コンテンツにスキップ

松平利長

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
松平 利長
時代 戦国時代
生誕 不明
死没 永禄3年(1560年
別名 千熊(幼名)、彦四郎(通称)
戒名 龍徳院殿奇春樹祥大居士
墓所 法林山光忠寺(愛知県蒲郡市西浦町
主君 松平広忠
氏族 藤井松平家
父母 父:松平長親
兄弟 信忠親盛信定義春、阿部忠親、利長
信一
テンプレートを表示
藤井城址の碑(愛知県安城市藤井町)

松平 利長(まつだいら としなが)は、戦国時代武将松平宗家5代当主・松平長親の六男。通称は彦四郎。三河国碧海郡藤井城(現在の愛知県安城市藤井町)を居城とし、藤井松平家初代となった。

略歴

[編集]

松平長親は、勢力を拡大して安定をはかるため、一族を福釜、桜井、藤井などに配置した。利長は藤井の地を与えられ、南の西条、東条吉良家に備えた。

天文9年(1540年)、三河安祥城織田信秀軍に攻撃された。城主・松平長家は劣勢となり、松平広忠の命により、松平(源次郎)信康、松井忠次、松平(甚六郎)康忠とともに援兵として城を守る。城主・長家をはじめ、信康、康忠が戦死する中、忠次とともによく防戦して、織田軍を撃退することに成功した(安城合戦)。

永禄3年(1560年)5月、尾張丸根城攻めで戦死した(但し書状等で永禄3年以降の生存が確認されており、戦死が誤りと言う説もある)。

享年不詳。墓所は愛知県蒲郡市西浦町の法林山光忠寺。法名は「龍徳院殿奇春樹祥大居士」。

山形県上山市の月岡神社は利長・信一父子を祀るために明治10年(1877年)に建てられたとされる。

参考文献

[編集]
  • 寛政重修諸家譜 第一輯』巻第七(国民図書、1922年) 
  • 『家康と松平一族』 安城市歴史博物館編集(2021年発行) P.58~59藤井家