尾上柴舟
尾上 柴舟 (おのえ さいしゅう) | |
---|---|
誕生 |
北郷 八郎 1876年8月20日 岡山県苫田郡津山町[注釈 1] |
死没 |
1957年1月13日(80歳没) 東京都文京区白山御殿町 |
墓地 | 多磨霊園 |
職業 | 歌人、詩人、書家、国文学者 |
言語 | 日本語 |
国籍 | 日本 |
教育 | 博士(文学) |
最終学歴 | 東京帝国大学文科大学卒業 |
活動期間 | 1901年 - 1957年 |
ジャンル | 短歌、詩、書、国文学 |
文学活動 | 叙景詩運動 |
代表作 | 『短歌滅亡私論』(1910年)[2] |
子供 | 尾上兼英(養嗣子) |
ウィキポータル 文学 |
尾上 柴舟(おのえ さいしゅう/しばふね、1876年〈明治9年〉8月20日[3] - 1957年(昭和32年)1月13日)は、日本の詩人・歌人・書家・国文学者。文学博士[4]。帝国芸術院会員[5]。勲二等瑞宝章受章者。旧名は北郷八郎[6]。
略歴・人物
岡山県苫田郡津山町(現・津山市)出身[3][注釈 2]。本名は尾上八郎[1]。元津山藩士・北郷直衛の三男として生まれ[3]、同藩士・尾上動の養子となった[3]。津山小学校高等科を卒業の後、父の転勤で兵庫県龍野(現・たつの市)に移住する。東京府尋常中学[3]、一高を経て[3]、東京帝国大学文科大学に進み[13]1901年に卒業[3][14]。哲学館(現・東洋大学)講師[15][16]、東京女子高等師範学校(現・お茶の水女子大学)講師・教授(1905年[17][18]–)、高等官6等に叙せられて「第6臨時教員養成所」の教授を兼ねる(1906年[19][20][21][22]–1907年度[23])。早稲田大学高等師範部(現・早稲田大学教育学部)教授を経て[3]、1908年から女子学習院(現・学習院女子大学)教授[3][23][24][注釈 3][26]。1943年に東京芸術大学に講師としておもむき[27]、1946年に東京女子高等師範学校の名誉教授[6]。
1914年、東京大正博覧会で最高賞の銀牌を得る[28]。1923年、『平安時代の草仮名の研究』[29]で文学博士[30]。1937年には書家として帝国芸術院会員[30]。1946年に東京女子高等師範学校名誉教授、1949年に歌会始選者に選ばれると、取りやめとなった1952年[31][32]を除き没年までつとめた[42]。日本学士院会員[40]。
一高時代に落合直文に師事、1900年の歌会始に出席[43]。翌1901年に『ハイネの詩』を刊行[3][44][45]。また、金子薫園と共に『叙景詩』を刊行し[3]、『明星』の浪漫主義に対抗して自然主義文学の影響を受けた「叙景詩運動」を推し進めた[3]。1910年に発表した「短歌滅亡私論」は大きな話題を呼び、口語短歌も含めた大正~昭和初期の短歌改革の前哨戦となった[2]。1914年4月、石井直三郎、岩谷莫哀らとともに歌誌『水甕』(みずがめ)を創刊し、主宰者となる[46][47][注釈 4]。
書道では大口鯛二に師事[28][30]。粘葉本『和漢朗詠集』[26]を研究して古筆の書風を再現したほか[30][注釈 5]、漢字と仮名を調和させる調和体[注釈 6]を追及し、「昭和の藤原行成[30]」と称された。また、柴舟が教員検定試験(通称文検[54])の試験委員[55][56][注釈 7]を務めたことで、平安古筆が中等教育における模範[61]として浸透定着した[28]。一方で、大字仮名を推進する安東聖空や上田桑鳩からは批判を受けた[28]。
1957年1月6日、歌会始[41]から帰宅した後に意識不明となり、1月13日、流行性感冒(インフルエンザ)に狭心症を併発して東京都文京区白山御殿町(現・白山)の自宅で死去[62][71]。
日本画家の川合玉堂との親交が厚く、書画の作品には柴舟が書をしたため、玉堂が画を描いたものが多く見られる[3]。
没した1957年に遺墨展[注釈 8]、生誕100年に東京セントラル美術館(1975年[73])、同130年には成田山新勝寺境内の成田山書道美術館(2005年[74])ならびに日本書道美術館(2006年[75])で回顧展が開かれた。
中国文学者の尾上兼英は養嗣子。短歌の弟子として小泉苳三、岩谷莫哀などがいる。
官位、栄典
- 1905年(明治38年)6月30日 - 叙従7位[76]
- 1906年(明治39年) - 高等官6等[19]「第6臨時教員養成所」の教授[21]を兼務
- 1939年(昭和14年)4月13日 - 勲二等瑞宝章[77][78]
作品
詩集・歌集
- 『叙景詩』1902年
- 『銀鈴』新潮社、1905年
- 『金帆』本郷書院、1905年
- 『静夜』隆文館、1907年
- 『永日』弘道館、1909年
- 『白き路』有朋館、1914年[6]
