アン・ペリー

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アン・ペリー(Anne Perry、1938年10月28日 - )は、イギリスの女性の小説家。本格的な歴史ミステリー小説で知られている。映画『乙女の祈り』のモデルとなった実在の殺人事件の犯人。

経歴[編集]

1938年ロンドンで高名な天文学者で、リヴァプール大学教授、王立グリニッジ天文台副所長、海軍作戦分析官、空軍科学顧問官などの要職を歴任したヘンリー・レインズフォード・ヒューム博士(1908年8月9日 - 1991年1月8日)の娘として生まれた。1948年、父ヘンリーがクライストチャーチカンタベリー大学学長に就任したのを機に、一家揃ってニュージーランドへ移住。少女時代の名は、ジュリエット・マリオン・ヒューム。1954年、親友ポーリーン・イヴォンヌ・パーカーと殺人事件を引き起こす。事件後、すぐに逮捕されたが数年で仮釈放されてイギリスに帰国し、転職を繰り返した後、歴史小説を執筆しはじめる。しかし、認めてもらえず推理小説に転身し数々の賞を受賞する。二つの人気ミステリーシリーズによってイギリス、アメリカで300万部以上売れたベストセラー作家になった。

殺人事件[編集]

ニュージーランドのクライストチャーチに住むポーリーン・パーカー(15歳)とジュリエット・ヒューム(16歳)はともに創作を志す親友同士であり、二人で創作したファンタジー小説の世界で空想に耽り、性的な関係を持つまでに至った。このことを知った二人の両親は恐慌を来たし、特に、名門大学の学長として世間体にこだわるヘンリー・ヒュームは二人を引き離すため、ジュリエットを南アフリカへ移住させるという強硬な手段に訴えようとした。ポーリーンの母がこの計画の急先鋒だと勝手に思い込んだふたりは、それを防ぐために殺人を計画。1954年にポーリーンの母を二人してレンガで撲殺した。事故死に偽装しようとしたものの、事故死というには不自然すぎる状況や、素人目にも明らかな稚拙な偽装工作から警察は二人を追及したところ、犯行を自供したため逮捕された。後に発見された日記には、二人が浸っていた空想の物語のほかに、母親の殺害計画がつづられており、裁判で検察側の有力な証拠となった。二人には無期懲役の判決がでたが、二度と二人で会わないことを条件に、5年後に仮釈放された。ジュリエットは女子少年院で外国語を習ったり、編み物や小説執筆したりしてすごし、ポーリーンは高校卒業資格をはじめ各種の資格取得や職業訓練に積極的に取り組んだ。ポーリーンはニュージーランドに留まり書店に勤めていたが、のちイギリスに移住し南東部で子供向けの乗馬学校を開いていた。なお現在はスコットランドの離島でひっそりと余生を送っている。ジュリエットはイギリスに帰り、客室乗務員など複数の仕事を経て人気作家になった。

その後[編集]

ニュージーランドでは有名な事件であり、1994年には映画監督ピーター・ジャクソンによって映画『乙女の祈り』が製作されて話題を集めた。そのことがきっかけで人気女流作家アン・ペリーがジュリエットであることが明るみに出た。スコットランドの漁村に老いた母親とともに暮らす彼女は、あるインタビューで、「隠すことが何もなくなってしまったので、これからはありのままの自分で生きていけます」と語っている。

著書[編集]

邦訳長編
  • 『十六歳の闇』 Bluegate Fields (1984) 富永和子(訳)集英社文庫  2004年1月
  • 『見知らぬ顔』 The Face of a Stranger (1990) 吉澤康子(訳) 創元推理文庫 1995年9月29日
  • 『災いの黒衣』 A Dangerous Mourning (1991) 吉澤康子(訳) 創元推理文庫 1999年10月22日
  • 『娼婦殺し』 Pentecost Alley (1996) 浅羽莢子(訳) 集英社文庫 1999年8月25日
  • 『フランス革命夜話』 A Dish Taken Cold (2001) 大倉貴子(訳) ヴィレッジブックス 2002年8月

受賞[編集]

映画[編集]

外部リンク[編集]