ジョン・フルシアンテ

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ジョン・フルシアンテ
基本情報
出生名 ジョン・フルシアンテ
John Frusciante
出生 1970年3月5日(39歳)
アメリカ合衆国ニューヨーク州ニューヨーク市クイーンズ
ジャンル オルタナティブ
インディ・ロック
イスパラメント・ロック
エレクトロニカ
活動期間 1988 – 現在
レーベル ワーナー・ミュージック
Record Collection
バードマン・レコーズ
アメリカ・レコーディング
共同作業者 レッド・ホット・チリ・ペッパーズ
アタクシア
マーズ・ヴォルタ
公式サイト www.johnfrusciante.com
著名使用楽器
フェンダー・ストラトキャスター
グレッチ・ホワイト・ファルコン
  

ジョン・フルシアンテJohn Frusciante 1970年3月5日-)はカリフォルニア州のバンド、レッド・ホット・チリ・ペッパーズアタクシアギタリストボーカリスト。ソロアーティストとしても活動しており、現在のところ自身名義のソロアルバムを10枚発表。フリーマーズ・ヴォルタフガジのメンバー他、様々な友人ミュージシャン達と、音源を残さない急造バンドを作って活動することも多い。(唯一ジョシュ・クリングホッファーらと組んだアタクシアのみ、ソロの一環として作品を残している)

ローリング・ストーン誌の2003年8月号のカバーストーリー、「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のギタリスト」に於いて当時33歳ながらも第18位。上位陣50人の中ではジャック・ホワイトに次ぐ若さでランクインしている。2007年11月号の企画、「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も過小評価されている25人のギタリスト」において第16位。

目次

[編集] 概説

若干18歳にして、レッド・ホット・チリ・ペッパーズのメンバーとなる(実質的に、レッド・ホット・チリ・ペッパーズがジョンにとって、生涯初のバンド活動)。その後、一時的にバンドを脱退(1999年復帰)。2004年6月から2005年2月までのソロ・アルバム6作品の連続リリースや、復帰後のアルバムでのギターワークにより、世界的な音楽雑誌では「三大ギタリストに匹敵する」と評価され、「白いジミ・ヘン(白人のジミ・ヘンドリックス)」と、称されるようになった。ローリング・ストーン誌の2007年2月号(7日発売)では、ジョン・メイヤーデレク・トラックスと共に「現代の三大ギタリスト」(The New Guitar Gods)に選出された。

薬物中毒から復帰後の独特のギターサウンドは「枯れたギター」と表現される。

[編集] 人物

非常にアーティスト気質の持ち主で、興味の無い話題にはそっけない応答だが、ギターや音楽、芸術関係の話題になると、饒舌になることで有名。インタビューは基本的に「事前に概要を知らされて」「それでいて納得のいくもの」しか受けたがらないが、一度喋り始めると、インタビュアーの出す話題を遮ってまで話を続けることも多々ある(SPIN誌付)。アルバムのエディターレヴューにあるように、長髪を次の日には丸坊主にしたりと、突発的な行動が目立つ。絵を描いているなど、芸術全般にも関心があり、これは初代ギタリストのヒレル・スロヴァクとの共通点である。

フリーは「ジョンの音楽への意欲は尽きることが無い」とベスト盤のメンバーズレヴューで賞賛しており、同アルバムのレビューで、CDを買うお金の無い小さい頃はラジオで流れる曲をテープで録音して聞いていたことも書かれている。薬物中毒から復帰した現在では「若い頃、髪型や服装、女の尻に気を使う暇があったらもっと違う創造的なことを注視するべきだった。悉く時間を無駄にしていた。」(クロスビート誌)などの発言も残している。数え切れないほどのCD、無数のLP盤を所持しているだけでなく、自宅にはレコーディング機器もあり、ソロ作品はその機器で録音された。「1年間にソロアルバム6作品リリース」など、異常ともとれるその創造性は、他のミュージシャンと一線を画す。バイセクシャルと採れる発言もいくつか残しているが、真意は定かではない。

