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麦倉洋一

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
麦倉 洋一
佐野日本大学高等学校硬式野球部 監督
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 栃木県下都賀郡都賀町(現:栃木市[1]
生年月日 (1971-07-29) 1971年7月29日(53歳)
身長
体重
178 cm
79 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1989年 ドラフト3位
初出場 1991年4月9日
最終出場 1991年7月13日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
監督歴
  • 佐野日本大学高等学校

麦倉 洋一(むぎくら よういち、1971年7月29日 - )は、栃木県下都賀郡都賀町(現:栃木市)出身[1]の元プロ野球選手投手、右投右打)、野球指導者。

経歴

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中学時代にテレビ番組『ビートたけしのスポーツ大将』に出演したけし軍団と対決し1安打完封、ビートたけしに「君はプロでやっていける」と絶賛された。

佐野日大高では3年時に48イニング連続無失点や[1]栃木県予選では全試合無失点を記録し、同校初となる夏の甲子園に出場に貢献し[1]、球威のあるストレートがプロ野球のスカウトの注目を浴びた。甲子園の大会の初戦は開会式直後の開幕戦であり、その試合で打ってはその試合唯一の得点となる決勝本塁打、投げては完封勝利を挙げ、1-0で近大福山高に勝利した[1]。平成元年の大会の開幕戦であったため、夏の甲子園大会の「平成1号本塁打・打点・得点・勝利打点」「平成1号勝利(完投勝利・完封勝利)投手」を独占することとなった。

1989年のプロ野球ドラフト会議にて阪神タイガースから3位で指名され入団した。ドラフト指名後の会見で「自分が阪神に指名されたので、友達も皆阪神ファンになった」という趣旨を栃木弁で語った。契約金4500万円・年俸400万円(金額は推定)と決まった[2]

2年目の1991年にカーブやフォークボールを武器に、プロ初勝利を含む2勝をマークしたが、1992年に右肩を故障し手術を2回受けるも肩が回復せず、1994年6月に現役引退。

引退後は、ゴルフ場開発会社勤務を経てスポーツ用品の商社のデサントに勤務し、営業部タイガース担当に。また阪神タイガースOB野球教室に講師として参加している。

2017年4月より母校の佐野日大高校の監督に就任[1]

詳細情報

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年度別投手成績

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W
H
I
P
1991 阪神 12 7 0 0 0 2 4 0 -- .333 174 39.1 40 6 24 0 0 18 2 0 23 21 4.81 1.63
通算:1年 12 7 0 0 0 2 4 0 -- .333 174 39.1 40 6 24 0 0 18 2 0 23 21 4.81 1.63

記録

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  • 初登板:1991年4月9日、対読売ジャイアンツ1回戦(阪神甲子園球場)、8回表無死に4番手で救援登板、1回無失点
  • 初奪三振:1991年4月10日、対読売ジャイアンツ2回戦(阪神甲子園球場)、8回表に緒方耕一から
  • 初先発登板・初勝利・初先発勝利:1991年5月6日、対横浜大洋ホエールズ4回戦(阪神甲子園球場)、6回2/3を1失点

背番号

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  • 50 (1990年 - 1993年)
  • 42 (1994年)

脚注

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  1. ^ a b c d e f 佐野日大新監督に元阪神ドラ3麦倉洋一氏が就任 - 野球”. 日刊スポーツ (2016年12月4日). 2017年5月16日閲覧。
  2. ^ 毎日新聞東京版 1989年12月17日(朝刊)13版25面

関連項目

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外部リンク

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