは野蛮極まりなく、民家に土足で上がりこんで食料・金品を強奪する、女を犯すといったこともよくありました。しかしそれらは「天皇の行為」ですから、絶対に逆らうことはできません。それから比べると、MPですら、とにかく天地の差。まだこれら本物の「外道将兵」は生き残っていますから、実態が明らかにされるとしても、当分先のことになるでしょうが、恐らくはこのまま、闇から闇にされることだろうと思います。日本軍の編上靴を見る度に、私は今でも吐き気がします。戦争は人を狂わせ、それに乗じる輩も生む。なるほど、GHQの言論統制もありましたが、それが原因で、終戦直後から反米感情につながらなかったというのは、戦時下の庶民の実態を知らない、死生観の全く異なる戦後世代の一意見であるとしか、私には言いようがないです。とにかく「有益に死ぬ」ために懸命に生きて努力しなければなりません。有益な死によってはじめて自らの努力が報われる。しかし戦後出てきた実態はとんでもない話ばかり。その怒りがどれほどのものであったか…。戦後、落ち着いてきてからは、確かにGHQによる言論統制の影響も出てきてはいますが。被爆者の想いは、米国一国に対してどうのこうのというよりも、全ての国に対して、核兵器絶対反対、戦争絶対反対。そしてしぶとく常にひとりひとりが自分自身と闘わずして恒久平和はありえない。そういうことです。--ENG0000 2010年6月12日 (土) 09:43 (UTC)

フクシマ原発事故がらみで、RERFから今頃になって「黒い雨」の調査結果の公表。ああだこうだとくそ偉そうなことを抜かすくせに、所詮は「権力のイヌ。」少し突っ込まれると口ごもる。「新たに」怒りを覚えた被爆者も多かったと思います。「がたがたうるさく、うっとおしい全ての被爆者が死ぬまで待っている。」そういうことであり、事実、黒い雨被爆認定などはいまだに不十分なまま。そこにフクシマ。フクシマで今後「被曝者問題」が発生することは日本国政府としては「絶対に避けなければならないこと。」よって広島原爆の被爆二世、三世への遺伝的影響などは「絶対に」認めることはできない。ENG0000さんのお孫さん6人中6人全員が幼くして癌、白血病で他界され、ENG0000さんの一族は彼のお子さんの死をもって絶えます。他にも多くいらっしゃると聞きます。また広島大学の長期調査より、被爆二世の白血病発症率が高いということが明らかにされ、広く公表されました。しかしこれでも原爆との因果関係は「絶対にない」としているのが日本国政府。本当の敵は今現在、もはや米国ではなく日本国政府であり「言論統制を21世紀になっても継続している」のは何のことはない日本国政府。よってより一層、感情的にならない、冷静な記事が必要であると考えます。--SCCKAHAN会話2012年6月1日 (金) 17:09 (UTC)
ENG0000さんの記事手直しで少し加えたのですが、その上の記事、当たり前のように毎夏、全国報道されることまで「要出典」とは恐れ入りました。私は被爆者ではありませんが、これには頭にきました。被爆二世への遺伝的影響が明らかにされたから「政治的」に都合が悪いと…。日本は恐ろしい国。今度は被爆二世への差別ですか?どこまでも執拗で曲がり腐った根性。それこそ不治の病。特にここに書かなくても「出典多数でもはや常識的」なこと。かえって被爆された方々の怒りと悲しみをあおるだけの結果になる「要出典」ですから、記事を全削除しました。--SCCKAHAN会話2012年6月17日 (日) 12:48 (UTC)
再び記事復活かい。それもレベル低すぎの理由。個人攻撃はしないが、何故ここが「要出典」になっていなかったのか考えてみたことがあるかね?日本をダメにする軽薄君。ひとつだけヒント。ここにいちいち出典を入れたら「世界から笑われる。」私は恥ずかしくて出典なんぞよう入れん。--SCCKAHAN会話2012年6月17日 (日) 13:45 (UTC)
SCCKAHANさん。ENG0000です。先日、28回目の癌手術より再び何とか生きて帰ってきました。今回もまた転移ではなく原発性の皮膚癌。不思議なことに私の場合、急性症状を乗り切った後は特に何もなく、平成に入ってから毎年のように皮膚癌。手術ばかりで参ってしまいます。入院中も記事は観ていましたが、こんなものですよ。人というものは、自分が被害に遭ったらものすごく文句を言うものですが、そうでなければ他人事でやはり根底には野次馬がある。君も野次馬の代表、報道マンだったわけですからわかるでしょう。その罪の深さ。怒ることはありません。とりあえずここは被爆者自身が出典を入れる、どっさりある中で、平和宣言であれば「恥さらし」にもならず、世界的にもわかること。そうしました。でも、被爆者差別はもうたくさん。先日、二世への影響が明らかにされましたが、それが原因で、今後、私たちと同じ思いを二世、三世にさせる事態だけは絶対に避けなければならない。国はあれこれと言葉巧みに逃げ回わることをせず、二世、三世に対する責任もしっかりとってもらいたい。--ENG0000会話2012年6月17日 (日) 14:50 (UTC)
恐れ入りました。RCCの秋信さんにも昔、そう教えられたことがあります。秋信さんも鬼籍に入られ、もう教えを請うことはできませんが、秋信さんをはじめとする諸先輩方の残された記事、意志を大切に執筆してまいります。--SCCKAHAN会話2012年6月18日 (月) 02:41 (UTC)
放射線障害は、未だによくわかっていないことないから恐怖の対象となり、被爆者は差別の対象となり、一方で核反対派、賛成派の両方から政治的に利用されます。フクシマにしてもそうでしょう。私自身も「健康に問題がある」とひどい差別に遭い、学者・研究者としての人生を断たれた一人です。当時唯一、私の入局した放送局だけが「関係ない」として受け入れてくれたから報道マンになったのです。加えて「臭いものに蓋」「過去のものにしたい」日本の文化的風潮があるため、百科事典としての原爆関係記事の執筆は極めて困難、今回、出てはきましたが、少なくともWikipediaの原爆関係記事、原子力事故関係の記事は結果、どこまでいっても常に流動するものにしかならず、信頼性に乏しいものであり続けることでしょうから、もう引っ込みます。私の余命はあと1年。結局、生きている間に何も進歩はなかったということで、悔しいですから、物質になって自然に還る前に献体します。しかしこういった現実をうすら笑いを浮かべながら「ざまをみろ」と見ている政治屋がおり、今後もずっと都合のよいように世論誘導を図るということを、執筆される方々には是非とも認識しておいていただきたいものです。ペンの力はいかなる暴力にも勝る最強の力。いつまでも不毛な喧嘩をしていては、権力に付け入る隙を与えてしまう。この怖さだけは認識しておいていただきたいものです。--ENG0000会話2012年6月20日 (水) 10:04 (UTC)
ナガサキの判決。被爆者の声は日本人にも届かず。何十万人の被爆者の声はあくまでも「主張」。ばかばかしくてやってられない。フクシマ被災者の声も今後起きるであろう健康被害も今後、歴史上「自分勝手な主張」としか評価されないのでしょう。核物理学者、医学者の警告なんぞ聞きはしない。カネ・カネ・カネの財界、文系、役人天国日本。そして本当は何もできず、責任も取ることのできない口先ばかりの愚劣者が台頭して破滅する。頭脳流出もやむなしでしょう。賢明な人は愚かな日本、日本人のために働くのではなく日本を飛び出し、世界の人のために働くべし。何もできない私は愚者の無駄飯喰い。よって適当なところで自らに見切りをつけ土に還るべきですが、それもようしない…。全く悲しいところです。--SCCKAHAN会話2012年6月25日 (月) 16:21 (UTC)

カテゴリーについて

2011年12月7日 (水) 05:00‎ の利用者:Yghwtrrlさんの編集[2]において、「関連性の薄い」ことを理由に、核実験、核戦争、人権、人権侵害のカテゴリーを除去編集なさいましたが、これらはいずれも本記事と関連性があります。

  • 核実験:原爆投下について実験としての側面があったことは日米双方の資料でも確認できる
  • 核戦争:核兵器を使用した実戦という意味での関連。
  • 人権:原爆投下をホロコーストと主張する資料も多数ある。

関連性が「薄い」とする理由を説明をお願いします。利用者:Yghwtrrlさんの編集に合意できないので、リバートします。 --西方 2011年12月9日 (金) 11:21 (UTC)

また、マンハッタン計画の編集[3]においても同様に、関連項目を不明瞭な理由で削除されておりますが、他国の原爆開発だって、比較したりするうえでも関連性はあるでしょう。(これについてはノート:マンハッタン計画で提起しますが)--西方 2011年12月9日 (金) 11:32 (UTC)


私が行ったカテゴリ追加は、Wikipedia:過剰なカテゴリに該当するわけでもありません(この草案方針はそもそもカテゴリそれ自体に関するものですが)。

Wikipedia:カテゴリの方針#カテゴリ付与の指針には「貼るカテゴリの数が多すぎると使い勝手が悪くなるので注意しましょう。記事の主題に少しでも関連するものをすべて貼る必要はありません。例えば、多彩な分野にわたる経歴をもつ人物であっても、カテゴライズされるべきものは厳選されるべきです。ある人物がある国に行ったことがある、などを理由としたカテゴリ関係は不適当です。また、カテゴリにとって必要な項目であるかどうかという観点も重要です。適正な数は記事によって異なりますが、これは多すぎるのではないかと感じたなら、ノートで提案・相談してみてください。 関係するカテゴリを列挙したい場合は、== 関連項目 == の欄に並べるのも一つの方法です。 カテゴリの守備範囲が大きく重なるなど、候補のカテゴリが多数あって選びづらいという場合は、カテゴリ自体が過剰になっているのかもしれず、カテゴリ体系の見直し、統合なども検討すべきかもしれません。」 とあります。

私が行ったカテゴリ追加は、ここにあるような、可読性をそこねるほどのカテゴリの量の過剰に該当するものでもありません。マンハッタン計画の編集[4]とも共通しますが、ノートでの議論喚起なしに、特別の理由なしにカテゴリを削除すること、および、「関連項目」からも削除することは、明らかに不当であるし、利用者:Yghwtrrlさんのカテゴリ基準自体が過剰に限定されています。したがって、あなたの編集は、過度に主観的で、偏向があります。--西方 2011年12月9日 (金) 11:55 (UTC)

人権は人権侵害のサブカテゴリであり、また日本への原爆投下自体は、人権>人権侵害>戦争犯罪>大量虐殺>日本への原爆投下というカテゴリの構造を持っており、意味的には既存カテゴリに含まれます。(核戦争のサブカテゴリでもありますね) あと日本への原爆投下が原子爆弾の実戦試験という目的があったことは僕も認識していますけど、やっぱり広島/長崎への原爆投下を「核実験」というのは、常識的な核実験のイメージから外れるんじゃないかなぁと。現に、Category:核実験に含まれる記事と比べても異質であることは否定できないでしょう。--yghwtrrl 2011年12月9日 (金) 12:27 (UTC)

「既存カテゴリ」とは、「既存カテゴリの上下ないしツリー構造(関係)」のことでしょうか?Wikipedia:カテゴリの方針#カテゴリの構造をみましても、この方針は、カテゴリページ同士の関係の話ではないでしょうか?人権>人権侵害>戦争犯罪>大量虐殺>日本への原爆投下というツリー構造にしても、それはひとつのツリーであって、技術>原子力>核兵器>原爆投下という別のツリーにだって帰属するものでしょう?つまり、ひとつの記事は、文脈または領域次第で、複数のカテゴリ関係に帰属するものではないですか。それに方針で注意されているようなループ構造などにももちろんなっておりませんし。

核実験については、いかんせん、日本への投下が、実戦使用の唯一の事例なので、「異質」なのも無理はないのでは?

この件も、ノート:マンハッタン計画利用者:Yghwtrrlさんがおっしゃった「自転車置き場」問題ではないでしょうかねえ?

