「中川」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
Kkddkkdd (会話 | 投稿記録)
Kkddkkdd (会話 | 投稿記録)
36行目: 36行目:
現在の中川の流路は、その上流部は[[明治時代]]以前の庄内古川([[幸手市]]高須賀より上流は島川)と、下流部は[[古利根川]](<!--[[江戸時代]]初期の-->[[利根川東遷事業]]以前の[[利根川]]本流で[[東京湾]]へ注ぐ)とを、[[松伏町]]大川戸から[[松伏町]]下赤岩まで開削された河道で接続して造られた。それ以前は古利根川の河口付近を中川と呼んだ。
現在の中川の流路は、その上流部は[[明治時代]]以前の庄内古川([[幸手市]]高須賀より上流は島川)と、下流部は[[古利根川]](<!--[[江戸時代]]初期の-->[[利根川東遷事業]]以前の[[利根川]]本流で[[東京湾]]へ注ぐ)とを、[[松伏町]]大川戸から[[松伏町]]下赤岩まで開削された河道で接続して造られた。それ以前は古利根川の河口付近を中川と呼んだ。


この水系整備により、庄内古川・島川より東京湾河口まで中川として扱われ、合わせて古利根川、元荒川、綾瀬川なども中川水系とされた。
この水系整備により、庄内古川・島川より東京湾河口まで中川として扱われ、合わせて古利根川、元荒川、綾瀬川なども中川水系とされた。
<!--中川は[[利根川東遷事業]]以前は[[利根川]]と[[荒川 (関東)|荒川]]の本流だった。[[江戸時代]]初めまで現在の中川下流の川筋に流れ込んでおり、その時「中川」という川はなかった。利根川を東に移し、荒川を西に移す工事が完成した後に残った流れが、中川である。江戸時代の中川は、元荒川、庄内古川、古利根川などの流れが合流した地点から下流を指した。[[明治]]時代に庄内古川、島川の流路が本流とされ、さかのぼってこれらも中川と呼ばれるようになった。-->
<!--中川は[[利根川東遷事業]]以前は[[利根川]]と[[荒川 (関東)|荒川]]の本流だった。[[江戸時代]]初めまで現在の中川下流の川筋に流れ込んでおり、その時「中川」という川はなかった。利根川を東に移し、荒川を西に移す工事が完成した後に残った流れが、中川である。江戸時代の中川は、元荒川、庄内古川、古利根川などの流れが合流した地点から下流を指した。[[明治]]時代に庄内古川、島川の流路が本流とされ、さかのぼってこれらも中川と呼ばれるようになった。-->



2016年9月10日 (土) 13:49時点における版

中川
中川 2004年3月2日撮影
吉川市と越谷市の境
水系 一級水系 利根川
種別 一級河川
延長 83.7 km
平均流量 -- m³/s
流域面積 286.2 km²
水源 埼玉県羽生市
水源の標高 -- m
河口・合流先 東京湾江戸川区
流域 埼玉県茨城県東京都
テンプレートを表示
中川起点の碑(羽生市東7丁目)
新中川(左手)との分流地点
綾瀬川(左手)との合流地点
江戸時代の中川口

中川(なかがわ)は、埼玉県および東京都を流れ東京湾に注ぐ一級河川利根川水系の支流である。上流を島川、中流を庄内古川と呼称する場合もある[1]

地理

埼玉県羽生市街地の住宅地の中に源を発する。宮田落(農業排水路)が葛西用水伏越で潜った吐口に起点を示す石標がある。源流付近では農業排水路から繋がる河川そのままの細い流れだが、小さな用水路や小川を集めて幅を広げて、幸手市付近では川幅約70mにもなるが、幸手市上宇和田で幸手放水路の分岐により一度川幅が3分の1以下になる。

江戸川の西側を平行して南へ流れ、春日部市国道16号地下を流れる首都圏外郭放水路に接続(この放水路へは増水時に通水する)する。松伏町大川戸から松伏町下赤岩まで開削された河道を通り古利根川に合流し、越谷市付近で新方川元荒川を合わせると再度川幅が広くなり幅約100m程度になる。葛飾区内で新中川を分ける。海から約8kmのところで綾瀬川を合わせ、以後は荒川と接しながら並流。河口付近で荒川と合流する。綾瀬川が合流する地点には水門が設けられている。最下流部の江戸川区東小松川には現在では全国唯一の河川水面の競艇場である江戸川競艇場がある。

水元公園小合溜[2]は、中川の水を導水したものが用いられている。

中川は、利根川には合流せず荒川と並走する形で東京湾へと注ぐ。このことから荒川水系と誤解され易いが、1964年の河川法改訂時における建設省河川審議会管理部会の見解によれば、中川は利根川の分流である江戸川の分流・旧江戸川に合流する新中川放水路が分流しているため、水系の定義である「本流より分流し直接海に流入する派川と、その派川に流入する支流の全ては同一水系に所属する」という建前から、河川法改訂後利根川水系が一級河川に指定される際に利根川水系に属する決定が下された[3]。このことから中川とその支流は利根川水系の河川であり、荒川水系ではない。

歴史

現在の中川の流路は、その上流部は明治時代以前の庄内古川(幸手市高須賀より上流は島川)と、下流部は古利根川利根川東遷事業以前の利根川本流で東京湾へ注ぐ)とを、松伏町大川戸から松伏町下赤岩まで開削された河道で接続して造られた。それ以前は古利根川の河口付近を中川と呼んだ。

この水系整備により、庄内古川・島川より東京湾河口までが中川として扱われ、合わせて古利根川、元荒川、綾瀬川なども中川水系とされた。

なお庄内古川は、江戸時代以前の渡良瀬川の下流域(権現堂川より下流)を流れ、その流路の一つで古くは太日川と呼ばれた。太日川は江戸時代に整備され現在の江戸川となり、庄内古川とは吉川市付近で合流した。

環境

人口急増による生活排水の増加、下水道整備の遅れなどの影響により20世紀後半に水質がきわめて悪化したが、流域の下水道の普及などにより1990年代から次第に改善した。もっとも、日本国内の他の河川と比べると未だ悪い方に入る。2004年BOD値平均の全国比較でワースト2位になった(1位は支流の綾瀬川)。2011年の全国比較では、ワースト1位(2位は同じ支流の綾瀬川)になった[4]

水質が改善されてきたためか、中川では23種の魚類と4種のエビ・カニ・貝類が確認されている[5]

流域の自治体

埼玉県
羽生市加須市久喜市幸手市
茨城県
猿島郡五霞町
埼玉県
幸手市、北葛飾郡杉戸町春日部市、北葛飾郡松伏町吉川市越谷市草加市三郷市八潮市
東京都
足立区葛飾区江戸川区

支流

橋梁

上流から

島川橋付近(久喜市島川地区)
豊橋付近(松伏町金杉地区)

脚注

  1. ^ 災害教訓の継承に関する専門調査会報告書 1947 カスリーン台風 第5章 利根川氾濫流の流下と中川流域 (PDF) - 内閣府防災部門HP
  2. ^ 正式名称は「小合溜井」(こあいためい)。かつての古利根川(中川)の一部で1729年に井沢弥惣兵衛が水害防止、及び灌漑用水を調整する遊水池として設けられた。
  3. ^ 『利根川百年史』p.1601
  4. ^ 河川水質の現況 - 国土交通省
  5. ^ 中川 - 東京都建設局

関連項目

外部リンク