山村久
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山村 久 やまむら ひさし | |
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生年月日 | 1899年4月25日 |
出生地 | 日本 福井県 |
没年月日 | 1988年12月28日(89歳没) |
出身校 |
金沢医学専門学校卒業 (現:金沢大学医薬保健学域) |
前職 | 医師 |
所属政党 |
(無所属→) 自由民主党 |
称号 |
従四位 勲二等瑞宝章 勲三等瑞宝章 藍綬褒章 |
子女 | 養子・山村秀夫 |
第25代 東京都議会議長 | |
在任期間 | 1975年12月 - 1977年7月 |
選挙区 | 品川区選挙区 |
当選回数 | 7回 |
在任期間 |
1955年4月30日 - 1958年5月1日 1963年4月30日 - 1965年6月14日 1965年7月23日 - 1985年7月22日 |
第4代 品川区議会議長 | |
在任期間 | 1952年6月11日 - 1953年10月4日 |
当選回数 | 1回 |
在任期間 | 1951年 - 1955年 |
山村 久(やまむら ひさし、1899年4月25日 - 1988年12月28日)は、日本の政治家。品川区議会議員(1期)、第4代品川区議会議長、東京都議会議員(7期)、第25代東京都議会議長を歴任した。
経歴
1899年4月25日、福井県に生まれる[1][2]。1933年に金沢医学専門学校(現金沢大学医薬保健学域)卒業[1]。1951年に荏原医師会長となる[1]。また、同年から品川区議会議員を1期4年務める[2]。この間、第4代品川区議会議長(1952年6月11日から1953年10月4日)を務めた[2][3]。1955年、東京都議会議員選挙に品川区選挙区から立候補して、初当選する[1][2][4]。その後、港湾委員会委員長(1956年)を務めた。1958年5月1日に衆議院選挙に立候補するため都議会議員を辞職した[2][4]。第28回衆議院議員選挙に旧東京2区から無所属で立候補するが、全体の6番目で落選した[5]。1963年の都議会議員選挙で都議会議員に返り咲く[2][4]。その後は、建設労働委員会委員長(1966年から1967年)、都議会自民党幹事長(1971年から1972年)、議会運営委員会委員長(1971年から1972年)を歴任した[2]。1975年12月に第25代東京都議会議長に就任した[1][2][6]。1976年からは全国都道府県議会議長会会長も務める[2]。1977年7月に議長を退任した[2][6]。1985年の任期満了で都議を退任した[2][4]。1988年12月28日に死去した[1][2]。
栄典
子女
脚注
- ^ a b c d e f g h i j 日外アソシエーツ「WhoPlus」
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o 東京都議会議会局管理部総務課『東京都議会歴代議員略歴集録 昭和18年〜平成13年』東京都議会議会局管理部総務課、2002年、190頁。
- ^ “歴代正副議長”. 品川区. 2021年6月6日閲覧。
- ^ a b c d “歴代議長 | 東京都議会”. www.gikai.metro.tokyo.jp. 2021年6月6日閲覧。
- ^ “東京2区 - 第28回衆議院議員選挙(衆議院議員総選挙)1958年05月22日投票 | 選挙ドットコム”. 選挙ドットコム. 2021年6月6日閲覧。
- ^ a b “歴代議長・副議長 | 東京都議会”. www.gikai.metro.tokyo.jp. 2021年6月6日閲覧。