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: 1978年、[[神戸大学]]工学部計測工学科を卒業後、税理士や公認会計士向けの情報サービスを手掛ける株式会社[[TKC]]に入社。[[汎用機]]が主流だった当時に小型機開発のプロジェクトに配属され、この社運を賭けたプロジェクトに加わったことで可能性の大きなPCの世界へと導かれていく。 |
: 1978年、[[神戸大学]]工学部計測工学科を卒業後、税理士や公認会計士向けの情報サービスを手掛ける株式会社[[TKC]]に入社。[[汎用機]]が主流だった当時に小型機開発のプロジェクトに配属され、この社運を賭けたプロジェクトに加わったことで可能性の大きなPCの世界へと導かれていく。 |
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: {{要出典範囲|date=2016年11月8日 (火) 11:41 (UTC)|1981年に[[IBM PC]]が発売されたのに触発され、「16ビットパソコン開発のプロジェクトリーダーになること」を条件に}}<ref>[http://kigyoka.com/news/magazine/magazine_20141120_6.html 企業家倶楽部2001年8月号 特集第3部 編集長インタビュー]</ref>、1982年[[ロジック・システムズ・インターナショナル]]株式会社(現[[ロジック (企業)|ロジック]]株式会社)に転職。{{要出典範囲|date=2016年11月8日 (火) 11:41 (UTC)|1985年大手他社がさじを投げるほどの厳しい納期と予算のなか、[[セブン-イレブン]] の店舗情報分析用コンピュータ3000台を開発し納品。一躍脚光を浴びる}}<ref>[http://www.news24.jp/articles/2016/10/06/06342979.html 日テレNEWS24 金丸恭文氏、「勝ち続ける」方程式]</ref>。 |
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* [[2001年]] - [[東洋経済新報社]]「アントレプレナー賞」受賞<ref>{{PDFlink|[http://www.toyokeizai.net/corp/release/pdf/toyo_pr_20011105.pdf 2001年度「東洋経済賞」「高橋亀吉記念賞」「アントレプレナー賞」決定]}} - 東洋経済新報社 ニュースリリース2001年11月5日閲覧</ref> |
* [[2001年]] - [[東洋経済新報社]]「アントレプレナー賞」受賞<ref>{{PDFlink|[http://www.toyokeizai.net/corp/release/pdf/toyo_pr_20011105.pdf 2001年度「東洋経済賞」「高橋亀吉記念賞」「アントレプレナー賞」決定]}} - 東洋経済新報社 ニュースリリース2001年11月5日閲覧</ref> |
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**[[企業家ネットワーク]]企業家賞「IT革命支援賞」受賞 |
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== 関連項目 == |
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== 出典 == |
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2017年7月21日 (金) 19:01時点における版
かねまる やすふみ 金丸 恭文 | |
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生誕 |
1954年3月12日(70歳) 日本 大阪府枚方市 |
出身校 | 神戸大学工学部計測工学科 |
職業 |
フューチャー代表取締役会長 |
著名な実績 | 内閣府規制改革推進会議議長代理 |
補足 | |
金丸 恭文(かねまる やすふみ、1954年3月12日 - )は日本の経営者。フューチャー株式会社(フューチャーシステムコンサルティング株式会社、フューチャーアーキテクト株式会社)の創業者、代表取締役会長。フューチャーイノベーションフォーラム共同代表。