- 『遠樹』植竹書院、1915年
- 『空の色 歌集』東雲堂、1919年
- 『草路集』岩谷禎次編、水甕発行所〈水甕叢書 第5編〉、1920年 - 岩谷莫哀(岩谷禎次)、鈴木康文らとの共同歌集
- 『朝ぐもり 歌集』紅玉堂書店、1925年
- 『み光のもとにて 歌集』紅玉堂書店、1929年
- 『閒歩集』水甕社、1930年[注釈 9]
- 『細風抄 自選歌集』改造社、1936年
- 『素月集』雄山閣、1936年[注釈 9]
- 『芳塵』中央出版協会、1942年
- 選集
- 『新選尾上柴舟集』新潮社〈新潮文庫 ; 第438編〉、1940年[注釈 9]
- 『尾上柴舟明治期短歌集』藤田福夫 編、水甕名古屋支社、1984年
- 『尾上柴舟全詩歌集』短歌新聞社、2005年
- 『尾上柴舟大正期短歌集』短歌新聞社、2007年[79]
翻訳
エッセー
『文科学術談話会々誌』(文科学術談話会)に掲載。
「中国名裁判物語」シリーズ、ぎょうせい〈法律のひろば〉に収載[82]。
- 「7 兎の帽子・二人布・四人和尚」第4巻第7号、p.47-54、1951-08
- 「10 菜葉の篭、偽医者」第5巻第1号、p.48-54、1952-01
- 「11 料理人・子供」第5巻第2号、p.50-54、1952-02
- 「12 唖子・紅衣の女」第5巻第4号、p.51-54、1952-04
- 「13 僧人」第5巻第5号、p.52-54、1952-05
- 「14 木印・黒痣・銅錫の簪・江竜」第5巻第6号、p.49-54、1952-06
- 「15 証書-上-」第5巻第7号、p.51-54、1952-07
- 「16 証書-下-」第5巻第8号、p.52-54、1952-08
- 「17 棺の中-上-」第5巻第9号、p.52-54、1952-09
- 「18 棺の中-下-」第5巻第11号、p.49-54、1952-11
- 「19 桑林鎮」第5巻第12号、p.50-54、1952-12
- 「20 仮装-上-」第6巻第1号、p.49-53、1953-01
- 「21 仮装-下-」第6巻第2号、p.50-54、1953-02
- 「22 画幅・外人」第6巻第3号、p.51-54、1953-03
- 「23 朱履-上-」第6巻第4号、p.50-53、1953-04
- 「24 朱履-中-」第6巻第5号、p.51-53、1953-05
- 「25 朱履-下-」第6巻第6号、p.50-53、1953-06
- 「26 包の品品」第6巻第7号、p.50-53、1953-07
- 「27 婚約の時日-上-」第6巻第9号、p.52-54、1953-09
- 「28 婚約の時日-中-」第6巻第11号、p.52-54、1953-11
- 「29 婚約の時日-下-」第6巻第12号、p.52-53、1953-12
- その他、第7巻と第8巻に収載。(1954年1月-1955年10月)
- 紀田順一郎 監修・解説、宮岡謙二、樋口配天 編『死面列伝、旅芸人始末[書] : 異国遍路 . 明治会見記』クレス出版〈日本人物誌選集第8巻〉、2007年、復刻版。ISBN 9784877333836、NCID BA83404496。
書
- 『万年筆新書翰』辰文館、1913年
- 『柴舟かな帖』啓成社、1917年
- 『日本名筆全集(編)第1-14巻』雄山閣、1930年 - 1932年
- 『調和体春秋帖』雄山閣、1933年[注釈 12]
- 『調和体風月帖』雄山閣、1933年
- 『ふちなみ帖』水甕社、1933年
- 『秋野帖』雄山閣、1934年
- 『水かけ』水甕社、1936年
- 『かすが帖』駸々堂書店、1936年
- 『新春日帖』駸々堂、1943年
- 『高野切 第2種』雄山閣、1937年
- 『隅寺心經』泰東書道院出版部、1938年
- 『友鏡』駸々堂、1941年
- 『元暦校本萬葉集抄』泰東書道院出版部、1941年。折本。
- 『御笠帖』泰東書道院出版部、1942年。改版本。
- 『きぬがさ帖』大日本出版社峯文荘、1943年
- 『調和体山水帖』雄山閣、1943年
- 『文化帖』大阪:若草書房、1953年
- 『婦人手紙十二ヶ月』奈良:若草書房、1955年。doi:10.11501/1701705、国立国会図書館デジタルコレクション、館内閲覧/図書館送信参加館・個人送信限定
指導書
- 尾上八郎 編、岩崎書店〈書道入門講座〉、1955年–1956年、CiNii[注釈 13]。
- 『和様書道史』平凡社、1934年、CiNii。
- 『日本書道と日本精神』1940年。内閣印刷局、CiNii。教學局、CiNii。
- 『日本書道と日本精神』日本文化協會、1940年、CiNii。
- 石橋啓十郎 共編『高等書道』東京修文館、1950年(見本版[61])。