まとめますと、カテゴリは「厳選」さるべきものではありますが、それはカテゴリが過剰な量を持つ場合ではないでしょうか。別記事の話ですが、儒教記事においてのこちらの編集[5]などは、たしかに私も上位カテゴリーを持ち込みすぎていると思います。「法」とか「政治」とか「社会」とか、そういう上位すぎて、あまりに広範囲なカテゴリに帰属させるのは、私も過剰だと思います。しかし「核実験」「核戦争」は限定的なカテゴリですし、これを「関連性薄い」とするのにはやはり同意できません。「人権」については、たしかにその前に「ホロコースト」カテゴリに帰属させるべきではありますが、すくなくとも「人権侵害」カテゴリについては、帰属させていいのではないでしょうか?--西方 2011年12月9日 (金) 14:12 (UTC)

ちょっと言葉足らずだったので補足を。それと「関連が薄い」という言葉は撤回して「過剰なカテゴリである」と言うことにします。この記事は、既にCategory:広島と長崎への原子爆弾投下というカテゴリに属しています。そしてCategory:広島と長崎への原子爆弾投下Category:人権>Category:人権侵害>Category:大量虐殺>Category:広島と長崎への原子爆弾投下というカテゴリの構造を持っており、論理的な包含関係にあります。(カテゴリの例でのCategory:飲料>Category:茶のようなもんです) つまり意味的にこの記事は、暗にCategory:人権侵害に含まれており、過剰なカテゴリと考えます。
「核実験」という言葉で僕がイメージするのは、「無人の荒野、海上や環礁で、核兵器の実現可能性を検証するために爆発実験を行う」というものであり、実戦での兵器としての使用はこのイメージからは外れます。--yghwtrrl 2011年12月10日 (土) 00:59 (UTC)
ですから、それはカテゴリ間の関係の話ではないでしょうか?ある記事が、(カテゴリー同士の)階層をまたいで帰属させることは、問題ではないでしょう?たとえば東京大空襲Category:太平洋戦争の戦略爆撃にもCategory:大量虐殺にも帰属していますが、これもCategory:大量虐殺>Category:太平洋戦争の戦略爆撃は「論理的な包含関係」にあるから、「大量虐殺」という上位カテゴリは削除されるのでしょうか?
結局、あなたは「過剰」と考え、私は「過剰とは考えない」ので、これ以上は平行線でしょうかね。コメント依頼をしようかどうか、いま考えています。
あと、「核実験」についてのあなたのイメージですが、それはあなたの私的なイメージでしかないので、賛同できません。--西方 2011年12月10日 (土) 16:52 (UTC)
コメント依頼をしました。このカテゴリの問題については、また、井戸端など、過去で議論がないか、探してみます。--西方 2011年12月10日 (土) 17:00 (UTC)

(戻し) 浅いですがコメント依頼となったことですし、僕の主張をまとめておくと

  • 現時点で10以上のカテゴリが貼られており、いささか過剰気味。
  • Category:核実験 について、人体実験としての側面があったことは否定しないが、日本への投下という実戦での兵器としての使用は「核実験」という言葉の定義に照らして違和感を感じる。
  • Category:核戦争 について、これはあっても無くてもどちらでもいい(僕は無いほうが好み)
  • Category:人権Category:人権侵害について、人権はかなり広範な概念を含む語であり、また人権侵害も個人対個人、対組織、民族と国家のように権力の差がある2者の間ではどこでも起きえる。分類ではないが下位のカテゴリがあるため不要。また原爆投下が虐殺ないしホロコーストだという特定の観点を押すことは中立的な観点から違和感がある。

以上です。--yghwtrrl 2011年12月11日 (日) 06:03 (UTC)


1)Category:核戦争について「どちらでもいい」のなら、これについては編集しておきます。また、Category:人権Category:人権侵害については、確かに重複もありますのでCategory:人権については却下したうえで、新規でCategory:大量虐殺Category:戦争犯罪の追加を提案します。(こちらのカテゴリの方がより適切であるため)

2)従って現在、問題となっているのは、

のカテゴリに本記事が帰属してよいか否か。

3)また、私としてはもっとも気になるyghwtrrlさんの主張「下位のカテゴリがあるため不要」について、これは独自判断ではないか、という問題があります。(この件について井戸端などでも過去の議論がどうも見当たらないので、あらためて井戸端などで質問してみようと思います)

4)「原爆投下が虐殺ではない」とする見解は、米軍における行為の正当化以外にみられない言説ではないでしょうか。いちいち文献はあげませんが、世界中で原爆投下については、大空襲と同様に、大量虐殺であると認識されています。というか、原爆投下が大量虐殺であるという事実認識と、原爆投下が正当であったか不当であったかを問う価値認識とは、レベルの異なるものだと思います。

私がカテゴリを追加する理由は、今後、加筆なり編集をしていくうえで、記事間の移動をより簡易にしたいからです。原爆投下がホロコーストか否かについては、論者によって見解があるとは思いますが、複数の言説がある以上、ホロコーストに関心のある編集者からすると、カテゴリ関係を利用することで理解を深めることができます。つまり、yghwtrrlさんに一番理解していただきたいのは、あなた以外の観点を持っている編集者の立場になっていただけたら、と思うわけです。すでに述べましたように、私は今後の編集作業上の目的でカテゴリ追加したのであって、「特定の観点を押す」ことを目的としたわけではありません。そのように過敏な編集者の方がしばしばおられるのも存じておりますが。それと、そもそも「このカテゴリに帰属しない」とする観点もまた、「特定の観点を押す」ことではないか、とそういう言い方については、いいたいです。yghwtrrlさんは理由の殆どに「違和感」「好み」という概念で説明されますが、それは、まったく、あなたの主観的な「趣味」にすぎないです。--西方 2011年12月11日 (日) 12:39 (UTC) 提案の訂正--西方 2011年12月11日 (日) 13:13 (UTC)

Category:大量虐殺をみておりますと、東京大空襲ドレスデン爆撃名古屋大空襲日本本土空襲台北大空襲も帰属していますねえ。それらがカテゴリに帰属してよく、「原爆投下についてはサブカテゴリがあるからダメ」というのは、やはり私から見ると、荒唐無稽にしか見えません。同カテゴリには、リンカーンとかワシントン大統領とかもありますが、これらも「過剰」という理由で削除されるべきでしょうか?

「関連性薄い」という表現を撤回されましたが、「カテゴリ的な関連性」については異論はないわけですよね?だとすると、あとは「過剰」の一点でしょうか。Category:広島と長崎への原子爆弾投下は帰属カテゴリは同程度だと思われますが、これは過剰ではないですか?カテゴリページだからよいのでしょうか?何個までだと「過剰」ではないのでしょうか? --西方 2011年12月11日 (日) 13:35 (UTC)

ノートでの議論は記事に関連した事柄に留めてください。議論のすり替えは止めてください。人権および人権侵害カテゴリについては、かなり包括的な概念であり、たとえば殺人は明白な人権侵害ですが、個別の殺人事件を人権ないしは人権侵害カテゴリに所属させるのは、多分不必要でしょう。「上位のカテゴリがあるから不要」というのは確かに明文化された方針じゃないですが、これは多分現在のjawpで受け入れられている基準だと考えています。人権カテゴリについては、この理由で不必要だと考えた訳です。(こちらは撤回されたようなのでもう良いですが) 戦争犯罪カテゴリであれば、追加には賛成しませんが問題は無いと思います。積極的に賛成するものではありませんが、追加されるならばなんの行動もとりません。
本記事に関しては、既に十分な量のカテゴリが付与されており、興味のある閲覧者、編集者であれば既存のカテゴリツリーを辿って記事にたどり着けるため、これ以上の追加はノイズであり、むしろ編集閲覧の妨げとなるものと考えました。
僕が議論でよく好みだとか趣味だとかの用語を使うのは、まぁ、Wikipedia上で起こる議論って正義/正誤の問題ではなく、好みと趣味の問題でしか無いと思っていて、その点を、つまり自分の好みと趣味を相対化して他人の趣味も尊重する、ということを意図して使っています。自分で記事に関係ねー話すんなって言っといて趣味の話してんのは失礼m(_ _)m で、まぁ一連の(他の記事も含めた)西方さんとの議論では、僕と記事のスタイルに対する好みが異なるのだなぁという感想しか持てなかったのです。
カテゴリ数に関しては、10以下で十分だと考えていて、それを超えたら多分整理をしたほうが良いと考えています。もちろん、これも明文化された基準ではなく、僕の"趣味"です。
あと、やっぱり一般的な核実験の定義からは外れると思います。--yghwtrrl 2011年12月11日 (日) 14:24 (UTC)修正--yghwtrrl 2011年12月11日 (日) 15:01 (UTC)
「議論のすり替え」とはなんですか?具体的に私のどの発言に対して、そうおっしゃているのか、わからないです。「趣味」という表現および判断基準についての説明、ありがとうございます。(とはいえ、合意したわけではありませんが) カテゴリの数についても、確かに感覚の違いであるとは思います。
で、戦争犯罪カテゴリについては終了ですね。「大量虐殺」についてはいかがなのでしょうか?--西方 2011年12月11日 (日) 15:18 (UTC)
カテゴリの数ですが、私は、たしかにそれが60とかなり、そのことで可読性が損なわれるようなことがあったとしても、それが重要なリンクであれば、私は肯定しますね。ま、現実、既存の記事でそのようなものは知りませんが。
カテゴリの利用者ですが、確かに、おっしゃる通り、実際の利用者は、編集者か、またはハードな閲覧者かなとは思います。というか、統計とか知りませんが(ないと思いますが)、実質、編集者限定でしょうね。それで、私がカテゴリを追加した理由を説明しましたが、あくまで作業上の話なのですよ。つまり、編集加筆するうえで、何度も関連ページを往来したりする場合の編集です。場合によって異なりますが、頻繁に往来するとき、またはそのテーマについて調査しているとき、やはりカテゴリは便利なのです。だから、よほどの問題がない限りはカテゴリはどんどん追加されていいと思っているし、つまり私は包摂主義なのでしょう。
「核実験」についてですが、現在、関連項目のなかにあります。もし、どうしてもというのであれば、私は、関連項目における代用に妥協します。(これはむろん、関連項目から削除しない、という前提でですが)--西方 2011年12月11日 (日) 15:30 (UTC)

あと、私は本記事日本への原子爆弾投下を、広島市への原子爆弾投下長崎市への原子爆弾投下の上位記事にあると考えています。つまりは、主記事ですね。だから、さらなる充実を期待しておりますゆえ、カテゴリ追加を行いました。むろん、カテゴリ追加が即記事の充実ではありません。しかし、リンクによって、やはり編集作業上の便宜が図れるのです。あと、「評価、歴史認識」節のことを考えると、やはりカテゴリ追加が必要かなと思います。もっとも、この節については、いずれは日本への原子爆弾投下に関する議論または原子爆弾投下問題といった記事が執筆されたらと、思っています(現状の記述は、被曝国の割に少なすぎますので)。--西方 2011年12月11日 (日) 15:40 (UTC)

