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'''ウィグナーの友人'''(ウィグナーのゆうじん、{{lang-en-short|Wigner's friend}})は、[[量子力学]]の[[思考実験]]であり、1961年に物理学者の[[ユージン・ウィグナー]]によって発表された。[[シュレーディンガーの猫]]を人間にまで拡張した思考実験であり、「観測者が観測される」状況を扱う。


== 背景:量子力学における測定 ==
'''ウィグナーの友人'''(ウィグナーのゆうじん、{{lang-en-short|Wigner's friend}})とは、[[量子力学]]の観測問題に関する思考実験「[[シュレーディンガーの猫]]」の[[ユージン・ウィグナー|ユージン・ポール・ウィグナー]]による拡張版である。この例は、量子力学の理想的または主観的な解釈、またはそのようなものに関するその後の推測を示している。オリジナルの「ウィグナーの友人」の思考実験では、[[量子デコヒーレンス|デコヒーレンス]]効果が考慮されていない。そのため、ウィグナーの主張は1970年代に放棄され、ウィグナーの形式そのままのものは、今日の科学的および哲学的言説では時代遅れと見なされている<ref name="Schlosshauer2007">''„In fact, Wigner later abandoned his views on the special role of consciousness in quantum measurement once he became aware of Zeh's paper of 1970.“'' Zitat aus M. Schlosshauer: ''Decoherence and the Quantum-to-Classical Transition.'' Springer, 2007, ISBN 978-3-540-35773-5, S. 365.</ref><ref name="Freire">''Today, Wigner's conjecture about the role of the mind in the quantum measurement process is no longer part of physics, but rather part of the history of physics.'' aus: O. Freire: ''Orthodoxy and Heterodoxy in the Research on the Foundations of Quantum Physics: E. P. Wigner's Case.'' In: B. de Sousa Santos (Hrsg.): ''Cognitive justice in a global world: prudent knowledges for a decent life.'' Lexington Books, 2007, S. 221. {{arXiv|physics/0602028}}</ref>。ただし、さらに発展させたバージョンの思考実験も公表されている<ref>{{Cite journal|last1=Proietti|first1=Massimiliano|last2=Pickston|first2=Alexander|last3=Graffitti|first3=Francesco|last4=Barrow|first4=Peter|last5=Kundys|first5=Dmytro|last6=Branciard|first6=Cyril|last7=Ringbauer|first7=Martin|last8=Fedrizzi|first8=Alessandro|date=2019-09-20|title=Experimental test of local observer independence|journal=Science Advances|language=en|volume=5|issue=9|pages=eaaw9832|arxiv=1902.05080|bibcode=2019SciA....5.9832P|doi=10.1126/sciadv.aaw9832|issn=2375-2548|pmc=6754223|pmid=31555731}}</ref><ref name="NAT-20200817"/>。
量子力学の標準理論によると、測定対象とする[[系 (自然科学)|系]]の状態は、測定していないときには因果的に連続的に変化し、異なる状態の[[重ね合わせ]]となる。そして、測定が行われる瞬間、つまり観測する側と観測される側が相互作用する時点で、系の状態は不連続に変化し、1つの特定の状態に収縮する。[[ジョン・フォン・ノイマン]]は1932年の著書『[[量子力学の数学的基礎]]』で、この測定に伴う非因果的変化([[波動関数の収縮]])が生じる位置、つまり観測する側と観測される側の境界を、測定装置から人間の観察者の脳までの任意の位置に置くことができると論じた<ref>J.v.ノイマン『量子力学の数学的基礎』みすず書房、1957年、p332-335</ref>。
これは測定対象だけでなく測定装置やそれを見る人間も同じように量子力学に従う粒子から成るため、一連の測定プロセスのどこに観測する側と観測される側の境界を引いても、数学的には同じように扱えるということを示したのである。


== 基本と思考実験 ==
== ウィグナーの友人の思考実験 ==
量子力学の測定対象を前述のように[[微視的と巨視的|マクロ]]にまで拡張すると、[[エルヴィン・シュレーディンガー]]が1935年に[[シュレーディンガーの猫]]の思考実験で示したように、猫が生きている状態と死んでいる状態の重ね合わせのような奇妙な状況が生じる。「ウィグナーの友人」の思考実験は、このようなマクロな重ね合わせを人間にまで適用したものである。ウィグナーが1961年の論文「心身問題に関する考察」<ref name = "Wigner">{{cite book|first=Eugene P. |last=Wigner |author-link=Eugene Wigner |year=1961 |chapter=Remarks on the Mind-Body Question |editor-first=I. J. |editor-last=Good |editor-link=I. J. Good |title=The Scientist Speculates: An Anthology of Partly-Baked Ideas |location=London |publisher=Heinemann |oclc=476959404}} Reprinted in {{cite book |last=Wigner |first=Eugene P. |author-link=Eugene Wigner |chapter=Remarks on the Mind-Body Question |date=1995 |url=http://link.springer.com/10.1007/978-3-642-78374-6_20 |title=Philosophical Reflections and Syntheses |pages=247–260 |editor-last=Mehra |editor-first=Jagdish |editor-link=Jagdish Mehra |place=Berlin, Heidelberg |series=The Collected Works of Eugene Paul Wigner |volume=B/6 |publisher=Springer |language=en |doi=10.1007/978-3-642-78374-6_20 |isbn=978-3-540-63372-3 |oclc=924167486 |access-date=2022-03-13}}</ref>で提示した思考実験を要約すると<ref group="注">ウィグナーのオリジナルの思考実験では、友人がウィグナーから遠く離れているとか別の部屋にいるなどの条件は指定されていない。</ref>:
[[量子力学]]の公準は、現在のバージョンでは、量子力学系は(ほとんどの場合)観測時までいわゆる[[重ね合わせ]]状態にあると仮定している。ただし、観測するとすぐに、あいまいな「重ね合わせ」の値ではなく、正確な離散状態の値が「確定」される。これを説明することは、量子力学の解釈にとって最も重要な課題の1つであり、いわゆる量子力学の観測問題である。現在、さまざまな一般的な処理方法により、観測の時点が、[[系 (自然科学)|系]]が「[[量子もつれ|絡み合った]]」重ね合わせ状態から「収縮した」明確な状態に変化する時点で識別される。