- 石橋啓十郎 共編『高等書道 : 教授資料』東京修文館 1952年、CiNii。
- 石橋啓十郎 共編『新編高等書道』東京修文館 1952年(見本版、CiNii)。1953年、CiNii。改訂版、1955年(見本版、CiNii)。1955年、CiNii。
- 石橋啓十郎 共編『新編高等書道 : 教授資料』修文館、1953年、CiNii。
- 石橋啓十郎 共編『書道教育図説』岩崎書店、1955年、CiNii。増補版1966年、CiNii。
- 石橋啓十郎 共編『書道新鑑』修文館 1956年(見本版)、CiNii。1957年、CiNii。1958年、CiNii。
- 尾上柴舟『尾上柴舟とよのとし』日本書道教育学会、1965年、CiNii。
論説等
- 下田次郎 共編『新撰女子讀本』明治書院、1914年(訂正再版)、NCID BB03406068
- 改訂、1917年、NCID BB27363797
- 『短歌新講』大日本雄弁会、1915年
- 『短歌髄脳』明治出版社、1916年
- 『歌と草仮名』雄山閣、1925年
- 『平安朝時代の草仮名の研究』1926年
- 『古本古今和歌集(校注)』雄山閣、1926年
- 下田次郎 共編『新女子國文』訂正版、明治書院、1927年、NCID BA41716324
- 第2版訂正版、1929年、NCID BB31277338
- 訂正版、1934年、NCID BB31508634
- 修正版、1935年、NCID BB31508758
- 『行きつゝ歌ひつゝ』雄山閣、1930年
- 『紀貫之』厚生閣〈歴代歌人研究 第4巻〉、1938年
- 『假名書道講話』東京修文館、1947年
- 『古今和歌集』岩波文庫、1948年
- 『芭蕉夜話』一誠社、1949年
コレクション
- 『華嚴經 : 尾上柴舟先生秘蔵』光明社、泰東書道院代理部(発売)、1938年、CRID : 1130282272198678528。折本、和装。
- 朝野魚養『古經斷簡 : 尾上柴舟先生秘蔵』泰東書道院出版部、1940年、CRID : 1130282270385880960。折本、和装。
展覧会の図録
- 尾上柴舟 著、栴檀社 編『尾上柴舟遺墨展』栴檀社、1957年。 NCID BB01563269。
- 尾上柴舟、日本書道教育学会『尾上柴舟生誕百年展』1975年、CRID : 1130282271573681536。
- 成田山書道美術館『尾上柴舟展 : 生誕130年』成田山書道美術館、2005年、CRID : 1130011838007309218。
- 尾上柴舟、日本書道美術館『尾上柴舟 : 生誕130周年記念展 人とその作品 特別展』教育書道出版協会、2006年。CRID : 1130282272228253184。
参考文献
- お茶の水女子大学国語国文学会(編)『国文』第9号、お茶の水女子大学国語国文学会、1958年5月、doi:10.11501/4413664、ISSN 0389-861X。
脚注
注釈
- ^ 津山市の鶴山公園に歌碑「生ぬくきにほひみたせて山ざくら咲ききはまれば雨よぶらしも」(明治36年)がある[1]。
- ^ 岡山県立図書館が受けた「質問:尾上柴舟(おのえさいしゅう)について」知りたいという問い合わせの答えとして、「『尾上柴舟小誌』に東京歌碑建設除幕記念」の注記があるとしている(1961年=昭和36年11月5日[7])。レファレンス協同データベースより関連の資料を転記する。『尾上柴舟小誌』(1961年=昭和36年[8])、山本遺太郎『岡山の文学アルバム』(1983年[9])、『尾上柴舟の秀歌』(1974年[10])、『尾上柴舟・詩歌と書』(1975年[11])、『岡山県歴史人物事典』(1994年[12]。
- ^ 1918年(大正7年)に転任の報道がある[25]。
- ^ 村山によると、『水甕』の表紙は当初、版画を採用し(創刊の1914年5月号より翌年)、原画を作成した長谷川潔が渡仏すると、1957年(没年)まで柴舟が古筆切をトレースして表紙に用いた[48]。
- ^ 著書に『歌と草仮名』(1925年)、『平安朝時代の草仮名の研究』(1926年)、『紀貫之』(1938年)、『假名書道講話』(1947年)。古今和歌集の研究に『古本古今和歌集(校注)』(1926年)、『古今和歌集』岩波文庫(1948年)がある。
- ^ 関連の著作に『書道講座 調和体朗詠抄』(1929年)[49]、『書道講座 和様概説 調和体の研究』(1931年)[50]、『調和体春秋帖』(1933年)[51]、『調和体風月帖』(同年)[52]がある。いずれも雄山閣発行。
- ^ 健文館〈師範大学講座〉に寄せた尾上の著作に「仮名の書方」 [57][53][58][59]がある。 「国語の音声研究の進歩」[60]。
- ^ 1957年(昭和32年)の遺墨展は銀座松屋の画廊を会場に開催(9月27日-10月2日[72])。
