カル・エイブラムス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
カル・エイブラムス
Cal Abrams
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 ペンシルベニア州フィラデルフィア
生年月日 1924年3月2日
没年月日 1997年2月25日(満72歳没)
身長
体重
6' 0" =約182.9 cm
185 lb =約83.9 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 外野手
初出場 1949年4月20日
最終出場 1956年5月9日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)


カル・エイブラムスCal Abrams, 1924年3月2日 - 1997年2月25日)は、メジャーリーグベースボールの左投左打の外野手アメリカ合衆国ペンシルベニア州出身。

1942年のシーズン開幕前にブルックリン・ドジャース(現ロサンゼルス・ドジャース)に入団し、1949年にメジャーデビューを果たす。1年目と2年目は冴えない数字に終わったが、3年目の1951年には67試合の出場で打率.280を残すなど徐々に結果を残し始める。翌1952年はドジャースでは出番があまりなかったため、シーズン途中にトレードでシンシナティ・レッズへ移籍。レッズでは71試合に出場し、ドジャースで試合に出られなかった分を取り戻した。

その後、シーズンオフにトレードでピッツバーグ・パイレーツへ移籍。パイレーツでは打撃に更に磨きがかかり、外野のレギュラーを奪取。規定打席もクリアし、当時24歳の若き主砲フランク・トーマスに次ぐ15本塁打も記録した。1954年は開幕から調子が上がらず控えに甘んじるが、シーズン途中にボルティモア・オリオールズへ移籍すると復活し、アメリカンリーグの規定打席をクリアして打率.293を残した。

しかし翌1955年に打率が.243まで急落すると、その後は復活出来ず、1955年のシーズンオフにはトレードでシカゴ・ホワイトソックスへ移籍したが、4試合の出場に終わり、この年限りで現役を引退した。

1997年にフロリダ州で心臓病のため死亡。エイブラムスの遺体はブルックリン・ドジャースのユニフォームを身にまとって埋葬された。

選手としての特徴[編集]

  • 選球眼の良い選手で、四球を選ぶことが多かったため、出塁率はかなりの高水準となっている。通算.386という数値は、単純に比較は出来ないものの、イチローデビッド・オルティーズミゲル・テハダ(3人とも2009年シーズン終了時点)といった強打者よりも高い数字である。
  • 通算で盗塁数12に対して、盗塁失敗が18もあるように、足は決して速くなかった。

年度別打撃成績[編集]















































O
P
S
1949 BRO 8 24 6 2 1 0 0 0 1 - 7 6 .083 .290 .125 3 0 - - 0 1 .415
1950 38 44 5 9 1 0 0 4 0 - 9 13 .205 .340 .227 10 1 - - 0 0 .567
1951 67 150 27 42 8 0 3 19 3 2 36 26 .280 .419 .393 59 0 - - 0 5 .812
1952 ※1 81 168 24 46 9 2 2 13 1 0 21 29 .274 .354 .387 65 0 - - 0 1 .741
1953 PIT 119 448 66 128 10 6 15 43 4 4 58 70 .286 .368 .435 195 6 - - 0 2 .803
1954 ※2 132 465 73 130 23 8 6 27 1 4 82 76 .280 .391 .402 187 6 1 - 4 7 .793
1955 BAL 118 309 56 75 12 3 6 32 2 8 89 69 .243 .413 .359 111 3 3 2 3 6 .772
1956 CWS 4 3 0 1 0 0 0 0 0 0 2 1 .333 .600 .333 1 0 0 0 0 0 .933
通算成績 567 1611 257 433 64 19 32 138 12 18 304 290 .269 .386 .392 631 16 4 2 7 22 .778
  • ※1=ブルックリン・ドジャース→シンシナティ・レッズ
  • ※2=ピッツバーグ・パイレーツ→ボルティモア・オリオールズ

外部リンク[編集]