内閣府規制改革推進会議議長代理、内閣官房未来投資会議構成員、内閣官房働き方改革実現会議議員、経済産業省新産業構造部会委員、経済産業省IoT推進ラボIoT支援委員会委員、厚生労働省データヘルス時代における保険者機能強化と質の高い医療実現に関する有識者検討会構成員、公益社団法人経済同友会副代表幹事、公益財団法人総合研究開発機構(NIRA)代表理事、公益財団法人日本ハンドボール協会特任副会長などを務める。
人物
- プロフィール
- 大阪府枚方市で生まれ、大田弘子と同郷の鹿児島県鹿児島市で育った。
- 1978年、神戸大学工学部計測工学科を卒業後、税理士や公認会計士向けの情報サービスを手掛ける株式会社TKCに入社。汎用機が主流だった当時に小型機開発のプロジェクトに配属され、この社運を賭けたプロジェクトに加わったことで可能性の大きなPCの世界へと導かれていく。
- 1981年にIBM PCが発売されたのに触発され、「16ビットパソコン開発のプロジェクトリーダーになること」を条件に[要出典][1]、1982年ロジック・システムズ・インターナショナル株式会社(現ロジック株式会社)に転職。1985年大手他社がさじを投げるほどの厳しい納期と予算のなか、セブン-イレブン の店舗情報分析用コンピュータ3000台を開発し納品。一躍脚光を浴びる[要出典][2]。
- 1985年の日本電信電話公社民営化に伴い、ロジックと日本電信電話の合弁で企業向けのパソコン通信事業を手がける株式会社NTTPCコミュニケーションズが設立され、取締役に就任。
- 1988年にロジック、日本電信電話、トヨタ自動車、日本信販(当時)、ウシオ電機の5社を中心として設立されたシステムインテグレーションを手がけるインフォネクスに常勤取締役として参画し、業務全般を担当。
- 1989年ベルリンの壁崩壊に新しい時代の幕開けを感じ[3]、かつてロジック時代の部下でシャープ研究所にいた石橋国人(現フューチャー取締役副社長CTO&CSO)とともに35歳でフューチャーシステムコンサルティングを設立。99年6月22日に日本証券業協会に株式を店頭登録、3350万円という初値を記録[4]。2002年6月21日に設立以来、13期連続増収増益という業績をもって東京証券取引所第一部上場。
- 2007年1月にウッドランド株式会社と経営統合し、フューチャーアーキテクトに商号変更。
- 2016年4月に持株会社制へと移行しフューチャー株式会社と商号変更。
趣味
- 読書
- 音楽
- 神戸大学では一時期ハンドボール部、その後軽音楽部に所属しウェストコースト・ロックのバンドでベースとボーカルを担当。イーグルス、ドゥービー・ブラザーズやクロスビー、スティルス、ナッシュ&ヤング、デイブ・メイソンなどを好んで演奏していた[6]。また音楽のみならず、開放的で自由闊達、個人を尊重し、進取の気風に富むアメリカ西海岸の文化に大きな刺激を受ける。バックパッカーとしてしばらく放浪したこともある[要出典][7]。
- カラオケでは洋楽から最新のポップス、演歌など幅広く歌う[要出典]。
- 野球
- ハンドボール
- 鹿児島県立甲南高等学校ハンドボール部キャプテン。高校時代は授業そっちのけで戦略やフォーメーションを練っていた[9]。[要出典]2015年より日本ハンドボール協会特任副会長[10]。
社名の由来
- フューチャーシステムコンサルティング
- 何をする会社かがすぐに分かる社名にしようと考え、システムとコンサルティングが決まった。フューチャー(未来)かトラスト(信頼)かで迷ったが、映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」が流行り「フューチャー」という言葉がポピュラーになり、未来を信じる、仲間を信じるという意味をこめてフューチャーシステムコンサルティングとした。
- フューチャーアーキテクト
- 「アーキテクト」の語源はギリシャ語の「原理を熟知した匠」に由来。また「EC統合の立役者」や「外交政策の立案者」のように、プロフェッショナルとして歴史的な変革をプロデュースする存在を「アーキテクト」と呼ぶ。
- ウッドランドとの合併を機に、これまでフューチャーシステムコンサルティングで目指してきた、ビジネスとITを最適な形で融合してクライアントとともに成功を手にするだけでなく、企業の発展を通じて、人、情報、ファイナンスを有機的に結びつけて都市や地域を活性化(再生)させることで、社会全体に対してイノベーションを起こすという新たな意義を目指すことを表現した[13]。
経歴
