米川良夫

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米川 良夫
人物情報
生誕 (1931-07-19) 1931年7月19日
日本の旗 日本東京都
死没 2006年4月27日(2006-04-27)(74歳)
出身校 早稲田大学
学問
研究分野 文学(イタリア文学)
研究機関 國學院大學
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米川 良夫(よねかわ りょうふ、1931年7月19日 - 2006年4月27日)は、日本イタリア文学者・翻訳家國學院大學名誉教授

経歴[編集]

1931年、ロシア文学者米川正夫の五男として東京に生まれる。名前が「よしお」ではなく「りょうふ」なのは、父正夫が当時レフ・トルストイの全集を翻訳していたことに因む。[1][2]早稲田大学第一文学部仏文科在学中、学生運動に熱中したため、卒業後、母の発議によりフランスに遊学[3]パリで2年あまり仏語仏文学を学んでいたが、第二外国語として研究していたイタリア語に惹かれたため、ローマに移ってイタリア文学を研究、伊文学者となった。

帰国後は國學院大學教授となった。2006年4月27日肺癌のため死去した。享年74。

研究内容・業績[編集]

家族・親族[編集]

作品[編集]

編著[編集]

共著[編集]

翻訳[編集]

単行本[編集]

叢書[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 男性名のЛев(レフ)は、レフとも力点を置いた日本語表記でЛёв(リョーフ)とも表記される。
  2. ^ 米川正夫『鈍・根・才 米川正夫自伝』p.176(日本図書センター、1997年)
  3. ^ 米川正夫『鈍・根・才 米川正夫自伝』p.245(日本図書センター、1997年)