「天地開闢 (日本神話)」の版間の差分
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古事記によれば、世界の始った直後は次のようであった。古事記の「天地初発之時」(あめつちのはじめのとき)という冒頭は天と地となって動き始めた時であり、天地がいかに創造されたかを語ってはいないが |
古事記によれば、世界の始った直後は次のようであった。古事記の「天地初発之時」(あめつちのはじめのとき)という冒頭は天と地となって動き始めた時であり、天地がいかに創造されたかを語ってはいないが、一般的には日本神話における天地開闢のシーンと言えば、近代以降は古事記のこのシーンが想起される。<!--古事記が読めるようになったのは本居宣長の画期的研究『古事記伝』によるから-->神話研究における「天地開闢」は次節の『[[天地開闢 (日本神話)#|日本書紀]]』参照。 |
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世界の最初に、[[高天原]]に相次いで三柱の神(造化の三神)が生まれた。 |
世界の最初に、[[高天原]]に相次いで三柱の神(造化の三神)が生まれた。 |
2008年9月4日 (木) 07:09時点における版
天地開闢(てんちかいびゃく)とは、天地に代表される世界が、初めて生まれた時のことを示す。
狭義には『日本書紀』冒頭の「古(いにしえ)に天地未だ剖(わか)れず、陰陽分れざりしとき……」を言うが、この記事では、広義の日本神話における天地開闢・国土創造のシーンについて記す。
中国神話における天地開闢は天地開闢 (中国)を、キリスト教の旧約聖書の創世記におけるものについては天地創造を参照せよ。
自分達の世界がどのようにして生まれたか。このことは、古代人にとっても大きな問題であった。古事記・日本書紀の最初の部分は、世界誕生の頃の物語となっている。しかし、古事記と日本書紀との間で、物語の内容は相当に異なる。またさらに、日本書紀の中でも、本書といわれる部分の他に、一書と呼ばれる異説の部分がある。このようにして、世界誕生の神話は1つに定まっていない。
あらすじ
古事記
古事記によれば、世界の始った直後は次のようであった。古事記の「天地初発之時」(あめつちのはじめのとき)という冒頭は天と地となって動き始めた時であり、天地がいかに創造されたかを語ってはいないが、一般的には日本神話における天地開闢のシーンと言えば、近代以降は古事記のこのシーンが想起される。神話研究における「天地開闢」は次節の『日本書紀』参照。
世界の最初に、高天原に相次いで三柱の神(造化の三神)が生まれた。
続いて、二柱の神が生まれた。
- 宇摩志阿斯訶備比古遅神 (うましあしかびひこぢのかみ)
- 天之常立神 (あめのとこたちのかみ)
この五柱の神は、特に性別はなく、独身のままに子どもを生まずに身を隠してしまった。それゆえに、これ以降表だって神話には登場しないが、根元的な影響力を持つ特別な神である。そのため別天神(ことあまつかみ)と呼ぶ。
次に、また二柱の神が生まれた。
国之常立神と豊雲野神もまた性別はなく、またこれ以降神話には登場しない。
これに引き続いて、五組十柱の神々が生まれた。五組の神々は、それぞれ男女の対の神々であり、下のリストでは、左側が男性神、右側が女性神となっている。
- 宇比地邇神 (うひぢにのかみ) 、須比智邇神 (すひぢこのかみ)
- 角杙神 (つのぐひのかみ) 、活杙神 (いくぐひのかみ)
- 意富斗能地神 (おほとのじのかみ) 、大斗乃弁神 (おほとのべのかみ)
- 於母陀流神 (おもだるのかみ) 、阿夜訶志古泥神 (あやかしこねのかみ)
- 伊邪那岐神 (いざなぎのかみ) 、伊邪那美神 (いざなみのかみ)
以上の七組十二柱の神々を総称して神世七代(かみのよななよ)という。
日本書紀
日本書紀における天地開闢は渾沌が陰陽に分離して天地と成ったという世界認識が語られる。続いてのシーンは、性別のない神々の登場のシーン(巻一第一段)と男女の別れた神々の登場のシーン(巻一第二段・第三段)に分かれる。また、先にも述べたように、古事記と内容が相当違う。さらに異説も存在する。
根源神たちの登場
本書によれば、太古、天と地とは分かれておらず、互いに混ざり合って混沌とした状況にあった。しかし、その混沌としたものの中から、清浄なものは上昇して天となり、重く濁ったものは大地となった。そして、その中から、神が生まれるのである。
天地の中に葦の芽のようなものが生成された。これが、神となる。