- ^ a b c 1919年–1935年(大正7年‐昭和10年)の作品を収載。『閒步集』『素月集』を含む。国立国会図書館の館内利用、図書館PCで閲覧・印刷、個人登録をして受信、遠隔複写サービスが利用可能。doi:10.11501/1686047。
- ^ 序:登張竹風、奥付:尾上八朗。ハイネ像の写真あり。付録:ハイネ評伝[80]。
- ^ 国立国会図書館の館内利用、図書館PCで閲覧・印刷、個人登録をして受信、遠隔複写サービスが利用可能。doi:10.11501/1703302。
- ^ 『書道講座 和様概説 調和体の研究』雄山閣、1931年、『書道講座 調和体朗詠抄』雄山閣、1932年 - 1933年。
- ^
- 仲田幹一『ペン習字』、CiNii。
- 『楷書』1955年、CiNii。
- 『行書』1955年、CiNii。
- 『かな』1955年、CiNii。
- 『書法・書論』1956年、CiNii。
- 『実用書式』1956年、CiNii。
- 『草書 : 篆・隷書』1956年、CiNii。
出典
- ^ a b “生ぬくきにほひみたせて山ざくら咲ききはまれば雨よぶらしも” (xlsx). 津山市 (2016年5月11日). 2023年5月14日閲覧。 “91, 鶴山公園松の段、城跡の鐘が時を告げていたのにちなみ、明治36年、鶴盟社の俳人たちが建てた。 92, 本名は尾上八郎(はちろう)。”
- ^ a b 篠弘「自然主義と近代短歌」、早稲田大学、1992年、doi:10.11501/3068629。『近代短歌論争史 : 明治大正編』。博士論文(乙第891号:文学)、平成4年6月16日授与。
- ^ a b c d e f g h i j k l m 『大学所蔵書蹟資料尾上八郎書掛軸』お茶の水女子大学 。2021年12月6日閲覧。
- ^ 大蔵省印刷局「彙報 / - / 学事 / 学位授与 尾上八郎」『官報』1923年5月16日、422 (コマ番号0006.jp2)。
- ^ 尾上柴舟「高野切の書体について」『書道』第6巻第8号 (通号68号)、泰東書道院出版部、1937年8月、36-43 (コマ番号0040.jp2)、doi:10.11501/1543442、全国書誌番号:00011864。
- ^ a b c “尾上柴舟(おのえさいしゅう)について知りたい。(岡山県立図書館)”. 書誌詳細 | 国立国会図書館サーチ. 国立国会図書館. 2023年5月13日閲覧。
- ^ “質問:尾上柴舟(おのえさいしゅう)について知りたい。(岡山県立図書館)”. レファレンス協同データベース. 国立国会図書館. 2023年5月13日閲覧。備考:M2007120910290762595
- ^ 尾上柴舟 著「一、口絵(肖像・歌碑の歌・筆蹟)」、水甕社 編『尾上柴舟小誌』尾上柴舟歌碑建設会、1961年、1-(巻頭)頁。doi:10.11501/1347069。全48p、図版 ; 21cm。国立国会図書館館内の閲覧または図書館送信参加館・個人送信限定。
- ^ 山本遺太郎『岡山の文学アルバム』日本文教出版、岡山、1983年。doi:10.11501/12502178。全国書誌番号:83032382。国立国会図書館内公開、遠隔複写サービス可。
- ^ 加藤将之『尾上柴舟の秀歌』短歌新聞社、1974年。
- ^ 富気弘之『尾上柴舟・詩歌と書』水甕岡山支社、1975年。
- ^ 山陽新聞社、1994年。)
- ^ 文部省(著)、大蔵省印刷局(編)「彙報 学生入学宣誓式東京帝国大学 / 国文学科第1年生 同(1)尾上八郎」『官報』本号 / 第4587号、日本マイクロ写真、1898年10月12日(明治31年)、181頁、2023年5月13日閲覧。
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- ^ 尾上柴舟「明日より(和歌)」『雄弁』第5巻第1号、大日本雄弁会講談社、1914年1月1日、474-475頁、doi:10.11501/11006614。
- ^ 尾上柴舟「山の湯にて(和歌)」『雄弁』第5巻第4号、大日本雄弁会講談社、1914年4月1日、454-455頁、doi:10.11501/11006617。
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- ^ 文部省(著)、大蔵省印刷局(編)「年俸金200円下賜、(以上4月17日)女子高等師範学校教授 尾上八郎」『官報』本号 / 第6537号、1905年4月19日、741頁。
- ^ a b 大蔵省印刷局(編)「兼任第6臨時教員養成所教授 女子高等師範学校教授従7位 尾上八郎」『官報』本号 / 第6863号、1906年05月18日(明治39年)、565頁。
