寺泊町
てらどまりまち 寺泊町 | |||||
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廃止日 | 2006年1月1日 | ||||
廃止理由 |
編入合併 栃尾市、寺泊町、与板町、和島村→長岡市 | ||||
現在の自治体 | 長岡市 | ||||
廃止時点のデータ | |||||
国 | 日本 | ||||
地方 |
中部地方、北陸地方 甲信越地方 | ||||
都道府県 | 新潟県 | ||||
郡 | 三島郡 | ||||
市町村コード | 15406-7 | ||||
面積 | 58.16 km2 | ||||
総人口 |
11,636人 (推計人口、2005年12月1日) | ||||
隣接自治体 | 新潟市、長岡市、与板町、和島村、出雲崎町、弥彦村、分水町 | ||||
町の木 | トゲナシニセアカシア[1] | ||||
町の花 | ハマナス[1] | ||||
他のシンボル | - | ||||
寺泊町役場 | |||||
所在地 |
〒940-2592 新潟県三島郡寺泊町上田町8224-2[1] | ||||
外部リンク | 寺泊町のデータ(長岡市)寺泊町(Internet Archive) | ||||
座標 | 北緯37度38分42秒 東経138度46分13秒 / 北緯37.64497度 東経138.77022度座標: 北緯37度38分42秒 東経138度46分13秒 / 北緯37.64497度 東経138.77022度 | ||||
特記事項 | 世帯数:3,244世帯(2005年3月1日) | ||||
ウィキプロジェクト |
寺泊町(てらどまりまち)は、新潟県の中部にかつて存在した三島郡の町。2006年1月1日長岡市に編入され消滅した。西廻り航路の港町、北陸街道の宿場町として知られていた町である。本州の中では佐渡島と最短の距離にあり、佐渡との間を佐渡汽船が定期航路を運航していたほか、古くから佐渡と本土を結ぶ拠点となっていた。
地理
[編集]大河津分水の開通により海岸線が大きく前進したことで知られている(詳細は大河津分水#分水路の影響を参照)。
隣接していた自治体
[編集]歴史
[編集]『吾妻鏡』の中に、貞応3年2月29日(1224年3月20日)の記述として、女真の船が越後国寺泊に漂着して、その際に乗船していた一行が持っていた銀簡に意味不明の4文字が記されていたことが記されている。
沿革
[編集]- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行に伴い三島郡寺泊12町、白岩村が合併し、寺泊町が発足。
- 1901年(明治34年)11月1日 - 三島郡北西越村、西山村、潟村、野積村と合併して、寺泊町を新設。
- 1957年(昭和32年)
- 1959年(昭和34年)2月1日 - 大字岩方の一部を分離し、三島郡与板町に編入。
- 2006年(平成18年)1月1日 - 長岡市に編入され消滅。
市町村合併
[編集]平成の大合併で、県が示した合併構想は4か町村(岩室村・弥彦村・分水町・寺泊町)による合併案であったが[2]、結果的には長岡市への編入となった。
行政
[編集]- 高橋 誠(1988年7月3日から)
経済
[編集]産業
[編集]古くから漁業が盛んであり、市街地の国道402号沿いに海産物の店舗が軒を連ねる「魚の市場通り」は有名。関越自動車道開通後は数多くの観光客が県外から訪れるようになった。角上魚類の本社が置かれている。
大正前期から1940年(昭和15年)頃までは養蚕が盛んに行われていたが、戦後は開墾や土地改良事業が実施され稲作に重きが置かれるようになったため激減した[3]。
姉妹都市・提携都市
[編集]国内
[編集]教育
[編集]- 寺泊小学校
- 大河津小学校
- 寺泊中学校
- 新潟県立寺泊高等学校(2007年閉校)
生活基盤
[編集]電気
[編集]かつて寺泊町には電燈会社があった。才賀藤吉が1911年(明治44年)9月事業許可を受け[5]、1912年(明治45年)3月三島電気を設立[6]。1914年(大正3年)2月事業を開始した。寺泊町に発電所(瓦斯力)があり供給区域は寺泊町だった[5]。
交通
[編集]鉄道路線
[編集]尚、かつては私鉄路線である越後交通長岡線が存在したが、1975年3月31日をもって廃線となっている。JRの寺泊駅(旧大河津駅)は寺泊市街地とは大きく離れた場所にある。
道路
[編集]- 高速道路
- 一般国道
- 都道府県道
船舶
[編集]寺泊港と佐渡市赤泊地区の赤泊港とを結ぶ「両泊(りょうとまり)航路」があり、佐渡汽船が定期旅客航路を運航していたが、慢性的な赤字により2018年10月2日以降は運休となり、2019年5月1日に廃止された。
詳細は佐渡汽船の項目を参照
名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事
[編集]海や漁業を活かした観光施設のほか、「北の鎌倉」「日本海の鎌倉」と呼ばれるほど多くの寺院や史跡が存在する[7]。
- 越後七浦シーサイドライン
- 魚の市場通り
- かつては「魚のアメ横」とも呼ばれたが、東京・上野のアメヤ横丁が「アメ横」の商標権を所有している旨に配慮し、近年は「魚の市場通り」を公式呼称としている。
- 町立水族博物館(現・長岡市寺泊水族博物館)
- SOWA美術館(2017年閉館) - トリックアートを体験できる。
- のづみの森展示館
- 野積ドリームランド(閉館)
- 日本海夕陽ブルワリー
- 海浜公園
- 野積海水浴場、中央海水浴場、金山海水浴場、郷本海水浴場
- ヨネックスカントリークラブ
- 港まつり - 海上花火大会が行われる。
- 魚まつり
- 神社仏閣・史跡群
このほか、合併後には「長岡市トキと自然の学習館」などが設けられている。
出身有名人
[編集]脚注
[編集]- ^ a b c 市町村要覧:寺泊町
- ^ 「「新潟県市町村合併促進要綱」で提案した合併パターン」(PDF)『新潟県民だより』市町村合併特集号、新潟県、2001年3月18日。
- ^ “寺泊・和島地域の用水を紹介します。”. 新潟県長岡地域振興局 農林振興部. 2022年1月22日閲覧。
- ^ 臨海学校 - 伊勢崎市.2019年3月3日閲覧。
- ^ a b 『電気事業要覧. 第7回』(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 『日本全国諸会社役員録. 第23回』(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ “パンフレット:詩情豊かな寺泊の史跡”. 長岡市. 2019年5月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年3月3日閲覧。
参考文献
[編集]- 『市町村名変遷辞典』東京堂出版、1990年。
- “平成14年度市町村要覧”. 新潟県. 2004年2月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年3月3日閲覧。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 行政
- 長岡市HP
- 寺泊町HP - WayBack Machine
- 長岡市・寺泊町合併協議会(2005/12/07アーカイブ) - 国立国会図書館Web Archiving Project
- 観光
- 寺泊観光協会
- 寺泊町観光協会 - ウェイバックマシン(2005年8月25日アーカイブ分)
- 観光:寺泊エリア - 長岡市
- 寺泊地域パンフレット(2022年2月5日アーカイブ) - 国立国会図書館Web Archiving Project
- パンフレット「良寛たずね道 八十八ヶ所巡り」 - 新潟県長岡地域振興局