最初この議論で問題になったのは、核実験、核戦争、人権、人権侵害のカテゴリ追加に対してのもので、僕の最初の反論もこの4つに対するものでした。大量虐殺、戦争犯罪カテゴリの追加についてはこの一連の編集で西方さんが新しく提案されたもので、この時点では僕は何も言っていないですから、特に最後の大量虐殺カテゴリの正当性に対する主張は、最初の議論から論点がズレているという指摘をしました。それから若干読みづらいのでノートではインデントをお願いします。Category:戦争犯罪の下位にはCategory:アメリカ合衆国の戦争犯罪>Category:第二次世界大戦中のアメリカ合衆国の戦争犯罪というカテゴリがあり、上位の戦争犯罪カテゴリに対して、国ごとと時期による分割で漏れなくダブりなく分割として機能するカテゴリがあり、入れるとしたらこちらでしょうね。(Category:第二次世界大戦中のアメリカ合衆国の戦争犯罪>Category:広島と長崎への原子爆弾投下という構造があり数クリックで移動可能なため(もちろん、これは分割ではないですが)、また戦争犯罪も結構広範な概念を持つため、僕は入れる必要性は薄いと考え反対します)
人権、戦争犯罪カテゴリとは違って、大量虐殺くらいの大きさのカテゴリならば、特に違和感はありません。こちらに関しては下位の分割も存在しないので追加しても問題はないと思います。
核実験に関しては関連項目での記述に留めるということでよろしいですね。--yghwtrrl 2011年12月12日 (月) 10:01 (UTC)
えっと、「戦争犯罪」ではNGで、「第二次世界大戦中のアメリカ合衆国の戦争犯罪」だとOKということですね?それなら合意できます。核実験については、それでいいです。--西方 2011年12月12日 (月) 13:21 (UTC)
やはりこの件は結構根本的な方針に絡むので、もっと多数の人のコメントが付きそうな場所で議論したほうがいいかもしれません。--yghwtrrl 2011年12月12日 (月) 11:11 (UTC)
私も井戸端で提起しようかと思ったのですが、井戸端でコメント依頼という形をとるのはどうかと思い、しませんでした。井戸端では、より一般的な話題についてのものか、と思ってますもので。井戸端で相談する場合は、今回のようなカテゴリ/カテゴライズの基準についてのものとなりますが、われわれの議論からその部分を抽出するのが億劫だったので。むろん、もしyghwtrrlさんが相談されのであれば、されるといいかと思います。コメント依頼をすでにしていますし、恐らくはすでに他の方々に閲覧していただいたとは思っています。カテゴリの軍事史プロジェクトのページとか、カテゴリの方針のノートもみてみましたが、やはりカテゴリページ同士の関係についてのもののようで、何か違うなと思いました。おそらく、この件は、そんなに深刻な話題ではなく、あなたのいう「自転車置き場」問題なので、我々の間で合意できれば、解決するものだと思います。--西方 2011年12月12日 (月) 13:27 (UTC)
「大量虐殺」についても追加しました。これをもちまして、私としては満足できます。今回、yghwtrrlさんとの間で、カテゴリ追加について集中的に議論できて、大変参考になりました。ありがとうございました。またなにかありましたら、問題提起をよろしくお願いします。--西方 2011年12月12日 (月) 13:34 (UTC)

(話題が変わるため戻し)Wikipedia:合意形成#合意形成では、合意の形成がなされたと見なされるためには1週間程度の期間を置いたほうがよいとされます。あまり性急に議論を終結させようとしないでください。特に、今回の件では西方さんがコメント依頼を提出され、他の編集者の方からの異論も出ていますので。僕は、少なくとも「戦争犯罪」とその下位カテゴリの追加は、はっきりと反対しました(MECEな分割として機能するカテゴリに対する上位のカテゴリは、一般に不必要という例)。戦争犯罪は侵略戦争の開始、捕虜虐待や違法兵器の使用までを含む広い概念であり、その下にCategory:広島と長崎への原子爆弾投下というよりふさわしいカテゴリが存在するため、不必要であると主張しています(カテゴリの方針のCategory:飲料>Category:茶)。これは明確に方針として禁じられたものではありませんが、一般的には不必要だとWikipedia上で考えられている、というのが僕の認識です。

本記事へのカテゴリ追加自体は些末な問題ですが、西方さんが、多数の原子力関連記事に機械的なカテゴリ貼付けを行なっていること、その際にCategory:原子力関連の一覧のように(参照)明確に誤ったカテゴリを付与していること、および、他の編集者から異論が提出された際に性急に議論を終了させようとする編集姿勢に関してはやや疑問を感じています。(特に核関連記事はセンシティブな扱いが必要なこともありますから)

--yghwtrrl 2011年12月14日 (水) 14:56 (UTC)西方さんのミスに関する指摘は西方さんのノートーページへ移します--JonathanSheffield(旧yghwtrrl) 2011年12月29日 (木) 15:40 (UTC)

Category:戦争犯罪の下位にはCategory:アメリカ合衆国の戦争犯罪>Category:第二次世界大戦中のアメリカ合衆国の戦争犯罪というカテゴリがあり、上位の戦争犯罪カテゴリに対して、国ごとと時期による分割で漏れなくダブりなく分割として機能するカテゴリがあり、入れるとしたらこちらでしょうね。」とおっしゃってますよね?つまり、「第二次世界大戦中のアメリカ合衆国の戦争犯罪」の下位カテゴリ追加に賛同されているのではないですか?
あと、他の記事の編集については、当該記事でなさればよいかと思いますが、少なくとも、私は一定の見解に基づいて編集したのであり、「機械的」になど編集はしておりません。そうした発言は、私を愚弄し、侮辱するものです。(おうむ返しでいえば、あなたの反応も「機械的」です)また「他の編集者から異論が提出された際に性急に議論を終了させようとする編集姿勢」などとこれまた、私があたかも議論に応じずに一方的に議論を遮断したかのように印象操作をなさるyghwtrrlさんの態度は問題がありますねえ。しかし、そうした議論にもならないような件での「侮辱」合戦みたいなものには私は興味がありません。--西方 2011年12月18日 (日) 14:53 (UTC)
今回、西方さんはコメント依頼を提出され、つまり僕たち2人の間の合意ではなく、より広く意見を聞きたいという立場を表明されたものと思っております。また、結果論ですが、他の方からの異論も出ました。ですから、常識的な合意形成期間の間、お待ちいただいたほうが良かっただろうと思います。すぐ直前のリバートもそうです。あなたにも何らかの見解があることはわかりますし、多数の記事に対して一率処理を行うこと自体が禁止されているわけではないですが(そりゃあ機械的な多数の記事カテゴリに対するミスの修正は機械的にならざるを得ません)、少なくとも、多数の記事に対してカテゴリ追加を行ったり、ノートでその件に関する議論を行うには、西方さんの方針の理解が及んでないのではないか、そう判断しています。ご気分を害されたのならホント申し訳ないですが、侮辱ではなくミスの指摘と助言だとお考えください。--yghwtrrl 2011年12月18日 (日) 15:57 (UTC)
たしかに、私の発言は、「議論終了」宣言とも誤解される言い方ではありましたね。その点、失礼しました。私としては、議論を終了させたつもりはなく(本当に終了した場合は、コメント依頼ページで終了させます)、継続はむろん可ですので。
私の方針理解の助言につきましては、まあ、それはもちろん、あなたの方針解釈をおしつけられても困るというのが正直な感想ですね。[下位カテゴリがあれば上位カテゴリは付与してはならない]といった方針も、その文言通りには存在しませんし、それはあなたの個人的な編集方針にすぎません。リバートについても、方針/ガイドラインで書いてあるのは、「編集合戦を誘発しないような配慮ある編集をしましょう」という主旨であって、その意味でいえば、ここでの議論を恣意的に解釈し、かつ、議論にも参加せず、また独自判断(「核戦争」概念について)で削除されても、そういう編集は、それこそ、方針に反します。
あなたは「常識」をいわれますが、それは「yghwtrrlさんの基準」にすぎません。Wikipedia:ページの編集は大胆になどを参照されてはいかがですか?あなたからすれば私のカテゴリ付与が「大胆」で、私からすれば、その一括削除が「大胆」なわけです。「助言」「ミスの指摘」などとおっしゃいますが、あなた自身が、方針を理解されていないのではないかといわざるをえませんね(あえておうむ返しにいっております)。議論はあくまで議題に限定すべきで、互いの編集態度や「方針を理解してない!」とかいう次元の議論になると、大体が議論の本筋から離れ、不毛な堂々巡りになります。あなたのカテゴリ編集に関する見解については拝聴しますが、私はそれに従う義務を負いませんし、またあなたの方針に合意はできません。私はウィキペディアの方針/ガイドラインに准じるのみです。--西方 2011年12月19日 (月) 10:19 (UTC)
 関係のない議題を持ち出したことに関してはお詫びします。さて、核戦争カテゴリに関しては、異論も出ていますし(そもそも僕は賛成でも反対でも無かったのですが)、「核+戦争」の意味ではなく、「双方が核兵器を持ち、核の打ち合いにエスカレーションする危険性をはらんだ対立(直接的には冷戦中の米ソ対立)」を意味すると考えていて、日本への原爆投下は分類として不適切であると考えるので、明確に反対します。--yghwtrrl 2011年12月19日 (月) 14:10 (UTC)
関連項目だといかがですか?--西方 2011年12月19日 (月) 15:40 (UTC)
  • 記事については、合意ができてからでもカテゴリーの付加は遅くないでしょう。従って、Yghwtrrl氏の2011年12月11日 5:28(UTC)版まで、一旦差し戻ししました。そして、西方氏の自身の会話ページでの説明は、出鱈目な根拠を基に「議論を恣意的に解釈」と決めつけ、それを根拠に強行に編集を差し戻すことを正当化するもので、極めて容認できるものではありません。このことにつきましては、厳重に抗議いたしました。
  • さて、「Category:核戦争」については、「Category:広島と長崎への原子爆弾投下」を含め掲載に反対します。そもそも、核戦争の項目で、使用された核兵器の項で次のような但し書きの上で、長崎や、広島原爆をリンクして列挙されています。

    第二次世界大戦は核戦争ではないが、この戦争の終盤で人類史上初めて、核兵器が戦争で使用された。 - 核戦争 2011年9月29日 13:32‎(UTC)より引用

    つまり、原爆投下は、核戦争に該当しないと書かれており、この記事に「Category:核戦争」を付加することで、記事との整合性が取れません。また、この議論を読んでいても、Yghwtrrl氏がそのカテゴリーについて、積極的ではなくても非掲載を望んでいたと思います。なお、Yghwtrrl氏が異議を唱えた他のカテゴリー群については、中立です。--八重垣なでしこ 2011年12月20日 (火) 14:21 (UTC)