ウィグナーは、とある確率で光を発する量子系を測定する。この系の状態は、測定時に光を見たときには状態1に、光を見なかった場合は状態2に変化する。この測定を友人に任せ、ウィグナーは友人から測定結果を聞くことにする。すると対象とする系だけを考えることはできないとウィグナーは説明する。そうではなく系と友人が相互作用すると「対象系×友人」という結合した系となり、「状態1×友人が光を見た」と「状態2×友人が光を見なかった」の重ね合わせ状態になる。ウィグナーは友人から結果を聞き、友人が光を見たと答えると「状態1×友人が光を見た」に収縮する。友人が光を見なかったと答えると「状態1×友人が光を見なかった」に収縮する。
ウィグナーの思考実験は、多少異なる見方を説明することを目的としている。猫だけでなく、観測者(ウィグナーの友人)も、量子実験を使用して猫の死を誘発する施設の内部にいると仮定する。<ref group="注">ウィグナー自身は、この実験は、ウィグナーの友人の目に光子が当たるというものであると説明している。しかし、「シュレーディンガーの猫」思考実験とは複雑な関係にあり、それを使うとより図式化されるので、「シュレディンガーの猫」はウィグナーの友人の研究室に一緒に入れられることが多い。</ref>遅くとも、外部の観測者(ウィグナー)が彼から観測結果を伝えられるとすぐに、観測された[[系 (自然科学)|系]]の状態が明確に記述される──その点は議論の余地がほとんどないようである。しかし、収縮が以前にすでに起こっていたかどうか、つまりウィグナーの友人が(意識的に)それを観測した時点でそれが起こっていたかどうかは不明である。ウィグナーの友人の代わりに物理的な装置があった場合、その状態は猫の状態と絡み合い、猫が死ぬ前に(量子力学的)引き金になる。したがって、そのような装置自体は重ね合わせ状態になる。ただし、第二の観測者の観点からは、収縮は後で行われる。両方の観測者は同類のものであるため、これは逆説的である。


以上はウィグナー自身が「究極観測者(ultimate observer)」として特権的な立場をもつならば論理的に一貫しているとウィグナーは説明する。しかし友人も同じように意識や感覚をもっており、ウィグナーが尋ねる前に友人の心の中では光を見たか見なかったかが決まっていた。ここで見かけの矛盾が生じる。測定結果はいつ決まったのか?(収縮はいつ起きたのか?)。それは友人が測定を終えたときだったのか、それともその情報がウィグナーの意識に入ったときだったのだろうか?
== より発展した実験 ==
2020年に、研究者たちは「シュレーディンガーの猫」と「ウィグナーの友人」をさらに発展させた実験モデルを発表した。量子論がより巨視的なレベルの「観測者」でも有効である場合、少なくとも3つの結論のいずれかを出さなければならないことを示し、そのいずれもが現代の現実の理解と調和することが非常に難しく、ベルの不等式の結論を深化させている。すなわち、「観測された事象の絶対性」(観測された事象は「実際に」、非相対的かつ一意に起こる)、「局所性」(空間的に離れた実体同士が、瞬間的に相互に何らかの性質や効果を及ぼすことはない)、または「非超決定論」(すべてが初めから決まっているわけではなく、因果の逆行性はない)などのいずれかが、誤りであるとする。彼らの思考実験では、(量子力学的領域における同等のシュレディンガーの猫の「死」または「生存」を確定する)「観測者」は人間ではなく[[光子]]であるか、人間の観測者に最も類似した研究としては、[[量子コンピュータ|量子コンピューター]]のシミュレーションによる[[人工知能]]である可能性がある<ref name="SA-20200817">{{cite news |last=Merali |first=Zeeya |title=This Twist on Schrödinger's Cat Paradox Has Major Implications for Quantum Theory – A laboratory demonstration of the classic „Wigner's friend“ thought experiment could overturn cherished assumptions about reality |url=https://www.scientificamerican.com/article/this-twist-on-schroedingers-cat-paradox-has-major-implications-for-quantum-theory/ |date=2020-08-17 |work=[[Scientific American]] |accessdate=2020-08-17 }}</ref><ref name="SM-20200817">{{cite news |last=Musser |first=George |title=Quantum paradox points to shaky foundations of reality |url=https://www.sciencemag.org/news/2020/08/quantum-paradox-points-shaky-foundations-reality |date=2020-08-17 |work=[[Science]] |accessdate=2020-08-17 }}</ref><ref name="NAT-20200817">{{cite journal |author=Kok-Wei Bong, et al. |title=A strong no-go theorem on the Wigner's friend paradox |url=https://www.nature.com/articles/s41567-020-0990-x |date=2020-08-17 |journal=[[Nature Physics]] |volume=27 |doi=10.1038/s41567-020-0990-x |accessdate=2020-08-17 }}</ref>。


=== ウィグナー自身による解釈 ===
== 哲学論 ==
ウィグナーは論文の初めに自身の解釈の前提として、量子力学が与えるものは[[意識]]とその次の意識の間の確率的なつながりであるとし(または知覚と知覚の間)、測定による波動関数(量子状態)の非連続的な変化は、測定の情報が意識に入ったときに起きるとしている。また「意識に言及することなしに、量子力学の法則を完全に整合的な形で定式化することは不可能だった」と宣言している<ref name = "Wigner"/>。([[フォン・ノイマン=ウィグナー解釈]]も参照)
ウィグナー自身はこれから、彼を物質的な世界から区別するのは観測者の非物質的な[[意識]]であると結論付けた。したがって、少なくとも存在論的二元論を表している。[[観念論]]ではないにしても、そこには物質以外に少なくとも1つの他のタイプの存在がある。ただし、すべてのタイプが重要というわけではない。


