ステファン・ペテランセル

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ステファン・ペテランセル

ステファン・ペテランセル(フランス語Stephane Peterhansel1965年4月6日 - )は、フランス人モーターサイクルライダー・ラリードライバーである。一部ではステファン・ピーターハンセルとの記述も見受けられる。

ダカール・ラリー(パリダカ)において、二輪部門で6度(史上最多、すべてヤマハ)、四輪部門で5度(史上最多、三菱で3度、MINIで2度)の総合優勝を果たしており、ユベール・オリオール(のちのTSO=パリダカ主催者代表)とともに、両部門で総合優勝を成し遂げた人物である。

人物[編集]

幼少期[編集]

フランス東部のヴズールvesoul郊外にて生まれる。父親は配管工、母親はカーディーラーの秘書であった。やがて父母の元から離されて同じヴズールの祖父母の元で育つ。そのころ、父親は小さなラリーやトライアルに関わっていた。

1973年、8歳のとき、父親は彼にモーターサイクルを与えた。森、丘、原野、河原など、ヴズールのあらゆる場所が遊び場であり、トレーニング場であった。

スケートボードのチャンピオン[編集]

1975年、12歳になるころにはコンペティションでよりよい成績を残すことの魅力にすっかりはまっていた。ペテランセルの情熱の向いた先はスケートボードであり、毎日、学校が終わると仲間と数人でトレーニングを重ねた。

1976年、13歳のとき、スケートボードのフリーフィギュアとスラロームのコンペに出場しはじめた。翌年にはフランスでの両種目のほか、ダウンとコンビネーションのチャンピオンに輝いた。フランスのチームに所属し、欧州での選手権に参加した。

プロのバイクライダーとして[編集]

1978年、15歳になるとスケートボードをやめ、父親の金銭的援助に報いるためにモーターサイクル競技に打ち込むことにした。彼は年齢が参加資格に満たなかったために父親名義で参加した初めてのレースで優勝してしまう。そのとき、ペテランセルは自分にはレースにおける天賦の才能があると確信した。

1980年、17歳のとき、あまり才能を発揮できない学校を辞めた。そのころにはプロのライダーになりたいと思っていた。父親は彼をサポートすることに決め、父親の配管会社と統合した。

翌年18歳になり、晴れて正式に競技への参加資格を得た。父親の協力もあり、1981年のフランスエンデューロ選手権でチャンピオンとなった。同時にハスクバーナと初のプロとしての契約を結んだ。そして、彼は祖父母の元を離れ、婚約者であるコリンとヴズールに住み始めた。

1987年、21歳のとき、彼は彼のアイドルかつチームメイトであったユベール・オリオールとシリル・ヌブーの元を去り、あこがれのアンドレ・マラーベモトクロス世界選手権500ccクラスで3度チャンピオンを獲得したベルギー人)とともにヤマハからパリダカに参戦することになった。

ラリーライダーとして[編集]

ヤマハ・XTZ850R(1995年のダカール・ラリーで優勝した時のマシン)

1987年9月、ヤマハはペテランセルと契約。ペテランセルは、ヤマハのフランス現地法人、ヤマハモーターフランスの社長、ジャン=クロード・オリビエをして「秘蔵っ子」と言わしめた存在であった。オリビエは、パリダカ黎明期に、マシンを開発しながらライディングし、1985年には2位を獲得している人物である。

初めてのパリダカ参戦となる1988年大会では総合18位に終わる。チームメイトのマラーベは、3日目にクラッシュして四肢麻痺となる重傷を負ってしまうが、ペテランセルはパリダカの魅力にとりつかれてしまう。同年、コリンと結婚し、またインターナショナル・シックスデイズ・エンデューロ(ISDE)でも優勝した。

翌1989年、2回目のパリダカでは総合4位。

1991年は、25歳の彼にとって記念すべき年となった。初めてパリダカで二輪部門の総合優勝を果たし、それまでホンダが勝ち続けてきたメーカータイトルをヤマハにもたらしたのである。以後、1992年、1993年、1995年、1997年、1998年と合計6度の優勝を飾る。後年、ワークスチームは実質的にヤマハとKTMの一騎打ちの様相であったが、一人ペテランセルだけが総合トップを走り続けて総合1位を獲得、総合2位以下はすべてKTMライダーというような状況であった。優勝していない1994年はヤマハチームが不参加だった年、1996年はラリー中に誤って軽油を給油され大幅に順位を落としたことに抗議し、レースをボイコットした年である。

1998年、6度目の優勝を飾り、ヌブーの持つパリダカ優勝回数記録を塗り替える。しかし、レース中に手首にひどい傷みが生じ、それが彼を苦しめ、精神的にもダメージを被る。それが元で、以後のパリダカへは、バイクに比べれば肉体的負担の少ない四輪で出場することになる。

2008年現在の記録で、パリダカにおける二輪のスペシャルステージ優勝回数はペテランセルが33回で最多であり、2位以下の上位選手はすでにラリーライダーとしての活躍はしておらず、破りづらい記録を打ち立てている。また、メーカー別優勝回数はヤマハが9回で1位である。ヤマハがワークス参戦をやめた今、いずれ破られる記録ではあるが、そのうち6回がペテランセルの功績であることは特筆すべきであろう。

四輪でのラリー[編集]

