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ヴァシーリイ・チャパーエフ (大型対潜艦)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

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「ヴァシーリイ・チャパーエフ」
«Василий Чапаев»
1983年1月24日に太平洋上で撮影された「ヴァシーリイ・チャパーエフ」。
1983年1月24日に太平洋上で撮影された
「ヴァシーリイ・チャパーエフ」。
艦歴
起工 1973年12月22日 A・A・ジュダーノフ記念工場[* 1][* 2]
進水 1974年11月28日[* 1][* 2]
竣工 1976年11月30日[* 1][* 2]
就役 1977年2月2日[* 1][* 2]
所属 ソビエト連邦の海軍旗 ソ連海軍太平洋艦隊[* 1][* 2]
ロシア連邦の海軍旗 ロシア海軍太平洋艦隊[* 1][* 2]
予備 1992年5月[* 2]
除籍 1993年6月30日[* 1][* 2]
退役 1993年12月31日[* 1][* 2]
要目
正式分類 大型対潜艦
大型対潜艦
形態 大型対潜艦
艦型 1134-A 「ベールクト-A」設計
工場番号 729
船体
排水量 基準排水量 5600 t
満載排水量 7535 t
船体長 全長 159.0 m
水線 152.0 m
全幅 最大幅 16.8 m
水線幅 16.2 m
喫水 平均喫水 6.3 m
限界寸法 7.8 m[* 3]
動力装置
蒸気ガスタービン動力ユニット
主機 加速用ギアードタービンユニット TV-12-1[* 3] 2 基
出力 90000 馬力
主要ボイラー KVN-95/64 4 基
プロペラシャフト 2 軸
固定ピッチ推進用スクリュープロペラ 2 基
発電機 ディーゼル発電機 TD-1000[* 3] 2 基
発電 2000 kW
ディーゼル発電機 TD-750[* 3] 1 基
発電量 750 kW
ディーゼル発電機 ASDG-500/1 4 基
総発電量 2000 kW
航行性能
速力 33 kn
経済速度 18 kn
航続距離 5000 nmi/18 kn
独立行動期間 30 日間
乗員
士官 42 名[* 3]
準士官 61 名[* 3]
水兵 282 名[* 3]
武装
高角ミサイル複合 M-11 「シュトールム」[注 1]連装発射装置 B-187A 2 基[* 3]
高角誘導ミサイル V-611 (2K60) 48 発[* 3]
75 口径 57 mm 双連艦砲 AK-725-MR-103 2 基[* 4][* 3]
57 mm 砲弾 4400 発[* 4][* 3]
30 mm 6 連装高角砲複合 AK-630[注 2] 4 基[* 3]
30 mm 砲弾数 8000 発[* 3]
46 口径 45 mm 高角砲 21-KMロシア語版 2 基[* 5][* 3]
対艦ミサイル複合 URPK-2 「メチェーリ」 4 連装発射装置 KT-M-1134A[注 3][注 4] 2 基[* 3]
対艦誘導ミサイル 85-R[注 5] 8 発[* 3]
533 mm 5 連装魚雷装置 PTA-53-1134A 2 基[* 3]
対潜魚雷 53-6553-65KSET-53 または SET-65 「エノート-2」 10 本[* 3]
12 連装反動迫撃砲 RBU-6000 「スメールチ-2」 2 基[* 4]
反動深度爆弾 RGB-60 144 発[* 4]
6 連装反動迫撃砲 RBU-1000 「スメールチ-3」 2 基[* 4]
反動深度爆弾 RGB-10 48 発[* 4]
艦載機 Ka-25PLO 1 機[* 4]
格納庫なし飛行甲板のみ[* 4]
指揮管制システム
戦闘情報管制システム MVU-202 「コーレニ-1134A」[* 3]
レーダー
共用捜索レーダー MR-600 「ヴォスホート」 1 基[* 5][* 3]
共用捜索レーダー MR-310A 「アンガラー-A」 1 基[* 5][* 3]
航法レーダーヴォルガ 2 基[* 5][* 3]
ソナー
水中音響複合 MG-332T 「チターン-2T」ロシア語版[* 4][* 3]
水中音響連絡水中音響装置 MG-26 「ホースタ」[* 3]
対破壊活動水中音響装置 MG-7 2 基[* 3]
水中音響ブイ信号受信水中音響装置 MG-409K[* 3]
潜水艦電磁気航跡探知装置 MI-110R[* 3]
潜水艦温度航跡探知装置 MI-110K[* 3]
潜水艦探知非音響装置「コーロス-K75」[* 3]
電子戦手段
電子戦レーダー「グルズーフ-A」 2 基[* 4][* 5]
電子戦レーダー「グルズーフ-B」 2 基[* 4][* 5]
電子情報収集レーダー MRP-15-16 「ザリーフ」 2 基[* 3]
電子情報収集レーダー MRP-11-12 2 基[* 3]
電子情報収集レーダー MRP-13-14 2 基[* 3]
電子戦複合 PK-2ロシア語版 連装発射装置 ZiF-121[* 3] 2 基[* 5]
欺瞞物質 AZ-TST-41、 AZ-PTST-41、 AZ-TSP-47、 AZ-TST-47、 AZ-TSTV-47[注 6] 200 発[* 3]
管制装置「テールツィヤ」[* 3]
高速力音響防雷具英語版 BOKA-DU 2 基[* 3]
射撃管制装置
対潜・高角ミサイル射撃管制装置 4Р-60 「グローム-M」[注 7][* 3] 2 基[* 5][* 3][* 6]
AK-725 射撃管制レーダー MR-103 「バールス」 1 基[* 4][* 3]
AK-630 射撃管制レーダー MR-123 「ヴィーンペル-A」[* 5] 2 基[* 4][* 3]
魚雷発射管制機器「チフォーン-1134[* 3]
迫撃砲射撃管制機器「ブーリャ[* 4][* 3]
航法通信装置
通信機 装備一式[* 6]
敵味方識別装置ニフローム-KM 2 基[* 3]
呼掛け器「ニーケリ-KM 4 基[* 3]
無線方位測定器 ARP-50R 1 基[* 4][* 3]
近接水上状況監視テレビシステム MT-45[* 5]
衛星測位システム ADK-3M「シュリュース」[* 4][* 7][* 5]
宇宙通信複合 R-790 「ツナーミ-BM」[* 7][* 3]
要目の出典
上記以外は、 Апальков, Ю. В. (2005), 38 с. による。

