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== 大陸移動説 ==
== 大陸移動説 ==
[[1912年]]に[[アルフレート・ヴェーゲナー]]自身の[[大陸移動説]]によって、現在の諸[[大陸]]分裂する前に一つであったと[[仮説]]提唱し、
[[1912年]]に[[アルフレート・ヴェーゲナー]]は、自身の提唱する[[大陸移動説]]の中で、現在の諸[[大陸]]分裂する前に一つであったと[[仮説]]を主張し、この仮説[[大陸]]をギリシャ語で「すべての[[陸地]]」を意味する「パンゲア大陸」と命名した。
ギリシャ語で「すべての[[陸地]]」という意味で、この仮説[[大陸]]を「パンゲア大陸」と命名した。


当初、大陸を動かす原動力が説明されておらず、このような移動は物理的にありえないとされたが、ヴェーゲナーの死後、[[1950年]]以降次々に新事実が見つかり、[[プレートテクトニクス]]理論として再評価されている<ref>大浜一之『科学雑学辞典』([[日本実業出版社]])</ref>。
当初、大陸を動かす原動力が説明されておらず、このような移動は物理的にありえないとされたが、ヴェーゲナーの死後、[[1950年]]以降次々に新事実が見つかり、[[プレートテクトニクス]]理論として再評価されている<ref>大浜一之『科学雑学辞典』([[日本実業出版社]])</ref>。
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== 大陸の形態 ==
== 大陸の形態 ==
パンゲア大陸は[[赤道]]をはさんで三日月型に広がっていた。三日月内部の浅く広大な内海であるテチス海では多くの海洋生物が繁殖した。その一方、内陸部は海岸から遠いため乾燥した[[砂漠]]が荒涼と広がっていた。ほぼ全ての大地が地続きで動植物の移動が促進されたため、[[生物多様性]]は現在よりも乏しく均質だった。
パンゲア大陸は[[赤道]]をはさんで三日月型に広がっていた。三日月内部の浅く広大な内海であるテチス海では多くの海洋生物が繁殖した。その一方、内陸部は海岸から遠いため乾燥した[[砂漠]]が荒涼と広がっていた。ほぼ全ての大地が地続きで動植物の移動が促進されたため、[[生物多様性]]は現在よりも乏しく均質だった。


1億8000万年前の[[ジュラ紀]]になると、南北に分裂し、北は[[ローラシア大陸]]、南は[[ゴンドワナ大陸]]となった。両大陸は,更に分裂していった。
1億8000万年前の[[ジュラ紀]]になると、南北に分裂し、北は[[ローラシア大陸]]、南は[[ゴンドワナ大陸]]となった。両大陸は,更に分裂していった。


パンゲア大陸にはもう一つの形がある。それは三日月型ではなく丸くなっているという説である。上記地図の[[ローラシア大陸]]の凹みと[[オーストラリア大陸]]の凸部とが丁度つながっていたともされる。
パンゲア大陸にはもう一つの形がある。それは三日月型ではなく丸くなっているという説である。上記地図の[[ローラシア大陸]]の凹みと[[オーストラリア大陸]]の凸部とが丁度つながっていたともされる。


== 出典・脚注 ==
== 出典・脚注 ==

2014年1月27日 (月) 13:21時点における版

パンゲア大陸
パンゲア大陸の分裂

パンゲア大陸(パンゲアたいりく、Pangea)は、ペルム紀から三畳紀にかけて存在した超大陸である。

大陸移動説

1912年アルフレート・ヴェーゲナーは、自身の提唱する大陸移動説の中で、現在の諸大陸は分裂する前に一つであったとの仮説を主張し、この仮説大陸をギリシャ語で「すべての陸地」を意味する「パンゲア大陸」と命名した。

当初、大陸を動かす原動力が説明されておらず、このような移動は物理的にありえないとされたが、ヴェーゲナーの死後、1950年以降次々に新事実が見つかり、プレートテクトニクス理論として再評価されている[1]

概要

古生代ペルム紀の終わりである2億5000万年前頃に、ローレンシア大陸、、バルティカ大陸(ローレンシア・バルティカ両大陸は既にデボン紀には衝突し、ユーラメリカ大陸を形成していた)、ゴンドワナ大陸(ペルム紀初期にはユーラメリカと衝突)、シベリア大陸などすべての大陸が次々と衝突したことによって誕生し、中生代三畳紀の2億年前ごろから、再び分裂を始めた[2]

超大陸の完成時、地球内部からスーパープルームが上昇して世界各地の火山活動が活発になり、ペルム紀三畳紀との境界(P-T境界)に当時生きていた古生代の海洋生物種のうち、実に95%以上が絶滅した。

当時の海水準は高かったため、大半の時代は、浅海によって幾つかの陸塊に分かれていた。

大陸の形態

パンゲア大陸は、赤道をはさんで三日月型に広がっていた。三日月内部の浅く広大な内海であるテチス海では多くの海洋生物が繁殖した。その一方、内陸部は海岸から遠いため乾燥した砂漠が荒涼と広がっていた。ほぼ全ての大地が地続きで動植物の移動が促進されたため、生物多様性は現在よりも乏しく均質だった。

1億8000万年前のジュラ紀になると、南北に分裂し、北はローラシア大陸、南はゴンドワナ大陸となった。両大陸は,更に分裂していった。

パンゲア大陸には、もう一つの形がある。それは、三日月型ではなく丸くなっているという説である。上記地図のローラシア大陸の凹みとオーストラリア大陸の凸部とが丁度つながっていたともされる。

出典・脚注

  1. ^ 大浜一之『科学雑学辞典』(日本実業出版社)
  2. ^ 『科学雑学辞典』によると、ヴェーグナーはパンゲア大陸は3億年ぐらい前までには存在し、その後分裂して数百万年かかって現在の大陸の形になったと主張していた。

関連項目