三菱・パジェロ(2007年のダカール・ラリーで優勝した時のマシン)

ペテランセルは、バイクでのレースを続けながらも、時折アイスレース等のクルマでのレースにも参加していた。その下地もあり、1999年から四輪でパリダカに出場。マシンはニッサン(ただし当時の日産はパリダカでのワークス活動は行っていなかったので、フランスの日産系ディーラーチームからの出場だった)。22回ものパンク記録を樹立しながらも総合7位を記録。翌年は2位。とはいえ、完全に四輪に転向したわけではなく、バイクでラリーやエンデューロ世界選手権への参戦し、出れば優勝という存在感を示していた。

2002年夏に三菱のワークス・チームであるラリーアートに加入し、2004年には初の四輪でのパリダカ優勝。続く2005年と、1年おいて2007年も優勝。現役ドライバーの中では二輪と四輪で総合優勝した唯一の人物となっている。当時三菱陣営では増岡浩リュック・アルファンと並ぶエース格のドライバーであった。しかし三菱が2009年限りでダカール・ラリーのワークス参戦を取りやめたため、2010年以降ペテランセルはBMWに移籍してダカール・ラリーに参戦。最大のライバルであるフォルクスワーゲン2011年限りでダカールから撤退したことから、2012年は事実上MINI勢同士の争いとなったが、その争いを制し5年振りに総合優勝を飾った。

現在、ペテランセルはガールフレンドであるアンドレア・マイヤーとスイスのモンターニャに住んでいる。マイヤーは、かつては二輪のワークスライダーで、現在は四輪でラリーに出場している女性ライダー/ドライバーである。

レース戦績[編集]

  • 1988
    • パリダカ18位(二輪・ヤマハ)
    • インターナショナル・シックスデイズ・エンデューロ 総合優勝 2ストローク500クラス優勝(二輪・ヤマハ)
  • 1989
    • パリダカ4位(二輪・ヤマハ)
    • インターナショナル・シックスデイズ・エンデューロ 総合優勝 2ストローク500クラス優勝(二輪・ヤマハ)
  • 1990
    • チュニジアラリー優勝(二輪・ヤマハ)
    • アトラスラリー優勝(二輪・ヤマハ)
  • 1991
    • パリダカ優勝(二輪・ヤマハ、初)
    • インターナショナル・シックスデイズ・エンデューロ 総合優勝 2ストローク250クラス優勝(二輪・ヤマハ)
  • 1992
    • パリダカ優勝(二輪・ヤマハ、2回目)
    • パリ・ペキン優勝(二輪・ヤマハ)
  • 1993
    • パリダカ優勝(二輪・ヤマハ、3回目)
  • 1994
    • (パリダカ不参加)
    • チュニジアラリー優勝(二輪・ヤマハ、2回目)
    • インターナショナル・シックスデイズ・エンデューロ 総合優勝 2ストローク250クラス優勝(二輪・ヤマハ)
  • 1995
    • パリダカ優勝(二輪・ヤマハ、4回目)
    • インターナショナル・シックスデイズ・エンデューロ 総合優勝 2ストローク250クラス優勝(二輪・ヤマハ)
  • 1996
    • パリダカリタイヤ(二輪・ヤマハ)
    • UAEデザートチャレンジ優勝(二輪・ヤマハ、初)
  • 1997
    • パリダカ優勝(二輪・ヤマハ、5回目)
    • エンデューロ世界選手権 2ストローク250チャンピオン(二輪・ヤマハ、初)
    • UAEデザートチャレンジ4位(二輪・ヤマハ、初)
  • 1998
    • パリダカ優勝(二輪・ヤマハ、6回目)
    • シャモニー24時間レース優勝(四輪)
  • 1999
    • パリダカ7位(四輪・ニッサン)
  • 2000
    • パリダカ2位(四輪・メガ)
  • 2001
    • パリダカ総合12位、T1クラス優勝(四輪・ニッサン)
    • エンデューロ世界選手権優勝(二輪・ヤマハ、2回目。4スト250cc)
  • 2002
    • チュニジアラリー優勝(四輪・三菱)

 *UAEデザートチャレンジ優勝(四輪・三菱)

  • 2003
    • パリダカ3位(四輪・三菱)
    • バハイタリア2位(四輪・三菱)
    • UAEデザートチャレンジ優勝(四輪・三菱、2回目)
  • 2004
    • パリダカ優勝(四輪・三菱、初)
    • チュニジアラリー優勝(四輪・三菱、2回目)
    • モロッコラリー優勝(四輪・三菱)
    • UAEデザートチャレンジ8位(四輪・三菱)
  • 2005
    • パリダカ優勝(四輪・三菱、2回目)
    • パタゴニア=アタカマラリー2位(四輪・三菱)
    • モロッコラリーリタイヤ(四輪・三菱)
    • UAEデザートチャレンジ優勝(四輪・三菱、3回目)
  • 2006
    • パリダカ4位(四輪・三菱)
    • チュニジアラリー優勝(四輪・三菱、3回目)
    • UAEデザートチャレンジ2位(四輪・三菱)
  • 2007
    • パリダカ優勝(四輪・三菱、3回目)
  • 2008
    • パリダカは開催中止
  • 2012
    • パリダカ優勝(四輪・MINI、4回目)
  • 2013
    • パリダカ優勝(四輪・MINI、5回目)

関連項目[編集]