「ヴァシーリイ・チャパーエフ」、「ワシーリイ・チャパーエフ」(ロシア語: «Васи́лий Чапа́ев»[注 8])は、ソビエト連邦で建造されたソビエト連邦海軍1 等大型対潜艦большой противолодочный корабль 1 ранга)である。艦名は、ロシア内戦における労農赤軍の伝説的な英雄で、映画など大衆文化を通して有名であった V・I・チャパーエフロシア語版を讃えたもの。先代の軽巡洋艦チャパーエフロシア語版」から受け継いだ。

概要

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建造と配備

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1134-A 「ベールクト-A」設計大型対潜艦の 9 番艦となる「ヴァシーリイ・チャパーエフ」は、1970年6月11日付けで海軍艦船名簿英語版に登録された[1]1973年12月22日ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国レニングラードA・A・ジュダーノフ記念工場で起工した[1][2]。工場番号は第729号であった[1][2]1974年11月28日進水し、1976年11月30日に竣工した[1][2]

当初は、1976年12月24日付けの二重赤旗勲章受章バルト艦隊司令官第0171号指令により、同艦隊・第12ミサイル艦分艦隊に編入された[3]。その後、艦は太平洋方面へ回航されることになったが、士官以下乗員が太平洋方面への転勤を拒否した。このような命令拒否は当時ソ連海軍において叛乱とみなされており、すぐに新しい艦長が任命され、乗員はウラジオストクから派遣されたメンバーで編成し直された[3]1977年2月2日付けで赤旗勲章受章太平洋艦隊へ編入された[1]

初期の活動

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1977年には、姉妹艦「オクチャーブリスキイ提督ロシア語版」とともにインド洋における駐留任務を成功裏に遂行した[3]。「ヴァシーリイ・チャパーエフ」は、ハバナシエンフエーゴスルアンダボティアラ英語版マプトアデンを実務・公式訪問した[3]12月16日から21日にかけては第8作戦艦隊ロシア語版旗艦として[3]警備艦レースキイ」とともに[3]インドムンバイを実務訪問した[1][2]

