仲宗根美樹
仲宗根 美樹 | |
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1963年(キングレコードの広告) | |
基本情報 | |
出生名 | 國場 勝子(くにば かつこ)[1][2] |
生誕 | 1944年6月23日 |
出身地 | 東京都[3] |
死没 |
2024年2月24日(79歳没) 東京都渋谷区 |
ジャンル | 歌謡曲・ブルース |
職業 | 歌手・実業家 |
活動期間 | 1960年 - 2024年 |
レーベル | キングレコード |
著名な家族 |
白橋栄治(元夫) 國場雄大(次男) くにば亜紀(長女) |
仲宗根 美樹(なかそね みき、1944年6月23日 - 2024年2月24日[4])は日本の歌手。
東京都 出身[5]。本名は國場 勝子(くにば かつこ)。東洋高等学校音楽科 出身[5]。ミュージック・オフィス合田に所属した。『川は流れる』などのヒット曲がある。
経歴
[編集]1944年(昭和19年)、両親は共に沖縄出身[6]であったが第二次世界大戦の戦火を逃れるために沖縄から東京に疎開して、勝子が生まれる。
1960年(昭和35年)、テレビドラマ『東京物語』(日本テレビ)に出演した。
1961年(昭和36年)5月、『東京物語』の挿入歌『愛に生きる』(キングレコード)で歌手デビューした[7]。 同年9月にリリースした『川は流れる』は、川の流れに人生を託す内容の歌詞を無表情のまま歌い上げて大ヒット[8](年末にはミリオンセラーを達成[9])した。同年12月、第3回日本レコード大賞の新人奨励賞を受賞した。
1962年(昭和37年)12月、第13回NHK紅白歌合戦に初出場し、紅組のトップバッターを務めた。この頃は空手道・キックボクシングで一時代を築いた山崎照朝の熱狂的ファンとなり、自身の事務所に山崎を招待している[10]。有馬温泉・兵衛向陽閣のCMソング『有馬兵衛向陽閣』(作曲・キダ・タロー)は彼女が「有馬兵衛の向陽閣へ」と唄っている。その後は『島育ち』『奄美恋しや』『ドリームファイブ』『海と野菊と船頭さん』『恋しくて』など、ヒット曲を次々とリリースした。
1971年(昭和46年)、歯科医師と結婚するために芸能界を引退した。
1972年(昭和47年)11月23日 、長男・一成を出産後に離婚し、白橋栄治と再婚した。
1975年(昭和50年)、夫の白橋が沖縄国際海洋博覧会に合わせて、地元の政財界の人々の協力を得て海洋博の会場入口にショッピングセンター「ビックマート」(テナント数 230店舗)を開設したが、開催時期がオイルショック直後ということ、海洋博が不人気であったことなどから事業は破綻して、多額の借金を負う。
1975年(昭和50年)12月、東京・神田に「東京エレガンスルーム」を開業した。
1977年(昭和52年)3月5日、次男・雄大を出産した。陣痛から出産までは30分で、当時の病院記録であった。
1977年(昭和52年)12月、銀座の目抜き通りに「仲宗根美樹<審美容>サロン」を開設し、フランチャイズを展開した。
1978年(昭和53年)6月12日、長女・亜紀を出産した。
1981年(昭和56年)1月、ミキ・コーポレーション(加盟 600店舗)が6億5千万円の負債を出して倒産した[11]。その後は自己破産の手続きを行って、夫と離婚した。
1998年(平成10年)、テレビ東京『年忘れにっぽんの歌』で歌手として25年振りに復帰した。
2000年(平成12年)、初のバースデーライブを開催した。『しらばかプラス』(フジテレビ)、『ルックルックこんにちは』(日本テレビ)、『夏まつりにっぽんの歌』(テレビ東京)、『うた世紀ベスト10』などに出演した。
2001年(平成13年)、映画『バックステージ』に出演し、主題歌『I'm a singer』を30年振りにシングルで発売した。この映画は次男の雄大と長女の亜紀が出演した。
2008年(平成20年)10月9日、長男の一成ががんのため35歳で死去した[12][13]。
2012年(平成24年)2月12日、『日曜ビッグバラエティ 懐かしの昭和メロディ』(テレビ東京)にゲスト出演した。
2012年(平成24年)10月10日、ゆうぽうとで開催された『秋の歌謡フェスティバル』に出演した。
2017年(平成29年)2月15日、『徹子の部屋』(テレビ朝日)に出演した。トーク番組は初出演となった。
2017年時点では『クラブ美樹』を銀座で経営していた。
2024年(令和6年)2月24日、肺がんのため、東京都渋谷区の病院で死去した[4][14]。79歳没。
シングル
01.愛に生きる 1961年5月(昭和36年) EB-520
02.夢でござんす三度笠 1961年(昭和36年) EB-532
03.二人でスクスク 1961年(昭和36年) EB-551
