「ビジーフォー」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
編集の要約なし
3行目: 3行目:




== 概要 ==
==概要==
=== 誕生から解散まで ===
=== 誕生から解散まで ===
デビュー当時は渡辺プロダクション(現在の[[ワタナベエンターテインメント]])に在籍していた。
デビュー当時は渡辺プロダクション(現在の[[ワタナベエンターテインメント]])に在籍していた。
27行目: 27行目:
解散の理由は[[清水アキラ]]の著書によれば「金の縺れ」であるという。[[ものまね王座決定戦]]では再三不仲ぶりがネタにされていた。また、同様の不仲の事実を暗に示唆している発言としては、2008年にウガンダが逝去した際に[[アゴ勇]]が[[日刊ゲンダイ]]のインタビューに応じて語ったもの[http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080607-00000002-gen-ent]がある。これによれば1980年代後半、アゴ勇は仕事がスランプに陥った時期にウガンダの自宅に居候していた。このウガンダ宅は新宿区内の当時の[[フジテレビジョン|フジテレビ]]社屋の近くにあり、[[山田邦子]]、[[ジャガー横田]]、[[森公美子]]、[[ブラザー・コーン]]など数多くのタレントの溜まり場兼[[駆け込み寺]]の様相を呈していたにもかかわらず、そのウガンダ宅でアゴはビジーフォーの面々を見たことが無かったという。
解散の理由は[[清水アキラ]]の著書によれば「金の縺れ」であるという。[[ものまね王座決定戦]]では再三不仲ぶりがネタにされていた。また、同様の不仲の事実を暗に示唆している発言としては、2008年にウガンダが逝去した際に[[アゴ勇]]が[[日刊ゲンダイ]]のインタビューに応じて語ったもの[http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080607-00000002-gen-ent]がある。これによれば1980年代後半、アゴ勇は仕事がスランプに陥った時期にウガンダの自宅に居候していた。このウガンダ宅は新宿区内の当時の[[フジテレビジョン|フジテレビ]]社屋の近くにあり、[[山田邦子]]、[[ジャガー横田]]、[[森公美子]]、[[ブラザー・コーン]]など数多くのタレントの溜まり場兼[[駆け込み寺]]の様相を呈していたにもかかわらず、そのウガンダ宅でアゴはビジーフォーの面々を見たことが無かったという。


==メンバー==
==エピソ==
* 歌唱力の評価は高かったが、ものまね自体は、似てるか似てないかわからないネタ(古い洋楽など)が多かったり、誰のまねをしても同じ声(特にファルセットのアーティスト)だったりしたため、評価がまちまちだった。[[フジテレビ]]の『[[ものまね珍坊]]』で[[和田アキ子]]から「ビジーフォーはものまねじゃないでしょ」と突っこまれていた。
* [[エルヴィス・プレスリー]]のものまねをする時に、マイクを額にぶつけるという芸をよくやっていた。ひどい時には額から出血することもあった。この芸は当時の子供たちや多くの芸人に模倣された。


==メンバー==
===ビジーフォー===
===ビジーフォー===
*[[島田与作]]/イタッケ島田(ベース)
*[[島田与作]]/イタッケ島田(ベース)

2009年2月6日 (金) 07:27時点における版

ビジーフォーは、1978年に結成されたコミックバンド。前身は、1977年に結成の「いそがしバンド」である。名前のビジーはbusyから来ており、「仕事がたくさん来て忙しくなるように」という願いが込められている。ビージーフォーと誤読されることもあるが、正式にはビジーフォーである。 コミックソングものまね・アメリカナイズされたコントなどを得意とする。


概要

誕生から解散まで

デビュー当時は渡辺プロダクション(現在のワタナベエンターテインメント)に在籍していた。 メンバーは、リーダーの島田与作(異名:イタッケ島田、ベース)、グッチ裕三ボーカル)、スリム冬樹(現モト冬樹ギター)、ウガンダ(ウガンダ・トラ、ドラム)の四人(グッチ、モト、ウガンダとエド山口というのは間違い)。 ウガンダがボーカルの時は、グッチがドラムを叩いていた。 当時のネタとしては、歌謡曲やらオールディーズの替え歌で「ウガンダ=デブ、モト冬樹=ハゲ、島田与作=若作り」を歌に交えて、イジって笑いを取っていた。

