コンテンツにスキップ

衆議院議員ニシテ大東亜戦争ニ際シ召集中ナルニ因リ其ノ職ヲ失ヒタルモノノ補闕及復職ニ関スル法律

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
衆議院議員ニシテ大東亜戦争ニ際シ召集中ナルニ因リ其ノ職ヲ失ヒタルモノノ補闕及復職ニ関スル法律
日本国政府国章(準)
日本の法令
通称・略称 なし
法令番号 昭和18年法律第98号
種類 憲法
効力 廃止
成立 1943年10月28日
公布 1943年10月31日
施行 1943年10月31日
主な内容 衆議院議員の兵役召集中の失職中の補欠及び復職
テンプレートを表示

衆議院議員ニシテ大東亜戦争ニ際シ召集中ナルニ因リ其ノ職ヲ失ヒタルモノノ補闕及復職ニ関スル法律(しゅうぎいん ぎいん ニシテ だいとうあせんそうニ さいシ しょうしゅうちゅう ナルによリ そノしょくヲ うしなヒタルモノノ ほけつ および ふくしょく ニ かんスル ほうりつ、旧字体衆議院議員ニシテ大東亞戰爭ニ際シ召集中ナルニ因リ其ノ職ヲ失ヒタルモノヽ補闕及󠄁復職ニ關スル法律、昭和18年法律第98号)は、衆議院議員の召集中の議員資格や選挙の特例を定めた法律1954年廃止。

概要

[編集]

1943年10月31日に公布され、同日施行された[1]

衆議院議員選挙法第7条第2項には現役陸海軍人になった時は衆議院議員の被選挙権を有しないことが規定され、議院法第78条には選挙法の衆議院議員の被選挙権を失った時は退職することが規定されており、議院法第84条及び衆議院議員選挙法第79条では欠員が生じた場合は補欠選挙が実施されることが規定されていた。これについて特例を定め、1943年10月31日以降は、太平洋戦争の召集中によって失職した衆議院議員については当該欠員を対象とした補欠選挙を実施せず、残任期間中に召集解除された場合は衆議院議員に復職することが規定された。同法は附則で施行前に召集された衆議院議員については補欠選挙の告示が無い限りは同じように適用された。

1945年(昭和20年)8月15日玉音放送や同年9月2日降伏文書調印により太平洋戦争(大東亜戦争)が終わり、同年12月18日衆議院解散となったことで、召集中によって失職した衆議院議員が存在しなくなったことでこの法律は実効性を喪失したが、1954年(昭和29年)5月1日に公布され即日施行された「自治庁関係法令の整理に関する法律」により廃止されるまで、法律としては存続した[2]

同法が適用された衆議院議員

[編集]
応召日 氏名 選挙区 応召
年齢
[3]
応召終了日 原因
1943年(昭和18年)10月22日 おやまた小山田義孝 05秋田2区 46 1945年(昭和20年)9月4日 復職
1943年(昭和18年)10月22日 まみや間宮成吉 21岐阜3区 45 1945年(昭和20年)12月18日応召のまま衆議院解散
1943年(昭和18年)10月22日 あいの愛野時一郎 41佐賀2区 43 1943年(昭和18年)12月28日 復職
1943年(昭和18年)10月25日 ありま有馬英治 40福岡4区 35 1945年(昭和20年)9月3日 復職
1943年(昭和18年)10月25日 はまた浜田尚友 46鹿児島2区 34 1944年(昭和19年)12月22日 復職
1943年(昭和18年)11月25日 ふけ福家俊一 13東京1区 31 1945年(昭和20年)9月1日 復職
1943年(昭和18年)12月4日 まつおか松岡秀夫 11埼玉3区 45 1944年(昭和19年)9月4日 戦死
1944年(昭和19年)4月1日 おの小野祐之 20長野4区 49 1944年(昭和19年)7月18日 戦死
1944年(昭和19年)7月15日 たなか田中勝之助 32島根2区 43 1945年(昭和20年)8月6日 戦死
1944年(昭和19年)8月3日 はやし林佳介 35山口1区 44 1945年(昭和20年)5月18日 復職
1945年(昭和20年)3月29日 たかき高木義人 04宮城2区 60 1945年(昭和20年)12月1日 復職
1945年(昭和20年)4月6日 ひけた日下田武 09栃木2区 45 1945年(昭和20年)8月25日 復職
1945年(昭和20年)7月26日 ほりうち堀内一雄 19山梨全県区 51 1945年(昭和20年)8月30日 復職

脚注

[編集]
  1. ^ 衆議院議員ニシテ大東亜戦争ニ際シ召集中ナルニ因リ其ノ職ヲ失ヒタルモノノ補闕及復職ニ関スル法律案”. 会議録一覧|日本法令索引. 国立国会図書館. 2017年9月20日閲覧。
  2. ^ 自治庁関係法令の整理に関する法律(昭和29年5月1日法律第82号)”. 被改正法令一覧|日本法令索引. 国立国会図書館. 2019年12月30日閲覧。
  3. ^ 当時の年齢は「数え年」だったが、ここでは便宜上「満年齢」とする。

関連項目

[編集]