- ^ 大蔵省印刷局(編)「陛叙高等官6等 女子高等師範学校教授 兼務第6臨時教員養成所教授 尾上八郎従7位」『官報』第7243号、1907年08月20日(明治40年)、406頁。
- ^ a b 大蔵省印刷局(編)「任第6臨時教員養成所教授 兼 女子高等師範学校教授、女子高等師範学校教授 兼 第6臨時教員養成所教授 尾上八郎」『官報』、1907年08月30日(明治40年)、672頁。
- ^ 大蔵省印刷局(編)「○尾上八郎等(内閣)672 30」『官報』、1907年09月02日(明治40年)、4頁。
- ^ a b 大蔵省印刷局(編)「敍任及辭令 / - / - / 任学習院教授叙高等官6等 第6臨時教員養成所教授 兼 女子高等師範学校教授 尾上八郎(宮内省)」『官報』、1908年04月13日(明治41年)、260頁。
- ^ 尾上柴舟(著)、白日社(編)「窓」『詩歌』第3巻第4号、白日社、1913年4月、92頁- (コマ番号0049.jp2)。国立国会図書館内公開。
- ^ 「新聞集成大正編年史」大正7年度版上、明治大正昭和新聞研究会、1976年、国立国会図書館書誌ID:73019414。
- ^ a b 尾上八郎 編『倭漢朗詠集』(複製)女子学習院、1938(昭13年)。doi:10.11501/1144232。国立国会図書館書誌ID:46046107。図版56枚 ; 28cm。
- ^ 「第3章 戦時下 昭和16年〜同20年 §第9節 昭和19年 §§(1)職員その他(主に辞令簿による。)」『東京芸術大学百年史 東京美術学校篇』(pdf)東京藝術大学 美術学部 近現代美術史・大学史研究センター、935頁 。2023年5月13日閲覧。「昭和19年4月7日、前年に引き続き尾上八郎、上村福幸、高階順治、鈴木清、小磯良平、寺内万治郎は講師を嘱託される。(各担任科目は前年度と同じ。)」
- ^ a b c d “25 尾上柴舟、田中親美、鈴木梅渓 – 成田山書道美術館”. 成田山書道美術館. 2021年12月6日閲覧。
- ^ “平安時代の草仮名の研究(雄山閣出版、1930年)|書誌詳細”. iss.ndl.go.jp. 国立国会図書館サーチ. 2023年5月13日閲覧。
- ^ a b c d e 松本昭彦「尾上柴舟の書風の変化に関する一考察」『書学書道史研究』第1994巻第4号、書学書道史学会、1994年6月30日、75頁、doi:10.11166/shogakushodoshi1991.1994.75、2021年12月6日閲覧。
- ^ 宮内庁。大蔵省印刷局 編「告示 / / 第1号 / 昭和27年歌会始御題(小鳥)」『官報』、日本マイクロ写真、1952年、261 (コマ番号0001.jp2)、doi:10.11501/2963759。
- ^ “お題一覧(昭和22年から) - 宮内庁”. www.kunaicho.go.jp (1952年). 2023年5月13日閲覧。 “昭和27年(取りやめ)”
- ^ “昭和24年歌会始お題「朝雪(あしたのゆき)」 (1949年)”. www.kunaicho.go.jp. 宮内庁 (1949年). 2023年5月13日閲覧。 “召歌 正四位勲五等 武島又次郎 - とりどりのすがたもみえてうめやなぎ雪おもしろきけさのにはかな
召歌 従四位勲五等 遠山英一 - おきいでてたたへぬ人(ひと)ぞなかりけるおもひもかけぬけさのはつゆき
選者 日本芸術院会員 尾上八郎 - みちなむとしてたゆたへるあさぞらのひかりにふれてゆきはこぼるる
選者 日本芸術院会員 齋藤茂吉 - まどかにもふりたる雪かためらはず降れるものかも今朝のはだれは
選者 日本芸術院会員 窪田通治 - あさひかげさすにしづるるささのゆきこのさやけさのうちつづくみむ
選者 日本芸術院会員 吉井勇 - 京にすむことのたのしさ思ひつつ真くずが原のあさのゆきふむ
選者 従三位勲三等 鳥野幸次 - ひらひらとあさゆくみちに散りそめておもしろきかなとしのはつゆき” - ^ “昭和26年歌会始お題「朝空(あしたのそら)」”. www.kunaicho.go.jp. 宮内庁 (1951年). 2023年5月13日閲覧。 “召歌 日本芸術院会員 太田貞一 - いかならむ光さすやと八千(やち)よろづひとつ心に仰ぐあさ空
召歌 日本芸術院会員 岡三郎 - 信濃路はつづく山山雪つもりけさの朝けのそらの明る
選者 日本芸術院会員 尾上八郎 - 磨ぎ澄みて厳しき(いかしき)空の霜晴に物ことごとく明らけき朝
選者 日本芸術院会員 齋藤茂吉 - 七十路(ななそぢ)のよはひになりてこの朝けからすのこゑを聴かくしよしも
選者 日本芸術院会員 窪田通治 - 春山の奥に籠れる雪の峯朝空はれてまさやかに見ゆ
