ポケットコンピュータ
ポケットコンピュータ(ポケコン)は、1980年代に広く使われた携帯用の小型コンピュータの一種である。2015年には全製品が生産を終了した。
概要
ポケットコンピュータは、その名の通りポケットに納まる程度の外形寸法であり、BASICなどの高級言語でユーザがプログラムを作成することができた。小型軽量化と当時の技術水準のため、表示能力や記憶容量は限定されていたが、電池により長時間の駆動が可能であった。日本ではシャープが1980年に発売、これをカシオが追い上げる形で続き、他にも数社が参入して多くの製品が販売された。製品カテゴリ的には関数電卓の延長上にはあったが、機能の高度化は継続的に続けられ、2009年に発売されポケットコンピュータとしても最後の製品となったPC-G850VSでは、BASIC,C,CASL,Z80アセンブラ,PICアセンブラを搭載するまでに至っている[注 1]。
1980年代前半においては、パーソナルコンピュータ(パソコン、PC)が非常に高価だったので、コンピュータに関心を持つ層が、ポケットマネーで買えるコンピュータとして歓迎した。コンピュータとしての処理能力は貧弱であったが、簡単なゲームを作って楽しむなど、趣味の分野で盛んに利用されただけでなく、高性能プログラム電卓として工事現場での構造計算から学術研究フィールドワークにおける計算など、様々な分野で活用された。やがてMSXのようなデスクトップパソコンが同程度の価格まで下落して以降は、電卓用途の機能を強化するなど、可搬型コンピュータとして差別化が図られていった。
最盛期であった1980年代には、他にもラップトップパソコンやハンドヘルドコンピュータと呼ばれるような可搬型コンピュータが存在した。しかし、これらがまだ高価で産業用・業務用機として小さな市場を奪い合っていたのに対し、ポケコンは安価で扱い易いなど様々な理由により、産業・商業・教育ないし趣味といった企業から個人までの幅広いユーザを獲得していた。『I/O』『PiO』(工学社)や『マイコンBASICマガジン』(電波新聞社)などのパソコン雑誌に投稿プログラムが多数掲載され、専門誌『ポケコンジャーナル』(工学社)も刊行されていた。『ポケコンマシン語入門』(工学社)ではシャープのPC-12シリーズでマシン語プログラムを組む際に使える多数の内部ルーチンや、液晶画面を直接制御する方法などが解説されていた。
しかし、2000年代以降は、ノートパソコンやスマートフォンが急速に普及し、ポケットコンピュータの需要が無くなったため、2015年に全ての製品が製造を終了している。ポケコンもラップトップもハンドヘルドも、それぞれ機能的に不満な点が多かったため、やがて高性能で汎用性の高い「ノートパソコン」へと収斂して行き、2010年代に入るとスマートフォンやタブレットがその役目を代替する事になった。2010年代中頃までは業界内でシャープのみが唯一製品の製造を続けていたが、少なくとも2015年にはポケットコンピュータの生産を終了している[1]。シャープが2009年に製造を開始したPC-G850VSがポケットコンピュータの最後の製品になった。
特徴
- 小型・軽量である
- ポケットに入るサイズ(多少嵩張る機種でも、上着のポケットなら十分収まる)で軽量なので、場所を選ばず片手に持って使用できる。腕に抱えて移動しなければならなかった当時のラップトップに比べ、可搬性に優れていた。
- 駆動時間が長い
- 乾電池やリチウムボタン電池で連続100時間以上駆動できるものが多く、入手しやすい一般的な電池を使っていたので、いつでもどこでも電池切れを気にせず利用できた。学生が日に数時間使う程度であれば、一ヶ月以上電池切れの心配をしないで済んだ。
- プログラミングが容易
- 即興で必要に応じたプログラムを作り易いBASICが搭載されていた(後述)。
- 安定した性能
- 1秒弱で起動、フリーズは滅多に起こらず、ウイルスも存在しない。オールリセットで簡単に初期状態に戻せる。
- 学習教材として使いやすい価格
- パソコンが高価であった当時、コンピュータを使った機械制御の学習やコンピュータ言語の教材として適していた。しかし1980年代の中ごろになると同程度の価格のMSX製品が登場するようになり、価格的優位は揺らいでいる。それ以降のポケコンは学校教育や関数電卓用途(後述)の機能にも力を入れるようになり、その携帯性とともに差別化を図っている。このため、後期の学校向けポケコンでは機械制御用ボードを接続するためのオプション用コネクタやバスコネクタが装備され、工業高校や専門学校に導入されて専用ボードを用いた機械制御の学習用に用いられた。また言語学習用として情報処理試験のCASLやC言語、アセンブラも搭載されるようになった[注 2]。
- 数学関数が豊富
- 関数電卓の延長にあるプログラム電卓から派生した製品なので、数学で利用するいくつかの関数が標準で用意されていた。ダイレクトコマンドとしても使えるので、数式を入力すれば瞬時に答えが出た。少し複雑な計算式でも、簡単なプログラムで対応できた。当時もプログラム可能な関数電卓は存在したが、BASIC言語を使った、より本格的なプログラミングができる点で優位であった。
- ただし初期の製品は関数キーをほとんど備えておらず、必ずしも関数電卓の代替となる製品ではなかった。実際に「関数電卓としても使えるポケコン」を求める要望が大学生協に寄せられ、これが転機となって、より豊富な関数や統計機能を搭載した電卓モードを持つ製品が開発されるようになった[2]。これ以降、多数の関数キーを備えた関数電卓の性格を持つ製品がポケットコンピュータの主流となっていった。
- 表示・記憶容量は小さい
- 当時の技術的な水準から、モノクロ液晶で12 - 32桁・1 - 4行程度の文字表示だけのものが多く、メモリ容量も当初は1KB程度であった。後に記憶容量の大きい機種も出たが、32KBを超えるものは少なく、超えたとしても標準では64KB程度だった。