歌(コーラス)・演奏がうまいコミックバンドとして人気を得るが、メンバーの方向性の違いなどを理由に1984年頃解散、島田は引退し、ウガンダはピン芸人となる。

ビジーフォー・スペシャル

しばらくのブランクを経た後、新たにウーロン茶(ベース)、紅一点(キーボード)、ロバよしお(ドラム)の三人が加わり、ビジーフォー・スペシャルとして再スタート(その後ロバよしおが辞め、エデン東(ドラム)が加入。また、マネージャー兼見習いメンバーとして北海龍が参加)。 この頃から本格的にものまねを始め、1983年から出演のフジテレビものまね王座決定戦では最多の5回の優勝を果たし、ものまねブームの立役者となる(中心メンバーのグッチとモトのペアの出演だけでも「ビジーフォー・スペシャル」として表記される)。 その他、夜も一生けんめい。NTV)などで活躍した。 なお、ビジーフォー・スペシャルになってからもビジーフォーと呼ばれることがあった。

分裂

1992年にグッチは「グッチ裕三とグッチーズ」を、モトらは新メンバーを加え「モト冬樹とナンナラーズ(結成当初はモトとフリーマーケット)」を立ち上げ、それ以降主にそれぞれピンとして活動しており、グループとしては解散状態である。「ものまね王座決定戦」や「夜もヒッパレ一生けんめい」などでは引き続きグループ名が表記されていたが、それらの終了以降はテレビ出演してもそれぞれの個人名でしか表記されなくなった。

解散の真相

解散の理由は清水アキラの著書によれば「金の縺れ」であるという。ものまね王座決定戦では再三不仲ぶりがネタにされていた。また、同様の不仲の事実を暗に示唆している発言としては、2008年にウガンダが逝去した際にアゴ勇日刊ゲンダイのインタビューに応じて語ったもの[1]がある。これによれば1980年代後半、アゴ勇は仕事がスランプに陥った時期にウガンダの自宅に居候していた。このウガンダ宅は新宿区内の当時のフジテレビ社屋の近くにあり、山田邦子ジャガー横田森公美子ブラザー・コーンなど数多くのタレントの溜まり場兼駆け込み寺の様相を呈していたにもかかわらず、そのウガンダ宅でアゴはビジーフォーの面々を見たことが無かったという。

エピソード

  • 歌唱力の評価は高かったが、ものまね自体は、似てるか似てないかわからないネタ(古い洋楽など)が多かったり、誰のまねをしても同じ声(特にファルセットのアーティスト)だったりしたため、評価がまちまちだった。フジテレビの『ものまね珍坊』で和田アキ子から「ビジーフォーはものまねじゃないでしょ」と突っこまれていた。
  • エルヴィス・プレスリーのものまねをする時に、マイクを額にぶつけるという芸をよくやっていた。ひどい時には額から出血することもあった。この芸は当時の子供たちや多くの芸人に模倣された。

メンバー

ビジーフォー

1947年生。リーダー。元・GSグループ「ザ・クーガース」メンバー。現在は音楽会社経営。
初期は高田〝グッチ〟裕三名義。
初期は武藤〝スリム〟冬樹→武藤〝モト〟冬樹名義。
  • ウガンダ(ドラムス)
ウガンダ・トラの頁を参照。

ビジーフォースペシャル

1956年生。本名:佐藤知己。解散後は「モト冬樹とナンナラーズ」メンバー。現在は有限会社「チャイメイツ」経営。
本名:松川美子。メンバーからは本名で呼ばれる。解散後は「モト冬樹とナンナラーズ」メンバー。
初代ドラマー。途中で脱退。
二代目ドラマー。解散後は「モト冬樹とナンナラーズ」メンバー。
1962年生。本当はマネージャーだがメンバーとともに出演。元押尾川部屋力士。

ものまねレパートリー

外国人アーティストのものまねが得意である。

シングル

出演番組

※現在は全て放送終了

外部リンク