友人を単純な測定器(例えば光を吸収する原子)で置き換えるなら、系と測定器が異なる状態の重ね合わせになることは疑いようがないが、意識をもつ存在が異なる状態の重ね合わせになることは馬鹿げているとウィグナーは主張した。友人の意識を無視すれば正統的な量子力学では必ずしも矛盾は生じないが、これは[[独我論]]に近い不自然な態度であり、賛同する人はあまりいないだろうとウィグナーは論じた<ref name = "Wigner"/>。したがって意識は無生物とは異なる働きをするとし、意識が関わるときには運動方程式([[シュレーディンガー方程式]]など)を非線形に修正しなければならないとウィグナーは結論した。つまり状態の収縮は、最初の観測者である友人によって引き起こされ、友人の異なる意識状態が重ね合わせになることはないことを強調した<ref name = "Esfeld">Michael Esfeld, (1999), [http://www.unil.ch/webdav/site/philo/shared/DocsPerso/EsfeldMichael/1999/SHPMP99.pdf Essay Review: Wigner's View of Physical Reality], published in Studies in History and Philosophy of Modern Physics, 30B, pp. 145–154, Elsevier Science Ltd.</ref>。
ウィグナーによれば、物質と非物質の間のこの境界は、量子力学と古典力学の間の境界であり、これは[[ハイゼンベルク切断]]と呼ばれる。このような制限は通常定式化されていないが、物質的な系と「意識を持つ観測者」は原則として同じように扱われる。しかし、観測問題は単純に(理論として)開かれたままであり、意識を持つ観察者は、少なくとも重ね合わせと収縮の間の「終着駅」である。一部の理論家は強固な二元論的、観念論的、あるいは構成主義的な考えを持っており、[[ジョン・フォン・ノイマン|フォン・ノイマン]]以来の一部の解釈者は、意識を構成的役割に取り入れて、量子状態の収縮または現実の創造に割り当てる。そのような理論のよく知られた代表者は、例えば、{{仮リンク|ヘンリー・スタップ|en|Henry_Stapp}}である<ref group="注">[[:de:Walter Heitler|Walter Heitler]]、[[:de:Fritz London|Fritz London]]]、[[:de:Fred Alan Wolf|Fred Alan Wolf]]、[[:en:William A. Tiller|William A. Tiller]]、[[:en:John Hagelin|John Hagelin]]、[[スチュワート・ハメロフ]]、[[:de:Bernard Baars|Bernard Baars]]、[[:en:Amit Goswami|Amit Goswami]]、Russell Targ、Nick Herbert、{{仮リンク|ジェフリー・M・シュウォーツ|en|Jeffrey M. Schwartz}}、Menas Kafatos、Keith Ward等もそうした意見を持っている。英語版ウィキペディアの[[:en:Consciousness causes collapse#Further links and references|Link selection]]も参照されたい。</ref>。


ウィグナーは1970年代後半以降の論文で考えを改め、意識を用いる解釈を否定するようになった。その物理的な理由は、巨視的な物体は[[孤立系]]にはなりえないというもので、哲学的な理由はその解釈が独我論につながり、独我論を重大な恥ずべきものとみなすようになったからである<ref name = "Esfeld"/>。
より一般的な見方は、巨視的な物体との相互作用を介した収縮またはデコヒーレンスを説明する傾向がある。「巨視的」という用語を物理的に指定できる限り(これは議論の余地があるが)、「意識としての収縮」の理論の批判者が反対するように、量子力学に物理的でない要素を持ち込むことは避けられるようである。さらに、多くの批判者によると、「意識」という物理学的に不正確な用語は、意識が存在する場合の基準などに関して、悪名高いほど不明確である。


なおウィグナーのオリジナルの思考実験で友人は光を測定しているが、何を測定するかはこの思考実験を説明する人によってバリエーションがある(例えばシュレーディンガーの猫と組み合わせて、猫の生死を測定することもある<ref>『Newtonライト2.0 パラドックス 宇宙・物理編』ニュートンプレス、2021年</ref>)。
系の状態の収縮は通信時にのみ行われるという主張を放棄することによって、記述されたパラドックスは、明らかに回避できる。ただし、特定の観念論的な解釈では、これは発生し得ないことになっている。代わりに、代替の存在論と認識論を提案して、例を分析し、それを用いて観念論的な理論を説明する。


== 様々な解釈 ==
その極端な例は、構成主義的[[系 (自然科学)|系理論家]]の[[:en:John Casti|John L. Casti]]である。第二の観測者の場合、最初の観測者は猫と同じように波動関数の系に属する<ref>John L. Casti: ''Verlust der Wahrheit, -Streitfragen der Naturwissenschaften-'', München 1990, S. 549.</ref>。ウィグナーにとって、全世界はその一部である。その結果、意識は波動関数を収縮させる決定的な役割を割り当てられる。逆に言えば、「世の中にあるものは、有用な構造にすぎない」。そして、意識から独立した現実の世界は全く存在しないのである。Castiのような推測は、これまでのところ、物理学の哲学の専門家の中に賛同者はほとんどいない。しかし、それらは量子力学の哲学に関する構成主義的理論家による他の主張と類似している。
ウィグナーは意識に積極的な役割を負わせたが、そのような解釈をとる物理学者は極めて少数である<ref>アニル・アナンサスワーミー『二重スリット実験 量子世界の実在に、どこまで迫れるか』白揚社、2021年、p136</ref><ref name="Freire">''Today, Wigner's conjecture about the role of the mind in the quantum measurement process is no longer part of physics, but rather part of the history of physics.'' aus: O. Freire: ''Orthodoxy and Heterodoxy in the Research on the Foundations of Quantum Physics: E. P. Wigner's Case.'' In: B. de Sousa Santos (Hrsg.): ''Cognitive justice in a global world: prudent knowledges for a decent life.'' Lexington Books, 2007, S. 221. {{arXiv|physics/0602028}}</ref>。ここではそれ以外の解釈を挙げる。
=== 道具主義解釈 ===
コペンハーゲン解釈の1つのバージョンとみなされる[[道具主義]]解釈では、量子力学は単に測定を行ったときに何が起きるかの確率を求められるだけであり、どこで結果が決まったか(どこで波動関数が収縮したか)は問題視しない<ref>Weinberg, S. (2017). [http://quantum.phys.unm.edu/466-17/QuantumMechanicsWeinberg.pdf The trouble with quantum mechanics]. The New York Review of Books, 19, 1-7.</ref>。友人にとっては自身が測定するときの確率が計算できるだけであり、ウィグナーにとっては友人から結果を聞くときの確率が計算できるだけである。


