能ヶ谷 (町田市)

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能ヶ谷
—  町丁  —
鶴川駅(能ヶ谷1丁目)
能ヶ谷 (町田市)の位置(多摩地域内)
能ヶ谷
能ヶ谷
座標: 北緯35度35分16秒 東経139度29分14秒 / 北緯35.58778度 東経139.48722度 / 35.58778; 139.48722
Flag of Japan.svg 日本
都道府県 Flag of Tokyo Prefecture.svg 東京都
市町村 Flag of Machida, Tokyo.svg 町田市
地域 鶴川地域
面積[1]
 • 計 1.381km2 (0.533sq mi)
人口2015年平成27年)4月1日現在)[2]
 • 計 10,868人
等時帯 JSTUTC+9
郵便番号 195-0053
市外局番 042(相模原MA)
ナンバープレート 多摩

能ヶ谷(のうがや)は、東京都町田市にある町名。現行行政地名は能ヶ谷一丁目から七丁目(住居表示区域)。人口は10,868人(住民基本台帳 2015年4月1日現在[2])。

地理[編集]

町田市の北東部に位置する。小田急電鉄小田原線鶴川駅がある。

北部、東部、南部は神奈川県川崎市麻生区、南部は三輪町、西部は大蔵町鶴川広袴町と接する。

河川[編集]

地価[編集]

住宅地の地価は、2014年平成26年)1月1日公示地価によれば、能ヶ谷5-33-12の地点で16万6000円/m2となっている。[3]

歴史[編集]

武蔵国都筑郡幡屋郷に属し、その後、多摩郡小山田庄三矢田郷に属し、その後、多摩郡柚木領に属した。

地名の由来[編集]

鎌倉時代紀州田鍋郡から神蔵勘左衛門重信、鈴木四郎左衛門、夏目与三衛門、森半兵衛の4人が開拓してから集落になり「直ヶ谷」と呼ばれたが、天正年間から「能ヶ谷」と記されている[4]

沿革[編集]

  • 1590年天正18年) - 徳川家康の領地になり、幕府直轄地になる。
  • 1605年慶長10年) - 分割され、一部が旗本 福井清右衛門久国の知行地になる。
  • 1661年寛文元年) - 幕府直轄地の一部が旗本 細井佐次右衛門勝茂の知行地になる。
  • 1696年元禄11年) - 残りの幕府直轄地が旗本 桜井安右衛門の知行地になり、以後旗本3家の分割知行地になる。
  • 1715年正徳5年) - 福井家の知行地が幕府直轄地になる。
  • 1868年慶応4年、明治元年) - 武蔵知県事韮山県の管轄となり、その後神奈川県に移管される。
  • 1871年(明治4年) - 区制により第三〇区となる。
  • 1873年(明治6年) - 区番組制により第八区四番組となる。
  • 1874年(明治7年) - 大区小区制により第八大区一小区となる。
  • 1884年(明治17年) - 連合戸長役場制により小野路村戸長役場の管轄となる。
  • 1889年(明治22年) - 能ヶ谷村と大蔵村、小野路村、金井村、真光寺村、広袴村、野津田村、三輪村が合併し、南多摩郡鶴川村大字能ヶ谷となる。
  • 1893年(明治26年) - 神奈川県のうち、西多摩郡、南多摩郡、北多摩郡東京府に移管され、東京府南多摩郡鶴川村大字能ヶ谷となる。
  • 1943年昭和18年) - 東京都制により、東京都南多摩郡鶴川村大字能ヶ谷となる。
  • 1958年(昭和33年) - 町田町、鶴川村、忠生村堺村が合併し、町田市能ヶ谷町となる。
  • 1968年(昭和43年)8月1日 - 能ヶ谷町、大蔵町、真光寺町、広袴町の一部で町名地番整理を実施、鶴川一〜六丁目を新設。
  • 2010年平成22年)7月19日 - 住居表示実施し、能ヶ谷町の全域、大蔵町の一部、鶴川一丁目の一部から能ヶ谷一丁目~七丁目を新設。

交通[編集]

鉄道[編集]

能ヶ谷一丁目には小田急電鉄小田原線鶴川駅がある。能ヶ谷の北東部には神奈川県川崎市麻生区にある柿生駅が最寄駅になる地域もある。また、北部には神奈川県川崎市麻生区にある五月台駅が最寄駅になる地域もある。

主な道路[編集]

鶴川街道

施設[編集]

武相荘(旧白洲邸)
能ヶ谷きつねくぼ緑地
文化
公園
  • 能ヶ谷きつねくぼ緑地 - かつて存在した廃墟マンション(通称・お化けマンション)跡地に整備された緑地。
  • 能ヶ谷空と緑の森公園
教育
  • 小学校
    • 町田市立鶴川第二小学校
商業
金融機関
農業協同組合
郵便局
  • 鶴川駅前郵便局
警察
寺院神社
  • 妙行寺
  • 蓮清寺
  • 能ヶ谷神社

出典[編集]

外部リンク[編集]