宮城 (足立区)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
日本 > 東京都 > 足立区 > 宮城 (足立区)

宮城(みやぎ)は、東京都足立区町名。現行行政地名は宮城一丁目および二丁目。住居表示実施済み区域である。郵便番号は120-0047。

地理[編集]

宮城は足立区南西部に位置する。北で一級河川隅田川および荒川に面し、西及び南で隅田川に面する。東で小台と隣接する。小台と隣接する東以外の三方を荒川と隅田川とに囲まれた町が宮城である。土地区画整理事業が比較的行き届いており、直線状の道路が多いが、上述のように北・西・南の三方を川で囲まれた閉鎖的地形をしており、橋を渡るか東京都道449号新荒川堤防線を使わずに町域外へ出ることはできない。

地価[編集]

住宅地の地価は、2014年平成26年)1月1日公示地価によれば、宮城1-31-6の地点で20万円/m2となっている[1]

歴史[編集]

豊島氏の一族で太田資正に仕えた宮城政業の居館が現在の江北橋側の氷川神社にあったとされ、寛永の頃には宮城の村落が出来ていたと考えられている。

かつての宮城村の範囲は広く、村域が現在の扇三丁目まで達していたほか、現在の西新井地区近辺に飛地が存在していた。しかし、荒川放水路の開削によって宮城地区は分断され、足立区が成立する際に荒川より南部が南宮城町、北部が北宮城町と町名が定められた。現在の宮城はこのうち主に南宮城町に属していた範囲に相当する。北宮城町は住居表示の実施によって扇などの他の町名に変更されたが、都営住宅の北宮城アパートと北宮城公園に北宮城の名が残っている。

地名の由来[編集]

戦国時代豪族の宮城氏がこの地を領有していたことに由来すると考えられている。

沿革[編集]

  • 1889年5月1日 - 南足立郡宮城村が周辺の村と合併し、江北村が成立。東京府南足立郡江北村大字宮城となる。
  • 1932年10月1日 - 南足立郡が東京市足立区となる。宮城は荒川放水路より北部(小字が薄本、猟師田、八反目、高崎の地域)が北宮城町、南部(小字が合ノ谷耕地、居村、前耕地、川端耕地の地域)が南宮城町と定められる。
  • 1947年5月1日 - 南宮城町土地区画整理事業施行によって、小台町の一部地域が南宮城町に編入される。
  • 1957年11月1日 - 南宮城町土地区画整理事業の完了に伴い、南宮城町全域が宮城町に改名される。
  • 1966年4月1日 - 荒川河川敷内を除く宮城町内に住居表示が実施され、宮城一丁目・二丁目が成立し、一部町域は小台二丁目に編入される。
  • 1969年8月1日 - 北宮城町の一部に住居表示が実施され、江北一・二・四丁目に編入される。
  • 1969年12月1日 - 北宮城町の一部に住居表示が実施され、西新井本町二丁目に編入される。
  • 1971年5月1日 - 北宮城町の一部に住居表示が実施され、西新井七丁目に編入される。
  • 1974年11月1日 - 北宮城町の一部に住居表示が実施され、扇二・三丁目に編入される。
  • 1989年5月15日 - 荒川河川敷内に住居表示が実施され、宮城町・北宮城町の地名が消滅し、小台大門町と宮城町の一部地域が宮城一・二丁目に編入される。

交通[編集]

道路・橋梁[編集]

江北橋を渡ればへ、東京都道449号新荒川堤防線を東へ進めば小台地区を千住へ、逆に北へ進めば新田東京都道318号環状七号線(環七通り)へ、豊島橋を渡れば北区豊島を経て国道122号(北本通り)へ、東京都道307号王子金町江戸川線(日産通り)を経由して王子駅へ至る。

施設[編集]

行政

教育

その他

  • 足立宮城郵便局

史跡[編集]

参考文献[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 国土交通省地価公示・都道府県地価調査

外部リンク[編集]

座標: 北緯35度45分30秒 東経139度45分21秒 / 北緯35.75833度 東経139.75583度 / 35.75833; 139.75583