なお測定対象系と測定する側の境界には任意性があるので、状態が収縮する位置を測定装置に固定することもできる。
相対論的解釈の型は、ウィグナーの解釈と構成主義的見解に最も近いものである<ref group="注">例えば、Merriamのものである。カルロ・ロヴェッリとFederico Laudisaによって概要が示されている</ref>。これによると、系の状態の記述は、記述された系に対して相対的であり、空間と時間の概念が記述された系の動き(および重力)と相対的であるという事実に類似している(つまり相対性理論に類似している)。このアナロジーがどのように正確に解決されるかは不明である。これらの理論の変種(たとえば、[[カルロ・ロヴェッリ]]によって代表される)によれば、客観性は、記述された系が相互作用するときにのみ発生する。


{{仮リンク|量子ベイズ主義|en|Quantum Bayesianism}}も道具主義の一種とみなされており、この解釈では波動関数は現実そのものを記述しておらず、主観的な確率を計算するためのツールという扱いである。
量子力学のさまざまな解釈の中で、[[ヒュー・エヴェレット3世|エヴェレット]]の[[多世界解釈]]について述べることは無意味ではない。すなわち、さまざまな系の状態はこの世界では重ね合わされず、代わりに多数の世界に分岐する。観測するとすぐに、これらのうち、どちらが私たちの世界であるかが判明する。この解釈の問題の1つは、予測される観測結果の確率割り当ての説明である<ref group="注">cf. H. Putnam: ''A Philosopher looks at quantum mechanics.''</ref>。ウィグナーの解釈にもこの問題があるようである。


=== 多世界解釈 ===
「多くの心の理論」([[:en:Many-minds interpretation|Many-minds theory]])は複雑な混合形式である。これによると、異なる系の状態は、(同一人物の)異なる意識に分岐する。これらの理論はより現実的であり、ウィグナーの理論スケッチや、「意識としての収縮」、およびいくつかの相対論的な理論と共通するものがある。
ウィグナーがこの思考実験を発表する前の1956年、[[ヒュー・エヴェレット3世|ヒュー・エヴェレット]]は[[多世界解釈]](彼自身の言葉では相対状態形式)についての博士論文のロングバージョンで、ウィグナーの友人と同じ内容の思考実験について論じている<ref name="barrett">{{cite journal |last=Barrett |first=Jeffrey |author-link= |date=2023-06-20 |title=Everettian Quantum Mechanics |journal=[[Stanford Encyclopedia of Philosophy]] |url=https://plato.stanford.edu/Archives/fall2023/entries/qm-everett/}}</ref><ref name="everett56">[[Hugh Everett]] [https://www.pbs.org/wgbh/nova/manyworlds/pdf/dissertation.pdf Theory of the Universal Wavefunction], Thesis, Princeton University, (1956, 1973), pp. 1–140</ref>{{Refnest|group="注"|1957年に実際に提出されたエヴェレットの博士論文はこれから大幅に内容を省略したショートバージョンである。ロングバージョンの博士論文は1973年にブライス・ドウィットらが出版した多世界解釈の論文集に収録された<ref name="barrett"/>。なおエヴェレットの思考実験では測定対象は系S、これを観測者Aが測定してノートに結果を記し、部屋の外の観測者Bが一週間後に部屋に入ってノートを確認する。}}。エヴェレットはこの思考実験のパラドックスに対する解決方法の一つとして、波動関数の収縮が起きない自身の解釈を提示した。


多世界解釈では、測定は宇宙の部分系の相互作用としてモデル化され、相互作用により部分系は異なる世界に分岐する。ウィグナーの設定を用いると、友人は測定対象の系と相互作用することで、「友人が光を見た世界」と「友人が光を見なかった世界」に分岐する。その後さらに友人とウィグナーが相互作用することで、ウィグナーもその分岐に組み込まれて「友人が光を見たとウィグナーに伝えた世界」と「友人が光を見なかったとウィグナーに伝えた世界」になる。
(結局のところ、常識的な観点から見て)ウィグナーのシナリオは、より非現実的な答えを導くようである。

しかし、一般に非現実主義的なタイプの解釈のなかでも、van Fraassensのよく洗練された見解は言及に値すると言える。この見解は、意識の特別な状態よりも、より一般的な非現実主義的科学理論的基盤に依存している。
=== ド・ブロイ=ボーム解釈 ===
[[ボーム解釈|ド・ブロイ=ボーム解釈]]では、物理的世界は[[隠れた変数]]により厳密に決まっていると考える。つまり友人やウィグナーが実際の測定を行う前から、その結果はすでに確定しているという立場である。友人の測定後にウィグナーは友人を重ね合わせとして記述できるが、この解釈では波動関数だけでは物理状態を完全に記述できない。友人は実際には1つの測定結果のみを得ており、その結果の情報をウィグナーが知らないだけである。

=== 自発収縮理===
{{仮リンク|自発的収縮理論|en|Spontaneous collapse theory}}では、観測とは関係なく波動関数が収縮する。一つ一つの粒子の状態が収縮することは非常に稀だが、多数の粒子が集まることで瞬間的に収縮が起きる。このためマクロな物体の重ね合わせは生じない。具体的には友人が最初の測定を行うと、波動関数が収縮して結果が確定し、友人は重ね合わせの状態にはならない(友人がシュレーディンガーの猫の測定をするなら、粒子検知器の段階で確定する)。

