大森区
表示
おおもりく 大森区 | |
---|---|
廃止日 | 1947年3月15日 |
廃止理由 |
新設合併 大森区、蒲田区 → 大田区 |
現在の自治体 | 大田区 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 関東地方 |
都道府県 | 東京都 |
総人口 |
160,865人 (人口調査、1945年11月1日) |
隣接自治体 |
蒲田区、品川区、荏原区、 目黒区、世田谷区、川崎市 |
大森区役所 | |
所在地 | 東京都大森区新井宿五丁目 |
座標 | 北緯35度34分45秒 東経139度43分13秒 / 北緯35.57917度 東経139.72028度座標: 北緯35度34分45秒 東経139度43分13秒 / 北緯35.57917度 東経139.72028度 |
ウィキプロジェクト |
大森区(おおもりく、旧字体:大森區)は、東京府東京市(後に東京都)にかつて存在した区である。1932年(昭和7年)から1947年(昭和22年) までの期間(35区の時代)に存在した。現在の大田区の一部。
歴史
[編集]→詳細は「大田区 § 歴史」を参照
本區は舊大森町、入新井町、馬込町、池上町、東調布町の五ヶ町が合併したもので、區役所は舊大森町役場を使用し、市會議員今回の増員選擧の場合は三名、總選擧の時は四名で、區會議員は定員三十六名の豫定である。寺院には池上本町に有名な本門寺がある、 長榮山大國院と號し境内約七萬坪老杉蓊蔚としてゐる。宗祖日蓮の開闢で鎌倉番匠池上宗仲の建立である。毎年十月の十二、十三兩日には信徒が四方から雲集するを以て知られる。其他千束町には洗足池があり新井宿一丁目に八景坂森ヶ崎町に森ヶ崎鑛泉がある。 — 昭和7年刊『市域拡張記念 大東京概観 第五節 大森區』より
沿革
[編集]- 1932年(昭和7年)10月1日 - 荏原郡全域が東京市に編入。大森町、入新井町、馬込町、池上町、東調布町の区域に大森区を設置。尚、1932年(昭和7年)4月26日に、東京市から東京府へと提出(内申)された市域拡張案では、大森町・入新井町・羽田町で大森区となり、池上町・東調布町は蒲田区、馬込町は荏原区となる予定であった。
- 1943年(昭和18年)7月1日 - 東京都制施行。東京市と東京府が廃止され、東京都を設置。
- 1947年(昭和22年)3月15日 - 蒲田区と合併して大田区を新設。
交通
[編集]鉄道
[編集]大森区には9本の旅客向け鉄道路線が通っていたが、南北方向に走るか、あるいは区域の端をかすめるだけであった。 地理的に見て大森区は東西に長い区であるが、区が存在した当時から現在に至るまで、区域の中央部を東西に貫く鉄道路線はなく、東西方向の公共交通機関は路線バスに頼っている。
- 国鉄(現JR東日本)
- 京浜電気鉄道(→東京急行電鉄(大東急)、現京浜急行電鉄)
- 東京横浜電鉄(→東京急行電鉄(大東急)、現東急電鉄)
- 目黒蒲田電鉄(→東京横浜電鉄→東京急行電鉄(大東急)、現東急電鉄)
- 池上電気鉄道(→目黒蒲田電鉄→東京横浜電鉄→東京急行電鉄(大東急)、現東急電鉄)
馬込駅、西馬込駅(都営地下鉄浅草線)は開業していなかった。なお、大森区域周辺に昭和島駅(東京モノレール羽田空港線)があるが、大森区が存在していた頃は駅周辺の土地の埋め立てが完了していなかった。
道路
[編集]関連項目
[編集]世田谷区 | 目黒区 荏原区 | 品川区 | ||
川崎市 | ||||
大森区 | ||||
蒲田区 |