小山貞雄
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小山貞雄 こやま さだお | |
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生年月日 | 1905年3月3日 |
出生地 | 日本 東京都 |
没年月日 | 1969年8月22日(64歳没) |
出身校 |
東北帝国大学卒業 (現東北大学) |
所属政党 | 自由民主党 |
称号 | 藍綬褒章 |
第20代 東京都議会議長 | |
在任期間 | 1965年3月 - 1965年5月 |
選挙区 |
(下谷区選挙区→) 台東区選挙区 |
当選回数 | 5回 |
在任期間 |
1943年9月13日 - 1947年2月6日 1951年4月30日 - 1965年6月14日 |
下谷区会議員 | |
当選回数 | 2回 |
在任期間 | 1937年 - 1942年 |
小山 貞雄(こやま さだお、1905年3月3日 - 1969年8月22日)は日本の政治家。下谷区議(2期)、東京都議(5期)、第20代都議会議長。
経歴
1905年3月3日、東京都に生まれる[1][2]。東北帝国大学(現東北大学)卒業[2]。 1937年から下谷区議会議員を2期5年[1]。1943年9月13日の第1回東京都議会議員選挙で当時の下谷区選挙区から初当選、5年在任[1][3][4]。1951年都議に再選後は交通委員会委員長(1952−53年)、都議会自民党幹事長(1956−57年)、交通水道委員会委員長(1958−59年)を歴任[1]。 1965年3月、第20代東京都議会議長選挙で当選[1][2][5]、全国都道府県議会議長会会長にも就任[1]するが、この選挙でいわゆる東京都議会黒い霧事件に関与した15名の現職議員が一斉摘発、自身も贈賄容疑で家宅捜査を受け現職議長として逮捕。いずれの議長職も『在任2か月』での辞任となった[1][3][5]。 「議長のイスをめぐる金品買収が慢性化していた都議会の堕落」を都民が知ることとなり怒りの声が高まると、リコールを恐れた議会は自主解散を可能とする法整備を急いで進め、強行した。都議選が統一地方選挙と2年ずれて施行されているのは、この時の解散による。 1967年、2年に渡った東京都議会黒い霧事件裁判の判決は、懲役2年執行猶予5年の有罪(贈賄罪)。1968年、明治100年に特赦。1969年8月22日に死去した[1][2]。