趙秉世

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動

趙 秉世(チョ・ピョンセ、ちょう へいせい、: 조병세1827年 - 1905年)は、李氏朝鮮末期の政治家。

経歴[編集]

哲宗治世下で科挙の文科に合格し、1889年右議政を、1893年左議政を歴任した。1894年甲午改革で政治形態が変更されると辞職し、しばらく加平郡で隠遁生活を送った。

1905年大日本帝国大韓帝国間で第二次日韓協約が締結されると、協約を締結した朝鮮側の政治家5人(後の乙巳五賊)の処刑を皇帝に申し出たが、日本の介入により失敗した。

その後、趙は閔泳煥朝鮮語版らとともに宮廷に留まり協約の破棄を主張し続けたが、日本軍により解散させられ、これを不服として自害した。

没後の1962年建国勲章を受章した。