選者 日本芸術院会員 吉井勇 - 朝空のいろをすがしとおもひつつ大比叡の嶺(おおひえのね)ををろがみまつる
選者 折口信夫 - しづかなるあさをこぎいでてあをくものむかぶすそらのあたりまで来つ” - ^ “昭和25年歌会始お題「若草」”. www.kunaicho.go.jp. 宮内庁 (1950年). 2023年5月13日閲覧。 “召歌 日本芸術院会員 金子雄太郎 - 大御代の(おおみよの)若草山に平和満つ枯骨も(ここつも)春にめぐりあふ日か
従三位勲三等 鳥野幸次 - をとめらがつむ野となりてなつかしくもえしを草(もえしをぐさ)の花もつもりあり
選者 日本芸術院会員 尾上八郎 - 古草に新草(にひくさ)まじる野を行きて帰れる人に逢ひにけるかも
選者 日本芸術院会員 齋藤茂吉 - 若草のいぶきわたらふ頃ほひに大野を(おおのを)越えてわれ行かむとす
選者 日本芸術院会員 窪田通治 - 浅緑色(あさみどりいろ)すがしくも若くさの現れ出づる時とはなりぬ
選者 日本芸術院会員 吉井勇 - 京住みに年を経れども(ふれども)春来ればいまもなつかし武蔵野(むさしの)の草
選者 折口信夫 - 志づかなるむらに入り来つ(いりきつ)日おもてのひろばあかるきわかくさのいろ” - ^ 大蔵省印刷局(編)「二 選者」『官報』本号 / 第7135号、1950年10月21日(昭和25年)、314頁。「昭和26年歌会始御題「朝空」の詠進については、次のように定められた。(中略)尾上八郎、斎藤茂吉、窪田通治、折口信夫に仰せつけられた。昭和25年10月21日宮内庁長官田島道治」
- ^ “昭和28年歌会始お題「船出」”. www.kunaicho.go.jp. 宮内庁 (1953年). 2023年5月13日閲覧。 “召歌 日本学士院会員 新村出 - とほつ南新治人ら(にいばりびとら)乗りあへる大和おほ舟けふも出でゆく
召歌 會津八一 - ふなびとははやこぎいでよふきあれしよひのなごりのなほたかくとも
選者 日本芸術院会員 尾上八郎 - 暮れぬ間に入江越えむと出で初むる船にゆらりと下り立ちにけり
選者 日本芸術院会員 窪田通治 - 鳴りわたる銅鑼の(どらの)ひびきの胸ふかくしみとほりつつ船出でむとす
選者 日本芸術院会員 吉井勇 - わかき日の鳥羽のみなとの初船出おもひ出してなつかしみをり
選者 折口信夫 - 遙々に(はろばろに)船出て来しか海の原(わたのはら)富士の裾辺は波隠れけり
選者 土屋文明 - 霜おけるいらかにひびき芝浦を出づらむ船のあぐる音ぞする” - ^ “昭和29年歌会始お題「林」”. www.kunaicho.go.jp. 宮内庁 (1954年). 2023年5月13日閲覧。 “召歌 日本芸術院会員 香取秀治郎 - 下草の朽葉の色のあかるきに楢林陽はあたたかに照る
召歌 日本芸術院会員 小杉國太郎 - 朝の日もよろこびて照る白樺の林の梢若芽だちたり
選者 日本芸術院会員 尾上八郎 - 軽やかに林過ぎ行く朝心鳥のなく音をふとまねびけり
選者 日本芸術院会員 窪田通治 - 楢ばやしわか葉のひかり青やかに行く細みちの奥の知られず
選者 日本芸術院会員 吉井勇 - 武蔵野の林のなかをさまよひしわが若き日も今ははるけし
選者 土屋文明 - 国はらは夕べむらさきたなびきて林林の静まりにけり
選者 尾山篤二郎 - たじろがでたどりゆくこそうれしけれ林は春の草ももえたり” - ^ “昭和30年歌会始お題「泉」”. www.kunaicho.go.jp. 宮内庁 (1955年). 2023年5月13日閲覧。 “召歌 日本芸術院会員 川合芳三郎 - 厳窪の泉ひとつをまだきより汲みきそひつつなごむひとむら
召歌 日本芸術院会員 柳田國男 - にひ年の清らわか水くみあげてさらにいづみの力をぞおもふ
選者 日本芸術院会員 尾上八郎 - ひたしおく山の花ぐさ束とけてにはの泉の湧くにしたがふ
選者 日本芸術院会員 窪田通治 - 遠世びと住みし跡ある泉なりゆたに湧く水もろ手に掬ぶ
選者 日本芸術院会員 吉井勇 - 比叡山路のぼりて来ればいづこにか水湧く音す泉あるらし
選者 土屋文明 - 国のなか泉は今に流るれどさらし苦しむをとめ等を見ず
選者 尾山篤二郎 - 天の門を開く明雲顕かに映して泉さゆらぎもせず” - ^ a b “昭和31年歌会始お題「早春」(1956年)”. www.kunaicho.go.jp. 宮内庁. 2023年5月13日閲覧。 “召歌 日本芸術院会員 谷崎潤一郎 - 冬しらぬ国にも春のいろみえてけふかもかすむ沖のはつしま
召歌 日本学士院会員 湯川秀樹 - 春浅み藪かげの道おほかたはすきとほりつつ消えのこる雪
選者 日本学士院会員 尾上八郎 - 君が戸をあけむと触るる金物(かなもの)のきよくつめたき初春の朝
選者 日本学士院会員 窪田通治 - おもむろに動くしら雲やはらかき光を帯びて春ならむとす
