岡本圭治
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基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 岡山県赤磐郡山陽町(現:赤磐市) |
生年月日 | 1967年7月9日(57歳) |
身長 体重 |
182 cm 73 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投両打 |
ポジション | 内野手 |
プロ入り | 1989年 ドラフト2位 |
初出場 | 1993年4月10日 |
最終出場 | 1994年10月4日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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岡本 圭治(おかもと けいじ、1967年7月9日 - )は、岡山県赤磐郡山陽町(現:赤磐市)[1]出身の元プロ野球選手。
経歴
[編集]小学生の時にソフトボールの選手となり、中学生の時に野球を始める[1]。
岡山東商業高から近畿大学に進み、100m11秒という俊足が売りのスイッチヒッターとして活躍。3、4年次は大学選手権連覇を経験。1989年には関西学生野球秋季リーグのベストナインに選出。チームの明治神宮大会優勝に貢献し、日米大学野球代表にも名を連ねた[1]。同期にエースの酒井光次郎、内匠政博がいた。
1989年のプロ野球ドラフト会議において阪神タイガースに2位で指名され入団[1]。契約金5500万円・年俸600万円(金額は推定)と決まった[2]。入団発表の席では同期入団の新庄剛志に脚力を認められるシーンもあったが、非力な打撃に加え故障がちな体質なため、プロの世界では伸び悩んだ。
1993年に一軍初出場を果たし同年は98試合に出場するも、翌1994年には元来弱かった肩を壊し、シーズン終了後に退団[1]。現役を引退した。
詳細情報
[編集]年度別打撃成績
[編集]年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
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1993 | 阪神 | 98 | 180 | 156 | 24 | 32 | 2 | 2 | 2 | 44 | 9 | 2 | 5 | 7 | 2 | 14 | 0 | 1 | 33 | 0 | .205 | .272 | .282 | .554 |
1994 | 74 | 85 | 72 | 14 | 13 | 3 | 0 | 0 | 16 | 2 | 3 | 0 | 2 | 0 | 10 | 0 | 1 | 13 | 2 | .181 | .289 | .222 | .511 | |
通算:2年 | 172 | 265 | 228 | 38 | 45 | 5 | 2 | 2 | 60 | 11 | 5 | 5 | 9 | 2 | 24 | 0 | 2 | 46 | 2 | .197 | .277 | .263 | .540 |
記録
[編集]- 初出場:1993年4月10日、対中日ドラゴンズ1回戦(阪神甲子園球場)、9回表に木戸克彦の代打として出場
- 初打席:同上、9回表に森田幸一の前に凡退
- 初安打・初打点:1993年4月14日、対ヤクルトスワローズ2回戦(阪神甲子園球場)、7回裏に木戸克彦の代打として出場、高津臣吾から適時打
- 初先発出場:1993年5月1日、対広島東洋カープ2回戦(広島市民球場)、2番・二塁手として先発出場
- 初本塁打:1993年6月24日、対中日ドラゴンズ12回戦(ナゴヤ球場)、8回表に御子柴進の代打として出場、今中慎二からソロ
背番号
[編集]- 9 (1990年 - 1994年)
脚注
[編集]関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 個人年度別成績 岡本圭治 - NPB.jp 日本野球機構
- 選手の各国通算成績 Baseball-Reference (Japan)