[編集] 他のアーティストとの交友

バンド・メンバーのフリーとは特に仲が良い。チリ・ペッパーズの活動以外にも、即席バンドでの活動やソロアルバムに参加したりなどもしており、双方の音楽活動において切っても切れない関係を構築している。薬物中毒期に何度もジョンの自宅を訪問し、バンドへの復帰をアンソニー・キーディスに打診したのも、フリーである。ちなみに、バンドへの加入当初は、アンソニーとほぼ毎日行動を共にし、毎日電話を掛け合うなど、とても仲が良かった。それが原因で、ジョンは当時の彼女と別れている。

2002年以降は、バイシクル・シーフジョシュ・クリングホッファーと共に音楽制作を行うことが多く、ジョシュは、2006年以降のチリ・ペッパーズのツアーにおいて、サポートとしても同行している。またマーズ・ヴォルタフガジとも交友は深く、その人脈から、USインディーレーベル・アンダーグラウンドのアーティストと共に活動をすることもある。

その他、ビョークウータン・クラン(作品にジョンが友情出演)、レディオヘッドトム・ヨーク(ジョンは、ソロライブでレディオヘッドの楽曲をカヴァー、トムもイン・レインボウズの楽曲においてジョンからのインスパイアを認める)、元ナイン・インチ・ネイルズチャーリー・クロウザー(ジョンのソロに参加)など、ジョンと交友のある著名なアーティストは数多い。

[編集] プレイスタイル

レッチリ加入初期

少年期から、練習の虫となって高度な技巧を身につけていたこともあり、(その技術は、弱冠15歳でフランク・ザッパのメンバーオーディションの最終選考に残るほどだった)レッチリ加入初期は、メタルばりのテクニカルプレイを得意としていた。元々、前任ギタリストのヒレル・スロヴァクの代役的な立ち位置だったジョンは、そのコピーとしてのプレイを要求されていたため、テクニック的には高度でも、初期はそれほどオリジナリティあるプレイは見せていない。当時のメインギターは、常時アームを取り付けたサンバーストストラトキャスターだが、これは、ドラッグ中毒に陥っていた時期に、生活費とドラッグのために売り払ってしまっている。

ブラッド・シュガー・セックス・マジック

ヒレルのコピーとしての立ち位置から脱却し、ハードコアパンクから泥臭いファンクカントリーなど、豊富な音楽的バックグラウンドを背景に幅広いプレイを指向。特に、ジミ・ヘンドリックスからの影響が色濃く、サイケデリックコードを多用した楽曲やソロが多く見られる。エフェクター類は、基本的に歪み系とワウをメインにした、シンプルなシステムだった(「ビンテージのストラトキャスターをアンプに繋ぐだけで、色とりどりの世界を構築できるのに。」「テクノロジーなどはくだらない」などと言った発言を、当時のRolling Stone誌他のインタビューに残している)。これは、近年のテクノロジー指向のジョンのスタイルとは正反対であり、「限られたテクニックの中でも、シンセサイザーを応用したり誰も考えつかないようなサウンドを出すギタリストのほうが好きになった」など、近年は様々な媒体で、そのマインドの変化を語っている。

カリフォルニケイション

ドラッグ中毒に陥り、2年以上ギターを弾いていなかったブランクからか、以前のようなテクニカルなプレイは鳴りを潜める。代わりに、クリーム時代のエリック・クラプトンなど、いわゆる泣き系のクラシックなロックギタリストの影響が色濃いながらも、独特の演奏を聴かせるようになった。また、Rolling Stone誌などでは、その独特のサウンドは「枯れたギター」と表現された。

現在(バイ・ザ・ウェイ以降)