「合意ができてからでもカテゴリーの付加は遅くないでしょう」とおっしゃいますが、こちらの議論を参照されてリバートされるわけですから、「だったら、議論に参加してほしい」と要請したまでです。
なにか、根本的に勘違いされておられますが、私は「日本への原爆投下は核戦争である」なんて一言もいっておりませんし、その旨加筆もしておりません。私がはじめよりいっているのは「関連がある」ということです([6]を参照のこと)。「恣意的な解釈」とは、八重垣なでしこさんが私の編集意図および議論でのやりとりを「誤解」していると考えたという意味です。
記事核戦争を根拠にされておりますが、この定義は出典もないですね。ただし、前記しました如く、私は「原爆投下=核戦争か否か」などを問うてもおりません。
yghwtrrlさんの見解を代弁されるような八重垣なでしこさんの言い方にも、違和感があります。yghwtrrlさんの見解を「支持」されるならまだしも、「Yghwtrrl氏がそのカテゴリーについて、積極的ではなくても非掲載を望んでいたと思います」などと、なぜわざわざ代弁されるのか、面妖です。
  • yghwtrrlさんは、「戦争犯罪」カテゴリ付与には反対されました。しかし、「第二次大戦中のアメリカの戦争犯罪」カテゴリ付与については許容的な発言を明確に行っております(12月12日 (月) 10:01の発言[7])。これについて私はこれならば合意できると考え、確認をとりました(12月12日 (月) 13:21[8])。しかし、その後、この件について、yghwtrrlさんは別件に話題を移すばかりで、答えることは現在にいたるまで、ありません。
  • 2011年12月14日 (水) 13:33‎にNadeshiko Yaekaki氏は「核戦争の項目でも該当しない旨が書かれている上に、ノートでの議論でも非掲載を望んでいるとも読める」と要約欄に記し、リバートされ、その後で同12月14日 (水) 14:56にyghwtrrlさんは「僕は、少なくとも「戦争犯罪」とその下位カテゴリの追加は、はっきりと反対しました」と発言。
    • これに対して、私は再度確認を試みました(12月18日 (日) 14:53)が、結局、この「Category:第二次世界大戦中のアメリカ合衆国の戦争犯罪」については、説明されないままでした。
  • このような経緯において、Nadeshiko Yaekaki氏およびyghwtrrlさんに共通していえるのは、両氏ともに、自身の見解を一点張りで主張されるのみで、本記事が「戦争犯罪」関連カテゴリ(これについてはCategory:第二次世界大戦中のアメリカ合衆国の戦争犯罪での帰属という妥協案を私は提示しました)および「核戦争」カテゴリ(これについては「関連項目」におけるリンクという妥協案を私は提示しました)に帰属しないという積極的かつ合理的な根拠を提示されない。今後、Wikipedia:合意形成およびWikipedia:論争の解決ガイドラインに従われたうえでの合意形成を図ってくださることを要請します。--西方 2011年12月20日 (火) 16:14 (UTC)
まず西方さんお願いですが、このセクション名を変えてください。明白な問題行動以外の理由で自分の名前を晒されているのは不快ですし、節名が説明的でなく後から議論に参加された方に不親切ですから。僕の編集・議論姿勢に関する問題点を感じられるならばコメント依頼でお願いします。戦争犯罪については、この編集の前段落5,6番目の文の通り、核戦争についてはこの編集で理由を説明しています。核戦争に関しては関連性も薄いと考えますし、同様の理由で関連項目にも不必要であると思っています。--yghwtrrl 2011年12月21日 (水) 10:21 (UTC)
  • まず、yghwtrrl氏が異議を唱えたカテゴリー群が六件ありますが、以下の通りで相違ないでしょうか。
  1. Category:核実験
  2. Category:核戦争
  3. Category:人権
  4. Category:人権侵害
  5. Category:軍事の一覧
  6. Category:原子力関連の一覧
  • おそらく、最後の二つについては問題ないでしょう。問題になっているのは最初の四つで、その点で議論になっているのですよね。しかしですね、西方氏は何か勘違いしている箇所があるのではないでしょうか。私は最初の四つのカテゴリーの中で明確に反対したのは、「Category:核戦争」だけで、それ以外については中立の立場であります。そのように以前コメントしました。また、「Category:核戦争」を除去した2011年12月14日 13:33(UTC)の編集において、「核戦争の項目でも該当しない旨が書かれている上に、ノートでの議論でも非掲載を望んでいるとも読める」とした内容を西方氏は、yghwtrrl氏の「戦争犯罪に関するカテゴリーの付加は反対」発言と結び付けており、事実とは極めて乖離した内容であります。もし、この結びつけが妥当だとするのであれば、西方氏はその根拠を提示すべきです。この議論がコメント依頼に提出された際に、yghwtrrl氏は、「Category:核戦争」について、「あってもなくてもいいが、ない方がいい」と発言しています。2011年12月14日 13:33(UTC)の編集は、この発言と核戦争を基に行ったまでのことです。
  • 核戦争のことについて、yghwtrrl氏のコメントに概ね賛成です。関連項目として、その項目だけを載せるとしても西方氏の案に賛成できない。説明があっても議論を行うべきです。
  • 最後に、2011年12月20日 16:14(UTC)の西方氏の発言は、私とyghwtrrl氏を同じ穴の狢だと見立てているようで、話になりません。--八重垣なでしこ 2011年12月21日 (水) 13:49 (UTC)
議論を徒に蒸し返さないでください。議論に参加する際には、過去の議論を十分に読まれたうえで参加してください。いま議論しておるのは、戦争犯罪カテゴリと核戦争カテゴリです。この二つのカテゴリについては、可読性の観点から、下記、小節に移動しました。--西方 2011年12月21日 (水) 16:48 (UTC)
  • 西方氏の方こそ、「議論を蒸し返すな」の一言を免罪符に説明責任から逃れようというのですか。まずは、「Category:核戦争」の除去と「戦争犯罪関連のカテゴリー付加反対」とを結びつける理由を提示すべきです。--八重垣なでしこ 2011年12月22日 (木) 11:31 (UTC)
なにを議論したいのですか(苦笑)?私が時系列で経緯を述べたのは、あなたの介入の仕方が面妖であったからです。他のページでの編集問題もありましたしね。あなたが当初からノートでの議論に誠実に参加すればよかった、それだけの話です。--西方 2011年12月25日 (日) 02:57 (UTC)
  • 西方氏こそ、まずは、「Category:核戦争」の除去と「戦争犯罪関連のカテゴリー付加反対」とを結びつける理由を提示してからにしなさい。出鱈目な説明をした上に、荒らし呼ばわりして、誠実に参加しろですって、こういうのを盗人猛々しいというのです。--八重垣なでしこ 2011年12月25日 (日) 12:58 (UTC)

Category:第二次世界大戦中のアメリカ合衆国の戦争犯罪と本記事との関連性について

論点が錯綜して、可読性を損ねておりますので、小節化します。(なお、yghwtrrlさんの要望を受けて、節名は変更しました。)

yghwtrrlさんはCategory:第二次世界大戦中のアメリカ合衆国の戦争犯罪と本記事が「関係性が薄い」とおっしゃいますが、「関係性が薄い」という主観的な理由のみをもって、カテゴリ追加に反対されても、それは単に反対のための反対論にすぎません。なぜ、「関係性が薄い」といえるのか、「当該カテゴリとは無関係」なのかどうか、カテゴリ追加にあたっての「関連性」の度合いの基準について議論すべきところを、主観的に「反対」と主張されたところで、それは当該カテゴリとの関係性をなしと主張するに等しい。

仮にカテゴリとの「関連性が薄い」としても、「関係ない」ことではない。この点については、本文節「東京裁判」および「評価・歴史認識」との記述とも齟齬が生じます。ラダ・ビノード・パールベン・ブルース・ブレイクニー弁護人、ジョン・ロールズらの論考や見解をはじめ、連合軍による原爆投下を「戦争犯罪」とする資料は多数あります。すなわち、本記事とアメリカによる戦争犯罪、および戦争犯罪との関連性は立証できますし、これがCategory:第二次世界大戦中のアメリカ合衆国の戦争犯罪カテゴリ付加の理由です。

yghwtrrlさんは原爆投下と「戦争犯罪」が「関連性薄い」とする論拠を、何らかの検証可能な出典または根拠に基づいて、立証する責任がありますが、それはできないでしょう。なぜなら、これに反対するというのであればパール、ブレイクニー、ロールズに関する記述を削除する他ないからであり、しかし、これらは検証可能な出典に基づいた記述であり、削除はできないからです。

それに、そもそも、yghwtrrlさんは「日本への原爆投下自体は、人権>人権侵害>戦争犯罪>大量虐殺>日本への原爆投下というカテゴリの構造を持っており、意味的には既存カテゴリに含まれます。(核戦争のサブカテゴリでもありますね)」と12月9日 (金) 12:27の時点で明言されています[9]。すなわち、日本への原爆投下が、「戦争犯罪」の下位カテゴリに帰属し、従って、関連性を自ら認めておられます。また、yghwtrrlさんは2011年12月12日 (月) 10:01の時点でCategory:第二次世界大戦中のアメリカ合衆国の戦争犯罪が戦争犯罪のカテゴリに「入れるとしたらこちらでしょうね」と認めておられます[10]。そうした発言をしておいて、その後で同12月14日 (水) 14:56にyghwtrrlさんが「僕は、少なくとも「戦争犯罪」とその下位カテゴリの追加は、はっきりと反対しました」と発言されるのは、明らかに矛盾しており、そもそも主張が論理的な整合性を保持しておらず、破綻しています。「戦争犯罪の下位カテゴリ」追加に反対というのであれば、「日本への原爆投下」カテゴリは「戦争犯罪の下位カテゴリ」なわけですから、本記事は「日本への原爆投下」カテゴリに帰属しないという、話になってしまう。

yghwtrrlさんがいわんとされるのは、カテゴリの重複のことではないのですか?そうであれば、まだ整合性もあるとはいえますが、Category:第二次世界大戦中のアメリカ合衆国の戦争犯罪は「日本への原爆投下」カテゴリと同様に「戦争犯罪の下位カテゴリ」ですが、同じ下位カテゴリであっても、異なる下位カテゴリです。したがって、Category:第二次世界大戦中のアメリカ合衆国の戦争犯罪に本記事が帰属する合理的な根拠が各資料からも成立します。--西方 2011年12月21日 (水) 15:56 (UTC)

「関連性が薄い」という表現に関しては、僕は以前の編集で撤回しました。当然、関連はありますし、僕も個人的には原爆投下は許しがたい戦争犯罪だと思っています。議論が戻っているので以下の説明も繰り返しになりますが、論点は、Category:第二次世界大戦中のアメリカ合衆国の戦争犯罪>Category:広島と長崎への原子爆弾投下>本記事 というカテゴリ間の包含関係があり、暗黙のうちに本記事は戦争犯罪カテゴリに含まれており、これを含めるのは重複であり不必要だ、ということです。より適切な下位のカテゴリがある際に上位のカテゴリを含めることは、禁じられてはいないものの不必要です。例えば、烏龍茶ソフトドリンクであり飲料ですが、烏龍茶の記事自体にはCategory:ノンアルコール飲料Category:飲料はありません。なぜならば、Category:飲料>Category:ノンアルコール飲料>Category:茶>Category:茶系飲料>烏龍茶というカテゴリ(及び末端の記事)間の上下関係があり、それによって烏龍茶記事は上位のCategory:飲料Category:ノンアルコール飲料カテゴリに暗黙のうちに含まれているからです。
ソフトドリンクが炭酸飲料からコーヒーまでを含む幅広い概念であるのと似て、戦争犯罪は侵略戦争の開始、捕虜虐待や違法兵器の使用までを含む包括的な概念であり、適切なカテゴリが無いならまだしも、戦争犯罪カテゴリの以下にCategory:広島と長崎への原子爆弾投下という適切なカテゴリが存在するため、Category:戦争犯罪Category:第二次世界大戦中のアメリカ合衆国の戦争犯罪の追加は、過剰であり、カテゴリ間の上下関係という機能を損なうものであり、反対しています。--yghwtrrl 2011年12月22日 (木) 10:58 (UTC)
  • 最初に断っておくが、このカテゴリーについては、中立の立場であります。西方氏が貼った「Category:人権」と「Category:人権侵害」をyghwtrrl氏が除去した際に、「関連の薄いカテゴリを削除、Category:広島と長崎への原子爆弾投下はCategory:人権のサブカテゴリ。」と要約欄に記しております。つまり、「Category:人権」は、「Category:広島と長崎への原子爆弾投下」とカテゴリーが重複しており、「Category:人権侵害」も、「Category:人権」との重複カテゴリーであるのではないでしょうか。詳しくは、yghwtrrl氏に問うべきでしょうが、「Category:人権」と「Category:人権侵害」は、関連の薄いカテゴリーに当たらないのではないかと推測できます。また、西方氏が「Category:第二次世界大戦中のアメリカ合衆国の戦争犯罪」は、当該記事に載せるべきとしているが、「Category:広島と長崎への原子爆弾投下」がその下位カテゴリーとして、属している点をどのようにお考えなのでしょうか。--八重垣なでしこ 2011年12月22日 (木) 11:31 (UTC)