1978年3月31日付けの赤旗勲章受章太平洋艦隊司令官第131号指令により、赤旗勲章受章太平洋艦隊・第10作戦艦隊ロシア語版第201対潜艦戦隊に編入された[3]

中越戦争が発生すると、ソ連は友邦ベトナムを支援するため、速やかに艦隊を派遣した。戦争の行われた1979年2月から3月にかけて、「ヴァシーリイ・チャパーエフ」は指揮巡洋艦セニャーヴィン提督ロシア語版」、ミサイル巡洋艦フォーキン提督」、大型対潜艦「スポソーブヌイ」と「ストローギイ」、艦隊水雷艇ヴォズブジュヂョーンヌイロシア語版」、警備艦「ラズャーシチイ」とともに、ベトナム支援のために派遣された。この作戦によって、 36 名の乗員が勇気とヒロイズムのために政府から受勲された。また、戦闘準備と水中盗聴の優秀さから、「ヴァシーリイ・チャパーエフ」は艦隊で最良の艦のひとつに選ばれた[3]

1982年5月8日から12日にかけては、警備艦「リヤーヌイ」とともに[3]セーシェルヴィクトリアを公式訪問した[1][2]1982年には、インド洋で軍事任務を遂行した。任務は 9 か月にわたり、その間、インド、セーシェル、南イエメンモザンビーク、ベトナムを歴訪した[3]

近代化改修と後期の活動

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1983年には[3]、ウラジオストクの船舶修理工場「ダリザヴォート」にて中期修理を受けた[2]。その際、対潜ミサイル複合を従来の対専用の「メチェーリ」から対艦兼用の「ラストループ-Bロシア語版」へ更新した[2]。さらに、前檣ロシア語版には衛星航法システム ADK-3M 「シュリュース」と宇宙通信複合 R-790 「ツナーミ-BM」が装備された[4]

1984年春には朝鮮民主主義人民共和国を訪問したが、その後ひと月にわたって朝鮮人民軍海軍潜水艦の沈没地点に留まった[3]。同年秋には、重航空巡洋艦ノヴォロシースクロシア語版」と警備艦、およびタンカーとともにハワイ諸島へ向かい、その後オホーツク海アメリカ海軍の多目的原子力潜水艦の追跡任務を行った。その間、猛烈なに見舞われた[3]。1984年10月1日から10月3日にかけて、「ヴァシーリイ・チャパーエフ」はオホーツク海においてアメリカ海軍の原子力潜水艦に対する捜索作戦に従事した。捜索部隊には、重航空巡洋艦「ノヴォロシースク」、大型対潜艦「ニコラーエフロシア語版」、警備艦「ストロジェヴォーイロシア語版」、原子力潜水艦 K-242K-535通常動力型潜水艦 B-855B-229B-404、それに Tu-142 と「ノヴォロシースク」搭載の Ka-27PL からなる航空部隊が参加した。艦隊は9月28日に出港したが、9月30日には「ヴァシーリイ・チャパーエフ」は非音響装置によって原子力潜水艦の航跡を発見した。10月2日には B-404 がパラムシル島マカンルシ島のあいだの第4クリル海峡ロシア語版においてアメリカ海軍の原子力潜水艦を発見した。天候の悪化のため10月3日に作戦は完了とされ、10月5日アニーヴァ湾で「ニコラーエフ」と「ヴァシーリイ・チャパーエフ」に物資を補給したのち、10月6日にはストレローク湾ロシア語版ルードネフ入り江へ帰還した[3]

1985年2月には、重航空巡洋艦「ノヴォロシースク」、大型対潜艦「タリンロシア語版」ならびに「タシュケントロシア語版」とともに、原子力潜水艦 K-115ロシア語版 を標的に利用した対潜任務訓練に従事した[3]。1985年3月29日から4月17日にかけて、太平洋艦隊は日本海からハワイ諸島、カムチャツカ半島までを視野に入れた大規模な指揮指令演習を行った。練習艦隊には、第10作戦艦隊の重航空巡洋艦「ノヴォロシースク」、大型対潜艦「ニコラーエフ」、「タシュケント」、「タリン」、「ヴァシーリイ・チャパーエフ」、警備艦「レーヴノスヌイ」、「ポルィーヴィストィイ」、原子力潜水艦 K-360 などが加わった。演習では、艦隊は 6430 海里の距離を航行した[3]。1985年8月には、ベトナムを訪問した[3]。同年9月から翌1986年9月にかけての期間、「ヴァシーリイ・チャパーエフ」はベトナム沿海域において軍事任務を遂行した[3]

