大蔵映画

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大蔵映画株式会社
Okura Movie Co.,Ltd
種類 株式会社
市場情報 非上場
略称 大蔵
本社所在地 日本の旗 日本
141-0021
総務・経理 東京都品川区上大崎2-24-15
本店所在地 104-0061
東京都中央区銀座5-3-12
設立 1947年(昭和22年)6月 創業
1962年(昭和37年)1月 設立
業種 サービス業
事業内容 映画の製作・配給・興行
代表者 大蔵满彦
主要子会社 オーピー映画
関係する人物 大蔵貢(創立者)
近江俊郎(貢の実弟、元副社長)
外部リンク http://www.okura-movie.co.jp/
特記事項:略歴
1947年6月 富士映画スタジオ、富士映画
1962年1月 大和フィルムを吸収、大蔵映画株式会社として設立
1966年昭和41年) 大蔵映画撮影所閉鎖、オークラランド
1978年9月15日 社長大蔵貢死去
1992年平成4年)7月5日 副社長大蔵敏彦死去
2001年平成13年) 製作配給を分社化
2010年8月4日 上野地区リニューアル
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大蔵映画株式会社(おおくらえいが-)は、日本の映画会社である。ピンク映画及びゲイ・ポルノの製作・配給・興行、ボウリング場等のレジャー施設の経営を行う。

略歴・概要[編集]

1960年(昭和35年)12月1日、新東宝代表取締役から退陣した大蔵貢[1]、新東宝へ製作物を供給していた富士映画を母体に、1962年(昭和37年)1月に設立した[2]。代表取締役社長には大蔵貢、副社長には大蔵の実弟で歌手の近江俊郎(大蔵敏彦)が就任した。富士映画はもともと、1955年(昭和30年)12月に大蔵が36館の映画館を経営する手腕を買われて、新東宝の経営に参加する以前、1947年(昭和22年)6月からレンタルスタジオとして経営していた富士映画スタジオが前身である[3]。同年早々に、かつて『チャップリンのニューヨークの王様』等を輸入配給した洋画配給会社大和フィルムを吸収合併、同社代表の徳江清太郎を専務取締役に迎え[2]、同年、外国映画の配給を開始する[4]

同年、日本における2作目の70ミリ映画となった超大作『太平洋戦争と姫ゆり部隊』を、設立後の第1号作品として小森白を監督、南原宏治を主演に製作、同年4月7日に公開した[5]が、配給網が弱く興行的には成功しなかった[6]。以後しばらくは、大和フィルムの最終公開作品『ファイブ・ガン あらくれ5人拳銃』の監督であったロジャー・コーマン[7]の製作・監督作品等、外国映画の小品の配給と、時折自社製作の一般向映画を発表する程度に、活動を留める。

同年、日本製ピンク映画の第1号作品とされる協立映画製作、小林悟監督の『肉体の市場』を配給し大ヒットさせる[8]。さらに数本の成人向作品を製作・配給したところ、好成績を収めるものも出てきたので、自社で製作・配給する作品の主力を、成人向映画に転換する。同時に、当時の関東地区での自社直営館や、外部のピンク映画製作に関わる群小プロダクションなどを中心に、成人向映画の配給網「OPチェーン」を組織する。現在まで続く、ピンク映画の専門会社としての体制を固めていった。その後、自社製作から徐々に撤退し、代わりに外注作品を配給する形態に変えていく。それに伴い、大蔵映画撮影所を規模縮小し、レジャー施設へ転換し始める。

1966年(昭和41年)、大蔵映画撮影所を閉鎖し、跡地を総合アミューズメント施設「オークラランド」として完全に再開発、現在も、大蔵映画直営施設として営業中である。同年ころまでで外国映画の配給業務から撤退する[4]

1978年(昭和53年)9月15日、大蔵貢が78歳で死去、子息の大蔵满彦が経営を継承する。1992年(平成4年)7月5日、副社長の大蔵敏彦(近江俊郎)が満73歳で死去した。

2000年(平成12年)8月28日、東映シネマコンプレックス運営等の新会社ティ・ジョイに、シネマサンシャインの佐々木興業、王子シネマの大旺映画らとともに出資して資本参加する[9]

