緑富士優

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緑富士 優(みどりふじ まさる、1974年8月2日-)は、阿武松部屋に所属した元大相撲力士。本名は大金優。山梨県中巨摩郡田富町出身。184.5㎝、159.5㎏。最高位は西幕下筆頭。現役後期には富士龍優耀(ふじりゅうまさる)の四股名を名乗っていた。

経歴[編集]

中学時代は水泳のバタフライの選手。山梨県立谷村工業高校入学と同時に相撲に転向、専修大学に進んで以降も相撲部で活躍。大学1年次の大会で負傷し、在学中は納得のいく成績が残せなかった思いと、相撲部監督の勧めを機に、大学卒業と同時に阿武松部屋に入門し、1997年3月に初土俵を踏んだ。初めて序ノ口に在位した翌1997年5月場所で全勝優勝をするなど順調に番付を上げ、2000年7月場所では、最高位の西幕下筆頭に上がった。しかし同場所11日目の田中(後の十両・魁道)戦に勝利したものの、足首を負傷。その影響により翌日の十両・北桜戦では力が出ず寄り倒しで敗れ、負け越して関取の座を逸してしまった。以降も幕下上中位で奮闘していたが、2001年5月場所前に糖尿病及び肺塞栓症を発症し、4場所休場を余儀なくされ、復帰した2002年1月場所では序二段まで番付を下げた。同場所で序二段優勝、翌2002年3月場所でも三段目で全勝[1]し、僅か2場所で幕下に復帰。その後も阿武松や主治医と相談しながら、十両目指して土俵に上がっていたが、幕下上位に復帰することもままならず、2007年5月場所限りで引退。2007年5月27日に断髪式を行い[2]、以降は介護職に従事していると見られる[3]

成績[編集]

  • 通算62場所219勝157敗51休
  • 序ノ口優勝1回、序二段優勝1回(上述)
  • 十両在位力士との対戦は、西幕下3枚目で迎えた2000年1月場所12日目(若光翔戦・引き落としで負け)・東幕下6枚目で迎えた2000年5月場所13日目(泉州山戦・叩き込みで勝ち)・西幕下筆頭で迎えた2000年7月場所8日目(若ノ城戦・上手投げで負け)及び同12日目(上述の北桜戦)と4回経験し、1勝3敗だった。いずれの場所も十両昇進相当の成績は修められなかった。

改名[編集]

  • 1997年3月場所に、大金優(おおがねまさる・本名と同一)の四股名で初土俵。
  • 1997年7月場所より、緑富士優(みどりふじまさる)と改名。
  • 2003年1月場所より、再度大金優と改名。
  • 2003年7月場所より、富士龍優耀(ふじりゅうまさる)と改名。以降、引退まで同四股名を名乗る。

脚注・出典[編集]

  1. ^ 決定戦で安馬(後の横綱日馬富士)に敗れ、三段目優勝には至らなかった。尚、同場所9日目には、後の横綱白鵬吊り出しで撃破した。2016年11月場所終了現在、白鵬が吊り技で敗れたのはこの1戦のみで、しかも緑富士と白鵬の対戦は同取組が唯一だったため、記録上の対白鵬の勝率は100%である。
  2. ^ 富士龍断髪式並びに五月場所打ち上げ
  3. ^ 平成二十四年九月場所阿武松部屋打ち上げパーティー開催

関連項目[編集]