(八重垣なでしこ氏へ)12月11日 (日) 12:39の時点で私は人権関連カテゴリについては却下しております[11]
コメントこれも繰り返しになりますが、「カテゴリ同士の包含関係があるから、付与してはならない」という方針はウィキペディアの方針/ガイドラインには存在しません。ですから、このことを根拠に反対されても、そのような独自判断では納得できないのです。そもそもカテゴリとは、記事間のリンクをより明示的に、かつ多角的に貼ることで、ウィキペディアの特性の一つである、リンク間移動によって、対象への理解が深まることと私は了解しております。お二人が、なぜそこまで、カテゴリ追加に反対なさるのか、その動機もよく理解できません。実際、カテゴリ追加について、ここまで反対され、議論になっているのは、調べた限りでは、どうもないようですし、一般に、議論もないようです(もしどなたか、先例をご存知でしたら、お知らせください)。
Wikipedia:過剰なカテゴリをあらためて見ました。冒頭に「数百ものカテゴリが付与されたものの、そのほとんどは実際には使いものにならない、という結果を招く可能性もあります。また、ある記事において、特定のカテゴリを見つけ出すのが難しいということになるかもしれません。そのようなカテゴリの過剰な細分化 (Overcategorization) は、英語版では「乱雑なカテゴリ」("category clutter") 問題として知られています。」と書いてあります。むろん、これはあくまで例示ですが、しかし他方、「過剰なカテゴリ追加」についてどのような量が妥当かという点を考えるうえでは参考になります。yghwtrrlさんはこの件についてかつて10程度といい、私は例示として60程度といいました。このようなカテゴリの数について、あらかじめ数を限定することは不可能かつ無意味でもありますから、方針/ガイドラインにも具体的な記載はないのでしょう。とはいえ、ある意味で、この冒頭の「数百」というのが(おそらくは英語版が元の記述でしょうね)具体的な例示といえば、いえる。まあ、ここからさきは、たしかに、方針ページ等別のページで議論を喚起するとよいのかもしれません。
偶々なのか、yghwtrrlさんと八重垣なでしこは非常に感覚や考えの似たところがあるようで、私としては、まったく別の感覚や観点からの見解を聞きたいところでしたが、あまり参加もされないようですね。コメント依頼を新規でした方がいいのか、それとも、このカテゴリ付与問題については、カテゴリ方針のノートで議論した方がよいのか、あらためてしばし考えてみます。--西方 2011年12月22日 (木) 15:28 (UTC)
  • 「Category:人権」と「Category:人権侵害」のカテゴリーを貼ったのは、西方氏あなたですね。しかし、西方氏が自らも重複していた節があったことに、気付いたから取り下げたのでしょう。一番に聞きたいのは、西方氏が「Category:第二次世界大戦中のアメリカ合衆国の戦争犯罪」を当該記事に載せるべきと主張しているが、その下位カテゴリーに「Category:広島と長崎への原子爆弾投下」が属している点をどのように考えているかです。「Category:人権」と「Category:人権侵害」のように、重複しているのではないのですか。改めて言うが、私はこのカテゴリーについては、中立であると述べている。それなのに、西方氏は「二人がそこまで反対するのか」と発言しているのが理解できない。--八重垣なでしこ 2011年12月23日 (金) 15:51 (UTC)
コメント「Category:第二次世界大戦中のアメリカ合衆国の戦争犯罪」と「Category:広島と長崎への原子爆弾投下」とは、互いに独立したカテゴリーです。カテゴリの包含関係にしても、「Category:広島と長崎への原子爆弾投下」が「原子爆弾」や「核兵器」や「マンハッタン計画」の下位カテゴリであるように、そのあたりは固定的にでなく(そもそも既存のツリー構造は所与のものではない)柔軟にかつ多角的に考えるべきではないですか。それに「重複」をそこまで拡大解釈するなら、現在、議論の対象とはなっていない「核兵器」「原子爆弾」なども「重複」とみなすべきではないですか?結局、そのように、あなた方のように過度に厳格になりすぎると、ツリー構造自体が貧弱になっていく、そう私は考えるのです。--西方 2011年12月25日 (日) 02:29 (UTC)
たとえば原子爆弾のカテゴリ関係を図にするとこうなります[12](「日本への原爆投下」で検索してもこのcatgraphツールでは生成しませんでした)。このカテゴリすべてを付与させるのはたしかに過剰でしょう。しかし、このようなネットワーク関係を各記事は潜在的に持っていることには十分に認識する必要があります。--西方 2011年12月25日 (日) 02:49 (UTC)
  • そうやって、まるで核廃絶論以外を排斥する団体のようだとでも言いたいのでしょうか。全部が全部、カテゴリーを重複してはいけないとは言っていません。だからといって、全部のカテゴリーを重複しろとも言っていません。「Category:人権」と「Category:人権侵害」のように、組み合わせ的によくないものがあるとはいえ、どこまでなら、この記事において重複するようなカテゴリーの貼り付けが許容できるのかを聞いたまでのことです。最初から、現在までこの戦争犯罪カテゴリー関連の議論において、一度も賛成も反対も表明しておりません。--八重垣なでしこ 2011年12月25日 (日) 12:58 (UTC)
お礼が遅くなりましたが、節名の変更に関して、西方さんの素早い対処にお礼申し上げます。さて、核兵器関連カテゴリについては、例えばCategory:核爆弾Category:核兵器の使い分けなどかなり混乱しており、整理の必要があるかと考えていました。しかし、ここでは記事に関連する事柄にとどめます。さて、例えば原子爆弾や核兵器は意味的に比較的小さなカテゴリであり、どんな記事が属するかは多くの編集者にとって自明です。しかし、戦争犯罪(およびその分類として機能している下位カテゴリ)は、上記の通り侵略戦争の開始から違法兵器の使用、捕虜虐待まで広範な概念を含むカテゴリであり、また政治的・外交的理由によっても含まれるものが変化している概念ですから、あまりふさわしいものではないでしょう。もちろん、方針として明確に禁じられているものではありませんが、Wikipedia:カテゴリの方針#カテゴリ付与の指針を見ますと「例えば「烏龍茶」は「飲み物」と考えると、これ(注: Category:飲み物)が第一候補になります。その名称のカテゴリが存在するかどうかを確かめ、また、その周辺(上位カテゴリ・サブカテゴリ)を確認します。カテゴリ名称としては違う名称であるかもしれません(烏龍茶の例では、飲み物を調べると飲料にリダイレクトされていて、Category:飲料があることがわかります。さらにサブカテゴリにはCategory:茶、Category:中国茶があり、こちらがよりよいでしょう)。」とあり、素直にこれを解釈すれば広範な概念を含む上位のカテゴリ(Category:飲料のようなもの)は必要ないでしょう。--JonathanSheffield(旧yghwtrrl) 2011年12月29日 (木) 15:24 (UTC)

核戦争カテゴリ

同じく、論点が錯綜して、可読性を損ねておりますので、論点ごとに小節化します。

yghwtrrl氏と八重垣なでしこ氏はともに「核戦争」カテゴリ付与に反対されますが、その根拠がないのです。

本記事と「核戦争」カテゴリとの関連について、以下、あらためて提起します。

核戦争は、「関係国が核兵器を相互に使用する戦争」であり、そういう意味では核兵器を使用した原爆投下はたしかに、「核戦争」ではありません(ただし記事核戦争における定義は出典なし。便宜上使用する)

しかしその最中に日本に原爆投下を実施した太平洋戦争は、「核戦争」ではないにせよ「核兵器を用いた戦争」です。

また、第二次大戦後の冷戦下における核開発競争核実験核拡散、核兵器を用いた軍事戦略である核戦略は、「核戦争」というシナリオを巡って構想されまた実施されていったものです。そして、核戦争を巡る核実験や核戦略は、これまでの唯一の実戦での使用である日本への原爆投下が歴史的前提となっています。たとえば中国が核実験を開始するきっかけは、この原爆投下でした(中国の核実験参照)。

yghwtrrlさんは「Category:核戦争」付与について「あってもなくてもいいが、ない方がいい(僕は無いほうが好み)」と12月11日 (日) 06:03 時点で発言し、八重垣なでしこ氏はこの「yghwtrrl氏のコメントに概ね賛成」とあるのみで、正直、驚くほど、無根拠です。この「好み」についてもかつてyghwtrrlさんとは議論しましたが、編集者同士での議論において相互に「好み」が議論において議題となることはあるにせよ、なんら合理的な根拠を示す事なく、「それは私の好みだから」「ない方が好きです」という程度の「理由」では、私としては、まったく、同意できないし、正直、私もこれまで様々にノートでの議論に参加してきましたが、これほどの「理由」を根拠にされる方ははじめてです。(もっとも、yghwtrrlさんとは他の件については議論は一定程度成立してきましたが)

単に反対のための反対でなく、または「好みなんで」とかでなく、まじめに議論してください。--西方 2011年12月21日 (水) 16:38 (UTC)

もちろん、米国の原爆開発は、東側諸国の核開発の契機となりましたしそれは僕も認識しています。しかし、以前説明した通り、核戦争とは『「核+戦争」の意味ではなく、「双方が核兵器を持ち、核の打ち合いにエスカレーションする危険性をはらんだ対立(直接的には冷戦中の米ソ対立)」を意味すると考えていて、日本への原爆投下は分類として不適切であると考え』ています。ここで西方さんが求めておられるのはいわゆる悪魔の証明です(wpの記事は議論が錯綜しているようなのではてなキーワードで)。どれだけ文献を調べても、日本への原爆投下が核戦争ではない、ということを証明するのは困難です。Wikipedia:検証可能性#出典を示す責任は掲載を希望する側にともあります。(僕はある程度は近代史、冷戦史の文献を読んでいますが、日本への原爆投下を核戦争だと呼んでいる文献は、比喩としての使用さえあまり記憶にありません)。原爆投下が間接的に東側諸国の核開発と冷戦構造へのきっかけとなった、という程度の関連性ではなく、「日本への原爆投下は核戦争である」とはっきり明言し、本カテゴリの追加が妥当であると納得するに十分な文献を示してください。議論態度が不誠実だと思われたら申し訳なかったですが、先に核戦争カテゴリを「好み」だと言ったのは、確たる出典に基づいた議論でない以上は、言葉の定義ゲーム、個々人が思う核戦争の定義を言葉を変えて繰り返すだけの言い合いとなってしまうだろうと考えられ、不毛であるから深入りしたくなかったためです。--yghwtrrl 2011年12月22日 (木) 10:58 (UTC)
一般的に、因果関係がある、遠因となったという程度でカテゴリを追加すべきではありません。歴史の出来事には全て因果関係があります。例えば、第二次大戦の遠因となったのはドイツの敗戦とヴェルサイユ条約ですが、だからといって第二次大戦記事やヒトラーの記事にまで第一次大戦カテゴリやヴェルサイユ条約カテゴリ(こんなものは無いのでただの例ですが)を貼ることは行われていません。追加を希望されるなら、はっきりとした関係を示した出典を提示してください。--yghwtrrl 2011年12月22日 (木) 11:51 (UTC)
yghwtrrlさんはどうも意図的に議論の相手のいっていることをねじまげる傾向があられますね。私は「原爆投下が核戦争である」などといっておりません。どうして八重垣なでしこさんとあなたは同じ受け取り方をされるのでしょうか?そのような受け取り方は、明確に、不誠実です。--西方 2011年12月22日 (木) 15:32 (UTC) あと、しばしば悪魔の証明だとして返答される方もおられますが、このタームについては、問題もあり、当該記事ノートで議論も行われています。こちらの過去ログなど[13]も読まれるとよいでしょう。また、はてなキーワードは、信頼性も担保されません。ウィキペディアのようにノートで議論ができる仕組みにもなっていない。私がこれまでこの「悪魔の証明だ!」と対論相手に発言される方々の場合をみてきた限りでは、これは殆ど、返答や議論の発展を意図されたものでなく、相手をなじるかのような使われ方で引き合いの出されますね。そうしたこともあって、ウィキペディア版では出典なしで削除されたのでしょう。何にせよ、「悪魔の証明だ!」などといっても、何の効果もありませんよ。だって、同じ事をあなたに対して言い返すこともできるわけですから。「あなたは悪魔の証明を要求している!」とね。--西方 2011年12月22日 (木) 15:43 (UTC)
相手の議論態度に関する評価は、以前に西方さんが仰っているように、無用です。 方針と出典に基づいた議論をお願いします。方針を読む限りでは、関連があるというだけの理由で積極的にカテゴリを追加すべきではないと考えました。Wikipedia:カテゴリの方針#カテゴリの定義の1によれば、カテゴリは第一義として分類を表します。西方さんも仰っているとおり、「日本への原爆投下は核戦争の一つである」とは言えませんのでこれは否定されます。また、同じ方針の節の2ですが、日本への原爆投下が核戦争の「関連が深いキーワード」であるとも思いません。例えば、核の冬は核戦争という概念を理解する上で関係が深いキーワードですが、日本への原爆投下が核戦争を理解する上で不可欠の関係の深いキーワードではありません。ちょっとした関連や因果関係があるという理由でのカテゴリ追加は、wpの骨格、構造であるカテゴリを壊し、機能を損なうことになります。この例は繰り返しですが、WWIIの原因はWWIとその戦後処理のマズさにありますが、だからといって、ヴェルサイユ条約にWWIIのカテゴリを貼るということはされていません。同様の理由で関連項目での列挙も反対します。--yghwtrrl 2011年12月23日 (金) 04:27 (UTC)
核戦争核兵器と深い関連性を持つように、核兵器の実際の使用である原爆投下も、私は深い関連性を持っていると考えます。あなたはそれを「薄い」または「間接的」とされるのでしょうが…。しかし、もう、ここは平行線ですね。--西方 2011年12月23日 (金) 04:36 (UTC)