=== その他の解釈 ===
[[カルロ・ロヴェッリ]]の{{仮リンク|関係解釈|en|Relational quantum mechanics}}では、ある物体の「事実」や「状態」は、他の物体を基準として相対的にのみ定義される<ref name="Rovelli p. ">{{cite journal | last=Rovelli |date=2021| first=Carlo | title=The Relational Interpretation of Quantum Physics | publisher=arXiv | doi=10.48550/ARXIV.2109.09170 | url=https://arxiv.org/abs/2109.09170 |}}</ref>。そのため友人を基準とした場合と、ウィグナーを基準にした場合の記述(説明)は異なる。

== 思考実験の拡張 ==
もともとのウィグナーの友人の思考実験は、単に友人に結果を聞くという受動的なものである。しかし2016年のFrauchigerとRennerの思考実験<ref name="Frauchiger">{{Cite journal |last1=Frauchiger |first1=Daniela |last2=Renner |first2=Renato |author-link2=Renato Renner |year=2018 |title=Quantum theory cannot consistently describe the use of itself |journal=[[Nature Communications]] |volume=9 |issue=1 |pages=3711 |arxiv=1604.07422 |bibcode=2016arXiv160407422F |doi=10.1038/s41467-018-05739-8 |pmc=6143649 |pmid=30228272}}</ref>ではウィグナーの友人を拡張して、友人のいる部屋全体に対して外部から量子操作を行い、その結果を測定する。そして複数の観測者の間での整合性を確認する。著者は特定の仮定が成り立つ場合、矛盾が生じるとしている。
QBism(量子ベイズ主義)、関係解釈、ド・ブロイ=ボーム理論で、FrauchigerとRennerの思考実験のようなマクロな量子操作で生じる矛盾の回避が議論がされている<ref>{{Cite journal |last1=DeBrota |first1=John B. |last2=Fuchs |first2=Christopher A. |last3=Schack |first3=Rüdiger |date=2020-08-18 |title=Respecting One's Fellow: QBism's Analysis of Wigner's Friend |journal=Foundations of Physics |volume=50 |issue=12 |pages=1859–1874 |doi=10.1007/s10701-020-00369-x |arxiv=2008.03572 |bibcode=2020FoPh...50.1859D |s2cid=225377742 |issn=0015-9018}}</ref><ref name ="Biagio">Di Biagio, A., & Rovelli, C. (2021). [https://doi.org/10.1007/s10701-021-00429-w Stable facts, relative facts.] Foundations of Physics, 51, 1-13.</ref><ref>{{Cite journal |last1=Lazarovici |first1=Dustin |last2=Hubert |first2=Mario |date=2019 |title=How Quantum Mechanics can consistently describe the use of itself |journal=Scientific Reports |volume=9 |issue=470 |doi=10.1038/s41598-018-37535-1 |pmid=30679739 |bibcode=2019NatSR...9..470L |s2cid=53685556 |issn=2045-2322|doi-access=free }}</ref>。2016年以後、マクロな量子操作を用いたウィグナーの思考実験の拡張については多数の論文が出版されている<ref name ="Biagio"/>(例えば<ref name="NAT-20200817">{{cite journal |author=Kok-Wei Bong, et al. |title=A strong no-go theorem on the Wigner's friend paradox |url=https://www.nature.com/articles/s41567-020-0990-x |date=2020-08-17 |journal=[[Nature Physics]] |volume=27 |doi=10.1038/s41567-020-0990-x |accessdate=2020-08-17 }}</ref><ref>Brukner, Č. (2018). [https://doi.org/10.3390/e20050350 A no-go theorem for observer-independent facts.] Entropy, 20(5), 350.</ref><ref>Healey, R. (2018). [https://doi.org/10.1007/s10701-018-0216-6 Quantum theory and the limits of objectivity.] Foundations of Physics, 48, 1568-1589.</ref><ref>Cavalcanti, E. G. (2021). [https://doi.org/10.1007/s10701-021-00417-0 The view from a Wigner bubble.] Foundations of Physics, 51(2), 39.</ref>)。こういったマクロ量子操作は原理的に不可能とは考えられていないが実現困難で、理論の整合性を確認する思考実験として用いられている。ただ友人が[[量子コンピューター]]でシミュレートされた環境にいる人工知能である場合には実現可能性がある<ref name="NAT-20200817"/>。こういったマクロ量子操作を実行する観測者は「超観測者(superobserver)」と呼ばれる<ref name="NAT-20200817"/>。


== フィクション ==
== フィクション ==
[[スティーヴン・バクスター]]が[[1992年]]に発表したSF小説『Timelike Infinity』(時間的無限大には、「ウィグナーの友」(The Friends of Wigner)を自称し、パラドックスの解釈で破壊的な行為を正当化するカルト集団が出てくる<ref>{{Cite book|last=Seymore|first=Sarah|url=https://books.google.com/books?id=eyfReHHLoSMC|title=Close Encounters of the Invasive Kind: Imperial History in Selected British Novels of Alien-encounter Science-fiction After World War II|date=2013|publisher=LIT Verlag Münster|isbn=978-3-643-90391-4|language=en|oclc=881630932}}</ref>。
[[スティーヴン・バクスター]]が1992年に発表した小説『時間的無限大には、「ウィグナーの友人(The Friends of Wigner)」と名乗るカルト集団が登場する<ref>{{Cite book|last=Seymore|first=Sarah|url=https://books.google.com/books?id=eyfReHHLoSMC|title=Close Encounters of the Invasive Kind: Imperial History in Selected British Novels of Alien-encounter Science-fiction After World War II|date=2013|publisher=LIT Verlag Münster|isbn=978-3-643-90391-4|language=en|oclc=881630932}}</ref>。彼らは、時間の終わりにいる究極観測者が、宇宙の始まり以来生成されたすべての波動関数を収縮させ、抑圧のない現実を選ぶことができると信じている