略歴
- 1979年 - 4月、株式会社TKC 入社
- 1982年 - 4月、ロジック・システムズ・インターナショナル株式会社入社
- 1985年 - 9月、 株式会社NTTPCコミュニケーションズ取締役 兼任
- 1989年 - 11月、フューチャーシステムコンサルティング株式会社設立 代表取締役社長就任
- 2006年 - 3月、同 代表取締役会長兼社長就任
- 2007年 - 1月、フューチャーアーキテクト株式会社 代表取締役会長CEO
- 2011年 - 3月、同 代表取締役会長兼社長
- 2015年 - 7月、 同 代表取締役会長CEO就任
- 2016年 - 4月、フューチャー株式会社に商号変更、代表取締役会長兼社長グループCEO就任(現任)
公職
- 2000年 - 5月、科学技術庁革新技術審査委員会委員
- 2001年 - 日韓FTAビジネス・フォーラム IT合同分科会委員
- 2003年 - 10月、内閣府構造改革推進レポートタスクフォース委員
- 2004年 - 4月、社団法人経済同友会副代表幹事
- 2005年 - 1月、金融庁金融審議会委員
- 11月、内閣官房知的財産戦略本部コンテンツ専門調査会委員
- 2007年 - 7月、内閣府官民人材交流センターの制度設計に関する懇談会委員
- 2008年 - 4月、横浜市経営諮問委員会委員
- 10月、国家公務員制度改革推進本部顧問会議ワーキンググループ委員
- 2010年 - 早稲田大学ファイナンス研究科諮問会議議員
- 2月、一般社団法人eビジネス推進連合会監事
- 2010年 - 4月、東京都ハンドボール協会会長(現任)
- 2011年 - 1月、関東ITソフトウェア健康保険組合理事
- 5月 - 社団法人コンピュータソフトウェア協会理事
- 2012年 - 2月、内閣官房高度情報通信ネットワーク社会推進戦略本部本部員
- 2013年 - 1月、内閣府規制改革会議委員
- 2014年 - 3月、公益財団法人総合研究開発機構(NIRA)代表理事(現職)
- 5月、総務省ICTドリームスクール懇談会構成員
- 9月、内閣官房産業競争力会議委員
- 2015年 - 1月、自由民主党財政再建に関する特命委員会委員
- 4月、文部科学省 中央教育審議会実践的な職業教育を行う新たな高等教育機関の制度化に関する特別部会委員
- 5月、神戸大学アドバイザリーボード委員(現職)
- 7月、公益財団法人日本ハンドボール協会特任副会長(現職)
- 9月、経済産業省産業構造審議会新産業構造部会委員(現職)
- 10月、経済産業省IoT推進ラボIoT支援委員会委員(現職)
- 2016年 - 1月、厚生労働省働き方の未来2035懇談会委員(座長)
受賞
関連項目
出典
- ^ 企業家倶楽部2001年8月号 特集第3部 編集長インタビュー
- ^ 日テレNEWS24 金丸恭文氏、「勝ち続ける」方程式
- ^ ごあいさつ - フューチャーアーキテクト
- ^ 株価の初値3350万円のすごい会社--IT業界では知る人ぞ知るフューチャー - Nikkei BPnet
- ^ アントレ2000年1月号「起業家たちの軌跡」File NO.22 -史上最強のコンサルティング会社を創り上げた男
- ^ PRESIDENT 2004年5月19日号「本物のベンチャー」はここが違う
- ^ 東京新聞コラム「放射線」-挑戦する若者に拍手を 2005年1月13日
- ^ リーダーの本棚 フューチャー会長兼社長 金丸恭文氏
- ^ PRESIDENT 2004年5月19日号「本物のベンチャー」はここが違う
- ^ (公財)日本ハンドボール協会・役員
- ^ 東京新聞コラム「放射線」-ダイビング 2005年6月16日
- ^ KENJA GLOBAL “ PRESIDENTS OF 500 ”迷ったら困難の道を行く 2011年1月
- ^ ミッション|フューチャーの信念 - フューチャーアーキテクト
- ^ “規制改革推進会議、大田弘子議長ら委員決定”. 日本経済新聞. (2016年9月2日) 2017年2月12日閲覧。
- ^ 2001年度「東洋経済賞」「高橋亀吉記念賞」「アントレプレナー賞」決定 (PDF) - 東洋経済新報社 ニュースリリース2001年11月5日閲覧
外部リンク
- 金丸 恭文 (yasufumi.kanemaru) - Facebook
- フューチャーアーキテクト
- フューチャー イノベーション フォーラム
- 独特のビジネスモデルで経営戦略を成功に導く「IT業界の雄」