  • 先の「戦争犯罪関連のカテゴリー」で、「Category:広島と長崎への原子爆弾投下」は、「Category:核戦争」の下位カテゴリーであることを前提に、西方氏は展開されているので、非常に違和感を感じます。この記事で論点になっているのに、この記事と連携関係にある「Category:広島と長崎への原子爆弾投下」を蚊帳の外にすることなく、「Category:核戦争」の可否について、議論すべきです。
  • さて、西方氏が核戦争が核兵器に深い関連性があるから、核兵器を実際に使用した原爆投下が深い関連性にあるというが、一方でyghwtrrl氏は、日本への原爆投下が核戦争と関係が深いものなのかと言えばそうでもないという。つまり、因果関係と関係性をどのように捉えているかで、見解が異なっているということですね。両者の考えも強ち間違ってはいないと思います。では、「Category:核戦争」が貼られているキューバ危機の場合はどうなのでしょう。実際に、核戦争が勃発する可能性があったと書かれています。しかし、この日本への原子爆弾投下の場合、アメリカが原子爆弾を投下したとしか書いていませんね。「Category:核戦争」を貼る理由があるとしたら、この記事の関連項目に、日本の原子爆弾開発があるからなのでしょうか。しかし、「Category:核戦争」を貼りましょうとは言えません。というのも、2008年6月にノート:核戦争で、IPユーザーである211.11.157.49氏がこの原爆投下について、英語版の核戦争では、核戦争であると冒頭分を訳していますが、日本語版ではその点は、違うことになっていると疑問点を述べています。しかし、この原文は、

    Nuclear, or atomic warfare, is battle in which nuclear weapons are used. This has only happened once - the atomic bombings of Hiroshima and Nagasaki by the United States of America against the Empire of Japan very shortly before the end of the Pacific War in World War II. - en:Nuclear_warfare 16:07, 30 June 2008(UTC)

    とあり、これは、

    核戦争とは核兵器を用いた戦争である。第二次世界大戦の終戦前に極めて短期間に、アメリカが広島と長崎へ原子爆弾を投下したことが、たった一度だけ行われた。

    と訳されるそうです。ただ、適切に補うとしたら、核戦争か、核攻撃かのどちらが妥当なのでしょうか。現在では、この部分は詳しく書かれています。また、この記事の英語版に当たる記事は、冒頭部で、広島と長崎の投下した原爆は、戦争で唯一使われた事例であるとしか書いていないようです。ところで、yghwtrrl氏が「Category:核実験」についても異議を出されていますが、どうしましょうか。--八重垣なでしこ 2011年12月23日 (金) 15:51 (UTC)
Category:広島と長崎への原子爆弾投下については、Category‐ノート:広島と長崎への原子爆弾投下で議論してください。論点が重なるからといって、別件での編集問題をこちらに統合することの利点は何もありませんし、間違っています。
まあ、核戦争の定義については、たしかにこれは出典を交えて議論していかないと展開も合意もないなと思っています。核実験についてはカテゴリ帰属ではなく、関連項目で合意済みであったはずですが。ですので、これはカテゴリ付与という意味では撤収しております。--西方 2011年12月25日 (日) 02:43 (UTC)
  • 核実験の件については、関連項目で合意済みなら、それでも構わないでしょう。しかし、できたら説明を付すべきだと思いますが、この件は次のトピックですることにしましょう。さて、先の英語版の核戦争では、英語版の「出典の明記タグ」がどこに対してなのかはわかりませんが、2009年から貼られているようです。ゆえに、核戦争の辺りがはっきりしないのでは、「Category:核戦争」を貼らない方が得策でしょう。同様の理由で、「Category:広島と長崎への原子爆弾投下」における「Category:核戦争」の貼り付けも取りやめるべきです。西方氏は「Category:広島と長崎への原子爆弾投下」は、切り離すべきだと言っているようですが、切り離す利点が全く見えません。「Category:広島と長崎への原子爆弾投下」は、本記事である「日本への原子爆弾投下」をソートキーで「*」と指定しており、「日本への原子爆弾投下」を親記事とするカテゴリーです。これは、記事の「秋元康」と「Category:秋元康」と同様の関係であります。切り離すことが正当と主張するのなら、「Category:広島と長崎への原子爆弾投下」をこの記事への貼り付けを取りやめるべきです。西方氏がこの議論を拒否するのなら、西方氏抜きの議論が行わるまでのことです。--八重垣なでしこ 2011年12月25日 (日) 12:58 (UTC)

お邪魔します。関連があるかないかを編集者が独自研究で語っても拉致があきません。ちょっと検索しただけで核戦争とヒロシマやらの原爆投下を関連付けて論じているものは多く見つかります[14]。ヒロシマ原爆投下を核戦争と関連させている映画もあり[15]、またこのような団体も関連付けて語っています[16]。つまり世の中で核戦争とヒロシマ原爆投下を関連付けている事実がある以上、編集者が勝手に関連性が薄いなどとして切り離すことはできません(それは独自研究です)。そしてカテゴリー階層で「Category:広島と長崎への原子爆弾投下」が下位ならば下位から上位にも行けなければなりませんが、「Category:核戦争」の下位に「Category:広島と長崎への原子爆弾投下」があるのにもかかわらず、このような除去をしてしまうと下位から上位へ行けなくなりますのでお止めいただきたいところです。もし、このように「Category:広島と長崎への原子爆弾投下」において上位の「Category:核戦争」を消すならば、関連ある「核戦争」とコチラの記事が切り離されてしまうので、こちらに「Category:核戦争」を導入させていただきます。--218.217.158.48 2011年12月25日 (日) 20:35 (UTC)

  • 218.217.158.48氏にまずは、苦言を呈さなければなりません。ノートページでコメントする分には歓迎します。しかし、争点となっているカテゴリーの貼り付けは、合意ができてからにしてください。さて、原爆の投下と核戦争とが関連付けられているから、切り離すことはできないと主張している点ですが、それに至る部分がなければ、意味がありません。これこそ独自研究というものです。ましては、日本原水爆被害者団体協議会の21世紀 被爆者宣言を持ち出していますが、これは、日本原水爆被害者団体協議会での出典としてしか扱えません。というのも、原爆投下を非難し、その補償と核廃絶を求める件で、唐突に核戦争というフレーズが出てきていることから、これを原爆投下と核戦争を関連付けているとするには、疑念があります。また、彼らは21世紀にもなった今もアメリカ政府の謝罪を求めているが、アメリカ政府の謝罪を遠ざけている原因に、このような事件があります。1989年にアメリカの艦船が長崎に入港した際に、艦長が平和公園で献花を行いました。その時は、本島等長崎市長は同席せず、被爆者団体による怒号に、座り込みを展開し、艦長は平和記念像の目前での献花は断念したが、仮設の献花台で済ませました。その後、被爆者団体のメンバーが艦長の献花を踏み躙ったというものです。(出典:「被爆者ら、献花を踏みつぶす 米艦長に抗議 長崎・平和公園」1989年9月16日 朝日新聞西部夕刊 参考)この事件のその後は、どうなったかは別の話ですが、どちらにしても、核戦争について出典がなければ、載せるべきではありません。「Category:広島と長崎への原子爆弾投下」の「Category:核戦争」についても同様のことです。--八重垣なでしこ 2011年12月26日 (月) 11:43 (UTC)


八重垣なでしこ氏の返答にはいろいろ理解できないところがありますが、議題に絞ります。出典については私も調査してみますが、とりあえずみつかったものとして、以下のものがありました。
  • 広島市立大学広島平和研究所「日米の芸術と大衆文化に表れた原爆と核戦争」プロジェクト(2005-7)[17](プロジェクト監督田中利幸)=Robert Jacobs, ed., Filling the Hole in the Nuclear Future: Art and Popular Culture Respond to the Bomb (Lexington Books, 2010)
  • NHK世論調査『薄れる被爆の記憶・高まる核戦争への不安~「広島・日本・アメリカ原爆意識」に関する調査から~』[18](=[19] 月報「放送研究と調査」2005年12月号、放送文化研究所。
  • ウルシュラ・スティチェック「ヒロシマと世界:原爆文学を次世代へ 核戦争の恐ろしさ警告」中国新聞ヒロシマ平和メディアセンター,2009年7月27日[20]
  • 一橋大学教授・濱谷正晴「原爆体験と<心の傷>」(広島大学平和科学研究センター(IPSHU)研究報告No.41,松尾雅嗣編著『核の被害再考』所収)[21]では、「広島・長崎に居た人びとに対する原爆投下=人類最初の核戦争は、人間に、「核兵器の廃絶」と「戦争の廃 絶」を提起した。」「広島・長崎で起こったことは、「人類最初の核戦争」であった。」と記述している(15頁)。
  • 「米国防総省 広島、長崎の原爆被爆者データ 核戦争研究に利用 ABCC収集解禁文書で「モルモット説」裏付け 」毎日新聞1995年7月30日記事 では、「1948年6月に「特殊兵器プロジェクト」(国防総省国防核兵器局の前身)のハズブルック参謀長がまとめたメモは、被爆者データは「放射能戦争研究に非常に重要」だとして、核攻撃の際の死傷者数や負傷者の治療などに関する情報への利用に期待を表明した。ABCCで収集されたデータや生検、解剖標本はこうして同プロジェクトや陸軍病理研究所で保管され、47-49年にまとめられた核戦争防護の各種研究に生かされた」とある(ABCC=原爆傷害調査委員会)。
  • 吉田文彦『核のアメリカ ―― トルーマンからオバマまで ――』岩波書店、2009年では、原爆投下から以降の核戦略までを通観し、なかで当然、核戦争の問題についても言及。
ほか、*ジョン・W・トリート著『グラウンド・ゼロを書く―日本文学と原爆』法政大学出版局,2010年などを調査してみます。
というか、出典はもう、上記で十分ですが。以上をもって、核戦争と原爆投下との関連性をしめす資料が存在します。--西方 2011年12月26日 (月) 14:39 (UTC)
あと、八重垣なでしこ氏は上記別節でも核関連運動団体に言及されておられ、どうもそうした運動にご見解をお持ちのようですが、ねんのためにいっておきますと、私自身は、一切、そのような団体や運動とは関係はありませんので。--西方 2011年12月26日 (月) 15:00 (UTC)

八重垣なでしこ氏へ。すでに申しておりますが、関連があるかないかを編集者が独自研究で語っても拉致があきません。日本原水爆被害者団体協議会に対する個人的感想文や日本原水爆被害者団体協議会に対する評論の出典を出しても意味がないのです。私の出した出典に対し「それは核戦争と原爆投下とは関係ないものである」と直接言及している第三者の出典を出して否定しないと意味がありません。どんな団体であろうが、核戦争とヒロシマ原爆投下を関連付けて論を展開している事実が巷にあるわけです。また、なぜかスルーですが広島市・長崎市が企画し、岩波映画製作所が製作した「ヒロシマ・ナガサキ 核戦争のもたらすもの[22]という映画まで製作されています。加えて西方さんが出している複数の核戦争と原爆投下を関連付けた見解の出典もあるのです。こうした複数の事実がある中で、どこの誰かもわからない編集者(八重垣なでしこ氏)の意見(独自研究)をもとに「関連がない」とすることはできません。どうぞご理解ください。--218.217.158.48 2011年12月26日 (月) 16:47 (UTC)
  • 被爆者団体が云々というのは、218.217.158.48氏の話であって、西方氏が理解できない節があるのは、そのためなのでしょう。218.217.158.48氏も勘違いしている節があるようです。被団協の出した宣言を基に、要約した文章をエッセーであると断じている点は、出鱈目ではありませんか。西方氏と言い、218.217.158.48氏と言い他人の発言内容を歪曲する内容が多いこと。まったくもって理解できない話ですね。218.217.158.48氏が、どんな団体でも核戦争と原爆投下を関連付けて論じている事実があるというが、どのような団体がそのように、主張しているのですか。それに、広島市と長崎市が企画した映画は、内容を検証すべきでしょう。西方氏が色々と出典を提示しているようですが、これらも同様に検証すべきでしょう。また、原爆投下を巡る議論には、「原爆投下はいけないものだから、核廃絶すべき」という一種のプロパガンタが展開されています。故に、久間氏の原爆投下を巡る発言で長崎市は、拒否反応を示しています。(参考)一方で、核武装すべきという意見もあるので、一方的な見解に基づいたものでは、出典として成立しても中立性に問題が出てきます。例え、中立性をクリアしても、カテゴリーで関連付けるよりも、本文に組み入れた方がいいと思います。でも、yghwtrrl氏の意見も聞きたいところですね。とはいえ、218.217.158.48氏は、根拠もなく「関連がない」と断じるとは感心しませんね。--八重垣なでしこ 2011年12月27日 (火) 14:34 (UTC)
あのですね。少なくとも私が提示した出典のいくつかは、ウェブ上で読めるものもあるのです。読まずに「検討すべき」と放言されるのでなく、読まれたうえで、実際に、検討されたうえで、発言してください。でないと、なんの合意形成にもなりません。それから、Wikipedia:検証可能性をお読みください。ウィキペディアに執筆してよいかどうかの基準は「真実であるかどうか」ではなく「検証可能かどうか」です。あなたが原爆関連運動に対してどのような見解を持とうと、それは自由ですが、あなたの気に入らない立場の団体や個人のものであれ、検証可能性や、出典としての信頼性を満たしていれば、加筆の素材として問題はありません。ウィキペディアはあなたが所有しているわけではありません(Wikipedia:記事の所有権参照)。八重垣なでしこ氏の見解を好意的に解釈するとすれば、たしかに、政治団体関連の論考等は、同人誌的なものにとどまっているものもあります(別記事で、そのような特筆性を満たさないと思われた同人誌を出典とした記述は、私も削除したことがあります)。しかし私が挙げた資料は、そのような同人誌的なものではなく、一定程度の信頼性を保証することのできる大学等の機関や社会的なステータスを持つマスコミなどが主体の調査や報道であったりします。
あと、たしかに、おっしゃるようにこの核戦争関連については本文に記述した方が、よいと私も思います。いずれ、まとまりそうでしたら、加筆します。
カテゴリー追加に戻りますと、「核戦争と原爆投下」との関連性を十分に示す資料が出たわけですが、あなたは、「核戦争と原爆投下」との関連性をどう考えられるのですか?yghwtrrlさんは「関連性薄い」とされ、あなたもそれに同調されておられた。しかし、もはやこのように出典が出た以上、「核戦争と原爆投下との関連性」は証明されたわけですから、そのような「核戦争と原爆投下の関連性」を否定することはできません。もしそれが可能とすれば、私が挙げた出典が、すべてこの世に実在しないものだ、ということを証明しなくてはならないでしょう。あなたがいまなお「核戦争と原爆投下との関連性は薄い、またはない」と主張されるのであれば、その主張の根拠となる一次的な出典を提示してください。--西方 2011年12月27日 (火) 17:10 (UTC)