== 脚注 ==
== 脚注 ==
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== 参考文献 ==
== 参考文献 ==
{{Cite book |和書 |author=石井茂 |title=ハイゼンベルクの顕微鏡 不確定性原理は超えられるか |publisher=日経BP |date=2005 |pages=}} - ウィグナーとエヴェレットの思考実験の要約を含んでいる。
* David Z Albert, [[:en:Hilary Putnam|Hilary Putnam]]: ''Further adventures of Wigner's friend.'' In: ''Topoi.'' 14, 1995, S. 17–22.
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* D. Mayr: ''Comment on Putnam's 'Quantum mechanics and the observer’.'' In: ''Erkenntnis.'' 16, 1981.
* Paul Merriam,: {{Webarchiv|url=http://www.vivboard.net/doc/n0064.htm|wayback=20080807163733|text=''On the Relativity of Quantum Superpositions.''}} 1997.
* Paul Merriam: ''Quantum Relativity: Physical Laws Must be Invariant Over Quantum Systems.'' In: ''Physics Essays.'' 2005. {{arXiv|quant-ph/0506228}}
* Hilary Putnam: ''Quantum Mechanics and the Observer.'' In: ''Erkenntnis.'' 16, 1981, S. 193–219. (Wiederabdruck in: ''Realism and Reason.'' (= ''Philosophical Papers.'' Volume 3). Cambridge University Press, Cambridge 1983, S. 248–270)
* Hilary Putnam: ''A Philosopher Looks at Quantum Mechanics.'' In: Robert G. Colodny (Hrsg.): ''Beyond the Edge of Certainty: Essays in Contemporary Science and Philosophy.'' Prentice-Hall, Englewood Cliffs, N.J. 1965, S. 75–101. (Wiederabdruck in Hilary Putnam: ''Mathematics, Matter and Method.'' Cambridge University Press, Cambridge, Mass. 1975, S. 130–158)
* [[カルロ・ロヴェッリ|C. Rovelli]], F Laudisa: [https://plato.stanford.edu/entries/qm-relational/ Relational Quantum Mechanics] (スタンフォード哲学百科事典「ウィグナーの友人」の項目) 2005.
* [[:de:Hans-Jürgen Treder|H.-J. Treder]]: ''Schrödingers Katze und Wigners Freund (zur Beweglichkeit des Heisenbergschen Schnittes).'' In: ''Annalen der Physik.'' vol. 500, Issue 3, 1988, S. 255–256.
* B. van Fraassen: ''The Charybdis of Realism: Epistemological Implications of Bell's Inequality.'' In: ''Synthese.'' 52, 1982, S. 25–38.
* E. P. Wigner: ''Remarks on the Mind-Body Question.'' In: I. J. Good (Hrsg.): ''The Scientist Speculates.'' 1961, S. 284–302. (Wiederabdruck in: E. P. Wigner: ''Symmetries and Reflections.'' Bloomington, Indiana 1967)


== 関連項目 ==
== 関連項目 ==
* [[観測問題]]
* [[観測問題]]
* [[コペンハーゲン解釈]]
* [[実体二元論]]
* [[実体二元論]]
* [[量子脳理論]] - ハメロフによる解釈や、スタップによる解釈などがある
* [[量子脳理論]] - ハメロフによる解釈や、スタップによる解釈などがある

2023年11月9日 (木) 15:56時点における版

ウィグナーの友人(ウィグナーのゆうじん、: Wigner's friend)は、量子力学思考実験であり、1961年に物理学者のユージン・ウィグナーによって発表された。シュレーディンガーの猫を人間にまで拡張した思考実験であり、「観測者が観測される」状況を扱う。

背景:量子力学における測定

量子力学の標準理論によると、測定対象とするの状態は、測定していないときには因果的に連続的に変化し、異なる状態の重ね合わせとなる。そして、測定が行われる瞬間、つまり観測する側と観測される側が相互作用する時点で、系の状態は不連続に変化し、1つの特定の状態に収縮する。ジョン・フォン・ノイマンは1932年の著書『量子力学の数学的基礎』で、この測定に伴う非因果的変化(波動関数の収縮)が生じる位置、つまり観測する側と観測される側の境界を、測定装置から人間の観察者の脳までの任意の位置に置くことができると論じた[1]。 これは測定対象だけでなく測定装置やそれを見る人間も同じように量子力学に従う粒子から成るため、一連の測定プロセスのどこに観測する側と観測される側の境界を引いても、数学的には同じように扱えるということを示したのである。

ウィグナーの友人の思考実験

量子力学の測定対象を前述のようにマクロにまで拡張すると、エルヴィン・シュレーディンガーが1935年にシュレーディンガーの猫の思考実験で示したように、猫が生きている状態と死んでいる状態の重ね合わせのような奇妙な状況が生じる。「ウィグナーの友人」の思考実験は、このようなマクロな重ね合わせを人間にまで適用したものである。ウィグナーが1961年の論文「心身問題に関する考察」[2]で提示した思考実験を要約すると[注 1]

ウィグナーは、とある確率で光を発する量子系を測定する。この系の状態は、測定時に光を見たときには状態1に、光を見なかった場合は状態2に変化する。この測定を友人に任せ、ウィグナーは友人から測定結果を聞くことにする。すると対象とする系だけを考えることはできないとウィグナーは説明する。そうではなく系と友人が相互作用すると「対象系×友人」という結合した系となり、「状態1×友人が光を見た」と「状態2×友人が光を見なかった」の重ね合わせ状態になる。ウィグナーは友人から結果を聞き、友人が光を見たと答えると「状態1×友人が光を見た」に収縮する。友人が光を見なかったと答えると「状態1×友人が光を見なかった」に収縮する。

以上はウィグナー自身が「究極観測者(ultimate observer)」として特権的な立場をもつならば論理的に一貫しているとウィグナーは説明する。しかし友人も同じように意識や感覚をもっており、ウィグナーが尋ねる前に友人の心の中では光を見たか見なかったかが決まっていた。ここで見かけの矛盾が生じる。測定結果はいつ決まったのか?(収縮はいつ起きたのか?)。それは友人が測定を終えたときだったのか、それともその情報がウィグナーの意識に入ったときだったのだろうか?