近年では、エフェクティブなサウンドも駆使し、さらにプレイに幅が出た(バイ・ザ・ウェイツアー以降、エフェクターボードのエフェクターの数は3倍以上に膨れあがっている。これは、モーグ・シンセサイザー社製のギター用シンセエフェクターの導入が大きい)。復帰以降のチリ・ペッパーズの作品でも、その影響は顕著だが、それら実験的ギターサウンドの多くは、ソロ・アルバムの楽曲で用いられる事が多い。テクニック的にも、以前のような技巧プレイの復活が見られる。ジョンのギターソロが『ステイディアム・アーケイディアム』のほぼ全ての楽曲に織り込まれているが、「現代の三大ギタリスト」(The New Guitar Gods)としてRolling Stone誌に選出された際、「ダニー・カリフォルニア - Dani California」と「メイク・ユー・フィール・ベター - Make You Feel Better」のソロは譜面に起こしてレコーディングに臨んだが、他の曲のソロはアドリブであることを明かした。

[編集] 略歴

2006年

フルシアンテは、ニューヨーククイーンズ生まれだが、12歳の頃に、カリフォルニア州に引っ越している。彼の父・ジョンSr.、母・ゲイル共は、ミュージシャンであった(ゲイルは、レッド・ホット・チリ・ペッパーズの曲“アンダー・ザ・ブリッジ”で、その声を披露している)。

フルシアンテは、15歳でレッド・ホット・チリ・ペッパーズのライブに魅了され、ギターベース・歌詞をすべて暗記するほどのめり込んでいった。レッチリのオリジナル・メンバーのギタリスト、ヒレル・スロヴァクの死後、代役ギタリストも早々にバンドを去り、89年12月に、フルシアンテが加入する。加入後参加作品は、『母乳』、『ブラッド・シュガー・セックス・マジック』、『ホワッツ・ヒッツ!?』(キャピトル時代のベストアルバム)。1992年の来日公演中の脱退、一時期ドラッグ中毒に陥っていたが、1999年の再加入を経て『カリフォルニケイション』、『バイ・ザ・ウェイ』、『グレイティスト・ヒッツ』(ワーナー音源のベストアルバム)、『ライブ・イン・ハイド・パーク』(2004年6月19・20・25日にロンドンにあるハイド・パークで行われたライブの音源化)、『ステイディアム・アーケイディアム』で演奏している。

[編集] 使用するギター

使用しているエレクトリックギターは、フェンダー・ストラトキャスターテレキャスターフェンダー・ジャガーグレッチ"ホワイトファルコン"、レスポール等。基本的にはフェンダー系のギターをメインにしているが、曲によっては様々なギターを使う。メインピックアップはフロント。ステッカーなどの装飾はほとんどしない。チリ・ペッパーズ脱退以前は太ももの位置までかなりストラップを下げて弾いていたが、復帰後から現在はヘソの位置にギターを構えるようになった(それでもやや低め)。

[編集] ソロ活動

[編集] 作品一覧

チリ・ペッパーズ脱退直前~脱退期

  • 「Niandra LaDes and Usually Just A T-shirt」(1994年)
  • 「Smile From The Streets You Hold」(1997年)

チリ・ペッパーズ復帰後

  • 「To Record Only Water For Ten Days」(2001年)
  • 「Shadows Collide With People」(2004年3月)

2004~2005年のソロ六連作(すべてインディーレーベルからのリリース)

  • 「The Will To Death」(2004年6月)
  • 「Automatic Writing」(2004年8月)
  • 「Dc Ep」(2004年9月)
  • 「In Side Of Emptiness」(2004年10月)
  • 「A Sphere In The Heart Of Silence」(2004年11月)
  • 「Curtains」(2005年2月)

それ以降

  • 「The Empyrean」(2009年1月)

ジョンのソロ活動は脱退後の1994年に発表された「Niandra〜」が始めとなる。ただし、そのレコーディング自体はレッチリ在籍の最後の一年になされている。このアルバムは、「Niandra LaDes」と「Usually Just A T-shirt」を1つにまとめたものである。4トラックのレコーダーで録音されているためアナログな雰囲気。かき鳴らされるアコースティックギター、金切り声・大絶叫・絞り出すような声のボーカルは凄まじく、狂気すら感じられる。しかし、音楽的に劣っているというわけではなく、魅力的なメロディーがしっかりあり、脱退前・再加入後のライブで演奏される(た)こともある。