2001年(平成13年)、製作・配給部門を系列子会社・オーピー映画に分離し、興行部門のみを行う体制になった。

2006年(平成18年)5月28日、福岡オークラ劇場Ⅰ・福岡オークラ劇場Ⅱ、2008年(平成20年)2月17日、大宮オークラ劇場・大宮オークラ小劇場をそれぞれ閉館する。2009年(平成21年)3月1日には、上野スタームービー、世界傑作劇場、日本名画劇場を新装開業のため休館、2010年(平成22年)8月1日には上野オークラ劇場、上野地下特選劇場を閉館、同4日、上野スタームービー等の跡地に上野オークラ劇場、上野オークラ劇場2、上野特選劇場として移転オープンする。大蔵映画設立以前の1952年(昭和27年)以来、58年の歴史を持つ上野オークラ劇場のクロージングイヴェントには、小川欽也監督の大蔵映画製作作品『怪談バラバラ幽霊』(1968年)、『新怪談色欲外道 お岩の怨霊四谷怪談』(1976年)を上映した[10]

おもなフィルモグラフィ[編集]

製作[編集]

洋画配給[編集]

キネマ旬報映画データベースに見られる配給作品の一覧であり、日本での配給作品のみである[4]。日本公開順。

会社データ[編集]

映画館[編集]

  • 目黒シネマ
  • オークラシアター - 上野スタームービー跡地に新築。上野オークラ劇場(旧)及び上野地下特選劇場の機能がこちらに移転
    • 上野オークラ劇場(オークラシアター1階)- 2010年8月4日オープン
    • プレミアムシアター 上野オークラ劇場2(オークラシアター2階)- 2010年8月オープン
    • 上野特選劇場(オークラシアター2階)- 2010年8月4日オープン
  • 宇都宮オークラ劇場
  • 横浜光音座Ⅰ・横浜光音座Ⅱ

かつて経営した映画館[編集]

  • 市川オークラ劇場 - 「オーピーチェーン」開始館9館の1館、1985年閉館
  • 福岡オークラ劇場Ⅰ・福岡オークラ劇場Ⅱ - 2006年5月28日閉館
  • 大宮オークラ劇場・大宮オークラ小劇場 - 2008年2月17日閉館
  • 上野スタームービー - かつては「上野スター座」の名で洋画及び洋画ピンクの上映館だったが、1999年11月に「上野スタームービー」と名を改めリニューアルし洋画中心のロードショー館になる。リニューアルの際、こけら落としとして上映されたのが「オーピー映画」名義で配給した『地獄』であった。2009年3月1日閉館。名目上は下記の2館と共に「休館」だったが、建物を取り壊したうえで新館「オークラシアター」を建築
  • 世界傑作劇場(上野スタームービー内) - ゲイ・ポルノ上映館、2009年3月1日閉館
  • 日本名画劇場(上野スタームービー内) - 2009年3月1日閉館
  • 上野オークラ劇場(旧) - 2010年8月1日閉館、同4日上野スタームービー跡地に移転オープン
  • 上野地下特選劇場 - 2010年8月1日閉館、同4日移転して上野特選劇場としてオープン
  • 川口オークラ劇場埼玉県川口市
  • 東梅田オークラ地下劇場大阪府大阪市) - 2000年8月閉館。同劇場の所在していたビルには、他社が経営する梅田日活劇場(旧・東梅田日活)、ゲイポルノ専門館の梅田ローズ劇場(旧・東梅田ローズ)、東梅田シネマが入居していたが、2011年6月までに全館閉館となった。

レジャー施設[編集]

かつて経営したレジャー施設[編集]

オーピー映画[編集]