これらの神々には、性別がなかった。
- 第1の一書によれば、天地の中に生成されたものの形は不明である。しかし、これが神となったことは変わらない。生まれた神々は次の通りである。なお、白丸で箇条書きされているのは、上の神の別名である。
- 国常立尊(くにのとこたちのみこと)
- 国底立尊(くにのそこたちのみこと)
- 国狭槌尊(くにのさつちのみこと)
- 国狭立尊(くにのさたちのみこと)
- 豊国主尊(とよくにむしのみこと)
- 豊組野尊(とよくむののみこと)
- 豊香節野尊(とよかぶののみこと)
- 浮経野豊買尊(うかぶののとよかふのみこと)
- 豊国野尊(とよくにののみこと)
- 豊齧野尊(とよかぶののみこと)
- 葉木国野尊(はこくにののみこと)
- 見野尊(みののみこと)
- 国常立尊(くにのとこたちのみこと)
- 第2の一書によれば、天地の中に葦の芽のようなものが生成された。これが、神となったとされる。すなわち、本書と同じ内容であるが、神々の名称が異なる。
- 第3の一書でも、生まれた神々の名が異なる。なお、生まれた神は人のような姿をしていたと描写されている。
- 可美葦牙彦舅尊(うましあしかびひこぢのみこと)
- 国底立尊(くにのそこたちのみこと)
- 第4の一書によれば、生まれた神々の名は下の通りである。この異伝は、古事記の記述に類似している。
- 国常立尊(くにのとこたちのみこと)
- 国狭槌尊(くにのさつちのみこと)
- これらの二柱の神々の次に、高天原に生まれたのが、下の三柱の神々である。
- 第5の一書によれば、天地の中に葦の芽が泥の中から出てきたようなものが生成された。これが、人の形をした神となったとされる。本書とほぼ同じ内容であるが、一柱の神しか登場しない。
- 国常立尊(くにのとこたちのみこと)
- 第6の一書も、本書とほぼ同様に、葦の芽のような物体から神が生まれた。ただし、国常立尊は漂う脂のような別の物体から生まれた。
男女一対神たちの登場
渾沌から天地がわかれ、性別のない神々が生まれたあと、男女の別のある神々が生まれることとなる。これらの神々の血縁関係は、本書では記されていないが、一書の中には異伝として、記されている。
本書によれば、四組八柱の神々が生まれた。四組の神々は、それぞれ男女の対の神々であり、下のリストでは、左側が男性神、右側が女性神となっている。なお、黒丸で箇条書きされているのは、上の神の別名である。
- 埿土煮尊(うひぢにのみこと)、沙土煮尊(すひぢにのみこと)
- 二神の別名
- 埿土根尊(うひぢねのみこと)、沙土根尊(すひぢねのみこと)
- 二神の別名
- 大戸之道尊(おほとのぢのみこと)、大苫辺尊(おほとまべのみこと)
- 二神の別名
- 大戸摩彦尊(おほとまひこのみこと)、大戸摩姫尊(おほとまひめのみこと)
- 大富道尊(おほとまぢのみこと)、大富辺尊(おほとまべのみこと)
- 大戸之道尊の別名
- 大戸之辺尊(おほとのべのみこと)
- 二神の別名
- 面足尊 (おもだるのみこと) 、惶根尊 (かしこねのみこと)
- 惶根尊の別名
- 吾屋惶根尊(あやかしこねのみこと)
- 忌橿城尊(いむかしきのみこと)
- 青橿城根尊(あをかしきのみこと)
- 吾屋橿城尊(あやかしきのみこと)
- 惶根尊の別名
- 伊弉諾尊(いざなぎのみこと)、伊弉冉尊(いざなみのみこと)
- 第1の一書では、伊弉諾尊、伊弉冉尊は、青橿城根尊の子とされている。
- 第2の一書では、神々の系図がよりはっきりとしている。
- 国常立尊
- 天鏡尊(あまのかがみのみこと)
- 国常立尊の子。
- 天万尊(あめよろずのみこと)
- 天鏡尊の子。
- 沫蕩尊(あわなぎのみこと)
- 天万尊の子。
- 伊弉諾尊
- 沫蕩尊の子。
さて、本書によれば、国常立尊・国狭槌尊・豊斟渟尊に、以上の四組八柱の神々を加えたものを総称して神世七代という。
- 第1の一書によれば、四組八柱の神々の名が異なっている。
- 埿土煮尊(うひぢにのみこと)、沙土煮尊(すひぢにのみこと)
- 角樴尊(つのくひのみこと)、活樴尊(いくくひのみこと)
- 面足尊(おもだるのみこと)、惶根尊(かしこねのみこと)
- 伊弉諾尊(いざなぎのみこと)、伊弉冉尊(いざなみのみこと)
解説
神名
中国思想の影響
『日本書紀』の冒頭「古(いにしえ)に天地未だ剖(わか)れず、陰陽分れざりしとき……」[1]。は中国の古典の『淮南子』の「天地未だ剖(わか)れず、陰陽未だ判(わか)れず、四時未だ分れず、萬物未だ生ぜず……」[2]によっている[3]。