八重垣なでしこ氏へ。被団協は「アメリカの原爆投下は、人類に対する重大な犯罪です。核戦争の悲劇を繰り返してはなりません。」と団体の宣言文で「原爆投下」を「核戦争」としています。巷で原爆投下と核戦争を関連付けている事実の一つです。それに対し、あなたの「原爆投下を非難し、その補償と核廃絶を求める件で、唐突に核戦争というフレーズが出てきていることから、これを原爆投下と核戦争を関連付けているとするには、疑念があります。」という解説は感想文(エッセー)でしかありません。ここで反論するからには「核戦争と原爆投下とは関係ないものであり、被団協の主張は間違っている」と直接言及している第三者の出典を出して否定しないと意味がないのです。「出鱈目」でもなんでもなく、あなたの反論は、あなたの意見でしかなく、エッセーでした。
また、映画について「広島市と長崎市が企画した映画は、内容を検証すべきでしょう。」としていますが、検証の可能性は出ていますのでご自身で検証してください。ただ、題名自体がすでに「原爆投下」と「核戦争」を関連付けたものになっている事実があります。
さて、いくつも「原爆投下」と「核戦争」を関連付けた出典が出ている中で、「関連がない」という八重垣なでしこ氏の主張を証明する出典がまったく出てきておりません。残念ですが、wikipediaは出典主義ですので、「原爆投下」と「核戦争」を関連付けた出典が出ている以上、「関連がない」とするからには相当な(多数派を証明する)出典が必要となります。「関連がない」と反論するならば独自意見ではなく出典主義でお願いします。感想文による反論では埒があきませんから。--218.217.158.10 2011年12月27日 (火) 17:38 (UTC)
さらに原爆投下とそれ以降の核戦略および核戦争との関連について触れている書籍がありました。
「日本への原爆投下が核戦争」という論も、「日本への原爆投下と冷静時代以後の核戦争」を関連付けた論も、すべて「関連性」を示すものですよね。「核戦争になったら広島の何倍の被害が発生する」とかの広島への原爆投下を関連させて例に出したり。
さて、これだけ出典が出ている中で八重垣なでしこ氏は「Category:広島と長崎への原子爆弾投下」において「核戦争」をコメントアウトしております[23]。とりあえずしばらく我慢しますが、八重垣なでしこ氏から私たちが出している出典は「関連性がないものだ」とする証明する出典を出していただけない場合、コメントアウトをはずさせていただきます。出典をお待ちしております。--218.217.158.10 2011年12月27日 (火) 18:26 (UTC)
  • 218.217.158.10氏は被団協の宣言文では「原爆投下が核戦争である」と主張しておられるようですが、その文章は「原爆投下が核戦争である」とするにはなりえません。原爆投下が核戦争であるとは読めません。西方氏が新たに出典を出している点は除いたとしてもです。それをエッセーだと断じるのでしたら、218.217.158.10氏の持ってきた宣言文が「原爆投下が核戦争である」とするこそ、エッセーでしかなりません。この議論の中で、誰も被団協の考えが間違っているとは言っていませんよね。少なくとも彼らの考えに異論があり、被爆者団体の意見や、主張が被爆者全体の考えではないのは、事実であります。実際に、産経新聞が2007年に「核兵器について考える」のテーマで募集していた懸賞論文で、「被爆体験を核兵器だけでなく、原子力発電への糾弾に使用している」と指摘しています。(【オピニオンプラザ・私の正論】第388回 2007年3月6日、産経新聞[24])それに、あの映画は、218.217.158.10氏こそ自ら、検証すべきです。もう一度言っておきますが、原爆投下を核廃絶へ誘導するという一種のプロパガンタが存在します。この記事をプロパガンタの舞台にさせないことこそ、最低条件ではありませんか。
  • さて、西方氏が「出典候補」の中にいくつか検証できるものがあるというので、検証しました。
    • NHK世論調査『薄れる被爆の記憶・高まる核戦争への不安~「広島・日本・アメリカ原爆意識」に関する調査から~』 月報「放送研究と調査」2005年12月号、放送文化研究所。
      • この論文は、原爆に関する意識調査をまとめたもので、日米間で意識に差があるということであっていますかな。その章建てで、「原爆」、「平和運動」、「核兵器」、「戦争」、「通常兵器」、「核戦争」という構成になっており、原爆を核戦争として書いていないですね。意識調査を通じて、核兵器と戦争から、核戦争を導き出しているものと思います。
    • ウルシュラ・スティチェック「ヒロシマと世界:原爆文学を次世代へ 核戦争の恐ろしさ警告」中国新聞ヒロシマ平和メディアセンター、2009年7月27日
      • これは、原爆文学を題名があっていないようですね。
    • 一橋大学教授・濱谷正晴「原爆体験と<心の傷>」(広島大学平和科学研究センター(IPSHU)研究報告No.41,松尾雅嗣編著『核の被害再考』所収)では、「広島・長崎に居た人びとに対する原爆投下=人類最初の核戦争は、人間に、「核兵器の廃絶」と「戦争の廃絶」を提起した。」「広島・長崎で起こったことは、「人類最初の核戦争」であった。」と記述している(15頁)。
      • 核戦争に関する記述について、前者については産経新聞の論文において、異論が示されているので、記述しない方がいいと思います。それに、原爆投下が核戦争である理由でもあればいいのだが……。

--八重垣なでしこ 2011年12月28日 (水) 14:58 (UTC)

「原爆投下を核戦争である」と明言しているのは、濱谷正晴氏です。私自身はこの見解に異論もあります。私は原爆投下を核戦争であるとは考えないからです。しかし、私はこの濱谷正晴氏の見解を、ひとつの見解として尊重します。再三繰り返してきましたが、私がいっておるのは、「原爆投下が核戦争の問題と関連がある」ということです。私があげた資料はそれぞれ観点を異なりますが、原爆投下体験と、核開発競争とそれの最終形態である核戦争への恐怖、また各国の軍事外交において、核兵器という兵器をいかに使用するかという核戦略等との関連性を、示しております。「関連がある」とは、原爆投下が核戦争か否かという問題ではありません。
産経新聞に異論、プロパガンダの問題があるからというのであれば、それらを交えて、本文に記述すればよい話です。218.217.158.10氏も発言しておられますが、ウィキペディアでは独自研究は退けられますが、出典をともなう記述は、スタイル等の条件を満たしておれば、問題がありません。ご自身の政治的な考え、それはそれでよいです。しかし、あなたはこの出典および検証可能性ということについて、理解されておられないようです。たしかに、一般に、「気に入らない」記述というのは、あるでしょう。特に政治論争になりやすい記事では、特にそうしたことを巡って、議論がこれまで交わされております。しかしながら、出典をともなう、例えば「左翼」的な言説があるとする。それに対して不快であっても、それを削除することはできません(出典を独自解釈したものはその限りではありませんが)。ですので、一般に、それを反駁する内容、またはその言説に対する批判的な内容、または「右翼」的な言説をともなう出典を探し出し、それをスタイルマニュアル等に従い、記載するという、いわゆる「両論併記」が、多数の記事でなされています(右翼左翼については説明を簡易にするために方便として用いました)。
…しかし、まあ、この件については、もう、本文に、上に上げた諸資料をまとめて、本文に記載するほかなさそうですね。私がいずれ、加筆しますので、その加筆された内容に問題があれば、また議論を再開する、ということにしましょうか。私としても、これほど資料があるのに、記述が充実されないまま、カテゴリをつける/つけないで議論する必要性を感じませんし。--西方 2011年12月28日 (水) 16:00 (UTC)
八重垣氏がリンクを貼っておられた産経の異論ですが、その内容について私は興味深く思うとともに賛同するところもあります。しかしこれは、産経新聞記者によるものでなく、読者投稿ですね。だとすると、この内容について、本文に記載するのは、検証可能性の観点から、一般に避けられるのではないかと思います。というか、同様の内容は、いわゆる核武装論者が発言しているものと近似しておりますので、むしろ、それを探す方がよいのではないでしょうか?(まあ、私がそれを探すことも可能ですが)--西方 2011年12月28日 (水) 16:07 (UTC)


