ヘンリク・アンソニー・クラマース

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ヘンリク・アンソニー・クラマース(Hendrik Anthony Kramers, 1894年2月2日 - 1952年4月24日)は、オランダ物理学者である。彼は物理学者であるヘンリク・クラマースの息子である。1920年10月25日に彼はAnna Petersenと結婚をし、一人の息子と三人の娘をもうけた。

彼は1912年にロッテルダムで中等教育を終えた。ライデン大学数学物理学を学習し、そこで修士号を1916年に得た。クラマースは海外の実験を経験したかったがゲッティンゲンボルン第一次世界大戦のため来られなかった。オランダはこの戦争に対して中立であったため、彼はコペンハーゲンに行った。そこで、彼はまだそのとき比較的に知られていないニールス・ボーアを訪問した。ボーアは彼を博士課程の生徒とみなし、彼はボーアのもとで論文を準備した。

ボーアの研究グループでの10年以上の研究とコペンハーゲン大学の准教授となった後、クラマースは1926年デンマークを去り、彼の故郷に帰った。彼はユトレヒト大学の理論物理学の教授となった。そこでチャリング・クープマンスを指導した。

クラマースはアムステルダムの国立数学コンピュータ科学研究所の創立者である。彼は1974年にローレンツメダルを、1951年にヒューズ・メダルを受賞した。

クラマースは彼の名前をのクラマースクレータ、クラマース・ハイゼンベルク公式WKB近似クラマース・クローニッヒの関係式、クラマースWannierの二重性、クラマースのポリマー鎖、クラマース-アンダーソン超交換、クラマースの縮退定理に残した。