選者 日本学士院会員 吉井勇 - 春はやき庭の日射しをよろこびて鞍馬(くらま)石置く貴船(きふね)石置く
選者 土屋文明 - 春早き光あつめて坂のある道をよろこび東京に住む
選者 尾山篤二郎 - 吹く風はいまだ寒けど朝雲のたなびく空を仰がざらめや” - ^ a b “昭和32年歌会始お題「ともしび」”. www.kunaicho.go.jp. 宮内庁 (1957年). 2023年5月13日閲覧。 “召歌 日本学士院会員 金田一京助 - 天地(あめつち)のそきへのきはみ照りわたるおほきともしび太陽あがる
召歌 日本芸術院会員 窪田通治 - 卓上の書(ふみ)を照らせる深夜の灯(ひ)澄み入るひかり音立てつべし
選者 日本芸術院会員 尾上八郎 - ねつかれぬならひとなりて物の色の白くなる時ともしびを消す
選者 日本芸術院会員 吉井勇 - 桂なる蛍燈籠にともる灯のほのけさ思へば(もへば)心和ぐらし(なぐらし)
選者 土屋文明 - 人の行き絶えて道ありあかときをまちてつらなるともしびのかげ
選者 太田みつ - 遠き町に灯のつくことの楽しさをしみじみ知りて今日の戸をさす
選者 松村英一 - 燈(ひ)をつらねのぼり来る見ゆ高山はあかつきの空いまだくらきに” - ^ 昭和24年[33]以降、催しがなかった昭和27年[34]を除くと、同25年[35]、同26年[36]、同28年[37]、同29年[38]、同30年[39]、同31年[40]、没年[41]に努めた。
- ^ 「帝国大学文科大学学生尾上八郎上「大君のちとせをよはふたつかねに松のあらーはしつまりにけり」」『官報』本号 / 第4969号、1900年1月27日、312頁。
- ^ 伊藤整 等 編、尾上柴舟 訳「ハイネ おのが心」『現代詩 第2』明治書院、1968年、303-306頁。国立国会図書館書誌ID:11093305。
- ^ 鈐木和子「尾上柴舟の「ハイネノ詩」」『日本古書通信』第56巻2(通号739)、日本古書通信社、1991年2月、1頁(コマ番号0001.jp2)。
- ^ 加藤孝男 著「尾上柴舟」、篠弘、馬場あき子、佐佐木幸綱監修 編『現代短歌大事典』三省堂、2000年、119-121頁。
- ^ 尾上柴舟「「ハイネの詩」について」『水甕』第36巻第4号、水甕社、1949年4月、9頁(コマ番号0006.jp2)、doi:10.11501/7930939。国立国会図書館内公開。
- ^ 村山 美恵子「「水甕」表紙の古筆学的意義-古今集について-」『國文學』第98巻、関西大学、2014年3月31日、33–47頁。
- ^ 尾上柴舟『調和体朗詠抄上』雄山閣〈書道講座 第25〉、1929年。上下に改組、『調和体朗詠抄・上』(1932年〈書道講座 第27〉doi:10.11501/1192959、『同・下』(1933年〈書道講座 第28〉doi:10.11501/1192965。
- ^ 尾上柴舟『調和体の研究』東京 : 雄山閣〈書道講座 第26〉、1931年(昭和6年)、全国書誌番号:47023872。1932年改版。
- ^ 尾上柴舟 編『調和体春秋帖』雄山閣、1933年(昭和8年)、doi:10.11501/1191242、全国書誌番号:47010691。装丁 : 和装。
- ^ 尾上柴舟『調和体風月帖』雄山閣、1933年(昭和8年)、全国書誌番号:47009846、doi:10.11501/1191115。装丁 : 和装。
- ^ a b 『書道』第3巻第11号、泰東書道院出版部、1934年11月。Template:DOI10.11501/1543409、国立国会図書館/図書館送信参加館・個人送信限定
- ^ 文検の資料として雑誌『書道』に合格者の駒僊生が寄せた「文検志望者に捧ぐ」(88-91頁、コマ番号0057.jp2)、書方教育研究委員による「国定書方手本解説(尋高各学年)」(99-108頁コマ番号0062.jp2)、大島庄之助「文検国語科について」を掲載、また「文検受験欄」86-87ページ(コマ番号0056.jp2)がある[53]。
- ^ 「中等敎員國語科委員 東京女子高師敎授・尾上八郎先生(口絵)」(1932年)
- ^ 『文検世界』3月号(第18巻第3号)、国民教育会、1932年3月(コマ番号0008.jp2)。doi:10.11501/11170642、国立国会図書館/図書館送信参加館・個人送信限定。
- ^ 『国語教育 3』健文館〈師範大学講座〉1930年。doi:10.11501/1886335。国立国会図書館内限定、図書館・個人送信対象、遠隔複写可。
- ^ 『漢文の訓読法 . 漢字の書法 . 仮名の書方 . 国語の音声研究の進歩 . 日本神話の性質 . 日本精神と教育 . 文檢國語科について』宮邊富次郎編輯、建文館〈師範大学講座国語教育 第12巻国語教育の特殊研究〉、1938年。執筆者は内野台嶺、田代秋鶴、尾上八郎、石黒魯平、丸山林平、加藤仁平、大島庄之助。NCID BA48622149。
