堀船
堀船 | |
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東京書籍本社 | |
北緯35度45分20.02秒 東経139度44分48.65秒 / 北緯35.7555611度 東経139.7468472度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 東京都 |
特別区 | 北区 |
地区 | 王子地区 |
面積 | |
• 合計 | 0.690 km2 |
人口 | |
• 合計 | 10,558人 |
• 密度 | 15,000人/km2 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 |
114-0004[2] |
市外局番 | 03[3] |
ナンバープレート | 練馬 |
※座標は区立堀船中学校付近 |
堀船(ほりふね)は、東京都北区の町名。現行行政地名は堀船一丁目から堀船四丁目。住居表示施行地域。郵便番号は114-0004[2]。
地理
東京都北区の南東部東端部、荒川区および足立区との区境に位置する。町域北東を隅田川を挟んで対岸に足立区宮城と相対し、南東を荒川区西尾久、南を上中里および栄町、西を石神井川を挟んで王子、北を同じく石神井川を挟んで豊島と相対する。町域内を明治通りが北西から南東に通る。町域内には住宅地とともに中小の工場が多数立地している。かつて、キリンビールの東京都内で唯一の生産拠点であった東京工場が所在していたが、1998年8月に取手工場(茨城県取手市)と栃木工場(栃木県塩谷郡高根沢町。2010年閉鎖)に生産ラインを統合する形で操業を停止・閉鎖した。同工場は1957年、東洋紡績王子工場の跡地に建設され、横浜工場(神奈川県横浜市鶴見区)と共に関東地方の製造拠点の一つであった。工場跡地はその後、読売新聞・朝日新聞・日刊スポーツなどの3社合同による新聞の印刷工場と日本製紙の新聞用紙保管倉庫が建設されている。
歴史
1871年(明治4年)11月に浦和県(現埼玉県)から東京府に編入された。1889年(明治22年)の町村制施行時点においては北豊島郡王子村(1908年に町制施行し王子町へ)大字「堀之内」(ほりのうち)および大字「船方」(ふなかた)といった。王子町は1932年(昭和7年)に東京市へ編入され王子区へ移行し、この時大字堀之内が堀船一丁目、大字船方が堀船二丁目となった。1947年(昭和22年)に滝野川区は王子区と合併し北区が成立。その後1956年(昭和31年)に町名整理により堀船一丁目・二丁目が再編され堀船一丁目 - 四丁目となった。
1964年(昭和39年)に住居表示が施行され、堀船一丁目 - 四丁目をそのまま継承し改めて堀船一丁目 - 四丁目が成立し現在に至っている。
地名の由来
大字時代の「堀之内」と「船方」をより一文字ずつ取った名前である。町域内に設置された堀船小学校および堀船中学校の呼称は町名の読みとは異なり「ほりふな」と読む。
世帯数と人口
2017年(平成29年)12月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
丁目 | 世帯数 | 人口 |
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堀船一丁目 | 1,710世帯 | 2,998人 |
堀船二丁目 | 1,737世帯 | 3,193人 |
堀船三丁目 | 1,857世帯 | 3,488人 |
堀船四丁目 | 480世帯 | 879人 |
計 | 5,784世帯 | 10,558人 |
小・中学校の学区
区立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[4][5]。
丁目 | 番地 | 小学校 | 中学校 |
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堀船一丁目 | 全域 | 北区立堀船小学校 | 北区立堀船中学校 |
堀船二丁目 | 全域 | ||
堀船三丁目 | 全域 | ||
堀船四丁目 | 全域 |
交通
鉄道
町域南端を都電荒川線が通る。町域内に駅・停留場は設置されていないがJR東日本京浜東北線・東京メトロ南北線王子駅、東京都交通局・都電荒川線王子駅前停留場及び梶原停留場が利用できる。
道路
施設
- 北区立堀船小学校(二丁目)
- 北区立堀船中学校(二丁目)
- 東京福祉大学王子キャンパス(二丁目)
- 北堀船郵便局(二丁目)
- 王子自動車学校(二丁目)
- 東京書籍本社(二丁目)
- 延命寺
- 福性寺
- 船方神社
- 白山神社