孝宗 (朝鮮王)

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孝宗
李朝
第17代朝鮮国王
王朝 李朝
在位期間 1649年-1659年
都城 景福宮
姓・諱 李淏(イ・ホ、이호
静淵(チョンヨン、정연
諡号 忠宣文章武神聖顕仁明義正徳大王[1]
廟号 孝宗
生年 1619年7月3日
没年 1659年6月23日
仁祖
仁烈王后
后妃 仁宣王后張氏

孝宗(ヒョジョン、こうそう、万暦47年5月22日1619年7月3日) - 順治16年5月4日1659年6月23日))は、李氏朝鮮の第17代国王(在位:1649年 - 1659年)。は淏(ホ、)。即位前は鳳林大君(ポンリムデグン、ほうりんだいくん)だった。号は竹梧(チュゴ、ちくご、죽오)。

父・仁祖の皇帝ホンタイジに跪いて臣下の礼を取らされた恥辱を雪ぐべく、即位後は清を討伐(北伐(李氏朝鮮)韓国語版)するために軍備拡充に努めた。その軍事力(特に銃砲等の火力)を清に買われ、黒竜江を超えて南下していたロシア勢力の討伐を行う清軍に1654年と1658年の2回軍勢を参加(羅禅征伐韓国語版)させられている。

宗室[編集]

妃嬪[編集]

  • 仁宣王后 張氏
  • 安嬪李氏
  • 淑儀金氏
  • 淑媛鄭氏

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  • 顕宗大王 第18代王。 母は仁宣王后。
  • 大君(生年不詳-1642年 母は仁宣王后。) 早世。瀋陽で誕生し、死去。
  • 大君(1645年-生年不詳 母は仁宣王后。) 早世。孝宗が即位する前に死去。

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  • 淑慎公主(1635年-1637年 母は仁宣王后。) 早世。
  • 淑安公主(1636年-1697年 母は仁宣王后。) 益平尉 洪得箕に降嫁。息子の洪致祥は、絞首刑に処られた。
  • 淑明公主(1640年-1699年 母は仁宣王后。) 青平尉 沈益顕に降嫁。二男を儲ける。
  • 淑徽公主(1642年-1696年 母は仁宣王后。) 寅平尉 鄭斉賢に降嫁。2男1女を儲けるが、次男のみが成人した。しかし、次男の鄭台一は嗣子の無いまま、25歳で亡くなった為、養子を迎えた。
  • 淑静公主(1646年-1668年 母は仁宣王后。) 東平尉 翼孝公 鄭載崙に降嫁。3男2女を儲けるが、1男1女のみ成人。
  • 淑敬公主(1648年-1671年 母は仁宣王后。) 興平尉 孝憲公 元夢麟に降嫁。1女を儲ける。
  • 淑寧翁主(1649年-1666年 母は安嬪李氏。) 唯一の庶子女。錦平尉 朴弼成に降嫁。1女を儲ける。
  • 義順公主(養女。1635年-1662年 成宗の庶子、益陽君の3世孫である錦林君の娘。)清国皇族 ドルゴンの妃。

関連項目[編集]

出典[編集]

  1. ^ 清の諡号を隠した朝鮮後期の国王たち 朝鮮日報 2007/09/16