まず、こちらがお待ちしております「関連性がない」とする出典が出ていないことを確認しました。
さて、「原爆投下が核戦争であるとは読めません。」とのことですが、並みの読解力があれば被団協が「原爆投下が核戦争である」との主張をしていることはわかると思うのですが・・・・。ならば質問です。被団協は「アメリカの原爆投下は、人類に対する重大な犯罪です。核戦争の悲劇を繰り返してはなりません。」と言っていますが、この「核戦争の悲劇を繰り返す」とは何を指して「繰り返す」と言っているのでしょうか?国語のテストで小学生でも答えられる問題ですのでお答えください。
あまり「反対のための反対」で無理な主張をされますとあなたの信頼性がなくなりますのでお止めになったほうが良いと思います。
また、「原爆投下を非難し、その補償と核廃絶を求める件で、唐突に核戦争というフレーズが出てきていることから、これを原爆投下と核戦争を関連付けているとするには、疑念があります。」との発言はあなたのエッセーです。「疑念がある」のはどこの誰かもわからない編集者のあなたであって、そこに出典はありません。例えば「疑念がある」などと出典もなく被団協の記事に書けると思ってるのですか?出典がないため独自研究として除去されますよ。あなた個人の評論は必要ないのでエッセーと言われたくないならば出典を出してください。ちなみに産経新聞(読者投稿)を出して被団協の批判をしていますが、被団協が原爆投下と核戦争を関連付けていることは事実ですので、被団協という団体の批判をしても意味がなく、それはこの件の議論と関係ないことです。あなたがすべきことは、被団協が原爆投下と核戦争を関連付けている主張を直接否定している出典なのですよ。それがない限り、「原爆投下と核戦争を関連させている事実の存在」を否定することができませんから。
また映画について私に検証しろと仰っていますが、方針無理解と言わざるを得ません。検証の可能性とは疑問に思ったものが検証するのです。そのために検証の可能性(出典)が提供されているのです。掲載を希望する側は検証可能性を満たし、その通りのことを記事で反映させれば良いのだけです。そもそも題名自体が原爆投下と核戦争を関連させているのですから、関連性の証明には十分でしょう。
そしてこれらを「プロパガンダだ!」とまたエッセーを語っていますが、そのように直接言っている出典を出してください。どこの誰かもわからないあなたの感想で人の編集を規制することはできませんし、感想文 vs 感想文を戦わせても議論にならず埒があかないので出典を出す必要性をご理解ください。ちなみに「プロパガンダ」だとしても、その「プロパガンダ」を批判する声があるならばそれと共に記事で記載することはできます。
最後に八重垣なでしこ氏の勘違いは、西方氏も仰っているように、「原爆投下が核戦争」なのかどうかが問題なのではなく、原爆投下と核戦争を関連させた見解が世にあるのかないのか、なのです。そして出典の通り、それは「ある」のです。万が一それが「プロパガンダ」だとしても。--218.217.158.10 2011年12月28日 (水) 23:14 (UTC)
  • 218.217.158.10氏の被団協が云々をすり変えているように思います。あんたこそ、エッセーだと発言している文章こそエッセーの塊でしかなりません。しかしながら、被団協の主張が核廃絶に帰結する点は、相違ないですよね。核戦争を抜きにしても、彼らがアメリカの謝罪と、核廃絶を訴えている事実には変わりありませんね。あんたのすべきことは、原爆投下と核戦争を結びつけるに足る出典を提示すべきです。あの宣言文からでは、そう読み取ることができません。方針の無理解などと言って、人を貶すのなら、他の記事で編集した方がどうなのです。最初から、この議論が「原爆投下が核戦争であるか否か」と、「原爆投下は核戦争と関連があるか否か」と、話が混じっているように思います。原爆投下が核戦争であるか否かを勘違いだというのは、議論の事実を捻じ曲げていると断じざるを得ないです。
  • さて、ちょっと興味深い資料を見つけました。フランクレポートに、核戦争なる文言が複数回出てきます。(原文翻訳)その内容は、リンク先に譲りますが、作成された時期は、原爆投下の二か月ほど前の話だそうです。核戦争の言葉があるのは、これが最初でしょう。この中で、科学的知見などに基づいた予測に、予想される核戦争と核爆撃がもたらす全面的壊滅から国を守るべき手段……(翻訳版より)としていることから、原爆投下が核戦争ではないと思います。載せる載せないは、別として一度、このカテゴリーについては、掲載基準を見直す必要があるかもしれませんね。--八重垣なでしこ 2011年12月29日 (木) 09:00 (UTC)
まず、こちらがお待ちしています「原爆投下と核戦争は関連性がない」とする出典が未だ提出されていないことを確認いたしました。
さて、こちらは質問をしていますのでしっかりと答え、都合よくスルーせずに議論してください。再度質問します。被団協は「アメリカの原爆投下は、人類に対する重大な犯罪です。核戦争の悲劇を繰り返してはなりません。」と言っていますが、この「核戦争の悲劇を繰り返す」とは何を指して「繰り返す」と言っているのでしょうか?お答えください。
映画についての反論がないので、納得していただけたと理解いたします。
また、こちらが出している出典を「プロパガンダ」としていたため、その出典を求めましたが未だ提出されていません。あなたの単なる意見なだけと理解してよろしいのでしょうか?
「原爆投下が核戦争であるか否か」と、「原爆投下は核戦争と関連があるか否か」の話を混ぜてしまっているのは八重垣なでしこ氏であり、こちらはずっと、「原爆投下は核戦争と関連があるか否か」のみを話をしています。カテゴリーという関連するものを入れていく議論をしているのですから。少しでも原爆投下と核戦争を関連させる言論が世の中にあるならばカテゴリーに入れることができ、そうした言論がないならば関連性を示す出典がないのでカテゴリーに入れることはできないとう単純なものです。そして関連させる言論は世の中に複数あり、コチラに核戦争カテゴリーを入れることができるということです。「できない」とするなら「関連性がない」とする出典が必要だということです。しかし現に関連させた言論があるので、それは不可能でしょう。--218.217.158.10 2011年12月29日 (木) 14:43 (UTC)
一般には、ある事柄と別の事柄が関係がないということを示すことは困難ですので、関連性がある、と主張される側が出典を示してください。さて、日本への原爆投下と核戦争を関連させて語っているものが多いことは理解しましたが、これらは反核団体のプロパガンダ、ないしは政治的レトリックとでも呼ぶべきものでしょう。そもそも、核戦争の定義は「対立する国が核兵器を互いに撃ちあう戦争」であり、Wikipediaのカテゴリの機能が第一義的には分類であることを考えると、やはり日本への原爆投下を「核戦争」に関連があると言うことは違和感を感じます。
そもそも、核兵器を撃ちあう戦争という意味での「核戦争」は2011年現在まで起こっていませんし、日本は歴史上いつにおいても核兵器を開発・所持したことはありません。抵抗力をほとんど失った第二次世界大戦末期の日本の、しかも一般市民に対する原爆の使用を「核戦争」と呼ぶことは、アメリカの一方的な虐殺の犯罪性を薄めるものであると考えて批判しています。--JonathanSheffield(旧yghwtrrl) 2011年12月29日 (木) 15:36 (UTC)
世の中に原爆投下と核戦争を「関連させて語っているものがある」ことはお認めになったとのことで、一段階進んだのかなと思います。さて、その関連させている複数の出典が「プロパガンダ」「政治的レトリック」として否定するならば、それぞれ提出されている出典のすべてにおいて「プロパガンダ」「政治的レトリック」であると直接指摘する出典(証明)が必要でしょう。個人的な感覚で否定できるならば、何でもアリになってしまいますから。
またカテゴリは方針にあるように、「分類」だけでなく「関連が深いキーワード」を示すこともできるとされていますし、実際に「関連が深いキーワード」によるカテゴリ入れはアチコチにございますので、「核戦争」を除外する理由にはならないでしょう。
核戦争をカテゴリに入れることを「アメリカの一方的な虐殺の犯罪性を薄めるもの」というのはJonathanSheffield氏の独自見解であり、こんなイデオロギーに基づいた思い・理由でカテゴリに入れないとするならば、それこそ問題があります。--218.217.158.10 2011年12月29日 (木) 16:56 (UTC)
JonathanSheffield(旧yghwtrrl)さんは、私の挙げた出典はご覧になりましたか?私の発言を見落とされたかのようなコメントのように見受けられます。核戦争と原爆投下とを関連づけて論じている論考や調査は多数ありますよ。繰り返しになりますが、私は「原爆投下が核戦争である」なんて考えを持っておりません。まあ、私としては、もう、この件については、加筆によって、議論を進展させるほかない、と考えておりますが…。--西方 2011年12月30日 (金) 14:59 (UTC)
  • 218.217.158.10氏の発言に対し、極めて遺憾の意を表明いたします。氏の発言は、「原爆投下が核戦争であるか否か」と、「原爆投下が核戦争と関連があるか否か」が議論の中に混じっている事実を私に責任を押し付け、閉館中の図書館へ忍びこめとでも言っているようなものです。
  • さて、西方氏が本文に加筆する案が浮上しているようですね。どちらにしても、本文中に核戦争について言及すべきなのは、合意に至ったのではないでしょうか。ただ、この原爆投下の本当の目的は、日本への懲罰や、市民への殺戮だったということです。(出典:「原爆投下 「日本に懲罰」が目的 米の歴史学者が論文を発表」 1994年12月24日 産経新聞、「原爆投下、市民殺りくが目的」 1983年8月6日、朝日新聞)また、鳥居民氏が産経新聞の「正論」において、原爆投下のバックグラウンドについて論説した文章があるけれど、一つも核戦争について言及していません。(出典:【正論】評論家・鳥居民 継続すべき原爆投下の裏面史検証 2005年8月5日 産経新聞)また、同氏の別の論説では、次のように述べています。

    原爆の投下がなかったら戦争は続き、原爆の犠牲者以上の死者が出たであろうといった主張は、原爆の「公開」を日本の都市で行うよう命じた人物を救うためのお話である。 - 【正論】評論家・鳥居民 葬り去られた米国高官の対日宣言 2006年8月9日、産経新聞

    この出典元には、ルーズベルト政権が和平工作を行っていたことなどが書かれています。--八重垣なでしこ 2012年1月2日 (月) 15:30 (UTC)

関連項目について

カテゴリー関連で、関連項目に組み入れる議論が行われております。しかし、現状では、この関連項目において、どの項目にも説明がない現状にあります。こちらではその件について、吟味をお願いします。関連性を示せる項目や、新規に組み入れる際には、関連性の説明を横につけてください。2011年12月20日 14:21(UTC)時点での関連項目を‎この文章の下に転記しています。

  1. 核兵器
  2. 核実験
  3. 核実験の一覧
  4. 原子爆弾
    1. 広島市への原子爆弾投下
    2. 長崎市への原子爆弾投下
  5. マンハッタン計画の年表
  6. 被曝
  7. 被爆者
  8. 原爆傷害調査委員会(ABCC)
  9. 日本の原子爆弾開発
  10. 日本の降伏
  11. 日本の核武装論

--八重垣なでしこ 2011年12月25日 (日) 12:58 (UTC)

単に転記されて「吟味をお願いします」といわれていますが、誰に向けてのものでしょう?あなた自身が吟味したうえで、個別に問題提起をしないことには、議論のはじまりようもないですよ。なにをなされたいのか、実にわからないです。「核兵器」と「日本への原子爆弾投下」の「関連性」に問題があるのですか?あと、いま現在、議論は上記別節のごとく継続は継続しておるのだから、むやみやたらに議論を拡散しないでください。--西方 2011年12月26日 (月) 13:35 (UTC)

それから、「関連項目を付加する際には、関連性の説明をつけよ」と要求されておられますが、Wikipedia:方針とガイドラインのどこにそういう規定が記載されておりますか?--西方 2011年12月26日 (月) 14:49 (UTC)

関連項目にイチイチ説明を付けろというルールはありません。強引な提案はお止めいただきたい。--218.217.158.48 2011年12月26日 (月) 16:49 (UTC)

  • 誰が説明を全部つけろと言ったのですか。馬鹿を言わないでいただきたい。強引な提案だと、この議論を否定するのなら、かつての野球選手記事のように、無秩序な関連項目にすることを認めているようなものです。もちろん、無条件で載せるべき項目があるでしょうけれど、少なくとも複数の項目は、説明を付すべきである点には、変わりありません。まず、核兵器原子爆弾の両方を掲載することにおいて、その違いが必要でしょう。次に、核実験の一覧は、核実験ならまだしも、その一覧を載せる意味がわかりません。核実験については、先の議論で異論が出ていた経緯から、説明が必要だと思います。あと、日本の原子爆弾開発日本の降伏日本の核武装論については、この記事との関連性の説明がなければ、除去が妥当だと思います。これとは別に、順番も検討した方がいいと思います。--八重垣なでしこ 2011年12月27日 (火) 14:34 (UTC)
あなたの当初での問題提起の仕方だと、「全部説明をつけろ」と解釈するしかないです。説明が不十分であったにも関わらず、そのように「誤解」した相手に対して、「馬鹿」とはなんですか!謝罪を要求します。
  • 核兵器原子爆弾について、あなたのいう「違い」とは、閲覧者のための説明ですか?だとすれば、それは、あなたが加筆すればよいだけの話です。
  • 核実験についても、上の節で出典をあげてますので、存続。ただし、たしかに、「一覧」については、削除してよいと私も思います。
  • 日本の原子爆弾開発は、戦中の同時期に、日本も原爆開発を行っていたことは、マンハッタン計画や各国での開発と比較対照するうえで必要です。
  • 日本の降伏については、本文にも記載あるように、存続させるべきでしょう。
  • 日本の核武装論については、私はよくわかりません。
  • 「順番」ですが、これも、あなたが編集なさればよいのではないですか?そのうえで、その順番に問題があれば、また議論すればよいのです。(私の「感覚」からいいますと、「整理」はあればいいかと思いますが、関連項目が100あるのならまだしも、たったこれっぽっちの項目数での「順番」を厳格化するとは、私にはその重要性がわかりません)。--西方 2011年12月27日 (火) 17:36 (UTC)
この件については、私はすでに見解を述べましたので、それで合意されたのならば、いいと思いますよ。--西方 2011年12月30日 (金) 14:50 (UTC)