04.雨の花園 1961年9月(昭和36年) EB-580
05.川は流れる 1961年11月(昭和36年) EB-580 A面へ変更
06.故郷に祈る 1961年(昭和36年) EB-620
07.雷ロック 1961年(昭和36年) EB-636
08.あざみの歌 1962年(昭和37年) EB-655
09.次郎ちゃん 1962年(昭和37年) EB-675
10.しのび逢い 1962年(昭和37年) EB-682
11.雲は流れる 1962年(昭和37年) EB-707
12.ブルー・ムーン 1962年(昭和37年) EB-7163
13.ユキコの灯 1962年(昭和37年) EB-768
14.阿里屋ユンタ 1962年(昭和37年) EB-786
15.海猫(かもめ)が飛んで 1962年(昭和37年) EB-802
16.島育ち 1962年(昭和37年) EB-824
17.悲しみとよろこび 1963年(昭和38年) EB-818
18.この道を行けば 1963年(昭和38年) EB-832
19.旅の踊り子 1963年(昭和38年) EB-866
20.風も恋する 1963年(昭和38年) EB-881
21.昨日の雲は帰ってこない 1963年(昭和38年) EB-896
22.奄美恋しや 1963年(昭和38年) EB-916
23.永良部百合の花 1963年(昭和38年) EB-924
24.あの山越えて 1963年(昭和38年) EB-945
25.波止場の娘 1963年(昭和38年) EB-962
26.エラブ百合の花 1963年(昭和38年) EB-967
27.りんご花嫁 1963年(昭和38年) EB-973
28.さよなら十代 1964年(昭和39年) EB-1040
29.ドリーム・ファイブ 1964年(昭和39年) EB-1068
30.加茂川慕情 1964年(昭和39年) BS-27
31.春がきて秋がきて 1964年(昭和39年) BS-79
32.アダンの島 1964年(昭和39年) BS-84
33.バスよ私と泣いて行け 1964年(昭和39年) BS-91
34.遠い人 1965年(昭和40年) BS-128
35.ワン・レニー・ナイト・イン・トウキョウ 1965年(昭和40年) BS-168
36.スタコラ音頭 1965年(昭和40年) BS-229
37.あらゆり小唄 1965年(昭和40年) BS-280
38.海と野菊と船頭さん 1965年(昭和40年) BS-331
39.ホップの畑の白い道 1966年(昭和41年) NCS-30
40.泣いちゃいけない 1966年(昭和41年) BS-404
41.亜矢子の湖 1966年(昭和41年) BS-496
42.私のふるさと 1966年(昭和41年) BS-516
43.恋しくて 1967年(昭和42年) BS-612
44.聞かせてほしい 1967年(昭和42年) BS-719
45.ひとすじの涙 1968年(昭和43年) BS-767
46.夜の熱帯魚 1968年(昭和43年) BS-879
47.ワルシャワの恋 1969年(昭和44年) BS-936
48.銀座みゆき通り 1969年(昭和44年) BS-977
49.平戸慕情 1969年(昭和44年) BS-1032
50.川は流れる 再発盤 1970年(昭和45年) BS-1142
51.たそがれの雨 1970年(昭和45年) BS-1204
52.ロマーナ 1970年(昭和45年) BS-1262
53.川は流れる 新録音 1971年(昭和46年) BS-1413
54.ロバに乗って 1973年(昭和48年) BS-1750
NHK紅白歌合戦出場歴
[編集]年度/放送回 | 曲目 | 対戦相手 | ||
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1962年(昭和37年)/第13回 | 川は流れる | 松島アキラ | ||
1963年(昭和38年)/第14回 | 奄美恋しや | 守屋浩 | ||
1964年(昭和39年)/第15回 | 午前0時のブルース | 田辺靖雄 | ||
1965年(昭和40年)/第16回 | 海と野菊と船頭さん | 克美しげる | ||
1967年(昭和42年)/第18回 | 恋しくて | 美樹克彦 | ||
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エピソード
[編集]- 『川は流れる』は『雨の花園』のB面だったが歌声喫茶から火が付いて、1961年11月にA面とB面を入れ替えたシングルレコードを再発売。発売後に大ヒットした。2002年、原由子がアルバム『東京タムレ』でカバーして話題となった。
