コンテンツにスキップ

南九万

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナム・グマン
南 九万
生誕 1629年
死没 1711年
職業 文臣
詩人
歴史学者
テンプレートを表示
南 九万
各種表記
ハングル 남구만
漢字 南 九万
発音: ナム・グマン
テンプレートを表示

南 九万(ナム・グマン、朝鮮語: 남구만1629年 - 1711年[1])は、李氏朝鮮粛宗代文臣詩人歴史学者は「薬泉」[1]

人物

[編集]

1656年、別試文科合格。その後、漢城府左尹大提学大司諫右議政領議政奉朝賀を歴任する[1]1689年、粛宗が昭儀張氏の実子(景宗)を世子に立てようとすると、これに反対する宋時烈に同調して失脚、現在の東海市望祥洞深谷村に流刑に処される[1]

南九万は、著書『東史辨證』において、檀君朝鮮を建国した檀君について考証している[2]。南九万は、檀君の治世について怪しげな点を整理し、「檀君は神的存在」「檀君が1500年にわたって朝鮮を治め、1908歳の余生を終えた」という主張は説得力がないと糾弾している[2]

脚注

[編集]
  1. 1 2 3 4 “藥泉 南九萬 (1629-1711)”. 江原道. 2022年6月16日時点のオリジナルよりアーカイブ.
  2. 1 2 姜智恩 (2017年6月). “朝鮮儒者中華認同的新解釋 ─「天下」與「國家」的整合分析” (PDF). 中央研究院近代史研究所集刊. No. 96期. 中央研究院. p. 52-53. 2020年2月16日時点のオリジナル (PDF)よりアーカイブ.