- ^ 宮邊富次郎 編輯『国語教育の特殊研究2』建文館〈師範大学講座国語教育第12巻〉、1938年。第11巻から第13巻の執筆者は第12巻(内野台嶺、田代秋鶴、尾上柴舟、石黒魯平、丸山林平、加藤仁平、大島庄之助)、第11巻(田中寛一、丸山良二 [共著]、武政太郎、澤田慶輔、松本金寿、坂本一郎、山下俊郎)、第13巻(依田新、百田宗治、相良守次、日下部重太郎、淺黄俊次郎、石山脩平、水野常吉)。
- ^ 宮辺富次郎 編『国語教育の特殊研究2』、建文館〈師範大学講座国語教育 ; 第12巻〉、1938年。沖縄県立図書館蔵書。2023-05-23閲覧。
- ^ a b 文部省「告示 / 第63号 / 検定を与えた図書 /名称:『高等書道』(上、中、下)、ページ数:33頁B5判、目的とする学校:高校1年〜同3年、教科の種類:書道、著作者の氏名:石橋啓十郎・尾上八郎、発行者の住所、氏名等:東京修文館(東京都千代田区神田神保町)」『官報』第7131号、1904-08-12(昭和25年)、228頁。
- ^ 岩井寛『作家の臨終・墓碑事典』東京堂出版、1997年、83頁。全国書誌番号:98014882。ISBN 4-490-10463-4
- ^ 『国文』 1958, pp. 58–69, 網祐次「尾上八郎先生追悼」.
- ^ 『国文』 1958, pp. 58–59, 網祐次「思ひ出すこと、一つ二つ」.
- ^ 『国文』 1958, pp. 59–60, 関みさを「尾上先生の思い出」.
- ^ 『国文』 1958, pp. 61–62, 森本元子「尾上先生を想う」.
- ^ 『国文』 1958, pp. 63–64, 山村昌子「尾上先生のこと」.
- ^ 『国文』 1958, pp. 64–65, 西川和子「尾上先生のこと」.
- ^ 『国文』 1958, pp. 65–66, 次田真幸「尾上先生をしのぶ」.
- ^ 『国文』 1958, p. 巻頭, 「遺影及び遺墨」.
- ^ お茶の水女子大学国語国文学会 編『国文』第9巻(1958年5月)に追悼文が寄せられた[63][64] [65] [66] [67] [68]尾上八郎先生追悼 [69] [70]。
- ^ 栴檀社 1957, 尾上柴舟遺墨展.
- ^ 財団法人日本書道教育学会の創立25周年記念、1975年(昭和50年9月16日-21日)、東京セントラル美術館。NCID BN07084332、CRID : 1130282271573681536。
- ^ 成田山新勝寺境内の成田山書道美術館主催、2005年10月29日-12月23日「尾上柴舟展 : 生誕130年」展。NCID BC1652231X、CRID : 1130011838007309218。
- ^ 日本書道美術館主催、2006年(平成18年)1月21日-2月26日「尾上柴舟 : 生誕一三〇周年記念展 人とその作品 特別展」。NCID BA83569678、CRID : 1130282272228253184。
- ^ 大蔵省印刷局(編)「敍任及辞令 / - / - / 明治38年6月30日 叙従7位」『官報』本号 / 第6600号、1905年07月01日(明治38年)。
- ^ 大蔵省印刷局(編)「叙任及辞令 / 昭和14年4月13日 叙勲二等授瑞宝章 正四位勲三等 尾上八郎」『官報』第3682号、1939-04-17(昭和14年)、693頁。
- ^ マーク・バクラ 訳「V 尾上 柴舟 Saishu Onoe」『戦後日本美術総集 3』麗人社、メディアパル(東京)、大阪、2015年3月、287頁。国立国会図書館書誌ID:22555333。英語併記、年表あり。ISBN 9784896108477。別題『POSTWAR JAPANESE ART COLLECTION : PUBLICATION IN COMMEMORATION OF THE 70TH ANNIVERSARY OF the WAR'S END』。
- ^ 尾上柴舟『尾上柴舟大正期短歌集』村山美恵子 編、東京 : 短歌新聞社〈水甕叢書 ; 第803篇〉、2007年。付録:尾上柴舟著作目録。全国書誌番号:21253460、ISBN 978-4-803913-45-3。
- ^ “ハイネの詩 / 尾上柴舟訳編”. WINE:早稲田大学図書館古典籍総合データベース. 早稲田大学図書館. 2023年5月13日閲覧。
- ^ 曾垂超 刘嘉逸. 《快心编》成书年代与刊印考论. 黎明职业大学学报. 2013, no. 2, p. 6–11.
- ^ 「中国名裁判物語」シリーズ、ぎょうせい〈法律のひろば〉ISSN 0916-9806、国立国会図書館内閲覧、図書館・個人送信。