ウィグナー自身による解釈

ウィグナーは論文の初めに自身の解釈の前提として、量子力学が与えるものは意識とその次の意識の間の確率的なつながりであるとし(または知覚と知覚の間)、測定による波動関数(量子状態)の非連続的な変化は、測定の情報が意識に入ったときに起きるとしている。また「意識に言及することなしに、量子力学の法則を完全に整合的な形で定式化することは不可能だった」と宣言している[2]。(フォン・ノイマン=ウィグナー解釈も参照)

友人を単純な測定器(例えば光を吸収する原子)で置き換えるなら、系と測定器が異なる状態の重ね合わせになることは疑いようがないが、意識をもつ存在が異なる状態の重ね合わせになることは馬鹿げているとウィグナーは主張した。友人の意識を無視すれば正統的な量子力学では必ずしも矛盾は生じないが、これは独我論に近い不自然な態度であり、賛同する人はあまりいないだろうとウィグナーは論じた[2]。したがって意識は無生物とは異なる働きをするとし、意識が関わるときには運動方程式(シュレーディンガー方程式など)を非線形に修正しなければならないとウィグナーは結論した。つまり状態の収縮は、最初の観測者である友人によって引き起こされ、友人の異なる意識状態が重ね合わせになることはないことを強調した[3]

ウィグナーは1970年代後半以降の論文で考えを改め、意識を用いる解釈を否定するようになった。その物理的な理由は、巨視的な物体は孤立系にはなりえないというもので、哲学的な理由はその解釈が独我論につながり、独我論を重大な恥ずべきものとみなすようになったからである[3]

なおウィグナーのオリジナルの思考実験で友人は光を測定しているが、何を測定するかはこの思考実験を説明する人によってバリエーションがある(例えばシュレーディンガーの猫と組み合わせて、猫の生死を測定することもある[4])。

様々な解釈

ウィグナーは意識に積極的な役割を負わせたが、そのような解釈をとる物理学者は極めて少数である[5][6]。ここではそれ以外の解釈を挙げる。

道具主義解釈

コペンハーゲン解釈の1つのバージョンとみなされる道具主義解釈では、量子力学は単に測定を行ったときに何が起きるかの確率を求められるだけであり、どこで結果が決まったか(どこで波動関数が収縮したか)は問題視しない[7]。友人にとっては自身が測定するときの確率が計算できるだけであり、ウィグナーにとっては友人から結果を聞くときの確率が計算できるだけである。

なお測定対象系と測定する側の境界には任意性があるので、状態が収縮する位置を測定装置に固定することもできる。

量子ベイズ主義英語版も道具主義の一種とみなされており、この解釈では波動関数は現実そのものを記述しておらず、主観的な確率を計算するためのツールという扱いである。

多世界解釈

ウィグナーがこの思考実験を発表する前の1956年、ヒュー・エヴェレット多世界解釈(彼自身の言葉では相対状態形式)についての博士論文のロングバージョンで、ウィグナーの友人と同じ内容の思考実験について論じている[8][9][注 2]。エヴェレットはこの思考実験のパラドックスに対する解決方法の一つとして、波動関数の収縮が起きない自身の解釈を提示した。

多世界解釈では、測定は宇宙の部分系の相互作用としてモデル化され、相互作用により部分系は異なる世界に分岐する。ウィグナーの設定を用いると、友人は測定対象の系と相互作用することで、「友人が光を見た世界」と「友人が光を見なかった世界」に分岐する。その後さらに友人とウィグナーが相互作用することで、ウィグナーもその分岐に組み込まれて「友人が光を見たとウィグナーに伝えた世界」と「友人が光を見なかったとウィグナーに伝えた世界」になる。

ド・ブロイ=ボーム解釈

ド・ブロイ=ボーム解釈では、物理的世界は隠れた変数により厳密に決まっていると考える。つまり友人やウィグナーが実際の測定を行う前から、その結果はすでに確定しているという立場である。友人の測定後にウィグナーは友人を重ね合わせとして記述できるが、この解釈では波動関数だけでは物理状態を完全に記述できない。友人は実際には1つの測定結果のみを得ており、その結果の情報をウィグナーが知らないだけである。

自発的収縮理論

自発的収縮理論英語版では、観測とは関係なく波動関数が収縮する。一つ一つの粒子の状態が収縮することは非常に稀だが、多数の粒子が集まることで瞬間的に収縮が起きる。このためマクロな物体の重ね合わせは生じない。具体的には友人が最初の測定を行うと、波動関数が収縮して結果が確定し、友人は重ね合わせの状態にはならない(友人がシュレーディンガーの猫の測定をするなら、粒子検知器の段階で確定する)。

その他の解釈

カルロ・ロヴェッリ関係解釈英語版では、ある物体の「事実」や「状態」は、他の物体を基準として相対的にのみ定義される[10]。そのため友人を基準とした場合と、ウィグナーを基準にした場合の記述(説明)は異なる。

思考実験の拡張

もともとのウィグナーの友人の思考実験は、単に友人に結果を聞くという受動的なものである。しかし2016年のFrauchigerとRennerの思考実験[11]ではウィグナーの友人を拡張して、友人のいる部屋全体に対して外部から量子操作を行い、その結果を測定する。そして複数の観測者の間での整合性を確認する。著者は特定の仮定が成り立つ場合、矛盾が生じるとしている。 QBism(量子ベイズ主義)、関係解釈、ド・ブロイ=ボーム理論で、FrauchigerとRennerの思考実験のようなマクロな量子操作で生じる矛盾の回避が議論がされている[12][13][14]。2016年以後、マクロな量子操作を用いたウィグナーの思考実験の拡張については多数の論文が出版されている[13](例えば[15][16][17][18])。こういったマクロ量子操作は原理的に不可能とは考えられていないが実現困難で、理論の整合性を確認する思考実験として用いられている。ただ友人が量子コンピューターでシミュレートされた環境にいる人工知能である場合には実現可能性がある[15]。こういったマクロ量子操作を実行する観測者は「超観測者(superobserver)」と呼ばれる[15]