1986年9月15日から9月17日にかけて、「ヴァシーリイ・チャパーエフ」は初めて実施された太平洋艦隊と朝鮮人民軍海軍東海艦隊との合同演習に参加した。演習は、「海上へ移動する揚陸部隊の撃破」であり、 V・V・シードロフ太平洋艦隊司令官が演習の指揮を取った。ソ連海軍からは、「ヴァシーリイ・チャパーエフ」のほかに大型対潜艦「タシュケント」、ミサイル艇 5 隻、補給船舶 3 隻、航空機 12 基が演習に参加し、羅先を根拠地として活動した。演習後、「ヴァシーリイ・チャパーエフ」はインド洋での駐留任務を継続した。この年、大型対潜艦「タシュケント」、「ヴァシーリイ・チャパーエフ」、警備艦「ゴルヂェリーヴィイ」、および第710独立艦載対潜ヘリコプター連隊からなる第10作戦艦隊の艦船捜索打撃群ロシア語版は、対潜行動の分野で最優秀であると表彰された[3]

1992年5月3日には、部品やシステム、武装の不足と修理工事の費用対効果の問題が原因で予備役に入れられた[3][2]。その後、解体と売却を目的とした資金資産局[1]または軍資産換金局[2]への引渡しに関連し、1993年6月30日付けで武装解除され、海軍から除籍された[1][2]。同日、姉妹艦の「イサーコフ提督」と「オクチャーブリスキイ提督」も除籍されている[5]。同年12月31日付けで退役した[1]

舷側番号

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その就役期間において、艦には以下のような舷側番号ロシア語版が記された[5]

  • 570
  • 239 (1974年)
  • 405
  • 545 (1979年)
  • 549 (1982年)
  • 511 (1983年)
  • 590 (1990年)

ギャラリー

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脚注

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  1. ^ Апальков, Ю. В. (2005), 39 с. によれば、「シュトールム-M」。当初「シュトールム」を搭載したのが、「シュトールム-M」へ近代化改修去れたものと解釈される。一部の艦ではさらに「シュトールム-N」へ改修されているが、「ヴァシーリイ・チャパーエフ」での施工状況は明記されず。
  2. ^ Апальков, Ю. В. (2005), 39 с. によれば、 AK-630M。その場合、砲弾数は 12000 発。
  3. ^ のち URK-5 「ラストループ-B」ロシア語版 4 連装発射装置 KT-100U。
  4. ^ Апальков, Ю. В. (2005), 36 с. によれば、「メチェーリ」に対して KT-100、「ラストループ-B」に対して KT-100U。
  5. ^ のち 85-RU
  6. ^ 1985年から AZ-TSO-47、 1991年から AZ-TSE-47 を使用。
  7. ^ 「ラストループ-B」に対し、「グローム-R」。
  8. ^ IPA: [vɐˈsʲilʲɪj ʨɪˈpaɪf ヴァスィーリイ・チパーイェフ]

出典

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参考文献

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  • Апальков, Ю. В. (2005). “III. Противолодочные корабли. Часть I. Большие противолодочные корабли. Сторожевые корабли” (ロシア語). Корабли ВМФ СССР. Справочник в 4 томах. СПб.: Галея Принт. pp. 36 - 42 сс. ISBN 5-8172-0094-5 
  • Бережной, С. С. (1995). “Большие противолодочные корабли типа “Кронштадт” (проект 1134-А) - 10 единиц” (ロシア語). Советский ВМФ 1945-1995: крейсера, большие противолодочные корабли, эсминцы. Морская коллекция № 1995-01 (001). «Моделист-конструктор». http://wunderwaffe.narod.ru/Magazine/MK/1995_01/16.htm 

関連項目

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外部リンク

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