オーピー映画株式会社(オーピーえいが-)は、日本の映画会社である。大蔵映画の子会社であり、本社所在地は東京都台東区上野2-14-31である。

  • 2001年、大蔵映画の製作・配給部門が「オーピー映画」として系列子会社に分離し、同社が大蔵映画の製作・配給を引き継ぐ事となった。
  • 同社のピンク映画は、作品の上映時間は59-60分となっている。企画・製作において、娯楽作品としての性格が強く要求されるが、時としてはスプラッター(『コギャル喰い・大阪テレクラ篇』友松直之監督、1996年)など実験的な作品が作られる事もある。前掲の通り、現在、配給作品は下請けのプロダクションに発注して製作されている。
  • 2012年まで行なわれていたピンク大賞では作品賞や各賞を受賞する事が多かった。ピンク四天王等を擁して古くから進出を図っていた新東宝・国映に比べ、一般映画館や映画祭での上映が少なかったが、最近では吉行や竹洞の作品がポレポレ東中野などミニシアターで特集上映されるようになった。
  • ピンク映画と並行して、ゲイ・ポルノの製作・配給も行なっている。ENKプロモーションと並ぶ数少ないゲイ・ポルノ製作会社でもある。監督・脚本は、オーピーのピンク映画とほぼ同じスタッフとなっている。ここ最近は東京国際レズビアン&ゲイ映画祭などに受賞・出品される作品も多い。
  • 一方、新東宝時代から続いてきた「エログロ」路線の象徴のひとつでもある「怪談映画」も忘れてはおらず、かつて作られた怪談映画が発掘され、DVDソフト化された。大蔵映画時代の1997年には、創立50周年記念作品として『色欲怪談・江戸の淫霊』が上映された。かつての大蔵怪談映画が松竹京都映画の製作協力でピンク映画の枠内で復活した豪華版だった。
  • また、1999年には、石井輝男監督の一般映画『地獄』の配給を行なった(製作は石井プロダクション)。製作総指揮には旧新東宝時代の後輩である小林悟が当たった。
  • 年々新作ピンク映画の本数が減少していく中で、他のレーベルよりも圧倒的な製作本数を維持している。
  • 関東地区においては「OPチェーン」名義で東京スポーツなどで新聞への広告掲載も展開していた。その一方では東海地区のように、成人映画館「テアトル希望」(名古屋市、1980年代に閉館)が、大蔵映画も含む「独立系」ピンク映画の同地区での封切を一手に引き受け、各社作品を順不同で上映した同館のプログラムを、隣県の成人封切館がそのままスライドさせて公開するケースも存在した。ただし2000年代に入り直営館の閉鎖が相次ぎ、さらに2000年代後半ごろから本拠である上野オークラ劇場でも他社(新東宝エクセス)作品との混成でプログラムを組む状況となっており、「OPチェーン」の現状は有名無実である。

脚注[編集]

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  1. ^ 田中, p.332.
  2. ^ a b c 田中、p.451.
  3. ^ 田中、p.206-207.
  4. ^ a b c キネマ旬報映画データベース、2010年7月30日閲覧。
  5. ^ 太平洋戦争と姫ゆり部隊日本映画データベース、2010年7月31日閲覧。
  6. ^ 田中、p.231-433.
  7. ^ ファイブ・ガン あらくれ5人拳銃キネマ旬報映画データベース、2010年7月31日閲覧。
  8. ^ 歴史雑学探偵団、p.88.
  9. ^ 会社案内ティ・ジョイ、2010年7月31日閲覧。
  10. ^ 7/31(土) クロージングイベント!上野オークラ劇場、2010年7月16日付、2010年7月31日閲覧。
  11. ^ 新宿ミラノ座で70mm版がロードショー公開された後、総天然色・大蔵スコープ35mm版が公開された。東京地区では、1962年11月17日-11月24日に東急シネスコチェーンにて『空挺肉弾部隊』 ( Paratroop Command )との2本立てで公開されている。
  12. ^ 海女の怪真珠、日本映画データベース
  13. ^ Irregularity of Sex、Eigapedia
  14. ^ 明治天皇と日露大戦争」を始めとする新東宝での明治天皇を描いたシリーズからの抜粋と、明治天皇誕生から西郷隆盛の戦死までを描いた新撮部分で構成。東京地区においては1964年11月に「渋谷東急」「新宿東急」「上野東急」の3館のみでロードショー(1964年11月21日-11月30日) 、1968年11月には“明治百年祭記念特別公開”と称して「丸の内松竹」(現:丸の内ピカデリー)単館にてロードショーを開催(1968年11月9日-11月22日) 。因みに、本編に入る前に『明治百年祭記念特別公開』と表示される形のフィルムが、現在ソフト化されて残っている[1]。また、新撮部分に登場している“若き日の明治大帝(明治天皇)”に扮しているのは、作品中の出演者クレジットによれば「匿名・青年」である。
  15. ^ The Flesh Merchant - インターネット・ムービー・データベース(英語)
  16. ^ The Touchables - インターネット・ムービー・データベース(英語)
  17. ^ Girl with an Itch - インターネット・ムービー・データベース(英語)
  18. ^ Patty - インターネット・ムービー・データベース(英語), 2012年6月9日閲覧。
  19. ^ Arthur A. Jones - インターネット・ムービー・データベース(英語), 2012年6月9日閲覧。
  20. ^ FLAME OF AFRICA, 映画芸術科学アカデミー (英語), 2012年6月9日閲覧。
  21. ^ 『映画年鑑 1998』、p.244.
  22. ^ 静岡県ボウリング場協会会員名簿、静岡県ボウリング場協会、2012年4月20日付、2012年6月9日閲覧。

参考文献[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]