アイザイア・バーリン
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アイザイア・バーリン (1983) | |
生誕 |
1909年6月6日 ロシア帝国・リガ |
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死没 |
1997年11月5日(88歳没) イギリス イングランド・オックスフォード |
時代 | 20世紀の哲学 |
地域 | 西洋哲学 |
学派 |
分析哲学 自由主義 |
研究分野 |
思想史、ロマン主義 歴史哲学、歴史、現代史 倫理学、政治哲学、自由主義、マルクス主義 ロシアの歴史 ロシア文学 |
主な概念 |
積極的自由(positive liberty)と消極的自由(negative liberty) 価値多元主義 自由の二概念 反啓蒙思想 |
影響を与えた人物
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アイザイア・バーリン(Isaiah Berlin、1909年6月6日 - 1997年11月5日)は、イギリスの哲学者。オックスフォード大学教授。当時ロシア帝国の支配下だったラトビア・リガ出身のユダヤ人。イザイア・バーリンとも。
人物
[編集]1915年、第一次世界大戦中にはドイツ軍の侵攻を逃れて、ユダヤ人であり木材商人であった父母とともに、当時のロシア帝都だったペトログラードに移る。1917年にロシア革命を目撃している。彼は1919年以降、イギリスに在住し、オックスフォード大学のコーパス・クリスティ・カレッジに進学。第二次大戦中は戦時勤務の要員として1946年まで英国外務省に勤務。1957年にオックスフォード・チチリ講座(社会・政治理論担当)教授に就任(1967年まで)。
また多くの勲章、とりわけ1957年にはメリット勲章 (Order of Merit)を授与された。
代表作の論考集『自由論』では、自由という概念を積極的自由(positive liberty)と消極的自由(negative liberty)に分け、自由という概念における議論に多大なる影響を及ぼした。
後半生
[編集]1966年から75年はオックスフォードのウォルフソン・カレッジ初代学長。
1974年から78年はイギリス学士院長。
1977年に国際交流基金の招へいで来日。1978年から1980年に選集全4巻を刊行
1983年、エラスムス賞授与。1987年、連続講演「理想の追求」を行う。
1997年、病気により88歳で亡くなった。
著書(日本語訳)
[編集]- 『歴史の必然性』(生松敬三訳、みすず書房, 1966年)、下記「自由論」に収録
- 『自由論』(生松敬三、小川晃一、小池銈、福田歓一訳、みすず書房 全2巻, 1971年/新版 全1巻, 1979年、新装版1997年、2018年ほか)
- 『ハリねずみと狐――『戦争と平和』の歴史哲学』(河合秀和訳、中央公論社, 1973年/岩波文庫, 1997年)
- 『カール・マルクス――その生涯と環境』(倉塚平・小箕俊介訳、中央公論社, 1974年)
- 『父と子――トゥルゲーネフと自由主義者の苦境』(小池銈訳、みすず書房, 1977年)
- 『西欧ユートピア思想の衰頽』(国際交流基金, 1978年)- 来日時の講演小冊子
- 『歴史における科学とは何か』(三一書房, 1978年)- スチュアート・ヒューズ、アンリ・ピレンヌと共著
- 『ヴィーコとヘルダー――理念の歴史:二つの試論』(小池銈訳、みすず書房, 1981年)
- 『バーリン選集(1)思想と思想家』(岩波書店, 1983年)- 福田歓一・河合秀和編
- 『バーリン選集(2)時代と回想』(岩波書店, 1983年)
- 『バーリン選集(3)ロマン主義と政治』(岩波書店, 1984年)
- 『バーリン選集(4)理想の追求』(岩波書店, 1992年)- 福田歓一・田中治男・松本礼二共編
- 『人間マルクス――その思想の光と影』(福留久大訳、サイエンス社, 1984年)
- 『北方の博士J・G・ハーマン――近代合理主義批判の先駆』(奥波一秀訳、みすず書房, 1996年)
- 『ロマン主義講義――美術に関するA・W・メロン講義、1965年国立美術ギャラリー、ワシントンDC』
- (ヘンリー・ハーディ編、田中治男訳、岩波書店, 2000年、新装版2010年)
回想・評伝
[編集]- 聞き手 R・ジャハンベグロー『ある思想史家の回想――アイザィア・バーリンとの対話』(河合秀和訳、みすず書房, 1993年)
- マイケル・イグナティエフ『アイザイア・バーリン』(石塚雅彦・藤田雄二訳、みすず書房, 2004年)
- ジョン・グレイ『バーリンの政治哲学入門』(河合秀和訳、岩波書店, 2009年)