御神酒徳利

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御神酒徳利(おみきどっくり、おみきどくり)は、落語の演目の一つ。上方落語の演目で、現在東京では二通りのやり方がある。

一つは、3代目桂三木助と6代目三遊亭圓生が、大阪から来た五代目金原亭馬生に教わった型で旅籠の通い番頭が主人公で、神奈川の宿からさらに大阪まで行く長い噺である。元来サゲがなかったので、三木助は「かかあ大明神のおかげだ」、圓生は「そろばん占いで成功したので、生活も桁違いになった」とそれぞれ自分でつけていた。

もう一つの型は明治時代に3代目柳家小さんが上方で教わって東京の柳派で広めた別名「占い八百屋」で、とある商店にご用聞きに来た八百屋が主人公になっていて、そこの女中にぞんざいに扱われた腹いせに家宝の御神酒徳利を水瓶の中に隠して、そろばん占いと称してありかを教えるといういわば自作自演から始まり、そこから「そろばん占いで紛失物を探し出す先生」と持ち上げられて困った挙げ句、神奈川の宿で逃げ出して「今度は先生が紛失した」とサゲる形である。6代目三遊亭圓生は、昭和48年に宮中の「春秋の間」でこの噺を御前口演した。

ほとんど演じられることはないが、近年桂文珍がネタを再構築して演じている。

あらすじ

馬喰町に刈豆屋という旅籠があった。師走十三日は年に一度の大掃除。ご先祖様が徳川家よりいただいた家宝の御神酒徳利を盗られでもしたら大変だと、通い番頭の善六がとりあえず水瓶の中に沈めておいた。ここまでは上出来だったが、なんと善六はそのことをすっかり忘れてしまった。さあ刈豆屋では「大事な御神酒徳利がなくなった」と大騒ぎ。家へ帰った善六は水瓶の中へ入れておいたことを思い出したが、今さら「自分が忘れておりました」とはいい出しにくい。そこで、女房の入れ知恵もあって、そろばん占いで徳利のありかを占うということにした。適当にそろばん玉をはじいて台所をウロウロ、とどのつまり水瓶の中の御神酒徳利を見つけ出すという企みがまんまと図に当たり、主人を始め、みんな大喜びで祝宴がはじまった。

たまたまその日に泊まっていたのが、大阪の鴻池善右衛門の支配人。その支配人が善六に「是非大阪までいってほしい」と頼み込む。それというのも、「鴻池の娘が床について、どんな名医に診せても癒らない。そこでなんとか善六に占ってもらいたい」というのである。断わりたくても断われなくなった善六は、嫌々支配人と大阪に向かう。ところが神奈川宿の新羽屋という鴻池の定宿に泊まったところ、その宿の主人に密書入りの財布を盗んだ嫌疑が掛かり、取り込みの最中だった。鴻池の支配人や宿の女将に泣きつかれた善六が、占いで下手人を見つけることになってしまう。もとより善六に占えるわけがなく、「ここは逃げ出すに限る」と夜逃げの支度をしていると宿の女中が訪ねてくる。「病気の親に仕送りしたさに前借りを申し入れましたが断わられてしまい、悪いこととは知りながらつい財布に手を出してしまいました」と泣きながら白状する女中から財布の隠し場所を聞き出した善六は、「これぞ天の助け」と大喜び。さっそく宿の庭のお稲荷さんの祟りと称した善六が財布のありかを占い出すので、見ている一同はただただ驚くばかりであった。嫌疑の晴れた宿の主人からも礼金を貰い、こっそりと件の女中を呼んで「親孝行のためとはいえ、もう妙な了見を起こしちゃいけないよ」これで親に薬を買っておやりとお金を渡してやる。

支配人はすっかり善六を信用し鴻池の屋敷へ連れていったが、困ったのは善六。苦しい時の神頼み、「どうぞお助けください」と断食に水垢離を始めたところ、神奈川宿は新羽屋の稲荷が夢枕に立った。「お前が稲荷の祟りのせいにしたため『あの稲荷には効力がある』と評判になり、おかげで正一位に出世した。そのお礼として娘の病気のことを教えてやろう。この屋敷のの隅の四十二本目の柱の下に埋もれている観音像を掘り出して崇めよ、娘の病気は全快間違いなし」とのこと。すぐに善六がそのことを鴻池に伝え、稲荷の告げたとおりにすると不思議にも娘の病気が癒ったので、鴻池では米蔵を開いて施しをしたという。また善六は莫大な礼金をもらい、馬喰町に立派な旅籠を建ててそこの主人におさまった。生活がケタ違いによくなったわけである。「もちろんケタ違いになるわけで、そろばん占いでございますから」

備考

  • 御神酒徳利は、2個で1対であることから「仲が良い」という意味もある。
  • 3代目桂三木助は、江戸に帰ってきた善六が女房の前で土産話をし、女房「これも新羽屋稲荷大明神のお陰だね」善六「なあに、嬶大明神のお陰」とサゲていた。