- 『島育ち』は競作で田端義夫、朝丘雪路等がカバーした。仲宗根盤も当初はヒットを見せていたがレーベル側の諸事情で発売中止となった。
- 『ワン・レニー・ナイト・イン・トウキョウ/夏の日の想い出』など競作も多数リリースしている。[※日野てる子(日野盤の表記はワン・レイニー・ナイトイン・トーキョー)らと競作]
- 女優の大空眞弓は母兄弟の娘で、いとこの関係に当たり、同じ東洋音楽学校出身である。
- 同じ沖縄出身のフィンガー5のアルバム『フィンガー5オリジナル わたしの恋人さん』(1974年)にゲスト出演している。
- 長女は國場亜紀(くにば亜紀)として『地球防衛少女イコちゃん』のイコ役や[15]、テレビのリポーターなどを務めていたが芸能界を引退している。
- 次男の國場雄大は2019年4月、品川区議会議員に当選し1期務めた。
- 1964年に早川電機(現在のシャープ)が発売した白黒テレビ『シネスコ19』のイメージキャラクター(沖縄限定)を務めた。本土のイメージキャラクターはフランキー堺が務めた。
映画
[編集]- うるさい妹たち(1961年、大映)
- 東海一の若親分(1961年、東映)
- 海猫が飛んで(1962年、松竹)
- しのび逢い(1962年、松竹)
- 太平洋戦争と姫ゆり部隊(1962年、大蔵映画)
- 川は流れる(1962年、松竹)
- その結婚異議あり(1963年、大映)
- 独立美人隊(1963年、松竹)
- 魚河岸の旋風娘(1963年、松竹)
- BACK STAGE/バックステージ(2001年、日活)
テレビ番組
[編集]- 誰か夢なき(1961年、日本テレビ)
- 跳び上がる娘たち(1962年、日本テレビ)
- 特別機動捜査隊 第167話「羽織の座」(1965年、NETテレビ)
- 記念樹 第5話「緑の風に聞けば」(1966年、TBS)
- 源義経 (NHK大河ドラマ) (1966年、NHK) - モイヤ
- 三匹の侍 第4シリーズ 第20話「京十郎祭り囃子」(1967年、フジテレビ) - お七
- 俺は用心棒 第1話「天を斬る」(1967年、NETテレビ)- えま
脚注
[編集]- ^ “国場家家系図”. 國場家のホームページ. 2014年9月14日閲覧。
- ^ “一成を支えてくださった皆様へ”. SPIRIT☆JOURNEY (2008年10月30日). 2014年9月14日閲覧。
- ^ “仲宗根美樹プロフィール”. (株) ミュージック・オフィス合田. 2014年9月14日閲覧。
- ^ a b “歌手の仲宗根美樹さん 肺がんのため死去 79歳 「川は流れる」で紅白出場 沖縄シンガーの元祖”. スポニチ Sponichi Annex (2024年2月29日). 2024年2月29日閲覧。
- ^ a b 「日本映画人名事典 女優篇 下巻」キネマ旬報社、1995年、249頁
- ^ “徹子の部屋 “沖縄の歌姫"仲宗根美樹 2017年2月15日放送回”. gooテレビ番組 (2017年2月15日). 2018年4月3日閲覧。
- ^ “仲宗根美樹さん死去 79歳 肺がんで 「川は流れる」大ヒット 沖縄シンガー元祖とも”. デイリースポーツ online (株式会社デイリースポーツ). (2024年2月29日) 2024年2月29日閲覧。
- ^ 世相風俗観察会『現代世相風俗史年表:1945-2008』河出書房新社、2009年3月、104頁。ISBN 9784309225043。
- ^ 長田暁二『歌謡曲おもしろこぼれ話』社会思想社、2002年、159頁。ISBN 4-390-11649-5。
- ^ 中村カタブツ君 編「第2章 再検証極真ジム」『極真外伝 - ~極真空手もう一つの闘い~』中村愚乱・ジャイ子(初版)、ぴいぷる社(原著1999年12月25日)、76 - 91頁、93頁、101頁、104頁、108頁頁。ISBN 4893741373。
- ^ “仲宗根美樹と再会”. この素晴らしき人生 36 (2010年3月15日). 2014年9月14日閲覧。
- ^ “長谷川晶一氏×中森明夫氏×松谷創一郎氏トークショー「『Cawaii!』とその時代」レポート(前編)雑誌『Cawaii!』は、なぜ女子高生にヒットしたのか”. ウートピ (2016年4月27日). 2023年2月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年2月29日閲覧。
- ^ “一成を支えてくださった皆様へ”. 國場一成公式ブログ (2008年10月30日). 2024年2月29日閲覧。
- ^ “ヒット曲「川は流れる」の歌手、仲宗根美樹さん死去 79歳”. 産経新聞 (2024年2月29日). 2024年2月29日閲覧。
- ^ 地球防衛少女イコちゃん(1995) allcinema、2019年9月13日閲覧。