- その他の機能
- 音を出す機能は一般に貧弱で、Beep音と呼ばれる電子ブザーの単純な音のみのものや、幾つかの音程が出せる程度で、廉価版の中には音を出す機能そのものが無い機種もあった[注 3]。一方、周辺機器としては主に専用プリンタや、カセットインタフェース、機種によってはRS-232Cインタフェース、RAM増設モジュール、専用ディスクドライブなどが用意され、一応「コンピュータ・システム」を構成していた。
プログラムやデータの保存・転送
一部の機種では専用のメモリカードや別売りのディスクドライブが利用できたが、当時はカセットインタフェースを介して接続されたカセットテープレコーダを用いてプログラムをオーディオカセットに保存するのが一般的であった。このような用途に特化したデータレコーダと呼ばれる製品も存在したが、カセットもマイクロカセットも既にほとんど使われなくなっている。特にディスクドライブはメディアが一般的ではない専用品であることが多く、入手困難となっている。
初期の高級機には別売でRS-232Cインターフェースが提供される機種もあったが、中期以降の機種では独自のシリアルインタフェース (SIO) が標準で装備される機種が多くなった。これに別売りのレベルコンバータを介すことでRS-232Cなどに相当するシリアルポートとして使えたため、パソコンや一部のワープロ専用機との間でデータ転送ができ、プログラムやデータをパソコンやワープロの広い画面で編集したり、一般的なフロッピーディスクやハードディスクに保存することができた。しかしこのインタフェースもUSBの普及後はあまり使われなくなったため、ほとんどのパソコンには直接接続することができなくなった。RS-232CとUSBの変換ケーブルを用いてもよいが、初期のカセットインタフェースしか持たない機種も含めて直接USBポートに接続できる周辺機器を製作しているメーカ[3]もあるので、こうした製品を利用する方法もある。
「ポケコンBASIC」が果たした役割
プログラミング言語BASICは、簡単な英語の単語を基本としており、プログラミングの入門用に適している。機種間で細かい文法の違い(方言)は多いが、実際の数式に近いフォーマットで記述できる上、プログラムを逐次解釈して実行するインタプリタ型なので、無限ループなどで応答が無くなっても、プログラムが破壊されることはなく、確実に止めることができる。作りかけのプログラムを動かしながら、さらにプログラムを追加していくこともでき、プログラムの作成・改良が容易である。
ポケコンの用途は関数電卓の延長上にあることも多く、現場で必要に応じて即座にプログラムを組む際にもBASICは使いやすかったため、単なる入門者用としてでなく、技術者や科学者が現場で利用する専門分野でも役立った。当時の他のプログラミング言語と比べ、BASICは数式の記述方法が実際の数式に比較的近い部類であるという利点もあった。
しかし、旧来のBASICは一般に構造化命令(→構造化プログラミング環境)を備えていないので、追加に次ぐ追加でプログラムに手を入れていくと構造が煩雑になり、ついには作った本人でさえプログラムが理解できなくなることがある。画面が小さく編集機能が貧弱だったこともあり、いつの間にか訳の分からないものになりがちであった。
このため末期の機種では、教育に於けるプログラミング演習や他の環境に親しんだ利用者のニーズも取り込むべく、ソフトウェア開発で主流となっていた構造化プログラミングへの対応が図られたが、この頃になると携帯用コンピュータはWindowsノートPCが主流となり、ほどなくポケコンはその役割を終えることとなった。しかし、Windows上で動作するインタプリタ型BASICもフリーウェアとして公開されている[4]ので、今でも「携帯用コンピュータで昔ながらのBASICを使う」ことは、ポケコンに頼らずとも可能ではある。
主要機種
脚注
注釈
- ^ ただし、このような多数の言語や相当機能の追加は基本的に工業高校向けモデルの話である。一般向けモデルや大学生協モデルでは後期の高機能モデルにおいても言語はBASICのみ搭載(マシン語は使えても特に機械語モニタを搭載するわけではない)というモデルが少なからずあった。結果的に工業高校向けモデルが残されたために、そのような状況となった。
- ^ もっとも、ポケコンで作ったゲームを授業中にする生徒が少なからずいたのも事実である。
- ^ ただしその場合でも互換性のために
BEEP
命令は用意されていることが少なくない。またブザーの信号線 (I/O) がカセットインターフェースの出力と共用されている機種では、スピーカを内蔵しないポケコンであってもカセットインターフェースからビープ音が出力される場合がある。
出典
- ^ “PC-G850VS 学校教育用ポケットコンピュータ” (JPEG). SHARP. 2015年4月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年5月28日閲覧。
- ^ シャープのポケットコンピュータの大学生協モデルに付属のプログラムライブラリー「電言板」、p.2。
- ^ 高松製作所
- ^ 99Basic:Windows上で動作する「前時代的BASIC」の一例
- ^ The pocket computer museum
- ^ www.hpmuseum.org The Museum of HP Calculators
- ^ http://sharppocketcomputers.com/
- ^ http://pocket.free.fr/html/sharp/sharp_e.html
- ^ http://www.rskey.org/CMS/index.php/exhibit-hall/index.php/exhibit-hall/17?Sharp=ON