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ジャガー・XJR-7

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ジャガー・XJR-7
Jaguar XJR-7
Jaguar XJR-7
コンストラクター イギリスの旗 ジャガー
デザイナー リー・ディクストラ
先代 ジャガー・XJR-5
後継 ジャガー・XJR-9
主要諸元
シャシー FRP モノコック
エンジン 6,219 cc V12 NA ミッドシップ
トランスミッション 5速+リバース マニュアル
重量 943 kg
タイヤ グッドイヤー
主要成績
チーム アメリカ合衆国の旗 Group 44
ドライバー フランスの旗 クロード・バロット・レナ
アメリカ合衆国の旗 ホイットニー・ガンツ
アメリカ合衆国の旗 ハーレイ・ヘイウッド
アメリカ合衆国の旗 ジョン・モートン
イギリスの旗 ブライアン・レッドマン
アメリカ合衆国の旗 チップ・ロビンソン
オーストラリアの旗 ヴァーン・シュパン
アメリカ合衆国の旗 ボブ・トゥッリウス
出走時期 IMSA GT選手権
(1985 - 1988)
初戦 3アワーズ オブ デイトナ
出走優勝ポールFラップ
26300
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ジャガー・XJR-7は、1986年のIMSA-GTP参戦用にグループ44が作成したプロトタイプレーシングカーである。1985年最終戦デイトナ3時間でデビューした。ジャガー・XJR-5の改良型であるが、1985年からトム・ウォーキンショー・レーシング(TWR)が世界耐久選手権(WEC)参戦のために作成したグループCカーがジャガー・XJR-6を名乗ったため、XJR-7となった。

概要

当時のIMSA-GTPではポルシェ・962が猛威をふるっており、これに対抗したXJR-7だったが、1986年は最終戦デイトナ3時間で1勝を挙げるにとどまった。1987年にはリバーサイド500Kmとウエストパームビーチ3時間で勝利するものの、ジャガー本社は1987年に世界スポーツプロトタイプカー選手権(WSPC)でタイトルを獲得したTWRを1988年からIMSA-GTPに参戦させることを決定し、グループ44への支援を打ち切った。これはル・マン24時間レース制覇のためにチームの規模を拡大したいTWRの意向によるもので、1988年のル・マン24時間レースにはTWRの3台に加えIMSA-GTP参戦のために結成されたTWR USAが2台のジャガー・XJR-9を走らせることになった。また、1990年のル・マン24時間レースで優勝したジャガー・XJR-12の3号車はTWR USAが走行させたものだった。

1988年開幕戦のデイトナ24時間レースがXJR-7の最後のレースとなったがリタイアに終わった。このレースではデビュー戦となったTWRのジャガー・XJR-9が優勝し、TWRとグループ44の実力の差が浮き彫りとなった。

参考文献