次作「Smile〜」は前作のアウトテイクを基礎として製作される。このアルバムについて以前までフルシアンテは「ドラッグを買う金がほしくて作った」や、「発表したことを後悔している」などとコメントしている。これらの作品は、フルシアンテがヘロインにのめり込んでいた、いわゆる暗黒時代のものである。

「To Record〜」は、バンド復帰後のアルバム。作風は前作とは打って変わり、メロディーは温かみを感じさせ、歌詞の内容は自分の生について真摯に見つめたもので、「ジョン・フルシアンテの復活」を強く感じさせる。ここまでの三作品のほとんどの曲のリズムは、リズムマシーンでの打ち込みに頼っている。

「Shadows〜」はソロ初のスタジオ録音されたアルバム。今までは宅録的にリズムマシーンなどを使い、フルシアンテ一人でレコーディングされていたが、今作では、チャド・スミスフリーチャーリー・クロウザー(元ナイン・インチ・ネイルズ)、オマー・ロドリゲス(マーズ・ヴォルタ)と様々なアーティストが参加。チリ・ペッパーズと比べても遜色のない現代的なマスタリングで録音され、曲数も豊富な作品。

2004年にフルシアンテの創作意欲は爆発する。同年5月、「1年間に6作品リリース」を発表。その皮切りが6月の「The Will〜」である。前作「Shadows~」と同じくバンドサウンドで録音され美しいメロディーが印象的だが、よりシンプルで研ぎ澄まされた作品となった。

8月には「Automatic〜」をリリース。これはソロではなく新バンドアタクシアの名義で発表され、ジョー・ラリー(フガジのベーシスト)とジョシュ・クリングホッファー(バイシクル・シーフ)とのセッション作品。ジョンの関わった作品の中でも特に前衛性の強いオルタナティブな作風に仕上がった。ジョンはこの作品に関してパブリック・イメージ・リミテッドなどからの影響を公言している。ちなみにアタクシアは2007年に第二弾作品を少数プレスながらリリースしている。

9月に「Dc Ep」をリリース。イアン・マッケイ(フガジ)のプロデュース、ジェリー・プレッシャー(フガジ)がドラムを担当。フルシアンテはフガジを大好きなバンドと公言していて、ジェリーを「世界で一番好きなドラマーの一人」に挙げている。意図的にUSアンダーグラウンドのような雰囲気を狙った、良い意味でチープな録音環境で作られたアルバム。

10月には「Inside〜」をリリース。フルシアンテはこの時点でこのアルバムを「一番気に入っているアルバム」としている。ドラムはジョシュ・クリングホッファーが務める。50~60年代のガレージ・ロックにチャレンジした作品で、これもマスタリング・録音環境はインディー的でチープ。

11月には「A Sphere〜」をリリース。今回はジョシュ・クリングホッファーとの共作名義であり、ジョシュはボーカルもしている。エレクトロニカテクノの影響が見られる、ソロの中では異色のアルバム。

翌2005年2月、6連続リリース最後のアルバム「Curtains」がリリースされた。8トラックのレコーダーを使い、フルシアンテの自宅で録音。アコースティックギターの美しい旋律で構成されたアルバムで、ソロ作の中でも一際メロディーが立った作風となった。

2009年1月、「The Empyrean」をリリース。フリー、ジョシュといったおなじみの友人の他、元ザ・スミスで現ザ・クリブスジョニー・マーも制作に参加。今回は楽曲にストーリー性を持たせている。エレクトロニクスを中心に、ギター以外の楽器も多用している音響的な作品。ティム・バックリィのカバーも収録。

[編集] 参加作品

  • 「Shaky Ground」Fishbone
  • 「Anytime At All」Banyan
  • 「Rev」Perry Farrell
  • 「De-Loused in the Comatorium」The Mars Volta
  • 「Frances The Mute」The Mars Volta
  • 「Amputechture」The Mars Volta
  • 「The ID」メイシー・グレイ
  • 「プロウバック」トリッキー
  • 「ブラウンバニー」ブラウンバニーサウンドトラック
  • 「8 DIAGRAMS」ウータン・クラン

[編集] 参照

[編集] 関連項目