フィクション

スティーヴン・バクスターが1992年に発表した小説『時間的無限大』には、「ウィグナーの友人(The Friends of Wigner)」と名乗るカルト集団が登場する[19]。彼らは、時間の終わりにいる究極観測者が、宇宙の始まり以来生成されたすべての波動関数を収縮させ、抑圧のない現実を選ぶことができると信じている。

脚注

注釈

  1. ^ ウィグナーのオリジナルの思考実験では、友人がウィグナーから遠く離れているとか別の部屋にいるなどの条件は指定されていない。
  2. ^ 1957年に実際に提出されたエヴェレットの博士論文はこれから大幅に内容を省略したショートバージョンである。ロングバージョンの博士論文は1973年にブライス・ドウィットらが出版した多世界解釈の論文集に収録された[8]。なおエヴェレットの思考実験では測定対象は系S、これを観測者Aが測定してノートに結果を記し、部屋の外の観測者Bが一週間後に部屋に入ってノートを確認する。

出典

  1. ^ J.v.ノイマン『量子力学の数学的基礎』みすず書房、1957年、p332-335
  2. ^ a b c Wigner, Eugene P. (1961). “Remarks on the Mind-Body Question”. In Good, I. J.. The Scientist Speculates: An Anthology of Partly-Baked Ideas. London: Heinemann. OCLC 476959404  Reprinted in Wigner, Eugene P. (1995). “Remarks on the Mind-Body Question”. In Mehra, Jagdish (英語). Philosophical Reflections and Syntheses. The Collected Works of Eugene Paul Wigner. B/6. Berlin, Heidelberg: Springer. pp. 247–260. doi:10.1007/978-3-642-78374-6_20. ISBN 978-3-540-63372-3. OCLC 924167486. http://link.springer.com/10.1007/978-3-642-78374-6_20 2022年3月13日閲覧。 
  3. ^ a b Michael Esfeld, (1999), Essay Review: Wigner's View of Physical Reality, published in Studies in History and Philosophy of Modern Physics, 30B, pp. 145–154, Elsevier Science Ltd.
  4. ^ 『Newtonライト2.0 パラドックス 宇宙・物理編』ニュートンプレス、2021年
  5. ^ アニル・アナンサスワーミー『二重スリット実験 量子世界の実在に、どこまで迫れるか』白揚社、2021年、p136
  6. ^ Today, Wigner's conjecture about the role of the mind in the quantum measurement process is no longer part of physics, but rather part of the history of physics. aus: O. Freire: Orthodoxy and Heterodoxy in the Research on the Foundations of Quantum Physics: E. P. Wigner's Case. In: B. de Sousa Santos (Hrsg.): Cognitive justice in a global world: prudent knowledges for a decent life. Lexington Books, 2007, S. 221. arXiv:physics/0602028
  7. ^ Weinberg, S. (2017). The trouble with quantum mechanics. The New York Review of Books, 19, 1-7.
  8. ^ a b Barrett, Jeffrey (2023-06-20). “Everettian Quantum Mechanics”. Stanford Encyclopedia of Philosophy. https://plato.stanford.edu/Archives/fall2023/entries/qm-everett/. 
  9. ^ Hugh Everett Theory of the Universal Wavefunction, Thesis, Princeton University, (1956, 1973), pp. 1–140
  10. ^ Rovelli, Carlo (2021). The Relational Interpretation of Quantum Physics. arXiv. doi:10.48550/ARXIV.2109.09170. https://arxiv.org/abs/2109.09170. 
  11. ^ Frauchiger, Daniela; Renner, Renato (2018). “Quantum theory cannot consistently describe the use of itself”. Nature Communications 9 (1): 3711. arXiv:1604.07422. Bibcode2016arXiv160407422F. doi:10.1038/s41467-018-05739-8. PMC 6143649. PMID 30228272. https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC6143649/. 
  12. ^ DeBrota, John B.; Fuchs, Christopher A.; Schack, Rüdiger (2020-08-18). “Respecting One's Fellow: QBism's Analysis of Wigner's Friend”. Foundations of Physics 50 (12): 1859–1874. arXiv:2008.03572. Bibcode2020FoPh...50.1859D. doi:10.1007/s10701-020-00369-x. ISSN 0015-9018. 
  13. ^ a b Di Biagio, A., & Rovelli, C. (2021). Stable facts, relative facts. Foundations of Physics, 51, 1-13.
  14. ^ Lazarovici, Dustin; Hubert, Mario (2019). “How Quantum Mechanics can consistently describe the use of itself”. Scientific Reports 9 (470). Bibcode2019NatSR...9..470L. doi:10.1038/s41598-018-37535-1. ISSN 2045-2322. PMID 30679739. 
  15. ^ a b c Kok-Wei Bong, et al. (2020-08-17). “A strong no-go theorem on the Wigner's friend paradox”. Nature Physics 27. doi:10.1038/s41567-020-0990-x. https://www.nature.com/articles/s41567-020-0990-x 2020年8月17日閲覧。. 
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  17. ^ Healey, R. (2018). Quantum theory and the limits of objectivity. Foundations of Physics, 48, 1568-1589.
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  19. ^ Seymore, Sarah (2013) (英語). Close Encounters of the Invasive Kind: Imperial History in Selected British Novels of Alien-encounter Science-fiction After World War II. LIT Verlag Münster. ISBN 978-3-643-90391-4. OCLC 881630932. https://books.google.com/books?id=eyfReHHLoSMC 

参考文献

石井茂『ハイゼンベルクの顕微鏡 不確定性原理は超えられるか』日経BP、2005年。  - ウィグナーとエヴェレットの思考実験の要約を含んでいる。

関連項目